第9話 ゴリラの闘い


 6月15日(金)


 時刻【8時45分】 

 天気【快晴 最低気温14℃ 最高気温23℃】


 駅近くにある日本国内有数の大手電機メーカー本社。

 10号棟1階の健康管理室。


 室内は、白を基調とした清潔感のある部屋をしており、右側の出入口に近い方から、面談用の個室、処置スペースとベッドが3つ並べられた休養スペース。


 そして、正面の奥に産業医が使用する机と椅子が1セットあり、ベッドが置かれている場所はクリーム色のカーテンで敷居をされていた。


 まさに小さな診療所のような1室だ。


 本来であれば、この金曜日は産業医が居ている日。


 だが、この日は違った。


 外部より、大型の健診車両と問診をする為の医師、看護師の複数名が来社しており、この健康管理室も問診の為に医師1名。


 身長体重測定、視力検査にそれぞれ1名ずつ。


 そして採血に2名。


 計5名が訪れていた。


 また、それに伴い室内も様がわりしていた。


 まず面談用スペース。


 血液検査をする為の一室となり、採血担当の女性看護師が2名、備えづけられていた机と椅子を使用し注射器やアルコールの消毒の準備などを行っている。


 次に処置スペース。


 視力検査用の検眼枠1つと、白い床には立つ位置の目印となる赤色のビニールテープ貼られており、左横には長机。


 その上には遮眼子を2つ準備されて、そこへ男性看護師が1名座っている。


 また、処置スペースの左隣の休養スペースでは、医師1名と女性看護師が1名おり、元々あったカーテンを利用して問診を確認する為の場所となっていた。


 そして、正面奥の産業医の机と椅子があった場所には、身長体重計が1つ設置されて男性看護師が1名居る。


 そう、社会人であれば誰しも経験する日頃の生活を見直させられる日。


 健康診断の日だ。


 ただ、従業員が多いこともあり、何ヶ月かに分けて検診をしていた。


 そして、今日。


 ゴリラが所属する工程管理課の順番となっていたのだ。




 ☆☆☆




 ――25分後。


 時刻【9時10分】


 そんな健康管理室の前で、ゴリラは自分の順番を待っていた。

 

「……ウホ」


 その表情は、診察前の子供といったところだろう。


 彼は、健康診断を含めた医療行為が苦手だった。


 それは単純なことで、彼がゴリラだからだ。


 どれだけ都会のジャングルで過ごそうとも、これだけは克服できなかった。


 そんな子供のように怯える彼の服装は、いつもの作業服の紺色と白色のカラーリングの物と工場内に位置するということもあり、黒色の安全靴を履いていた。


 手には事前に書いた問診票を持っている。


「……ウホ」


 彼が肩を落としていると、健康管理室から女性看護師の声が聞こえた。


「ゴリラさーん、いらして下さい」

「ウホ?」


 だが、ゴリラは自分が呼ばれたのか確信が持てないのか、黒く太い首を小さく傾げている。


 というよりは、嫌なことから逃げたいが為、一時的に耳が聞こえづらくなったのかも知れない。


「主任、今呼ばれていましたよ?」


 その後ろから、ひょいっと顔を出して声を掛けるのは、彼の部下のゆるふわパーマで糸目が特徴の犬嶋犬太いぬじまけんただ。


 犬太も服装をしており、その手に問診票も持っている。


「ウホ!?」

「あ、はい。間違いないですよ!」

「……ウホ」

「あー、主任。苦手ですもんね……ま、でも。あっという間に終わりますって」

「ウホウホ……?」

「そうですね……帰りにバナナを買うことでも想像したらどうですか?」

「ウホ……?」

「いやいや、普通にありです、ありですって。僕だって嫌なことをする日は、ご褒美買いますからね」


 ゴリラは、自身を気遣ってくれた部下の頭を優しく撫でた。


「ウホウホ!!」


 彼は撫でながら、白い歯を見せている。


 それは入社したての頃の自信のない犬太と、今の犬太を比べて成長を感じて、ついつい嬉しくなっていたからだ。


 すると、犬太自身もそれが嬉しかったようで頬を桃色に染めている。


「えへへ、いえいえっすよ! 力になれたなら良かったっす」

「ウホー!」


 ゴリラは、照れる部下にお礼を言って健康管理室へと入っていった――。




 ☆☆☆




 ――5分後


 時刻【9時15分】


 室内へと入った彼は、正面奥いる男性看護師に問診票を渡し、身長体重計に乗っていた。


「えーっと、ゴリラさん、ちょっと増えましたね」


 そういう看護師は、問診票と液晶画面に表示された数値を交互に見ている。


 ゴリラは、その言葉を聞いてつぶらな瞳を見開いていた。


「ウホ?!」

「いえ、嘘ではありませんよ。昨年より、5キロ増えていますね」

「ウホ、ウホウホ?」

「え? は、はい。服を脱いでも構いませんが、その――」



 男性看護師が彼のその行為(服を脱ぐ)に口を挟もうとしたその時――。



 ゴリラは、大きな黒い手を前に出して静止した。


「ウホ! ウホウホ」

「わ、わかりました。ではもう一度測定してみましょう」

「ウホ!」


 そして、息を整えると再び身長体重計に乗った。


 ゆっくりとゲージがその頭へと下りていく。


 緊張のせいか、彼はひょこひょこと動いてしまう。

 そのせいで、ゲージがなかなか下りてこない。


 戸惑うゴリラ。


「ウ、ウホ……」

「じっとしていて下さい。ゴリラさん」


 彼は男性看護師の一言を受けて、落ち着きを取り戻しその動きは止まった。


 再びゲージが真っ直ぐ下りていく。


 その動きを上目遣いで見つめるゴリラ。


 もちろん、体は固定したままだ。


 目だけが動いている。


 また検診している男性看護師も、同じように目で追っていた。


 そして、ゲージは彼の頭にゆっくりと当たり、看護師はその値を確認する。


 息を飲むゴリラ。


「……ウホ」


 ゆっくりと口を動かす男性看護師。


「ゴリラさん……」


 ゴリラは振り返り、その動きをつぶらな瞳でしっかりと見つめた。


「ウホ……?」

「身長は昨年と同じです。体重は……」

「――ウホ?」

「はい、そうですね――体重は」

「ウホウホ!」

「――160kgでした……」

「……ウホゥ」


 彼は看護師の一言を受けて落ち込んだ。


 頭を抱えるほどに。


 それは自身が健康に気を付けてきたというのこともあるだろう。


 朝は5時に起きて犬太に教えてもらった美容系YouTuberの配信を見ながら、白湯から始める朝活を行う。


 その後、朝バナナ2本を食べてタコ公園までランニングをし、そこでエネルギーチャージ用にお買い得価格で買ったバナナを1本食べる。


 そして、自宅に帰ってきてブラック珈琲にMONINバナナシロップを入れてカフェブレイク+スマホを時事問題と天気情報を入手に加えてトレンドチェック。


 全てを終えたら、通勤の支度とゴミ出しの準備をして外へと出て行く。


 この流れが完璧だと考えていたのだ。


 なので、体重が増えることには無縁だと思っていた。

 だが、現実は違った。


 5kg増えていたのだ。


 うなだれる彼に看護師が声を掛けた。


「ゴリラさん、食べ過ぎとかとかではないですか?」

「ウホ?」


 その言葉を受けて、眉間にシワを寄せながら考えるゴリラ。


 しかし、彼には全く心当たりはない。


 それはスマホにインストールしたアプリへ自分の身長と体重を入力し、そこから導き出された摂取カロリーの計算などをしていたからだ。


 だから、食べ過ぎるわけなどないとそう思っていた。


「ウホ、ウホウホ?」

「アプリですか……それはあくまでも参考ですからね」

「ウホ……」


 ゴリラは参考と言われて更にショックを受けていた。この情報はお気に入りのVTuberあまとう2号から仕入れた情報だったからだ。


 ちなみに、あまとう2号は最新のスマートウォッチや健康系アプリなどを紹介している桃の被り物をキャラクターが特徴の女性VTuberだ。


 都会を生き抜いてきたインテリゴリラと言えども、心根はいつまで経っても純なゴリラ。


 その推しからの情報を信じ込んでいた。


 そんな彼に対して、男性看護師は淡々と会話を続けていく。


「あ、いやそれよりも、この問診票に書かれている、毎日でランニングしているところにチェックが入っていたのが気になりますね……」


 手渡された問診票をまじまじと見ている。


「ウホウホ!」

「あ、はい! もちろん、嘘でないことは理解しています。ですが、実際のところ増えていますしね」

「ウホウホ?」

「いや、ですのでアプリを信じ過ぎてはいけませんよ? それ人間用ですし」

「……ウホ」


 ゴリラは、肝心な事を忘れていたのだ。


 自身がゴリラということを――。


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