第二十六話 ぼくは純粋に、これ以上犠牲者が出てほしくないと思ってるんだ!
「アレックスさんの恋人のシャーロットさんかしら?」
「そうかも……」
「大変、サメさんを逃がしてあげなくちゃ!」
「わ、私たちも逃げなくちゃいけないと思うよ」
言い終えたとたんにチャイムが鳴った。と、サメが黒目に戻ってすっと宙に浮かぶ。
「わっ!」
倫子は栞の手首をつかんで駆け出した。再びチャイムが鳴り、数秒後には鍵を開ける音がする。玄関からいちばん離れた窓を開けて外に出たが、窓を閉める前にサメも出てきてしまった。
「わわっ!」
再び駆け出したが、ちらと振り向くと、サメは倫子たちとは九十度近く離れた方向へ進んでいた。そのまま悠然と体をくねらせて去ってしまう。気絶する前とは大違いの、サメらしい動きだ。
「やっぱり恩義を感じてくれたのかしら……」
「だとしたらサメの恩返しだね……」
胸を撫で下ろして引き返し、窓から家の中を覗いた。プラチナブロンドの、華奢な若い女性――シャーロットが泣きながらアレックスをかき抱いていて、胸が痛む。たとえ、遺体の血がケチャップとコーヒー粉だとわかっていても。やがて、シャーロットは嗚咽しながらもスマホを取り出し、警察に通報した。
そろそろ「ブルームーンもどき」が起こるのではないかと思ったが、起こってくれない。しかたがないのでそのまま待っていると、パトカーのサイレンの音が聞こえてきた。家の中に飛びこんできたのはダニエルとベンだ。
ひとしきり遺体を観察すると、ベンはシャーロットに話しかけ、ダニエルは所在なげにきょろきょろしはじめた。その拍子にまともに目が合ってしまう。あわてて頭を引っこめたが、あとの祭りだろう。
「また逃げたほうがいいかしら……」
「いや……大丈夫じゃないかな。ダニエルさんは私たちを取って食うわけじゃないし……」
どんな理由をでっち上げたのか、間もなくダニエルが現れて駆け寄ってきた。
「き、き、君たち!」
叫んだきり、ダニエルは「あー」「うー」と呻いている。
「えーと……私たちが消えたあと、ロビンソン刑事はイヴリンさんとスーザンさんにどんなお話を聞いたんですか?」
ここは倫子が話の糸口を作るしかない。
「その……君たちはパラレルワールドから来てて、そのための機械が暴走してときどき消えてしまったり、ヘンな光が出たりするんだって……」
つまり、イヴリンとスーザンは栞の話をそのままダニエルに伝えたということだ。度肝を抜かれたが、二種類の嘘をつくのは少し面倒なので、助かったといえるのかもしれない。
「突拍子もない話だけど、君たちが消えたり、青い月みたいなものが出たりするのをこの目で見たんだ、信じないわけにはいかないよ。それにイヴリンが嘘をつくとも思えないし……」
ダニエルは赤くなって目を伏せたが、
「この世では、常識では考えられないようなことが起こる……。だから、チェリーパイがひとを襲うことだって起こりうるよな」
すぐに顔を上げてきっぱりと言った。不覚にも胸が熱くなってしまい、
「ありがとうございます……!」
栞と一緒に頭を下げる。ダニエルは再び赤くなり、
「そんな、やめてくれよ」
ぶんぶんと手を振った。だが、
「ところでさ……君たち、この世界に来る前に、下調べとかしなかった?」
ふと妙に卑屈な顔になって尋ねてくる。
「それは……しましたけど……」
「じゃあさ、次は誰がチェリーパイに襲われるのか、そもそもどうしてチェリーパイがひとを襲うようになったのか……知らない?」
倫子が思わず眉をひそめると、
「い、いや、ぼくは純粋に、これ以上犠牲者が出てほしくないと思ってるんだ! 事件を解決してイヴリンに褒めてもらいたいなんてこれっぽっちも……」
ダニエルはあたふたと弁解した。感動して損したと思う一方、あまりにもわかりやすいダニエルを憎めないとも思う。
倫子だって、これ以上犠牲者が出てほしくないという気持ちは同じだ。さっきのシャーロットの姿を見てしまったら、映画のキャラクターだから死んでもいいなんて、やはり思えない。問題は、第四の事件と第五の事件の犠牲者の名前をダニエルに教えても、映画のランクが下がらないかということだ。
「どうする……?」
栞が真剣な顔で耳打ちしてきた。
「そうだね……じゃあ、次に襲われるひとの名前を途中まで言ってみるよ。それでレッドスプライトもどきが起こりそうになったら、続きを言わなければいいんだ」
「鈴鹿さん、今回も冴えてるわ!」
「そんなんじゃないって」
照れ笑いしてダニエルのほうへ向き直り、
「どうしてチェリーパイがひとを襲うようになったのかは私たちも知りませんが、次は誰がチェリーパイに襲われるのかは知ってます。そのひとの名前はジョ……」
そこで口をつぐんで空を見上げた。黒雲はどこにも見当たらない。
「ジョンさんで……」
再び空を見上げたが、黒雲はやはり見当たらない。
「実はもう一人襲われるひとがいて……」
もう一度空を見上げると、
「どうしてさっきから何度も空を見てるの?」
ダニエルに怪訝そうに尋ねられてしまった。
「な、何でもないです!」
倫子はあわててかぶりを振る。
「えーと……そのひとの名前はキャサリンさん、ジョンさんの奥さんです」
言い終えても周囲は暗くならなかった。――やった!
だがすぐに、その喜びは
「うーん、ジョンとキャサリンか……。ラストネームはわからないの?」
「あ、はい……」
「それじゃ個人を特定することはできないな……」
「それはそうですけど、ジョンとキャサリンっていう名前のひとはチェリーパイを焼かないでくださいって、呼びかけてみることはできますよ?」
「そんなことを呼びかけるのを、ワイルド巡査や署長が許してくれるとは思えないんだよ。ぼくは署長にも嫌われてるから……。といって、ぼく個人のSNSで呼びかけたって誰も信じてくれないに決まってるし、下手するとクビにされちゃうかもしれないし……」
倫子は肩を落とした。映画のランクは下がらなかったらしいが、これ以上犠牲者を出さないための役にも立たなかったらしい。というより、役に立たないから映画のランクにも影響しないのかもしれない。
「それでも……殺されたひとたちの共通点が、殺される前にチェリーパイを焼いてたことだってのは、ワイルド刑事も署長さんも認めてくれるでしょう?」
「共通点自体は認めてくれるだろうけど、そこに意味があるなんて認めてくれるはずないよ」
「それは、チェリーパイがひとを襲うことは信じてくれないでしょうけど、チェリーパイを焼いてる人間ばかりを狙う殺人鬼が徘徊してる可能性なら、なきにしもあらずだって思ってくれるんじゃ……?」
第二の犠牲者メアリーの夫、トーマスとの会話を思い出して言ったが、
「無理無理。それだって十分突拍子もない話なんだから」
ダニエルはあきらめきった顔で手を横に振った。倫子はだんだんイライラしてきてしまった。
「もう、ちょっとは事件を解決するために努力してください! イヴリンさんに褒めてもらいたいんでしょう?」
「だ、だからそんなことはこれっぽっちも……あっ、そろそろ戻らないとワイルド巡査の雷が落ちる!」
ダニエルは逃げるように玄関のほうに駆け戻ってしまった。
「大丈夫かなぁ……」
「大丈夫よ。ダニエルさんが何もしなくても、第四の事件が起こったら、警察は絶対にチェリーパイを焼かないでって呼びかけるんだから」
ため息をついた倫子に、栞は自信ありげに言い、
「もちろん、ジョンさんとキャサリンさんにはお気の毒だけど……」
憂いと後ろめたさが混じった声で言い足した。そのとき、ようやく青い月のようなものが上ってくる。
この調子だと、次に飛ばされるのはきっと――。
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