第二十二話 青い月なんて聞いてない
「いやいやいやいやそんな!」
ダニエルは再びぶんぶんと手を振った。
「本心を言ってくれていいのよ」
イヴリンが微苦笑するとダニエルは目を伏せ、
「偶然だと思う気持ち半分、そうじゃないと思う気持ち半分、っていうところだよ……」
小声で答えた。
「よかった。半分は、そうじゃないって思ってくれてるのね」
今度は、イヴリンは混じりっけなしの微笑を浮かべる。栞一筋の倫子さえ、一瞬見とれてしまったほど魅力的な微笑を。ダニエルの顔が再びゆでダコのキムチ煮色になった。
「た、ただ……本当にチェリーパイがメアリーを殺したんだとしても、どこからどう調べればいいかわからないんだ。曲がりなりにも警官のくせに、こんなこと言うなんて恥ずかしいかぎりだけど……」
ダニエルは
「恥ずかしがることなんてないわ。容疑者がチェリーパイじゃ当たり前よ。そうねぇ……」
イヴリンは考えこみ、
「リンコ、シオリ、母さん……何かいいアイディアはない?」
順番に三人を見て尋ねた。
「ダメダメ。刑事さんにもわからないことが、人並み以下の頭のあたしにわかるわけないじゃないか」
スーザンが即答する。
倫子と栞は目配せを交わした。二人はもちろん、第三の犠牲者と第四の犠牲者の名前も年代も性別も知っている。だがそれをダニエルに教えたら正気を疑われてしまうことは、先日も今日も変わりない。それに、はなはだ失礼ながら、教えたところでダニエルが二人の命を救えるとは思えなかった。
「えーと……スーザンさんとメアリーさんの共通点を探してみたらどうでしょう? この六日間、この町でチェリーパイを焼いたひとは、ほかにもたくさんいたはずですよね? なのに、お二人が焼いたチェリーパイだけがひとを襲ったっていうことは、お二人だけに共通する何らかの要素が影響していた可能性が……」
この映画の監督がそこまで考えているとは思えないが、主人公にふさわしい人物なら考えてしかるべきだろう。
「なるほど……!」
「さすが鈴鹿さん!」
イヴリンもダニエルもスーザンも――栞までもが称賛の眼差しで倫子を見た。
「い、いえそんな……」
倫子は手を突き出し、
「ほら、ロビンソン刑事、スーザンさんにいろいろ訊かなくちゃ……」
ダニエルをうながす。
「あっ、はい!」
ダニエルは上着の内ポケットに手を入れたが、食事中にメモをとるのはマナー違反だということに気づいたらしく、あわてて引っこ抜いた。
「えーと……失礼だけどスーザンはいくつ?」
「ああ、五十一歳だよ」
「メアリーは五十五歳だったから、同年代ではあるな。でもこの六日間、この町でチェリーパイを焼いた五十代の女性はほかにもたくさんいるだろうから、年代が影響しているとは思えない……。じゃあ、スーザンの趣味は?」
「趣味? うーん、強いていうならお菓子作りかねぇ」
「メアリーの趣味も調べなくちゃ……あれ、でもこの六日間、この町でチェリーパイを焼いた、お菓子作りが趣味の五十代の女性だって、ほかにもたくさんいるに決まってるよなぁ……」
馬鹿馬鹿しいうえに、おそらく捜査そのものの役には立たないやりとりだったが、ダニエルも少しは主人公らしくなってきたような気がする。
そう思って栞と微笑を交わしたとき――窓の外が青く染まった。
青……!?
わけがわからない。たちまち、栞とのあいだで交わされるものも、微笑ではなく動揺の色に変わった。
「すみません!」
叫ぶやいなや、栞と一緒に窓に駆け寄ってカーテンを開ける。ほかの三人もついてきた。
あの現象とは違い、空には黒雲は一片もなかった。あったのは青い月のようなものだ。あの赤い稲妻のような光はどこか不気味だが、この光はふしぎとネガティブな感情を抱かせない。それどころか神々しささえ感じさせた。
「な、何なんだこれは!?」
ダニエルはすっとんきょうな声を上げ、
「こ、これもあんたたちの機械の……?」
スーザンは尋ねるともつぶやくともつかぬ口調で言い、
「しっ、母さん!」
イヴリンに制止された。
光は少しずつ強くなっていき、神々しさも増していった。幸福でぼんやりした気分になり、それはやがて立っていられないほどの眠気に変わる。くずおれるように横になってしまった。
「リンコ、シオリ、どうしたの!?」
イヴリンの必死な問いに答える余裕もなく、倫子は深い眠りの沼に引きずりこまれていった。
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