犬が歩けば道になる

シマチョウ大好き

第1話 山村 椿/ベイビー


 咄嗟に目の前の楓を突き飛ばした瞬間、頭上への衝撃と共に視界が真っ暗になった。

目を見開き驚く彼女が私が最後に見た光景だった。



 寝坊した朝のようにハッと上半身を起こすと、見渡す限り辺り一面真っ白い空間に居た。

本能的に『あぁ、あの時死んだんだろう』と察する。

となると、ここは死後の世界か生前の人生に審判を下す場所といったところか。流石に地獄って事は無いと思いたい。

 少し周りを探索してみようと思い立ち上がると、いつの間にか目の前に2メートル以上はあろうかという、白い羽根の生えた大男が立っていた。きっと天使だ。


「山村椿だな」


 天使が低く良い声で私の名前を確認してきた。

私は「はい」とだけ答えて肯定する。


「貴様は死んで人生を終えた」

「……はい」


 分かってはいたが、じわじわと悲しみや戸惑いが胸に広がっていく。息が苦しくなった気がした。


「だが、貴様は死ぬ直前に友人である津川楓の命を救った。貴様のその勇気と善良さを称えて、我が神より次の生は貴様の望むモノを与えてやれと仰せつかっている」

「……はい」


 この展開は……所謂チート転生というヤツでは……?

我ながら現金だとは思うが、天使の話を聞きながらそんな事を考える。

 私はその類いの本やアニメに触れて来なかった為分からないが、こういう時何を望めば、より良く次の生を謳歌出来るんだろう?


―天才的な頭脳?―

―屈強な身体?―

―はたまた一生を掛けても使い切れない程のお金?―


 ……というか、そもそも次も人として生きるのか?それにどんな世界なんだろう?まさか核戦争後の終末世界じゃあるまいな。


 ぐるぐる考えていると「何が欲しい。言ってみろ」と天使が私の答えを促してきた。

 私は欲しいモノを答える前に、先程浮かんだ疑問を彼に伝えてみた。

 天使は淡々と【次の生が何の生き物なのか】も【どんな世界なのか】も「答えられない」と言うと、改めて「何が欲しい」と訊いてきた。


 こうなると困ってしまう。

何が欲しいも何も、次の生について分からないんじゃ答えようがない。

 私は少し考えて『仮に次の生が虫や獣だったとしても、丈夫な身体を持っていて損は無いだろう。出来れば長生きもしたいし。』という結論を出した。

 その旨を天使に伝えると「あい分かった」と彼は頷いた。


「貴様の望みは不老不死の身体だな。」

「えっ」

「人間はいつの時代も不老不死を求めるな。まったく愚かな……」

「ちがっ……違います!健康な身体であればそれ以上は望みません!そりゃあ出来れば長生きはしたいですけど……不老不死だなんて……!」


 やれやれといった様子の天使に必死で食い下がれば「なんだ?貴様、私が間違っていると言うのか!」といきなり語気を荒らげた。


「えぇーっ?!!」

「一緒に飢えと病から解放してやろうと思ったが……気が変わった。どちらも抱えていくと良い。」

「いや……えっ?つまり?」

「腹は減り、病に掛かる身体になるという事だ。……しかし死ぬ事は無い。存分に苦しむと良い!」


 天使はそう言って私の肩をトンと押した。

よろめいた瞬間、足元が崩れ身体が落下し始めた。

落ちていく恐怖から手足をバタつかせていると天使が「さぁ。生を謳歌しなさい」と薄ら笑いで言った。


いや、ふざけんなよ。


 私は天使への怒りと不死への絶望を胸に、新しい体に生まれ変わったのだった。


―――


 気付いた時には暗くて温かい所に居た。しばらくするとどこかに運ばれるように全身が動き、落下した。眩しい。瞼の裏がチカチカと光っている。苦しい。呼吸をしなければ。


「ピャー」


私は犬に産まれた。



 犬として産まれたばかりの頃はひたすら母の乳を飲み、身体を動かす事しか考えていなかったが、その内目が見えるようになると私の飼い主であろう家族が日本人では無い事と、木造の暖炉のある家で暮らしている事が分かった。


 家には飼い主家族であるペーターとモニカ夫妻と幼い娘のエマの3人。そこに母と兄と妹と私の4匹で暮らしていたので毎日がとても賑やかだった。

 エマは私の体を無遠慮に、やや強い力で撫でるので少し苦手だ。生前「猫は子供が苦手だ」と聞いた事があるが、その気持ちが分かった気がする。五月蝿いし。尻尾を引っ張るし。


 私に課せられた不老不死の“不老”の部分に『赤子の体のまま成長しないんじゃないか』という不安があったが、そんな事はなく体も成長してきたある日、兄妹で部屋の中を歩き回っていたらモニカとぶつかり、その拍子に彼女が手に持っていたマグカップの湯が私に掛かってしまった。

 湯は予想以上に熱く、酷い火傷になると思ったが、私の体は数十秒で完治した。

 湯が掛かってしまった瞬間泣き叫ぶように私に謝り、タオルで拭こうとしたモニカが、完治した私の体を見て戸惑い、気味の悪そうな顔をしたのが忘れられない。



 その出来事から数日後、私は猟が趣味だという老人に引き渡された。

男性にリードを引かれ家を去る際、後ろを振り向くと、悲しそうな母と泣くエマ、これが今生の別れだと理解してない兄と妹、そしてどこかホッとしたような顔のペーターとモニカの顔が目に入った。


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