第5話

 月明かりが校舎屋上を照らしている。在学中は立ち入ることの無かった場所にハルはいた。彼は屋上を囲う網の隙間から地上の生存者たちを見ているのだった。


「探したわよ」


 昨日とは違うオフショルダーワンピースに身を包んだユノがやって来た。ハルはその服装に場違い感を覚えずにはいられないのだが、レッグホルスターとそこに納められた拳銃がかろうじてユノが戦闘員であることを証明していた。


「俺が言うのもなんだけど、もう少し戦闘向きの服を着たら?」

「どんな服よ」

「……」

「具体的な例は出せないのよね。良いの。これは私が好きで着てるんだから」

「そう」


 ユノと行動を共にするようになって、ハルは彼女に不安を覚える時があった。彼女は、自分の魅力をしっかりと自覚しているのだろうか、と。そのたおやかな肢体が男──特に同年代──の原始的かつ野性的な部分を刺激してやまないことを、ユノは解っているのだろうか。

 むろん、ハルはそのことを口に出すことはしない。自身でも驚くほどの精神力でこらえている。しかし、他の男たちはどうか。特に、今日助けた連中は。



 有原学園の制圧作戦は、実行者にとっては拍子抜けするほど簡単に終わった。

 カモフラージュのために藤波駐屯地からやって来た自衛隊員を前に出し、〝救助〟に来たとうそぶくと、生存者たちは驚くべき早さで制圧部隊を受け入れた。実は自衛隊員がたったの五人しかおらず、特殊部隊服にガスマスクとバイザーを着けた謎の兵士たちの方が〝救助部隊〟の主体だと知っても、かれらは何の疑問も持たなかったようである。

 ハルにとって嬉しかったのは、自らが囮となって逃がした級友たちと再会できたことだった。


「夕凪!」

「滝風!」


 滝風カイラはユノの家から逃げ出した時よりも少しやつれているように見えたが、衰弱とは無縁の体力を有しているようだった。


「学校に戻ってたのか」

「いや、最初はお前の言った通り市民会館に行ったんだけど……」


 カイラたちが市民会館に着いた時、そこは既にもぬけの殻だった。自衛隊の避難とニアミスしてしまったのである。

 袋小路に立ったカイラたちは、短い討議の末、有原学園に戻ることを決めた。転化者だらけの街で潜むより、勝手知ったる建物にこもった方が幾ばくかは安全であろうと判断したのだ。

 その判断はおおむね正しかった。そこには、かろうじて生き延びた生存者がグループを形成していた。生存者たちは校舎の三階部分を占拠し、倉庫から発電機を持ち出して電力供給の寸断に備えていた。柊機関の工作によりインフラが崩壊する可能性は限りなく低いのだが、そんな事情をかれらが知っているはずもない。

 こうして、カイラたちは一ヶ月を学び舎で過ごし、どこからともなくやって来た謎の兵士たちに救われた訳である。


「あの人たちって何なんだ?」


 カイラは当然のようにハルに疑問をぶつけた。


「ガスマスク着けた人たちのこと? なんていうか、政府と協力してるんだ」

「まだ政府なんてあったのか。っていうか、何で知ってんだ?」

「それは……」


 訊いてきたのはお前だろう。そんな言葉を飲み込んでハルは返答を考えた。実は政府の非公式機関のエージェントになったんだ。こんなことを言ったら、きっと気が触れてしまったと思われるかもしれない。


「まあ、良いか。今はそんな余裕無いしな」


 だが、カイラの方から話を打ち切ったことで、ハルは窮地を脱した。ハルはカイラの切り替えのよさに心から感謝したい気分だった。


「あ、いや、まだ聞きたいことがあった」


 立ち去りかけて、カイラは足を止めた。


「吉城はどうした?」

「……」

「……そうか」


 ハルの沈黙を悲観的に解釈したのか、カイラの表情が陰る。

 どこか寂しげに去っていくカイラの背中を見て、ハルは吉城リクハのことを思い出していた。

 ユノの家にやって来た、クラスの中心メンバーたち。その中核がリクハだったが、確かに今どうなっているのだろう。ハルは脳裏に転化したクラスメイトに押され、テーブルの角に後頭部をぶつけたリクハの姿を投影していた。

 もしかしたら、あそこで伸びたままなのだろうか。そう考えるとわずかに罪悪感が湧いた。決して仲が良かったとは言えないが、かといって死んでほしいほどに憎んでいた訳でもないので、もし死ぬか転化しているとしたら、本当に申し訳ないとハルは思った。

 とはいえ、思っただけなので、心の中で一言謝った後は急速に関心が薄れていった。可哀想だが、それはそれ、これはこれである。一時間もすると、リクハのことなどすっかり忘れ去っていた。



「帰るわよ」

「もう良いの?」

「私たちがやれることは無いわ」

「帰りって言っても移動手段は……」

「私、車運転できるのよ?」

「……十五歳だよね?」

「ちゃんと運転できるわよ」

「そういうことじゃなくて」


 いろいろと言いたいことがあったハルだったが、それらを飲み込んで彼は助手席に座を占めた。

 ユノの運転は上手かった。一体どこで習ったのかとハルは訪ねた。


「教習所よ」

「どうやって……」

「経歴をちょっといじった履歴書を出したら、何の疑いもなく入れたわ」


 それは文書偽造の罪に当たるのではとハルは言いかけたが、自分にユノを非難する資格が無いことに気づいたので、そのまま口をつぐんだ。

 代わりに口を開いたのは運転手だった。


「それ、滝風くんに渡したやつ?」


 ユノが言っているのは、ハルが片手でもてあそんでいた空のガラス容器についてだった。一ヶ月前、ハルがカイラに渡した抗ウイルス剤が入っていた物だが、恩人のハルに返すためにカイラはそれをずっと持っていたのである。

 自分だったらすぐに捨ててしまうな。そんなことを思いながらハルは受け取っていた。この善良的精神がハルとカイラの違いであり、ハルが彼に好感を抱いた要因なのだ。


「そんな物、すぐに捨てれば良かったのに」


 思っても言わない分別がある分、ハルはユノよりも人格面において優れているようだった。


 *


 屋敷に戻った二人は、ルートビアを片手にテレビを眺めるビクターと出会った。


「あ、ビクターさん」

「よお」

「早かったですね」

「だって一軒一軒回って安全を確かめるだけだぞ? 待ち伏せもブービートラップもねえ退屈な任務だったぜ」

「はあ……」


 そういう経験があるのだろうか。そういえば、任務が終われば出自を話すと約束していた気がする。


「そんなこと言ってたな。じゃあ話してやるよ」


 そう言ってビクターは自分も含め、ヒースたちの来歴を語り始めた。



 ビクターは姓をランバートという。祖父の代まではスペイン系の姓を名乗っていたが、ビクターの父親が白人の娘を妻に迎え、様々な事情で現在のランバートという姓に変わったという。その様々な事情が何なのかを訊く前にビクターの家庭は崩壊し、引き取った祖父も何も言わずに亡くなったために、彼は自分の出自に幾つかの疑問を持っている。

 とはいえ、出自の謎などビクターにとっては些事に過ぎず、十九歳の時に祖父が死に、遺産であるアパートの一室を受け継いだ彼は、人生を自分なりの道楽に彩るために行動を開始した。

 ビクターの生まれた街はヒスパニック系が多数派で、次に白人、黒人、アジア系と人種だけで見れば多様性主義の活動家が嬉しそうに頷くような人種構成だった。しかし実情は異をことにして、エスニック・グループからなるギャングが縄張り争いを繰り広げていたのである。

 当初ビクターはフリーのトラブルシューターとしてギャング間の折衝役を担った。だが、ギャングたちはこの生意気な小僧を軽くあしらい、ビクターはその日の昼食にもありつけないほどに困窮した。

 祖父が死んで二ヶ月後、二十歳になったばかりのビクターはヒスパニック系ギャングの一員として麻薬取引に関わっていた。

 彼が初めて殺人を犯した相手は、涎を垂らして〝シロップ〟をせがむ高校教師だった。代金が払えない相手に元から無いに等しい愛想を尽かし、立ち去ろうとしたビクターの背に、死神の刃が触れたのである。

 一瞬のことだった。とっさに振り返ったビクターは、高校教師の銃撃を間一髪で避け、二発応射した。教師は港の入り江で倒れ、ビクターはその死体をこっそり海に蹴り入れたのだ。

 顧客を殺したことはビクターのギャング生活を終わらせる一因になった。麻薬の売り上げを横領していたこともすぐにバレ、彼は即刻逃亡を決意した。

 ビクターにとって幸運だったのは、ボスが彼の予想よりも利口ではなかったことだ。持ち物検査すら受けずボスの前に立ったビクターは、弁明代わりに銃弾を叩きつけた。

 昨日までの仲間を何の躊躇もなく殺したビクターは、ボスの邸宅に火をつけ、乾燥大麻をたっぷり積んだバンを手土産に逃走したのである。


「……それから俺はいろんなギャングや傭兵部隊を転々とし、最終的にソマリアで隊長に出会った訳…………おい待て、何で離れる」


 ビクターと対面してソファーに座っていたハルとユノは、抱き合って武勇伝を語る男から遠ざかっていた。その様はまるで双子の姉妹のようだった。


「犯罪者……」

「悪党……」


 二人は異口同音の感想を述べた。


「何だよ! 俺が悪人だって言うのか!」

「悪人では……?」

「復讐されてないのをありがたく思うべきでは?」

「いや、しょっちゅう恨みを持ってるヤツに襲われたけど、全部殺してきた」

「ヤバ……」

「ヤバいわ……」


 ハルとユノの語彙力は消失していた。汚れ仕事も請け負う部隊の隊員ということで、それなりに悪どいことをしてきたのだろうと二人は考えていたが、事実は想像を越えていた。これでは稀代の殺人者、犯罪者である。まだ生きているのが不思議なくらいだ。


「もう良いです。ビクターさんの犯罪遍歴は聞きたくありません」

「次はモーリスさんとニールスさんの話が聞きたいです」

「ゴミを見る目ってヤツか? そんな目で見るな。つっても、ほとんどはあいつらの受け売りだから、本当かどうかは知らねえぞ」

「大丈夫です。ビクターさんの話よりはマシでしょう」

「……」


 二人の予想通り、金髪の兄弟の来歴はビクターのそれよりもはるかに真っ当だった。

 モーリス、ニールスの姓はディオールといい、代々警察官や軍人を輩出している名家だった。

 二人は裕福な家庭で何不自由なく育ち、成長すると共に警察の特殊部隊に入隊した。

 先ほどのビクターの話が衝撃的なあまり、二人は金髪の兄弟の話がごく普通のもののように聞こえてしまっていた。

 兄弟に転機が訪れたのは、ある立てこもり事件だった。

 極右思想にかぶれた学生集団が、ある街のモスクを占拠したのである。若者特有の情熱を移民排斥感情と国家主義に投じた学生たちの暴走は止まることを知らず、結局突入部隊によって学生全員が殺害され、突入前の交渉中に人質が三人犠牲となった。

 これだけでも兄弟の良心と特殊部隊員としての矜持に深い傷が付いたが、更に二人を激怒させたのは警察上層部からリークされた情報だった。

 なんと、反イスラムにかぶれた上層部の一部が、突入をなるべく遅らせるよう圧力をかけていたというのだ。思想も信条も関係無く民間人を助けるのが警察の本分ではないのか。自分たちの信じる正義が無いと知った金髪の兄弟は、揃って辞表を提出して姿をくらました。

 その後、それぞれの道を歩むことにした二人は、数年間を傭兵として過ごした。しかし、金次第で何でもやるのが基本原則の傭兵稼業は二人に合わず、様々な部隊やPMCを転々とした。

 二度目の転機が訪れたのは、アフリカの某国でヒースに出会ったことだった。

 その地域では小規模ながらも油田が発見されたことで、三つの勢力が所有権を巡って紛争を起こしていた。兄弟はそれぞれ異なる経緯でそこに行き着き、そしてヒースと知己を結んだ。

 三人の中に運命論者はいなかったが、その出会いは人ならざる何かの力が働いたようだった。

 ヒースはカサンドラ・テック・インダストリー(KTI)で働く実動部隊の隊員を探していた。モーリスとニールスは条件に合致していて、即戦力として期待された。

 兄弟も期待に応えた。二人は周辺地域で子どもをさらい、スナップフィルムの材料にしているという武装集団を壊滅させ、その実力を示した。

 かくして、二人はヒースの麾下に入り、そこで様々な任務についた。幸運だったのは、KTIの設立者たちが金髪の兄弟と同じく、際限の無い悪意に対する憎悪を募らせていたことだった。


「それからビクターさんと会ったんですか?」

「そうさ。ソマリアでな」

「何やってたんですか?」

「特に何も。賭けに負けたクセに金を渡さなかったアホを、そのアジトごとぶっ潰してただけだぜ」

「……」

「金庫から小遣いを〝徴収〟してる最中によ、急にやって来てさ、俺をスカウトしたってワケ。頭おかしいんじゃねえのかって思ったけどな」

「でも、結局受けたってことですよね」

「給料が良くてな」


 ビクターは幸せそうな笑顔を浮かべた。


「じゃあ隊長さんは?」


 ユノが訊くと、ビクターは笑顔を消して天井を見上げた。


「……あれ、そういえば俺も聞いてないな。隊長の昔話」

「何年も一緒なビクターさんにも秘密なんですか?」

「秘密っつーか、話す機会が無かったからだな……。……まあ良いか! 久しぶりに俺の武勇伝が話せて気分良くなったし!」

「アレは武勇伝というより野蛮伝では……」

「こんなに下品な人だったなんて……」

「お前らすげえ悪口言ってくるじゃん。別に俺見境無く殺してるワケじゃねえんだぞ?」

「だとしても同じでしょ」


 ハルとユノの辛辣な言葉が刺さるビクターであった。


 

 

 

 

 

 



 

 

 







 

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