◆◆◆おにいちゃん

叶斗

一の一[◆◆◆おにいちゃん]

 ……早く! 早く家に帰りたい!


 今日の学校はいつもよりも憂鬱だった。嫌なことがいくつも被り、帰る時間まで遅くなってしまった……。


「最悪……だけど、家に帰ったら、◆◆◆おにいちゃんが待ってる!」


 ◆◆◆おにいちゃん。わたしのおにいちゃんで、大人で、かっこよくて、わたしの大好きな人。いつもわたしのことを考えてくれる素敵な人。


 そして、◆◆◆おにいちゃんとわたしは一緒に暮らしている!

 大好きな家族だから、毎日行くときも帰るときも会うことができる。

 だから、早く帰ればわたしにとっての至福の時間が待っている……のに


「だというのに、帰る時間が遅くなるのは、なんて天罰なんだろう……!」


 ◆◆◆おにいちゃんは、悪いことはイヤだから、わたしは良い子で、天罰が下るようなこともしてないはずなのに……悲しいって言葉じゃ言えないくらい悲しい。

 でも、怨み言を言っても、早く帰れるわけじゃない。だから、早く、早く、早く……!


 走っていって、わたしと◆◆◆おにいちゃんのお家の玄関が見えて、ひとまずは落ち着いて、ゆっくり歩く。


 ……確かに、◆◆◆おにいちゃんに早く会いたい! って気持ちはあるけれど、でも、全力疾走した直後の、汗ばんだ、髪の乱れたわたしを見せたくもない! 変な姿を見られるのはイヤだから。


 何回か、深く、息を、吸って……、吐いて……。

 体も気持ちも落ち着け、少し髪を整えて……意を決して扉を開ける。


「ただいま〜」

「おかえり」


 さっきまでの陰鬱とした、憂鬱な気持ちなんて吹き飛んでしまった!

 だって、◆◆◆おにいちゃんの声を聴けたから……!


 おにいちゃんはひょっこりと出てきて、玄関の僕の方へと歩いてくる。


「ただいま! ◆◆◆おにいちゃん!」


 靴を脱いで、ちょっと駆け足で、◆◆◆おにいちゃんにだきついて、顔をうずめる。

 この「ただいま」は、◆◆◆おにいちゃんの分。さっきのはお家の分。


「あはは、おかえりなさい」


 ちょっと笑って、丁寧に◆◆◆おにいちゃんも「おかえり」を返してくれて……更にはわたしの頭までなでてくれた!!


 そのあたたかくて、大きくて、頼れて、優しい手がわたしを包んでくれて……んにゃぁ、至福…………。

 本当に幸せ……。


 しばらく楽しんでいると、◆◆◆おにいちゃんは、わたしの拘束から離れていく。

 名残惜しい。幸せの権化である◆◆◆おにいちゃんを、この身の全てをもって受けとめられる時間が過ぎてしまったから……。


 「お荷物とか、お部屋に置いておいで。すぐご飯になるから、ご飯をたべよう」


 ◆◆◆おにいちゃんは毎日わたしにご飯を作ってくれる。もちろんそれも至福の時間。だから、涙をのんで二階のお部屋に行く。


 ランドセルを置いて、中を整理して、今日しなきゃいけないことを確認して……。


 整理しながら考える。


 ◆◆◆おにいちゃんは、いつもわたしに至福の時間を提供してくれるけど、いつも甘やかしてくれるわけじゃない。さっきだって、わたしが荷物を整理しなきゃいけなくて、そうすることがわたしのためになるから、◆◆◆おにいちゃんもわたしを想って、離れた。でも、その一つ一つ、ちっちゃな気遣いから全部全部全部全部!!! わたしのことを考えて行動してくれている。


 それがたまらなく嬉しいことで……、◆◆◆おにいちゃんにとってわたしが特別な存在であることに、気持ちが高ぶっちゃうな……。


 身を焦がすような荒ぶる感情に任せ、ベッドに置いてある、◆◆◆おにいちゃんが二年前の十月にくれたきつねさんのぬいぐるみさんをぎゅっとする。


 わたしだって、◆◆◆おにいちゃんのこと、特別に想ってるからね……。


 いつも優しい◆◆◆おにいちゃんを困らせちゃよくないから、ちょっとづつ伝えていくんだ、って。


 ぬいぐるみさんも抱えて、整理を終わらせ、小走りで下の階のリビングに向かう。

 そして見えた、キッチンに立ち、真剣な眼差しでお料理に盛り付けをする◆◆◆おにいちゃんの姿はかっこよくて。


 浄化されちゃうよぉ……。

 でも、浄化って、汚いものを綺麗にすることだよね? 悪いことはしてこなかったつもりだし、汚いわけじゃないはず、だよね? いやでも、◆◆◆おにいちゃんと接するときの邪な感情は抑えているつもりだから……大丈夫かな。

 だから、昇天かもしれない……。


 しかも、あのお料理って……――


「今日は★★★の好きなカレーライスです!」


 わたしのために、カレーライスを作ってくれた!!


 テーブルの、定位置の席につくと、◆◆◆おにいちゃんはわたしのところに配膳をしにきて、カレーライスを置くと、ウィンクをした。


「◆◆◆おにいちゃん! それは攻撃力高いよ! わたしのこと昇天させにやってきた天使さんなの?」

「あはは、そんなことないよ、それはそれとして、本日の夕飯はわたくしの力作のカレーライスでございます。お召上がりください」


 途中から執事さんとか使用人さんみたいな綺麗な所作をして、わたしに促す。


 みゃあぁぁ、色々こみ上げてきちゃうって、◆◆◆おにいちゃんってば本当に……。


 でも、◆◆◆おにいちゃんシェフの力作を前にしているから、気持ちを落ち着ける。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 「いただきます」を言うといつもの◆◆◆おにいちゃんに戻って、お返事をしてくれる。

 そして、意を決して食べる。わたしがとろけないように……。


 ◆◆◆おにいちゃんがわたしのためにと作ってくれたカレーライス。わたしのためにと覚えていてくれたわたしの好きなお料理。わたしのためにと、お買いもののことを考えて、買ってきてくれて……。そんな、◆◆◆おにいちゃんのわたしへの愛情。大げさだなんて言わせない。


 スプーンで口にお米とルーを入れる。

 口に入れた瞬間にカレーの辛さと美味しさがやってきて、流れるようなルーが口いっぱいに美味しさを伝えてくれる。


 ……何年も何年も、わたしのためにと朝ご飯もお夕飯も、普段は学校があるけれど、学校がないときには、お昼ご飯だって作ってくれた◆◆◆おにいちゃん。わたしのためにと上達させたお料理の技術。今までの積み重ねの全てが今、わたしに向け、このカレーライスに詰められている。


 暴れるな、荒ぶるな、僕の感情!! お行儀よく食べるんだ!!

 でも、ルーと一緒にとろけちゃうよぅ……。

 うん、だから、そう、この感動をしっかりと伝えるために、しっかりと落ち着けなきゃ!


 ごっくんして、少し余韻を楽しむ。


「すっごく美味しい! ◆◆◆おにいちゃんのお料理!」

「それは良かった」


 安心したように、わたしの感想を嬉しむように、◆◆◆おにいちゃんは微笑えんで、小さくガッツポーズをした。


 その攻撃はわたしに直撃しちゃうよ!! わたしの反応で、◆◆◆は一喜一憂してくれるって、本当に感じちゃうから……。

 わたしも、わたしだって◆◆◆おにいちゃんの深くまで関われてすっごく嬉しいんだから。

 しかも、ガッツポーズなんて、本当に◆◆◆おにいちゃんは可愛い。

 でも……だらしない顔はしちゃだめだわたし! ◆◆◆おにいちゃんを困らせないようにするために!


 心が荒ぶっている間に、◆◆◆おにいちゃんはわたしの対面の定位置の席についた。

 これは昔、わたしが◆◆◆おにいちゃんと話したくて、顔が見たくて、ここに座ってほしいってお願いした席の定位置。


 わたしがきっかけで、ずっとここに座ってくれている。これからも座っていてほしい。

 本当にちょっとしたわがままだったのに受け入れてくれた◆◆◆おにいちゃんは……昔からずっと本物の天使さまだったのかもしれない…………。


「いただきます」


 ◆◆◆おにいちゃんも手をあわせて、「いただきます」を言う。


「美味しい。美味しく作れてよかった」


 やっぱり微笑んで◆◆◆おにいちゃんはそういう。


 ……本当に、ずるい。◆◆◆おにいちゃん自身も食べるから「美味しく作れてよかった」のかもしれないけれど、それ以上に、わたしが食べるものを、わたしの好きなものを「美味しく作れてよかった」と言っているように感じられるんだよ――


「ね、美味しいでしょ!」


 だから、作ってくれた◆◆◆おにいちゃんに向かって、食べてるだけのわたしが自慢しちゃうんだ。

 ◆◆◆おにいちゃんは、最高なんだって。



  ……………



 ちょっとした話をして、「ごちそうさま」を一緒に言って、今日のことを話したりして。

 ……あとは、離れたくなかったけど、お部屋に戻って、やらなきゃいけないことをやって。

 疲れた〜って、疲れてもないのに、◆◆◆おにいちゃんに、たくさん甘えるようにだきついて。

 今日はいつにもまして至福の時間で。

 その時間を離したくなくて。


「◆◆◆おにいちゃん! お風呂一緒に入ろう!」


 くっつけるならずっとくっつきたいよね!

 洗いものとかの、◆◆◆おにいちゃんがやることが終わったこれから、ずうっと一緒に居たいもの!


 ……でも困らせちゃよくないから、お風呂は普段は二日、三日に一回にはしてる。


「はいはい、一緒に洗いましょ」


 押されて呆れるように、でも楽しそうに笑っていて、そんな◆◆◆おにいちゃんの腕をわたしは引っ張って、お風呂場の前に行く。


 服を一枚、もう一枚と脱いでいくごとに見えていく◆◆◆おにいちゃんの体つきは、本当にバランスが整っていて、かっこよくて、筋肉質で、触りたくなるような、まるで芸術だった。

 図画工作の教科書に載っているような綺麗な絵画を見たときのような感動がある。

 それに負けじと、一枚、もう一枚とわたしも服を脱ぐけれど……子供なので何か良いスタイルに成長できたりということはまだない。残念。


 今更ながら、普段おてんばなのに、服を脱ぐ動作の上品さを意識しても仕方ないのかな、でも、おてんばな子も嫌いじゃないよね……なんて思いつつ。


 支度が終わって、お風呂場に入り、わたしは扉に鍵をかける。カチャリと。

 簡易的というか、玄関の扉と違って、開けようと思えば開けられるつくりにはなっているけれど、狭い密室の空間に、裸で◆◆◆おにいちゃんと一緒にいるって思わされるこの音に、いつもぞくっとしてしまう。

 ちなみに、一人で入るときは、いつでも入ってきていいよって、鍵はかけない。


 鍵をかけたりかけなかったりすることの違いとか真意とかには、気づいてはいなそうなのは、そうですよね〜という感じではある。

 そりゃあ気付かないだろうけれど、直接言うのは違う気がするし、恥ずかしいから、察してほしいのに。二人一緒の空間が嬉しいこと、一人じゃ寂しいから、いつでも来てほしいこと。

 いつでも入ってきていいんですよ〜。


 いろんな思いが心の中で渦巻いていても、当然◆◆◆おにいちゃんは気づかない。


 ◆◆◆おにいちゃんはかけ湯をして、その後、桶をわたしに渡す。


 わたしがこんなにも◆◆◆おにいちゃんのことを思って思って思って、考えてはるつぼにはまっているのに……平然としてるし……。


 お湯を、湯船からすくって、かける。気分が落ち着く。


「今日は★★★もたくさん動いたようなので、しっかり洗いましょう!」


 わたしがご飯の後に今日あったことを話して――それをちゃんと覚えていてくれた◆◆◆おにいちゃん。走って帰ってきたことを言っているのかな?

 「しっかり洗いましょう」と言って、ボディソープを泡立たせて、わたしに分けてくれる。


「……今日は◆◆◆おにいちゃんがわたしの体洗ってよ…………」


 いつもは迷惑をかけないように、自分で洗っているけれど、今日はちょっと甘えたい。◆◆◆おにいちゃんの優しさにひたりたい。


「はい、じゃあ、まずは右腕を出してください」


 慣れた手つきで、わたしの体を順に洗っていく◆◆◆おにいちゃん。

 あはは、なんだかんだ、たまにしてもらってはいるからなぁ……。


 でも、その顔には、慈愛とか、母性とか、そんな感情が見てとれて、少し複雑になる。でも、子供みたいに甘えていたいって、甘え続けたいって気持ちはいつもある。ずっとあるから、嬉しくもあるのだ。


 わたしをあわあわにした後、◆◆◆おにいちゃんは、自分の体を自分で洗い始めてしまって、慌ててわたしは言う。


「わたしが、◆◆◆おにいちゃんの背中を、洗いましょう!」


 そうして、◆◆◆おにいちゃんの背中に触れる。

 やっぱり大人の男の人だって感じさせる、しっかりとした体格。

 白い泡で満たしていく。


 最後、二人で全身あわあわになって、お湯をかける。

 次は髪、シャンプー。


「髪も洗ってほしい」


 やっぱり甘えたくなって、甘える。


 こちらもまたなれた手つきで、わたしの髪を優しく梳いてくれる◆◆◆おにいちゃん。

 そのまま、シャンプーを頭に泡立てて、◆◆◆おにいちゃんはわたしに問う。


「お加減はいかがですか?」

「最高です!」


 目を閉じて、なでられるのとはちょっと違う心地よさを享受して、言う。

 おとなしく、優しい手つきの◆◆◆おにいちゃんのされるがままになり、時間は過ぎる。


 お湯で流して、少し乾かして、リンス。


 全てが終わって、心地良い時間が終わっちゃったなと、悲しくなる。


「先、湯船につかってて」


 ◆◆◆おにいちゃんはそう促す。

 残念なことに、身長の差で、わたしだと◆◆◆おにいちゃんの髪とか頭に届かないのは、届いても洗うのが大変なことは分かっているので、素直に湯船に入る。


 そして自分で髪を洗い始める◆◆◆おにいちゃんを見ては思う――


 わたし、施されっぱなしというか、全部全部貰ってる。貰ってばっかりだなぁ……。

 いつか大きくなって、たくさんのことを◆◆◆おにいちゃんにしてあげて、「ありがとう」ってたくさん言われたいなぁ。わたしが「ありがとう」をたくさん言ってるから……今は。


 湯船のふちから、ずうっと◆◆◆おにいちゃんを見て、思いふける。


 早く洗い終わってほしいな。


 願いが通じたのか――特に通じたわけではないだろうけれど――◆◆◆おにいちゃんはお湯をかけて、顔の水をはらう。


「向かい合って、ぎゅってできるように入ってほしいな」


 背中からぎゅってする姿勢も好きだけれど、向かい合ってぎゅってしたい気分だった。


 うっかり体制を崩したりしないように、わたしを踏んで傷つけないよう慎重に、◆◆◆おにいちゃんは湯船に入る。


 あったかい……。今までのちょっとした悩みとか、そんな気持ちとか全部、◆◆◆おにいちゃんは包み込んでくれる…………。


 明らかに、お湯の温度、◆◆◆おにいちゃんの体温、わたしの体温、お風呂場の暑さ以上である暑さに身を焦がす。

 このままずっと、こうしていたい……。



 ……………



 当然、「このままずっと、こうしていたい」という願い叶わず、お風呂の時間も終わった後。

 わたしは◆◆◆おにいちゃんの部屋に来ていた。


 綺麗に整頓された部屋と、勉強した跡のある机に本。


 そして、一つのベッド。


 眠気が結構限界に来ていて。


「◆◆◆おにいちゃん……先に寝ちゃうね……おやすみなさい…………」

「おやすみ」


 頭をなでて◆◆◆おにいちゃんは言って――そしてわたしは◆◆◆おにいちゃんの中で、眠りにつきました。


 なんでわたしの部屋で寝ないのかって?

 もちろん、◆◆◆おにいちゃんと寝たいから。

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