第二十四話 サメだわ……

 目が覚めた場所は、家の中だった。スーザンの家ではないが、やはり見覚えがある。どのシーンの舞台だったか思い出そうとしながら起き上がり、その必要はないことに気づいた。


 目の前に、青年――アレックスの遺体が転がっていたからだ。つまりここは第三の事件の現場ということである。これも、スーザンが助かったのだから第二の事件に繰り上がったといえるだろうが、映画どおり第三の事件と呼ぶことにした。床にはチェリーパイと皿の破片が散乱している。


 もっとも、先に映画を観ていなかったら、アレックスはただ眠っているだけだと思っただろう。傷も血もどこにも見当たらないし、顔色だってどう見ても死人のものではないのだから。そのおかげか死臭もしないのは幸いだったが――。


「鈴鹿さん」


 栞の声にはっとして振り向いた。さすがにもう、怪我はないか尋ね合う必要はないだろう。


「よりにもよってこのシーンに飛ばされちゃうとはね……」


 倫子はため息をついたが、


「ええ……ケチャップも持ってこなかったし……」


 栞のことばにささやかなひらめきをもらった。


「ねぇ、ケチャップならこの家にもあるんじゃないかな?」


「あら……」


 栞は目をぱちくりさせた。


「そのとおりねぇ。よく考えたら、アメリカのおうちにはだいたいケチャップがありそうだから、わざわざ買ってもらわなくてもよかったのかも……」


「だ、大丈夫だよ。スーザンさん、きっとあっという間に使いきっちゃうって……」


 やけにすまなそうな顔をする栞を慰め、ひととおり棚を調べた。だがケチャップは見当たらなかったので、片っぱしから戸棚や引き出しを開けていく。まず栞がコーヒー粉を、次に倫子がケチャップを見つけた。


「これで食紅があれば完璧なんだけど……」


 なおも捜索を続ける栞を、


「さ、さすがに食紅はないんじゃないかな……。それに第一発見者が来る前に血糊をかけなくちゃいけないし……」


 倫子はやんわりとうながした。


「そうね……。チェリーパイを作るのに食紅は必要ないし……。スライムを作るのにはあったほうがいいけど、赤い食紅を使ってたとはかぎらないし……」


 名残惜しそうではあったが、栞はそのとき開けていた引き出しを素直に閉めた。たしかに食紅といえばスライムというイメージだが、大人はめったにスライムを作らないと思う。小学校の先生や動画配信者などは例外かもしれないが。


 栞はあるだけのマグカップに水を汲み、コーヒー粉を溶かした。ケチャップを加えてよく混ぜ、


「どこを食べられたことにすればいいかしら」


 アレックスを見つめて小首をかしげる。


「スーザンさんと私を襲ったチェリーパイは顔を狙ってきたから、顔がいいんじゃないかな」


「あ、そうだったわね。じゃあ、いくわよ」


 栞は威勢良く腕まくりをして、ためらいなくてのひらに血糊を取った。今度はさすがに一瞬ためらってから、アレックスの顔にその手を当てる。


「生きてるみたいに見えても、やっぱり冷たいのね。何だかふしぎだわ……」


「わ、私も手伝うよ」


 栞だけにこんな汚れ仕事を任せるわけにはいかず、別のマグカップの把手をつかんだ。


「そんな、大丈夫よ」


 栞は振り向いて微笑んだが、突然その笑みが消え、大きな目がいっそう大きくなった。


「サメだわ……」


「へ?」


 倫子は間の抜けた声を上げて振り向いた。


 ベッドルームに続いているのであろうドアがいつの間にか開いていて、出入口にサメが浮かんでいた。もっとも、やはりZ級映画のサメだ。チェリーパイと同様にどう見ても張りぼてだし、体の作りも間違いだらけ。栞のおかげで、倫子も少しは生物としてのサメにも詳しくなったのだ。


 サメはゆらゆらと二人に近づいてきて、ぱっくりと口を開けた。全く尖っていない歯がまちまちの間隔で並んでいる。どう見ても殺傷能力はなさそうだが、アレックスはこのサメに殺されたのだろうから油断はできない。


「ど、どうしましょう……わたしにはサメを殺すことなんてできないわ……」


 栞はいつになくうろたえていた。


「映画では、サメが殺されるシーンをあんなに見てるのに!?」


 思わずツッコんでしまう。


「それとこれとは別よ……。映画で殺人のシーンを見られるひとが、現実でひとを殺せるとはかぎらないでしょう?」


 一理――いや、二理も三理もある。


「じゃあ私が……。たしかに殺すのはかわいそうだから、気絶ですむように頑張ってみる」


「あっ、サメは鼻先をつかむか仰向けにすると、動かなくなったり動きが鈍ったりするらしいわ」


「そ、それって……陸でも呼吸できて宙にも浮かべるサメにも効く?」


「そうねぇ、効かないかも……」


 栞の答えを聞くなり、倫子は戸棚に駆け寄った。フライパンをつかんで駆け戻ってきて、


「ごめん!」


 サメの鼻先を叩く。いずれにせよ、いちばん叩きやすいのは鼻先だったのだ。


 サメは「ぐぅ」というやけに可愛い声を漏らし、白目を剥いてどさりと床に落下した。

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