真夏の悪夢12

 秀一郎さんの言葉をそこまで思い出した所で、私は現実に引き戻された。

「そんなの、証拠にならないじゃないですか!」

 向こうの取調室で、小鳥遊さんが叫ぶ。

「確かに四谷さんと会う約束をしました。でも、四谷さんに用が出来たとかで、キャンセルになったんです。私は楽屋には行っていません!」


 岡崎君は数秒沈黙した後、落ち着いた様子で言葉を発した。

「では、今履いている靴下を脱いで、ズボンの裾を捲って頂けますか?」

 小鳥遊さんの眉がピクリと動いた。しばらく沈黙が流れる。小鳥遊さんは、一向に靴下を脱ごうとしない。やはり、小鳥遊さんが犯人なのか。私は、再び秀一郎さんの言葉を思い出した。


「後は物的証拠だが……犯人、つまり小鳥遊さんは、脚を怪我している可能性がある」

「どういう事ですか?」

「桜田さんの殺害現場に切り裂かれた衣類が散乱していただろう?しかも、血が付いた状態で。その理由を考えてみた。これは仮定の話だが……小鳥遊さんは、桜田さんを殴り、桜田さんが動かなくなったので、部屋を立ち去ろうとした。しかし、桜田さんはまだ生きていた。彼女は這いつくばりながらも最後の力を振り絞って、凶器の置物で小鳥遊さんの脚を殴りつけた」

 あの馬の置物は尻尾の部分が少し鋭利になっている。脚を殴りつけられたら、そこに切り傷が出来るかもしれない。


「改めて桜田さんに止めを刺した後、小鳥遊さんは困った。脚の切り傷の原因を刑事に聞かれたら答えられない。事件が起きたの同じくらいの時間帯にたまたま小鳥遊さんが別の場所で怪我をしたなんて警察が信じてくれるかどうか。そこで、小鳥遊さんは怪我を隠す事にした」


 小鳥遊さんは、自分のストッキングを脱ぎ、ハンカチか何かで脚の止血をした。そして、血の付いたストッキングの捨て場所に困った小鳥遊さんは、ストッキングを桜田さんの物だと見せかけようとした。

一つだけ血の付いた衣類があると目立つので、桜田さんの荷物の中から衣類を取り出した。そして、桜田さんの頭部にある傷口に衣類を押し当てて、衣類に血を付け、床にぶちまけた。


「もしかしたら、小鳥遊さんは怪我を悟られないように、一度桜田さんのズボンかロングスカートを拝借して自分の部屋に戻ったかもしれないな」

 そう言って、秀一郎さんは腕組みをした。


「どうしました?脱げないんですか?」

 取調室で、再び岡崎君が小鳥遊さんに声を掛けた。小鳥遊さんは、唇を噛み締めながら右足の靴下を脱ぎ、ズボンの裾を捲った。すると、彼女のふくらはぎの辺りに切り傷があるのが確認できた。


「その傷はどうなさったんですか?」

 岡崎君が聞くと、小鳥遊さんは諦めたようにフッと笑い、口を開いた。

「刑事さん、大体分かってらっしゃるんでしょう?……私が、桜田小春さんを殺した時に付いた傷です」

 そして顔を上げると、小鳥遊さんは改めて言った。

「四谷耕助さんと桜田小春さんを殺害したのは、私です」

 小鳥遊さんの顔には、妖しい笑みが浮かんでいた。その笑みを見て、私は身体を震わせた。この人が本当に、あの小鳥遊亜矢さんなのだろうか。まるで別人だ。


「……何故二人を殺害したのですか?」

 岡崎君の問いに、小鳥遊さんは事も無げに答えた。

「四谷さん、私に内緒で劇の脚本を原作から大きく変えていたんです。私は、事前の打ち合わせで何度も『ストーリーの肝となるエピソードは変えないで下さい』と伝えていたのに」

「……それだけの理由で、殺害したのですか?」

「それだけですって!?」

 小鳥遊さんは、今までにない声で叫んだ。


「私にとっては、小説は唯一の心の拠り所だったのよ!?子供の頃父親に殴られても母親に放置されても私が平気でいられたのは小説があったから。私の書いた小説が初めて商業化した時はどんなに嬉しかったか……小説は、私の子供みたいなものなの。それをあんな形で侮辱されて……」


 小鳥遊さんは、一昨日の劇を見て、初めて原作が大きく改変されている事に気付いた。一瞬頭が真っ白になったが、それでもその時は殺す気は無かった。

 しかし、四谷さんと打ち上げ後に会う約束をして楽屋に向かうと、四谷さんは小鳥遊さんにこう言った。

「いやー、ごめんね、小鳥遊さん。あの展開の方がウケると思ってさ。昨日、急遽後半の台本を書き換えちゃったんだよね。まあ、許してよ。君も、自分原作の劇が上演されるだけで宣伝になるでしょ?」


 ヘラヘラとしてそう言う四谷さんを見て、小鳥遊さんの心にどうしようもない殺意が湧いた。そして気が付くと、楽屋にあった小道具のスカーフで四谷さんの首を絞めていた。


 四谷さんが絶命した後、小鳥遊さんはスカーフに指紋が残らないよう布を擦り合わせた。そして楽屋を立ち去ろうとした時、くしゃみが止まらなくなった。よく見ると、楽屋にあるキャリーケースの中に猫がいる。

 小鳥遊さんは、楽屋で猫の毛に触れた事を隠す為に、猫――マロンちゃんを逃がした。


 これで小鳥遊さんの完全犯罪は成立するはずだった。しかし、予想外の事が起きる。桜田さんが、台本を見て小鳥遊さんを怪しみ、脅してきたのだ。恐らく桜田さんは、小鳥遊さんが犯人である決定的な証拠があるとかハッタリも使いながら脅したのだろう。

 自身の犯行が露見するのを恐れた小鳥遊さんは、桜田さんの部屋を訪ね、桜田さんを手にかけた。

 後から聞く所によると、小鳥遊さんはナイフを持って桜田さんの部屋を訪ねたが、馬の置物があるのを目にし、突発的な犯行を装う為に馬の置物を凶器にしたのだという。

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