転換

うさぎ赤瞳

第1話 蓋をした記憶を呼び起こし

     一


「話したことってあったかな?」

 楓花が巨大な喧騒地の中で偶然再会した相手は、リストカットという忌まわしい記憶を閉じ込めた中に存在していた。

 同級生だったと云ったのは、清流きりゅう 環奈かんなのほうだったが、いじめから逃げる際に追いつくはずの男子を遮ることで勢いを往なしてくれた数人の中のひとりの面影を、片隅に追いやった記憶から引っ張り出すしかなかったからである。確かそれは、サキの仲良しであったという記憶から残したもののひとつであったはずだ。

 再会した場所が渋谷であることは、記憶の信憑性もかなり高い。楓花は当時、隠れることが日常茶飯事であり、人混みが多いといわれる渋谷は、逃げることの足かせと考えて、嫌いだったからだ。成人した今は、その記憶に反する行動ですら、当たり前になっていた。その、サキから買い物を頼まれた以上、受けて終ったことをえにしと診るしかない? と、感じていた。


 楓花の回想をもない環奈は

『想い出したくないことを、想い出させて終ったかな?』と、一抹の不安をよぎらせていて、詫びるべきか? と思案していた。

「ごめんね」と、聴き取り辛いほど小さな声で囁いたのは、触れられたくない想いに気を遣ったからだった。詫びたものの内心では、蟠が虚像を膨らませていたら化物モンスターとなり仕返しもあり得るので、恐怖で硬直するほどの妄想に取り込まれそうになり、それに攻防していた。それは、天使と悪魔を連想する現代人を証明しているが、環奈わたしは今も味方だよ! と、云えない、自身の弱さを憐れみとし、引き摺っていることを証明していた。


 そんな矢先、楓花のスマホが鳴り、ふたりは同時に我に帰っていた。

 楓花は通話をONにし、スピーカーにした。

「ねえ楓花、今どの辺りなの?」

 環奈はこの声に縋る想いで、

「サキちゃん、環奈わたしよ。解るよね?」

 と、口走っていた。

「えっ、マルちゃん。なんで、楓花と一緒なの」

 サキは学生時分に、音訓で表記しない愛称をつける流行りから、環状線から導いたマルを、環奈につけた記憶を想い出して云った。

 楓花はそんなことを知らないから、

「ご免ね、環奈さん。サキは知っての通り天然だから、ひと間違えしてるみたい?」と、詫びを代弁していた。

「間違えじゃない、一時期そう呼ばれていたからね」

楓花あたしの知らない出来事だってあって当たり前よね』と、楓花は治める方向を向いていた。それを口にできない理由は、色褪せた過去の想いでも、事実を知る者との空白の時間があることを弁えていたからだった。

「それで、電話の用件はなんなのよ」といい、環奈へウインクをし、記憶を整理するための時間を稼いでいた。

 環奈にしても、空白の時間を埋めるために、情報収集が必要で、楓花に靡いていた。

 知らないのはサキだけだが、

「やっぱり止めておく。マルちゃんが暇なら、家のまるちゃんを紹介したいから連れて来て」と、何時ものごとく、用件を簡単に撤回した。

 ふたりが即決を危ぶみ、会話を必要とし、話の出来る場所に移動することで折りあいをつけていた。


 心地好い環境下に落ち着いたふたりは、本心をさらけ出すつもりでいたから、互いに好きなものを注文し、素であることをアピールした。

 誤解や勘違いは、それぞれにある言い分が云えないからで、邪魔者がいないだけで、話しはスムーズに重なりあい、折り合いは簡単に揃っていた。そのためか、サキへの土産のための意見交換も折り合い、サキの待つ実家に向かっていた。



    二


「視界を確保するだけで、影なんていくらでもあることを知ったから、楓花は今、無敵なんだよ」

 サキはお土産のチーズケーキを頬張りながら調子良く語った。

 楓花は多少おったまげたが、サキの次の一手を確認しようと決め、無言を貫いていた。

「特に?じゃなくても、仲良しに変わりないから、勘違いしないで欲しいなあ」

「友達だったの?」

「自分がそうだったとしても、環奈わたしたちは詞を交わさなかっただけで、互いにみとめあう関係だったことを確認できたわ」

「それが、帰宅に要した時間だからね」

「やっと口を開いたわね」

楓花あたしを使いに出したのは、まるちゃんとの再会を喜ぶためだと想ったから受けたのよ」

「再会って云ったって、僅か数時間ですよ? まさか抱き合って喜ぶとでも考えたのですか」

「仲良しとおしどり夫婦を併せた結果、Hな想像に至ったみたいだね、楓花は?」

「だって赤瞳とうさんと話すと、営みって云うから、そっちに気が向いちゃうんだ」

「適齢期? ってことですね。齊藤ぼくたちに近寄らなかったのは、そんな無駄な気遣いからでしょう」

「確かに男と女が一つ屋根の下に居れば、そっち方向の妄想がもたらす抵抗力に負けるかも知れないよね」

「加藤家に纏わりつく因縁を完全に消すために立候補したんですけれど、楓花ふうかさんはそれを知りませんからね」

「その志が嬉しかったから、受けちゃたんだよね」と云ったサキが、齊藤まるにチュッとした。

 楓花はそれで呆れ、顔を赤らめそっぽを向いた。

「いつでもサキちゃんはマイペースなんだよね。芽郁がよく、やってられないって云って、やる気を失くしていたもんね」

「そんなことも、あったわね。で、こっちのマルちゃんは、なにを決めかねているの?」

 サキの詞に反応して、楓花が話題に引き戻された。

「どういうことよ?」

 先程は互いの蟠りを失くすために話したが、環奈の目の下のくまを悩みごとと気付いたのだった。サキの天然が、環奈の出す低周波に気付けたのは、予定のあるなしを、楓花が訊いてないことに気付いたからで、時間を停めたいために寄ったのではと、鎌を掛けたのである。

「家族は、環奈わたしの起業は反対みたいだけど、反対とは云わないのよ」

「云ってないのに気付いたのは、常識的観点が働いているからで、女子だから、とか、話の端々にあるからですね」

「まるちゃんは口を挟まないで。女の思考は、女しか解らないから」

「それで、良いの、サキ?」

「最期の最後は自分で決めるんだから、私達は提案を模索するだけなの。それは、楓花が赤瞳さんから受け継いでいるから、最良かどうかが問題じゃなく、環奈マルちゃんが決断しやすいかだけを必要とするのよ」

「なら、まるちゃんは?」

「赤瞳さんならそう云うと想うか? という判別人になって欲しいから、女の園に居てもらってるだけ」

「ならば、環奈さん。具体的な話しを聴かせて」

「会社の同期が、痴漢に会い、たまたま相談に乗った環奈わたしが推理した結果、犯人を捕まえることに成功したの」

「推理した? ってことは、謎解き系の小説ファンってことよね」

「どっちか? って云うくらいに想って読んでたんだけど、犯人が隠れるなら人混みしかないけれど、再犯を犯すなら、それが動機になるし、個人的好意が痴漢になったなら、ストーキングされる? って云ったのね」

「再犯が起きたの?」

「起きなかったから、ストーキングに注意して、交番ルートで、犯人逮捕に至ったのよ」

「それで味を占めたから、探偵業を起業してみよう、って想いたったわけ。でもそんな簡単な事件ばかり続くはずもないから、親に相談したんだけど、良しもなければ駄目も云わないのよ」

「なら簡単じゃない、探偵稼業でご飯が食べられるのか? が肝だろうから、萬屋なら良いんじゃない」

「ちょっと、サキ。もっと親身になって考えなよ」

「私は至って真剣だよ。高齢化社会の歪みは以前、経験してるんだから、お年寄りにとっての善人ヒーローを目指せば、金銭的に安定クリアーできるわよ」

「そうかも知れないけれど、依頼を出す側の認知症問題に、てこずることも想定内に考えるべきでしょっ」

「だから、病院への付き添いや、薬の受け取りから始めれば、仕事がなくなることもないよ」

「そのためにあるのが老人ホームで、介護士の資格を必要とします。そしてそこにも机上の正義が存在し、万年人手不足の業界です。そこに参入するなら、探偵稼業との二足のわらじが想定され、ご家族もそれくらいは想定しているはずです」

「随分と知ったような口ぶりだね、まるちゃん」

「内閣府で経験しましたからね」

「内閣府? って、国家の機関でしょう。齊藤まるさんは、公務員なんですか?」

「仲間の脚を引っ張ることが多いお荷物よ。楓花のお父様が居なければ、とうにお役御免になっているわ」

「まあまぁ、サキ。まるちゃんが晩成型なのは、皆の了解事だよ。それに、赤瞳とうさんは、必要な時に力を出すことが天命と定めているわ」

「だから、楓花ちゃんはその傷を隠さなくなったのね」

「そう云うこと。今の楓花は、なんちゃって科学者の愛娘として生きてるからね」

「あの、DV親父が、なんちゃって科学者だったの?」

「違うよ。今は実の父のもとに戻ったから、国家機関の一員になれたの。負い目を失くせば、人は皆 英雄ヒーローにだってなれるんだよ」

「だから齊藤ぼくは、警察からの出向を申し出たし、目指すべき英雄ヒーローという妄想も残せたからね」

「それはまるちゃんを必要とする理由に気付けたからで、環奈さんはまだ、道と途の違いにも気付けてないわ」

「道と途?」

「歩いてきた過去は道で、未来への軌跡はまだないから、途なんだよ。それを赤瞳とうさんが、皆に説いたから、楓花あたしたちは使い分けてるんだよ」

「これから進むから、それが途中という表現になり、後身のためのしるしになるように遺すから、人間の人生が物語と云われるんだ」

「それにまごつくから、まるちゃんが皆の脚を引っ張るように見えるけれど、真っ直ぐだけが人生ではない、と云うのが赤瞳とうさんなのよ」

「前を向くために必要なのね」

「凄いのはそれだけじゃなく、雲が示す形で、災害や事件を予見しちゃうからなんだ。身近や遠方さえ読み分けるなんて、人間じゃできないもんね」

「預言者? ってことなの」

「予言なら、はずれが確率で解るけれど、不的中はないから、御告げと云うんだ。そしてその魅惑サイコパスを見分けることから、神の眼の所有者と、皆は認めているのさ」

「神の眼?」

ゴッドハンドなんて聴いたことあると思うけれど、命を救うための技と云うのは、したくても出来ないことで、努力へのご褒美みたいなんだ」

「今日のまるちゃんは、滑舌が良いみたいだけど、それが流暢に繋がらないのは、経験を特別視しているからで、野次馬的思考を自慢しているだけよ。それを私が嗜められるから、相性的に視てベストパートナーって、赤瞳さんに云われたわ。だからという訳じゃないけれど、まるちゃんは私に従順でいてくれるわ」

「かかあ天下? ってことなんじゃない」

「かかあ天下は、感性を従わせる悪意だけど、本人が悪意だと想えない詞を、私が選択できるらしいよ」

「お互いに楽しめる関係性? ってことなんじゃない。それって、運命に導かれし相手だからってことでしょう」

「マルちゃんは解ってくれたけれど、楓花にはなにか? が、引っ掛かるみたい。時偶ときたま上から目線で反論するのよ」

「反抗じゃなくて、善悪の選択ミスを指摘しているだけよ」

「ふたりがそれで良いんだから、良いんじゃない。環奈わたしは、だから人生がミステリアス? だって想うからね」

 環奈の発想を、毎日の当たり前に重ねた三名が納得に達し一息着いていた。その可愛らしい笑顔が示したものはどこか、達成感に似ていて、忘れていた彩に気付かせていた。そればかりか、過去の汚点を共に経験した三人をひと括りにし、汚点を想い出に代えて消えようとしていたのだった。

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