第52話 俺のエスプレッソはとっても濃厚

「ただいまー」

「おかえり」


 紗希がエプロン姿で出迎えてくれた。咲江さんと親父が新婚旅行に出かけて今日でちょうど一週間。あと一週間は俺と紗希だけだ。


「ご飯できてるよ。今日はハンバーグ」

「そっか」


 なんか新婚さんみたいだな、と俺は思った。


 と同時に考えてしまった。いつか紗希も誰かと結婚するんだろうなって。


 結婚か。どんな人と結婚するのだろう? 産まれた子どもが女の子だったら、やはりサキュバスなんだろうか?


 紗希の本当の父親は誰なんだろう。なぜ母子家庭だったんだろう。


 萌夢ちゃんのことも気になる。弟とは血が繋がっていないということだから、やはりご両親は再婚なんだろう。つまり萌夢ちゃんのお母さんも男子のいるバツイチおっさんと再婚したというわけだ。萌夢ちゃんのオーラのために。


 色々とわからないことだらけだ。今わかることは、紗希の手作りハンバーグが美味しいということだけだ。



♡ ♡ ♡



「雪ちゃん、来たんだってね」


 夢の喫茶店。俺の淹れたカフェラテを飲みつつ紗希が言った。


「今日から正式に部員になったんだ」

「雪ちゃん、小説書いてるって本当なの?」

「本当だ。ネットで読めるらしい」


 意外なことに姫島さんが作家志望という話を紗希は知らなかった。萌夢ちゃんは知っていたが、小説投稿サイトにアカウントを持っていることまでは知らなかった。


「へー。夢から覚めたら見てみようかな」

「残念だがそれは無理なんだ」

「どうして?」

「秘密らしい」


 ――未熟な小説ばかりで恥ずかしいです、もっと上手に書けるようになってからアカウント名、お知らせします。そうですね、少なくともコンテストの一次選考を通過するまでは……秘密にさせてください。


 とのことで姫島さんはアカウント名というかペンネームというか、そういう情報を教えてはくれなかったのだ。


「プロを目指すんだろ? そんな弱気でどうする? 批判上等、誹謗中傷だってどんとこい! 全てを糧にしてやれ! そしていつか、ラノベ作家の星になるんだ!」

 

 ……とはいえなかった。もじもじしつつ顔を赤らめて話す姫島さんに俺は「無理しなくていいよ。とりあえず部誌に小説書いてくれたらそれでいいから」と優しく言ったのだった。


「秘密なんだ。ふーん。雪ちゃんの小説、読んでみたかったんだけどなあ」

「部誌に載るやつを読めばいいさ」

「そうだね」


 にこ。紗希が笑う。


「さてと。カフェラテも飲んだことだし……そろそろ、ね?」


 紗希が目を閉じた。軽く唇を突き出す。口の周りから漂うカフェラテの残り香。


「キスして……」


 紗希が甘い声でおねだりする。どくん。俺の心臓がはねる。


 オーラタイムの始まり。


 ゆっくり俺は紗希の唇に自分の唇を重ねた。やはり感じるカフェラテの香り。つまり俺のエスプレッソの味。紗希に言わせれば、俺のエスプレッソはとっても濃厚だそうだ。


「ふふ、恋人みたい」


 紗希が笑った。


「でも、アメリカでは普通なんだよ……キス」


 といって紗希の舌先が俺の唇をちょんちょんとつついた。「入れて」という合図だ。俺の舌が紗希の唇を押し開く。口内の粘膜を感じつつ、紗希の舌に自分の舌を絡める。


 普通なものか。紗希、アメリカでも日本でも、舌を絡めるキスは恋人同士だけだ。


「オーラ……貰うね」


 紗希が腕に力を込めた。ぎゅっと俺を抱きしめる。俺もそれに応える。手の先が背中を回り柔らかな何かに触れた。


 オーラを吸う――といってもバキュームするわけではない。感覚としては体液を交換しているような感じだ。紗希の舌と俺の舌が触れることで口の中に甘い蜜が溢れる。見た目はカルピスみたいなその蜜を紗希がちゅ、ちゅ、と吸う。


 だから行為の間……俺のカフェでは「ちゅ」とか「ちゅぱ」とか、そういった音でいっぱいになる。


「いっぱい出たね。顎が疲れちゃった」


 ぷはあ、と息を吐きつつ紗希が言った。


「ご、ごめん」思わず謝る俺。

「ううん。いいの。でも、なんだろ? いつもと違うんだ」


 紗希が不思議そうな顔をした。


「いつも通り濃ゆいんだけど、ちょっと香りが違ったかも」


 もしかして昼間浴びた萌夢ちゃんフェロモンが影響しているのだろうか?

 俺はまだ萌夢ちゃんがサキュバスであることを紗希に言ってない。


 そして……萌夢ちゃんが俺の彼女と自称していることも。


 罪悪感が俺を襲う。言わなければならない。萌夢ちゃんがサキュバスであること。俺からオーラを奪おうとフェロモンを出したこと。なんとか危機を回避したあと萌夢ちゃんを許したこと。


 だが言えなかった。


 その理由わけは……紗希と2回戦に突入したからだ。


「もうちょっと大胆に迫ってみようかな? ここなんか……どう?」


 紗希の唇が……触れた。


 大胆な場所に。

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