第3話
姉の葬儀には、親戚一同と学校関係者だけが来て、しめやかに行われた。
彼女は生きている間、家と保健室と病院だけを往復していたせいで友達もおらず、知らない人はほとんどいないという状態だった。
お母さんは可哀想なほどに萎びて、叔母さんがいなかったら立てない状態だった。お父さんはホールの係員さんとお坊さん以外はほぼ知人の中、なんとかマイクを渡されてしゃべっていたものの、放っておくと気が抜けて起きられない状態だった。
それでも焼き場まで向かい、姉と最後のお別れをしたけれど。姉の大好きだった少女マンガは、皆形も残らず綺麗に焼けてくれ、元々小さかった姉は、更に小さくなって帰ってきた。
骨壺を風呂敷に包んで持って帰る際、タクシーを呼んで叔母さんがお母さんを励ましていた。そうでもしなかったら、お母さんがすぐに倒れそうだったのだから。
叔母さんは言う。
「仏壇がないから、買わないと駄目だけれど。サイズをちゃんと測っておいてね」
「うち……仏壇を置ける場所は」
「……ゆきちゃんのお部屋。あそこのベッドをどけたら、置く場所できるでしょう?」
そう叔母さんが言うと、久々にお母さんが半狂乱になった。
「なに言ってるの!? あの子の部屋なのに!」
「ゆきちゃんはもういないでしょう!? 今いるのはそっちでしょう!?」
お母さんが抱えていた風呂敷を指差して叔母さんはそう怒鳴る。
タクシーの運転手さんは肩身が狭そうで、助手席に座っていた私はずっと「すみません。すみません」と謝り続けていた。
家に帰ってきたとき、すぐに横になりたかったものの、最初にしないといけないのは姉の部屋の掃除であった。ベッドの上にあるものを片付け、ベッド自体を解体する。私自身姉のベッドがどうなっているのかあまり知らなかったものの、こんなに小さくなってしまうんだと呆気に取られた。
手伝ってくれていた満美ちゃんは、若干怒っていた。
「お兄ちゃんはいいって言ってたのに」
「当たり前でしょう、徹は受験生なんだから」
「ごめんね。あとでアイスあげるから」
「……ほたちゃんには怒ってないけどさあ」
お母さんはとてもじゃないけれど手伝える余裕はなかった。お父さんは会社に連絡していた。忌引きは使っているとはいえど、明日以降の予定の確認だろう。
元々姉の部屋には、姉が捨てて欲しがったクラス全員からの折り紙や手紙、読んでいた姉の棺には納めきれなかった少女マンガ、あと大量の新品の服だけが残っていた。もうどれも私には入らないけれど、満美ちゃんのサイズには合うし、どれも流行を気にしているものではない。
私はなにげなく尋ねてみた。
「満美ちゃん、お姉ちゃんの服持ってく?」
「えー……」
「私だとお姉ちゃんの服のサイズ、入らないんだよ」
姉の身長も体重もとっくの昔に越してしまったから、私ではどの服もサイズが合わない。ただまだ成長期の満美ちゃんは小柄で華奢で、姉の服もなかなか似合いそうだった。満美ちゃんは渋々と言った様子でサイズを確認する。
さすがに姉の小学生時代の服は処分するにしても、中学時代の服は着られそうだったため、それらの服は風呂敷に包んで持って帰ってもらう。
「残りどうするの? フリマアプリで売るの?」
「どうしよう……いくらなんでも、これ売っていいのかな」
「別に。わざわざ持ち主が死んだって書かなきゃいいんじゃないの?」
「うーん……」
小学生時代の服のサイズは、満美ちゃんですらもう着られない。ただ、どれもこれも新品で、私の胸がジリジリと焼き付きそうになる。
いいなあ、私だって着たかった。いつも姉のお下がりの服ばかり着せられていた私は、中学生に上がり、姉とサイズが外れていくまで、自分の服なんて持っていなかった。
結局はさすがにフリマアプリで売るのは忍ばれるため、リサイクルの日に出すことにした。物がすっかりとなくなった姉の部屋には、小さな長机に、骨壺。ちりん。線香立てが添えられた。線香立てに一応線香は立てておこうとすると、叔母さんに止められた。
「ここマンションだし、ゆきちゃんの部屋でしょう? 火を点ける訳じゃないんだから、線香は止めておきなさい」
「あ、はい……」
「でも花を飾って、果物をお供えして。お坊さんも言っていたでしょう?」
「はい……」
夕方になり、叔母さんと満美ちゃんが帰る頃、私は頭を下げてふたりを見送った。そしてほとんどなにも入っていない冷蔵庫を確認する。
私はスマホでスーパーの特売品を確認してから、メモに走り書きをする。そして、やっと仕事の電話が終わったお父さんとお母さんに声をかけた。
「買い物行ってこようと思うけれど、ご飯なにが食べたい?」
なにかしてないとやってられなかった。なにかしてないと、夏の暑さにやられて、一歩も動けなくなると、そう思ったから。
****
この季節になったら、夕方になっても湿気が肌に纏わり付いて、入ったこともないサウナのように感じて不愉快だ。
その中私は、スーパーに買い出しに出かけた。
お母さんは姉が死んだことで糸が切れたかのように子供返りしてしまっている。お父さんはただでさえやつれているのに、葬式が終わったあとでも仕事に行かないといけないようで大変だ。
夏休み中だから一番暇な私が、なんとかしなかったら、我が家は回りそうもない。
スーパーの出入り口に一番近い生花コーナーで、どうにか花瓶に生けられそうな菊の花束を放り込んだ。
姉に供える果物をどうしようと、果物コーナーの特売品を眺めていたら。
「東上さん?」
振り返ると、そこには学校で見なかった榎本くんが立っていた。夏場だから、Tシャツに中学時代のジャージにサンダルと、やる気のない格好をしていた。かくいう私も、制服を脱いだあとは量販店のTシャツにデニム、スニーカーだから、人のことは言えない。
私は榎本くんの匂いに「あれ」と思った。いつも纏っていたアルコールと薬の独特の匂いがしない。スッとする匂いが制汗剤のものだろうけど、普段からずっと介護をしていた榎本くんが制汗剤の匂いをさせていた覚えがない。
私が戸惑っていると、彼はちょいとカゴを持ち上げた。
「もうちょっとしたら半額セールになるけど、早めに並ばないとおばちゃんたち無茶苦茶怖いよ。夏休みで家族皆家にいるからさ、そのせいで主婦層が怖いんだよ」
「う、うん……」
榎本くんは私と同じく、スーパーの買い出しに慣れていた。私は半額セールのシールの貼り出し前に、特売コーナーに置いてあったシュガースポットの出る前のバナナをカゴに放り込むと、メモに書いていた野菜もひょいひょいと入れてから、肉コーナーに向かった。
榎本くんもまた、肉コーナーで半額シールの買ってあるものを、なんとか主婦をかいくぐって買いに走る。私も呼吸できないほどのもみくちゃになりながら、どうにか生姜焼き用に豚肉をゲットした。
ぱっと見ると、榎本くんが癖毛を滅茶苦茶にしながら取ったのは唐揚げ用の鶏肉だった。それを見て、私は「あれ」と気付く。
「……榎本くん、家族夏休みなの?」
「どうして?」
「……唐揚げは、介護食にはならないと思ったから」
もちろん唐揚げ用の鶏肉を使って煮込み料理をする場合だってあるから、私の見当違いな言葉かもしれないけど。私の言葉に、榎本くんは「あー……」と言った。
「ばあちゃん、施設に入ったんだ。この間からそのことでごたついて、役所巡りしたり、本人証明書たくさん取りに行ったりして、すげえ大変だった」
「あー……」
どうして夏休み直前にいきなり学校に来られなくなったんだろうと思ったら。ずっと施設に空きがないと言っていたのに。榎本くんは、淡々と語る。
「あんまりこういうのを言うのも難だけど。ばあちゃん、運がよかったんだと思う。夏場はちゃんとした人がたくさん面倒見てくれたほうがいいし」
「……そっか。うん」
「東上さんは?」
「……私?」
「元気なさそうに見えるから」
そう言われて、私は俯いた。
レジが近付いてくる。ふたりで並ぶ。半額セールでどこもかしこもけたたましく、ふたりの間に降りた沈黙に、誰も見向きもしない。
私はしばらく考え込んでから、やっと口を開いた。
「……お姉ちゃん。死んじゃったの」
口にした途端、ポロリと涙が零れた。榎本くんは黙って私をじぃーっと見つめる。
私はポロリポロリと涙を流したまま、続けた。
「……お母さん、抜け殻みたいになっちゃった。お父さん、ボロボロだけどそれでも会社休めないし。弱音とか吐いてられないし……」
「東上さん」
「……毎日花を買わないと駄目だし。ご飯、つくらなきゃだし……夏休みの間は、私も、学校ないから暇だし」
「東上さん。それは駄目だ。駄目だよ?」
意味がわからず、私は目を瞬かせる。榎本くんは、いつものようにじぃーっとこちらを見ていた。
「ばあちゃんが言ってた。葬式って死んだ人のためにするものじゃなくって、残された人が後追いしないようにするためのものだって。いろいろ事細かに決まっているのだって、その段取りを追うことに専念してたら、悲しいからって衝動に走ることがなくなるから。東上さんの今のこれは、駄目だよ。多分、それは間違ってる」
「……怖いから」
「怖い? なにが?」
「私……お姉ちゃんの妹ってこと以外、なにもないから」
物わかりのいい娘。聞き分けのいい子。
従兄弟たちにさんざん嫌みを言われたり注意されたり、叔母さんにずいぶんと心配かけたりするものの、私の小さい頃から擦り込まれてきた価値観は、急には変えられなかった。
姉と私は同じように麻疹にかかっただけだったのに、運のよしあしだけで、その後の運命がガラリと変わってしまった。
余命幾ばくもないと言われ続けて、周りから可哀想がられて綺麗な服もお菓子も優先的に渡されたけれど、普通の生活や少女マンガの恋に憧れ続けた姉。
健康で五体満足だけれど、姉の看病や病院の付き添いでそれどころじゃなく、放ったらかしにされ続け、進路だってお金の都合でどんどんと塞がれ続けていた私。
自分の中にぽっかりと空いてしまった歪さを埋める言い訳に、ずっと姉を使っていたのだ。自分の性分や性根に見向きもせず。
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