第9話絶体絶命
◆
「はあ、はあっ!」
スレイブによる破壊活動ではありえない凄惨な町並みを剣也は走る。
地面や建物、到るところから顔をしかめるような臭いを発している。火薬によるものではなく、石などの鉱物を『溶かした』ときの臭いだ。それに異様なまでの湿度、エコとフレムが互いの能力で戦っている証拠だ。
(フレム、頼むから正気に戻ってくれ、君の体はまだ完治してないんだ!)
レモンとスーリから聞かされた彼女に投与されたセイヴィアの不純物はまだ彼女の体に巣食っている。
純正のセイヴィアに適合したことで免疫作用が働いていると言っても完治するまでには長い時間を擁する。彼女のエコに対する憎しみの感情はこの浄化作業の副作用で、本当なら療養が必要なのだ。
オシリスでレモンやスーリと一緒に活動する分には無視できた。彼女もエコの活動時期と自分の部族を襲われた時期が一致していないのは理解している。だから半年前に初めてエコとコンタクトを取ったときも感情を抑えることができた。
だけどエコは何らかの理由でオシリスを信用できずに攻撃、これによってスーリが重症を負ったことで発作を抑えきれずに彼女への敵愾心を強めてしまった。自分との因縁に関係なくホワイトアント活発化の元凶と疑われていることが彼女への憎しみを正当化させてしまっている。
それでもレモンとスーリはエコを信じる道を選んでくれた。フレムを彼女の捜索任務から外すことで対話の可能性を諦めなかった。そして今回の再会で彼女が悪人ではないという確信が持てた。
(エコは敵じゃないんだ。あの子を殺しちゃダメだ!)
フレムに人を殺してほしくないのか、エコを守りたいのか、それを判断する前に左側面の小さな民家からバランスボールほどの大きさを持つ火球が飛んできた。
「うわっ!?」
視界を塞ぐサイズのものを間一髪で避ける。あれはどう見てもフレムの攻撃。なら彼女たちがいるのはそこかと火球によって貫通した民家を通ると。
「っ!」
そこには体中に痛ましい火傷の痕を作り、苦しそうに呼吸を繰り返しながらも距離を取るエコと、そんなエコを無傷のまま見下げるフレムの姿だった。
彼女の綺麗な水色の長髪はフレムの攻撃によって黒ずんでしまっていて、見ているだけで胸が締め付けられそうになる。
「アンタバカにしてんの? 倉庫の中じゃ人の首を切り落とそうとしたくせに今は防御一辺倒とか」
「あれは、咄嗟のことで狙ったわけじゃない。変な言いがかりはやめろ」
「言ってろ。どっちにしろスーリの件だけでアンタを許すつもりなんてないわ」
フレムが両手のデザートイーグルを構えて交互に撃ち放つ。50口径の弾丸が絶え間なく降り注がれるが、エコも水壁を作って防御する。
弾丸が水壁の中心まで進むと、強烈な閃光を放ちながら爆発、無数の水滴が飛び散り、間近で直撃したエコが再び苦痛に顔を歪める。
自分のセイヴィアを弾丸に忍ばせて任意のタイミングで爆発させたのだ。貫通力で劣るマグナム弾で硬い装甲を突破するために編み出したのだと前に教えてもらった。
「私の炎と同じでアンタだって無限に水を作れるわけじゃない。周りの水分をセイヴィアがかき集める量には限度があるし、一度失ったら同じ量が使えるまでには時間がかかる。判断を誤ったわね」
「っく!」
再び発泡されるマグナム弾をエコは二刀のククリナイフで切り捨てる。ナイフを振るう度に痛みで顔をしかめ、歯を食いしばる。それを承知してフレムは角度と距離を変え、わざと彼女が大きく動くように誘導している。疲弊するのを誘っているんだ。
「まあ攻撃の意志がないなら別にいいわ。潰すのが楽だし」
そしてその効果は現れた。疲労困憊でククリナイフの扱いに精度が欠けはじめ、ついにエコは右太ももにマグナムの弾を食らった。
「ああっ!!」
声にならない叫び声を上げてエコはみっともなく転げ回る。ククリナイフを投げ捨て、銃弾を受けた右足を両手で抱えるようにうずくまる。
「エコっ!」
民家から飛び出そうとする剣也だが、フレムは視線をエコから離さないままデザートイーグルを剣也の頭上に向けて発泡。元々損壊していた民家はマグナムの一撃に耐えることができずに剣也を巻き込む形で崩れ落ちる。
「うわあっ!?」
ブレイヴスーツのおかげでかすり傷1つ追わないが、自身を遥かに上回る重量物がのしかかり、身動きが取れない。
「そこから一歩でも動いたらたとえ代表の好きな男だろうが容赦しないわ。この女を始末するまでじっとしてなさい」
フレムの桃色のショートが、彼女の発する陽炎でゆらりと歪む。憤怒を込められた目で見つめる姿と相まって、幻想的なのに一方的に命を奪う死神にさえ思える。
「フレム、もうやめろ! スーリさんの傷は俺の不注意でコマンダーにやられただけだ! エコは俺たちを助けてくれたんだ!」
行動を封じられた剣也は力の限り訴えた。フレムも本質は善人なんだ。余計なことは考えずにただ真実を告げやればいい。
だが、その思いは裏切られた。
「知ったこっちゃないわ。こいつは人類に仇なす害虫なのよ。ここで処理すればホワイトアントを統率するやつが減って、より多くの人間が救われる」
普段のぶっきらぼうながらも決して他人を見捨てない優しさとはかけ離れた物言いだった。少なくとも剣也が見てきたフレムには絶対に言ってほしくないものだった。
「なっ、本気で言ってるのか!?」
「本気も何も、こいつには数え切れない疑惑があるのよ。無実を証明したいなら逃げ回らずに素直に私たちの言うことを聞いておけばよかったのよ。それをしない時点でよからぬことを企んでる証拠よ」
支離滅裂が過ぎる。ファーストコンタクトのときに限れば確かにスーリに怪我をさせたエコの問題だが、それ以降のエコ本人に他人を害すしようとする動きはない。ホワイトアントの活性化も疑惑の粋を出ていない中で攻撃を続けるフレムの理屈はおかしいとしか言えない。
「なら命を奪わずに拘束だけで済むはずだ。今のエコは動けないんだからこのままベヌウまで保護すれば安全にオリジンに関する情報も手に入るだろ」
「冗談じゃないわ。どんな方法であの化物どもを操ってるかわからないやつを拠点まで連れてけって? それでベヌウが襲われたら本末転倒じゃない」
それに、とフレムは内ポケットから小さな端末を取り出した。剣也がスーリに見せてもらったナノヒューマンを判別するための機械と同じものだった。
端末を青い顔をしながらフレムを睨みつけるエコに向けてタップ。表示された液晶画面を剣也に見せる。
「な、どういうことだ」
映し出されたのは丸い黄色のマークだった。レモンやフレムと同じセイヴィア・ノーマルが体内に入っていることを示す色は、剣也から5m以上の距離からでも判別できた。
「今のこいつはオリジンを持ってないのよ。スーリが嘘をつくわけないからどっかに隠したのか、もしくは捨てたのか。どっちにしろ死体にしてからセイヴィアを調べれば見当がつくわ」
「な、フレム、待って!」
剣也は諦めずに説得を続ける。ここで諦める訳にはいかない。
「確かな証拠もなく殺すなんて間違ってるだろ! こんなのレモンちゃんが納得するわけない。こんな勝手なことをしてあの子がどう思うか考えろ!」
7年間も顔を合わせなかった男の戯言に説得力がないことは承知している。
だが再会して昔のように面と向かって話し合い、スタイルは抜群になっても彼女の心根はまるで変わってないことを知った。それを考えればエコを殺すことは彼女の意思に反することは明らかだ。
「……そうね。ここでこいつを殺せばビーちゃんは私を許さないと思う」
いつもの代表ではなく、名字を呼びながらフレムは視線を地面に落とす。心なしか声のトーンが少し落ち着いているようにも聞こえる。
「けどそれが何だって言うの? 世界を救うのに手段なんか選んでられるわけがない。優しいあの子に汚れ役をさせるくらいなら喜んで泥をかぶってやるわ。その代償で私がビーちゃんに嫌われるだけでしょ? あの子のためなら友情だって犠牲にしてやる」
だがそれも一瞬だった。むしろレモンのためという大義名分を得てエコを殺す意思をより強固なものとしている。今も弾丸を受けた足を抱えてうずくまるエコに向けてデザートイーグルの銃口が向けられる。
「フレム! やめるんだ!」
瓦礫から抜け出そうと手足をばたつかせるが、自身を遥かに上回る質量に抗えない。セイヴィアによる身体能力の向上でも抗えない現実に歯を食いしばる。
(動け! 今だけでいい、お願いだから動いてくれ。このままじゃエコが死ぬ、俺を助けてくれたあの子が死んじゃうんだ! 見捨てたくない。助けたい。助けられるなら命でも何でも差し出す。だから)
だからって諦める言い訳にはならない。
フレムに間違ったことをしてほしくない。スーリとの約束を守りたい。レモンを悲しませたくない。何より。
「動けええっ!!」
エコを死なせたくない。
カチリと、それまで噛み合わずに放置されていた大きな歯車が、初めて回り始める感覚が脳内でイメージされる。
イメージは血液中を循環するだけで眠りこけてる一部のセイヴィアを叩き起こし、さっさと仕事をしろと覚醒を促す。
バチッ!
圧倒的なエネルギーが電気という形で莫大な力を与え、人体の限界を越えようとするのを察知したブレイヴスーツのリミッターが発動した音がする。
それに気づいたときには、瓦礫から抜け出し、エコを抱えながら銃弾が躱されたことに呆然となるフレムと正対していた。
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