第7話 少女の在り方

「いやー、疲れた、疲れた!」


 どこの妖怪大戦争かと思うほど、派手な戦闘を繰り広げた緋色は、首にタオルをかけていかにも「一仕事した」という体で、一葉とルーガのいる艦橋に入ってきた。

 仕事終わりのサラリーマンを思わせるその台詞と笑顔は、下手をすれば命に関わるだろう戦いの後だという感じは微塵もさせない。


「あ、三和切君もお疲れー。ナイスラン」


 ビシッと一葉に向けられる右親指。

 実際に口で言うほど疲れてもないのだろう。元気過ぎて反応に困る声だった。


「お、お疲れ」


 陸上部か、という突っ込みをグッと我慢して、とりあえず労いの言葉を返す。

 今の愛和緋色に突っ込みを入れていたらきりがない。


「あ、見て! 今日の収穫!」


 じゃーんと、緋色は自分で効果音を付けて両手を掲げた。

 その手の中にあるのは黒曜石のような黒い石。

 右手には拳程の大きさのゴツゴツした石が一つ、左手には数センチ程の欠片が四つ。

 そもそも、一葉が森の中を走らされていたのは、倒された〝新たなる獣アウォード〟から取れるこの石が目的だった。


「魔石、だよね。大きくても、なんて言うか、普通の石みたいだね」


 魔石。〝新たなる獣アウォード〟の核。

 魔力を秘めているその石は様々な魔法具や乗り物のエネルギー源として需要が高く、高値で取引されるらしい。


 昨日も同じような欠片を見せられた際にルーガからそう教わってはいるが、一葉にはただの黒い石にしか見えなかった。魔石だなんていうから、てっきり怪しい光を放っていて、球の形とかひし形とか綺麗な形をした石を想像していたのだが、目の前にあるそれは黒いだけのゴツゴツした石であり、ちっとも魔法っぽさを感じさせない。


 一葉の考えが伝わってしまったのだろう。緋色はムッとした表情で言った。


「コレ、結構大きいんだよ。最近魔石の需要が高まってるらしくて、結構高く売れると思う。いい運動にもなったし、今日はついてるね」


 そしてにこやかに笑いながら、トン、と一歩近づき、


「……はい、コレは三和切君の分」


 声のトーンを落とし「内緒ね」と言いながら緋色がさっと一葉の胸ポケットに魔石の欠片を一つ差し込んだ。

 昨日に続いて二つ目。頑張った分のお駄賃という事なのだろうか。

 密かないたずらを楽しむような緋色の笑みに、鼓動が早くなっていく。


「……あ、ありがとう」


 一葉は動揺を悟られまいと視線をそらし、頭を掻きながら必死に話題を探した。


「あー、えっと、あの大きな猫みたいなやつ、あんなのも沢山いるの?」


 だとしたらもう餌になるのは嫌だなと思う。

 今日の犬ぐらいのサイズでも精一杯なのに、あんなのに追いかけられたら秒で捕まる自信が一葉にはあった。

 命綱である物理障壁もきっと意味をなさずに潰されてしまうだろう。


「いや、あの大きさの〝新たなる獣アウォード〟は中々いないよ。んーと、こういう森の中とか人里から離れた場所には小さいのがいっぱいいてね。でも、使魔石が取れるサイズのやつは、倒せる大きさのうちに狩られちゃうのも多いから」

「〝新たなる獣アウォード〟と戦う人っているんだね……」

「うん、魔石はいい値段で売れるしね。危険と隣り合わせだけど、人は結構多くて競争が激しいんだよ。それ専門のパーティーも多いし」


 聞けば通常は四人ぐらいのパーティーで戦うのが普通なのだという。

 〝新たなる獣アウォード〟は長い年月をかけ、人や獣、果ては自身より弱い〝新たなる獣アウォード〟を食らい、より凶悪に成長していく。

 大きく肥大した〝新たなる獣アウォード〟はその分強い。緋色が一人であしらったあの猫のサイズになると、本来はベテランが十人以上で挑むのだそうだ。


 そんな化け物を一人で相手にして「いい運動」とは、彼女はたった一年でどうなってしまったのか。ここの常識を知らない一葉でさえも、今の話から緋色が異常な存在だというのは理解できた。


「今までで一番大きい〝新たなる獣アウォード〟はドラゴンの形をした、二十メートル以上ある化け物なんだって。<世界を滅ぼす力のある厄災>って呼ばれてるとか聞いたことがあるなー」


 もし倒せたらどんな大きな魔石が手に入るのかなぁ。などと目を輝かせながら語る緋色は、まるで未知の冒険に心を躍らせている少年のようで。


「……怖くは、ないの?」


 きっとそんな段階なんて過ぎてしまっている。

 それが分かっていてもどうしても聞いてしまう一葉に、緋色は変わらぬ笑みで答えた。


「怖いのは、ずっと前に終わっちゃった。過去にドラゴンが現れた時は、結局誰も倒せなくて街が一つ失われたんだって。もしさ、自分の目の前でそうなったら、悲しいじゃん?」


 だから強くなるのだと言う。

 二日前、あの夜空の下で、彼女は自分には何かから誰かを救わなければならない役割があると言っていた。

 その何かはドラゴンかもしれないし、別の脅威なのかもしれない。そもそも救うために力が必要かどうかも分からない。それでも、その時になって後悔しないためにも出来ることからしていきたい。

 そう恥ずかしそうに語る緋色は、一葉にとっては少し眩し過ぎる。


「ふーん……」


 胸に宿るのは、彼女に対する小さな嫉妬と、そんな役割を与えた存在への憤り。

 緋色の在り方は、少年にとっての憧れだ。その真っ直ぐな性格も、怪物を一人で倒してしまう能力も、与えられたその運命も。


 自分には役割ロールというものはなく、課せられた使命もないらしい。一葉はその事に心のどこかで安堵していた。

 だが、羨ましいと思わされてしまった。出来るならああなりたいなと思うほど、今日見せつけられた<英雄>の姿は鮮麗だった。


 しかしそれで緋色に嫉妬するのは恥ずかしい考え方だ。一葉もそうは思うものの、それを否定できる程幼くもなく、そんな自分も良しと認められる程にもまだ人間ができていない。


(僕だって愛和さんと同じように連れて来られたのに)


 不公平だ。もし誰かが役割ロールとやらを決めているのだとしたら、文句を言ってやろう。でも、そんなことを口には出せない。

 だから年相応の少年は、誤魔化すように口を開きかけ、


「――何?」


 ビー、ビーと一定のリズムで船内に鳴り響く機械音。

 赤く光り出す端末たち。

 警報、という言葉が頭を過ぎる。

 緋色の顔からも笑みが消え、コレは異常事態なのだと、一葉は認識した。


「ルーさん」


 操縦席のルーガに、緋色が声をかける。


「――アルキメデス、発進しろ。画面に周囲の情報を」


 ルーガの命令に従い、飛行船が唸り始める。

 足元からはふわりと浮いた感触。

 前に動き始めるのかなと思った瞬間、飛行船は唐突に加速し、空を飛んだ。


 窓ガラスの外の景色がもの凄い速さで置き去りにされていく。


「――っ!」


 思いがけない急発進に転びそうになりながらも、なんとか堪えきった一葉は、艦橋正面に現れた画面を見た。

 空中に浮いている巨大なスクリーンには、いくつかの点が映し出されている。

 自身を表しているだろう中央の丸の前方に、大きな丸が一つと小さな丸が五つ。周りの船を表示しているレーダーか何かだろうが、一葉には一向に何が起こっているのか見えてこない。


「な、何なんですか!?」


 エンジン音に負けないよう、大きな声でルーガに聞くと、彼は操縦席の端末を忙しそうに操作しながら答えた。


「緊急信号だ。つまりさっきのアレは前の船の助けてくださいっていう叫び声だよ」


 どうやら前にある船が何らかの危機にあるらしい。一葉にもようやく状況が飲み込めてきた。

 

「周りの小型船が襲ってるのかな」

「襲ってるって、船が船を?」


 隣の緋色がポツリと言った言葉は、一葉に少なからぬ衝撃を与えた。緊急信号と聞いて〝新たなる獣アウォード〟が船を襲っている様子を想像していたが、緋色の言葉は別の可能性を示している。


「うん、盗賊……、この場合は空賊だね。結構多いよ。緊急時にはさっきみたいに信号出して、運よく近くに私たちみたいなのがいれば、助けてもらえるかもってこと。無事に助けられたら報酬をもらえるんだよ」

「空賊……。そんな人たちが……」


 人が人を襲う。

 

 巨人や怪物が人を襲うだけではない。

 そんなことも当たり前の場所なのか。


「他には大きな船が無いけど、あれだけで襲ってるのかな?」


 ルーガの手元を覗き込んだ緋色の問いに、男は首を振る。


「いや、あんな小さいのだけじゃ火力不足だ。探知に反応してないのは阻害魔法だろうな。それに視覚も誤魔化してるらしい。だが、エンジン音までは隠せてないな。アルキメデス、上昇だ。おい、耳ふさいでろ。ぶち込んでやる」

「え、耳?」

「大砲!」


 緋色の言葉に何が行われるのかを察した一葉は、急いで両手で耳を塞ぎ、


「――っ!」


 同時、飛行船の右側から爆発音が鳴り響いた。


 昨夜緋色が見せてくれた魔法と同じような光の玉が五つ。真っ直ぐと右斜め前の空に向かって突き進んでいく。

 そう、そこには空しかない。

 にもかかわらず、光の玉は空中で弾け――、


「船だ……」


 ガラスが割れるような音とともに、空中から現れたのは灰色の飛行船。

 大きさはアルキメデスより一回り大きく、多くの大砲で物々しく武装されている。

 向かっているのは、前方。助けを求めている船の方角。

 どうやら、この飛行船が親玉のようだ。


「さて、標的のご登場だ」


 ルーガの口元が吊り上がる。

 それは、獲物を前にした獣のような、禍々しいと言える笑みだった。

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