第13話 歌が聞こえる




 春臣にそっと抱きしめられると、ズボンがずり落ちてあられもない姿になった。 

 あまりの恥ずかしさに春臣を押し返した。


「……暁生さん」

「ごめん、僕はみっともない……」

「そんなことないよ」


 春臣が必死な顏で言った。

 暁生は、それでも首を振った。


「シャワーを浴びたい。とにかく、体を洗いたい」

「分かった」


 春臣がいきなり上着を脱ぎ始めた。下着も何もかも脱いで、手を差し出した。


「洗ってあげる」

「君って……」


 呆気にとられてから、思わず笑いがこみ上げてきた。


「むちゃをするんだね」

「嫌いになる?」


 その質問はずるいと思いながら、首を振った。


「嫌いになんかならないけど。頼むから、服を着てよ」


 暁生は顔を押さえた。涙が出そうだった。涙腺が緩んで再び涙があふれた。


「何で泣くの?」

「うれしいから。けど、いろいろあったから、少しの間一人にしてくれる?」

「俺……」


 春臣は、洋服をかき集めて言った。


「家には帰らない。一緒にいたいんだ」

「うん」


 暁生は頷いた。


 履いたままだった靴は、乱暴にズボンを脱がされた時、部屋の隅に飛ばされていた。

 下着を履き、ズボンを上げて立とうとしたが、腰が抜けてうまく動けなかった。

 春臣が手伝おうとしたのをやんわりと断って、ゆっくりと這うようにして風呂場に行き、ドアを閉めた。


 春臣の黒い影が、少しの間、ドアの外にいたが見えなくなる。

 風呂場で一人になり、体を清めてから大きく息を吐いた。

 震えていた体を抱きしめる。


 怖かった。もし、春臣が来てくれなかったらどうなっていただろう。

 電話をかけてくれたのは、春臣だった。彼は合鍵を使って、助けに来てくれた。

 自分は二十三歳になっても鈍感で、森岡の気持ちに全然気がつかなかった。

 森岡だけが悪いんじゃない。


 お湯につかっていると、だんだんと眠くなってきた。

 酒のせいもあり、さすがに疲れたのか、お風呂を出る頃には目がしょぼしょぼしていた。

 髪の毛を乾かして出ると、春臣がすぐに飛んできた。

 眠そうな暁生を見て驚く。


「眠いの?」

「限界みたいだ。お願い、眠らせて……」

「今夜、泊ってもいい?」

「いいよ……」

「姉さんに連絡してもいい?」

「……それは嫌」

「え?」


 暁生は目をこすりながら、何とか春臣の顔を見た。


「僕が伝える」

「了解」


 ふふっと笑って、暁生の額を撫でる。


「もう、寝なよ」

「春臣……」

「ん? 何?」

「敬語」

「あ、ごめんなさい」

「冗談だよ、ない方がいい」


 暁生が目をこすっていると、春臣が囁いた。


「ねえ、お風呂借りていい?」

「いいよ」


 暁生はうとうとしながらベッドに腰を下ろした。すぐにでも横になりたい。

 春臣がお風呂場へ行くのを見届けると、暁生はベッドに横になった。


「……さん、暁生さん」


 名前を呼ばれて薄目を開けると、春臣がするりと布団の中に入って来た。

 十月半ばの季節は少しずつ涼しくなっていて、お風呂上がりの春臣は温かかった。

 眠いのがさらに眠くなる。


「俺も寝る」

「春臣、ごめん、今日だけ……。すごく眠くて無理だから……。今日だけ桜子に連絡してくれる?」

「とっくに連絡しといたから、心配しないでいいよ」

「ん……」


 目を開けていられず瞼を閉じる。春臣に抱き寄せられた記憶と同時に、歌が聞こえた。

 心地いいその声に目を開けると、春臣が小さな声で歌を口ずさんでいた。


「その歌……」

「え?」

「何ていう歌?」

 

 春臣は曲のタイトルを言ってくれたが、自分は知らない若い人の歌だった。

 そして、春臣は恥ずかしそうに頭をかいた。


「暁生さんと会えない間、ずっとこの歌を聞いていた。どうしてうまくいかなかったのか、あの時、とっさにあんなことを言って傷つけて、自己嫌悪でイライラした。その時、この歌を聞いて自分を励ましていたんだ。だからきっと、この先、この歌を聞いたら、今のこの気持ちを思い出すと思う」


 春臣の言葉を聞いて、暁生は彼の胸に額を押し付けた。


「僕も……、君を傷つけた。ごめん……」


 暁生の言葉を聞いて、春臣の体が少しだけこわばった。


「……謝らないでいいよ」

「……ん」


 暁生は目を閉じた。

 

「暁生さん……? 何だよ、寝ちゃったの?」


 布団をかけなおしてくれているのか、春臣が、ごそごそと体を動かすのが分かった。

 そして、彼はまた小さな声で歌を歌った。

 暁生は、もし、叶うなら、いつまでも彼の声を聞いていたいと思った。


 これから先、自分もこの歌を聞いたら、この時の気持ちを思い出すのだろうか。

 嬉しいのか悲しいのか分からないけど、春臣と出会えてよかった、と目を閉じて思った。

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