第10話 香気

「大丈夫。こちら側に来ればいい」


 半身を起こしたイグジストは寝がえりをうち、シーツに着いていた方へ漣を引き上げた。そこは涙で汚した側ではない。

 再びイグジストの毛皮に身体をうずめた漣は、次第に力が抜けていくのを感じていた。こんな風に無防備に人に触れるのも初めてだ。

 いつも神経が尖っていた。

 唯一の友人の中田優斗なかたゆうとにさえ、涙を見せたりしなかった。

 一度身体を起こした蓮は勢いつけて、もふもふの海へとダイブした。

 彼の毛皮は肌触りだけでなく、前に一度嗅いだことがある甘くて妖艶な香気こうきがした。


「こら。私を使って遊ぶんじゃない」

「いいじゃん。少しぐらい」


 𠮟りつけながらも、イグジストの目は笑っている。

 蓮は額をぐりぐり擦りつける。

 そうして仰向けになり、ぱふっと背中を彼に預けて嘆息した。


「休みなさい。私はどこにも行かない」

「……うん」


 どこにも行かない。

 どうして彼は言って欲しい言葉がわかるのだろう。

 施設にいると、友達が一人、また一人と里親に引き取られていく。それを止める手立ては何もない。

 自分はといえば里親すらも現れず、見送るだけの日々だった。

 その寂しさと恥ずかしさは胸をえぐり、また涙が湧いてきた。

 すると、ふかふかですべすべの尻尾が頬を撫でた。


「好きなだけ泣きなさい」

「……うん」


 胸の上で手を組んで目を閉じた漣の頬を涙の粒が伝い落ちる。

 これじゃあ、また、こちら側の毛皮を濡らしてしまうと危惧しながらも、蓮はいつしか深い眠りに落ちていった。

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