第2話 バナナと仕事
――15分後。
時刻【7時40分】
駅近くにある日本国内有数の大手電機メーカー本社。
敷地面積は48万㎡。東京ドーム約10個分。
そこに部署や部門ごとに分かれた4階のビルがあり、1号棟から10号棟まで存在していた。
他にも食堂やカフェ、グランドに簡易的なジムまで完備されており、従業員数は約10000人だ。
そして、就業時間は8:30~17:15分。
月平均残業時間25時間で、フレックスタイム制。
ここがゴリラの職場。
彼はゴリラながらも工程管理課で主任という役職についており、部下も数人ほどいる立場となっていた。
そんな大手企業の入出門ゲートでは、24時間体制で守衛が駐在しており、静脈認証と社員証がなければどんな身分であろうと入ることはできない厳重なセキュリティ。
広大な敷地内では、新しい物好きな社長が取り入れた自動運転のシャトルバスが行き来している。
これはとても不思議な話なのだが、そんな社長の姿を誰も見たこともないし、疑問に持つこともない。
一説によると、顔を出すことを好まないとか、肩書きが嫌いとかなんとか、そう言った理由で表には出てこないようだ。
ただ、それも噂好きの人間たちの憶測でしかないのだが。
そんな小難しい内容など、全く気にしないゴリラはいつも通り、守衛の方に挨拶を交わしていた。
「ウホ!」
「おはようございます! ゴリラさん」
柔らかい笑顔を向けて彼に挨拶を返すその人は、定年を迎えてシルバー人材から派遣されてきた四角い眼鏡が似合う人。
服装は青色の守衛服、左胸辺りに桃の形をした金色のバッチを付けている。
ゴリラはここでもバナナ友達。通称バナ友を作っていた。
彼は守衛室の方へ近づくと、背負っていたリュックから、フルーツを保護するネットキャップを被せたバナナを一房取り出し守衛の方へ差し出した。
「ウホ!」
「これはまた、いいバナナですねー!」
このバナナは、忙しい人でも食べやすい小ぶりなサイズのフィリピン産のモンキーバナナ。
酸味が少なく、比較的食べやすい品種だ。
自分用に一房、お世話になっている人用に一房を持ち歩いている。
新鮮なバナナを前にして、守衛の方は目を輝かせている。
その反応を見てゴリラは思わず笑顔になっていた。
そして、強引に手渡した。
「ウホ」
「い、いいんですか?! 頂いても?」
「ウホウホ」
「自宅にまだたくさんあるから、大丈夫? ですが、毎回こういった物を頂くわけには……」
「ウホ!」
「俺があげたいからあげる?」
「ウホウホ」
「バナ友だから? いやー、本当にいつもありがとうございます。3時のおやつにでもします」
「ウホ」
「はい、お気をつけて!」
「ウホー!」
ゴリラは子供のような笑みを浮かべて、入出門ゲートから更衣室へと向かった――。
☆☆☆
――5分後。
時刻【7時45分】
更衣室の中。
ここでは昨年度、行われた会社の経営方針の話が話題に上がっていた。
「あー、そう言えば今日からだっけ? 席が自由になるやつ」
「そうだな、今日からだったと思う」
「まじかー、まっ好きな場所で仕事できるからいっか」
「だな、どうせなら綺麗な人の近くがいいよなー」
「ははっ、確かにな」
ゴリラの後ろで、他部署の若手社員2人組が話をしている。
この2人がいうように、今年度から会社のオフィスがフリーアドレスオフィスとなっていた。
だが、仕事熱心な彼にとっては些細なことでしかなかった。
場所が変わろうが仕事が変わろうともやることは同じ。目の前のことに集中すること。
ゴリラはそういうスタンスで今まで勤め上げてきたのだから。
「ウホ」
紺色と白色のカラーリングの作業服へと、着替え終わった彼はロッカーに備え付けられた小さな鏡で、身だしなみをチェックする。
持ってきた櫛でヘアスタイルの乱れと作業服にシワがないかなどをだ。
そして、何くわぬ顔で更衣室をあとにした――。
☆☆☆
――5分後。
時刻【7時50分】
1号棟2階にある工程管理課のオフィスへと、いつも通り誰よりも早く到着したゴリラは、入口近辺に設置されたカフェグストの前で立ち尽くしていた。
「ウホ……」
彼の日課は、ホットのカフェラテに自前のMONIN(モナン) イエロー バナナ シロップを入れてひと息つきながら、メールのチェックをすること。
そして、1日のスケジュールを決めていき、就業前には、万全を期して仕事にのぞむ。
しかし、その完璧なるゴリラ的スケジューリングが壊されてしまった。
これが人間であれば、何もこだわることなく席を移動したりできるので、問題はなかった。
だが、彼はゴリラ。
席が自由になってしまったが故に、その筋肉隆々で180cm、155㎏の巨体にフィットしていた、お気入りのバナナの形をした椅子がどこかへ移動してしまい困り果てていたのだ。
これは彼にとって大きな誤算だった。
フリーアドレスオフィスになったところで、人間の皆が自分の3人は腰を掛けることのできる馬鹿でかい椅子を使うわけがない。
そういう甘い考えが頭の片隅にあったのかも知れない。
だから、更衣室での会話を聞いた時、他人ごとのように感じたのだろう。
仕事をするのに場所なんて関係ないと。
しかし、現実は違った。
ゴリラである彼にも、平等にフリーアドレスオフィスは適応されていた。
頭を垂れて落ち込むゴリラ。
「ウホ……」
「ゴリラ主任、どうしたんっすか?」
飄々とした口調で、そんな彼に話し掛けるのは同じく紺色と白のカラーリングの作業服を着ており、耳に掛かるほどの髪の長さに、ゆるふわパーマを当てた糸目。
その手には、黒色のビジネスバックが抱えられている。
背丈はゴリラほどではないが、175cmは優に超えており、それなりに筋肉もついている今年、入社5年目となる27歳の青年、
犬太はゴリラの部下であり、メンター制度でメンターとメンティとなった関係だ。
1人の社会人としてゴリラは、尊敬すべき上司で。
筋トレに励む生物としては憧れの存在となっていた。
「ウホウホ!」
「まじっすか……あのバナナのやつっすよね?」
「ウホウホ……」
「ですね、ちょっと探してみますか」
そんなゴリラが困っていることを放ってはおけず、犬太は彼と協力してまだ誰も来ていないオフィス内を捜索することにした――。
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