第4話充実の日々


 廃墟と化した市街地ほど歪なものはない。下はカラフルな装飾に彩られた建物が並び、上はビル郡が天を目指して高さを競う。自然には存在し得ない人工物で作られた人間のテリトリーは人の手を離れたゴーストタウンはアスファルトを突き破る草木といくら同化しようとも元の自然に還ることはない。人間から見放された箱庭の新たな支配者たちは、くすんだ白い体色を月明かりに照らされながら甲高い鳴き声を上げる。

 剣也は大通りの真ん中に立ち、周囲のビルから様子を伺うスレイブの大群と対峙していた。サーベルタイガーのように仰々しい牙の生えたおぞましい形相が所狭しと並び、目にあたる部位が存在しない怪物たちは人間には解明できない感覚器官を用いてこちらを見据えている。

 青をベースに腕と腹部に白いラインの入った近未来的な戦闘服に身を包んだ剣也が叫ぶ。


「よし来いっ!」

 

 最初の1匹が先人を切った。幅広な五指で切り裂こうと飛びかかってくるのを身を翻して躱し、お返しとばかりに腰にぶら下げた長さ65cmほどの刃物、マチェーテを鞘から抜き、すれ違いざまに背中を斬りつける。ぱっくりと割れた傷口から緑の体液が噴水のように漏れ出し、その個体は絶命した。

 続けざまにスレイブたちが突撃してくる。仲間が殺されてなお躊躇することなく行進する様は死への恐怖など存在しないことが読み取れる。

 先行する3匹の頭部を縦に袈裟斬りし、後続の攻撃を地面を蹴って横にステップ。腕を振り下ろそうとした1匹の胴体は肉厚の槍のようなものに貫かれた。剣也の背後から不意を打とうとした別の1匹が尻尾による刺突をした結果だった。


「すっげ、動きがスローに見える」


 今まで頭の中でイメージすることしかできなかった動きが現実のものとなっている。それは体内を循環するセイヴィアの力だけでない。

 ブレイヴスーツと呼ばれるナノヒューマンの専用装備。体内のセイヴィアの活動を活発化させ、装着者の運動能力を向上させる現代の騎士甲冑と言うべき代物だ。否が応でも近接戦を強いられるホワイトアント対策として防弾、防刃にも優れており、大抵のことでは壊れることはない。

 特に剣也の着ているブレイヴスーツはオシリスの技術部とアメリカ国防省が共同開発した最新モデルだ。ナノヒューマンでなければ単に金のかかるボディアーマーと大差ないことから今までホコリを被っていたものを、代表であるレモンが専用装備としてよこしてくれたのだ。

 大事な幼馴染からの贈り物。その事実だけでも男として戦意がどこまでもあがっていく。

 さらに左右から2匹が攻撃しようと近づく。まず左の個体を背負投げ、右の個体へと投げつける。2匹の体が重なったところをマチェーテで突き刺す。間髪入れずにその場で地面を蹴って3mほどジャンプすると、標的を見失った複数のスレイブが互いにぶつかる。


「っし!」


 そこにジュース缶のような形状の手榴弾のピンを抜いて投擲。爆炎が広がって四散するのを確認すると遠方から様子を伺う個体を凝視する。あれは遠距離攻撃を可能としたガンナーだ。スレイブと違い尻尾の先端が爆発物の発射機のようになっている。その火力は装甲車程度なら5、6発当てれば大破させるほどの威力がある。

 すかさずマチェーテをおおきく振りかぶって投擲。ガンナーは頭部を貫かれて断末魔の声を上げながら絶命した。


「俺がホワイトアント相手に勝っている。これがナノヒューマンの力……」


 不謹慎ながら、剣也はその力に酔いしれていた。今まで遭遇しても背中を見せて逃走するしかできなった自分が、これだけの大群と互角以上に戦えている。頭の中で何度も妄想していたものが現実となっている。

 セイヴィアに適合する確率は10万分の1。つまり世界には四千人ほどのナノヒューマンが存在することになる。狭き門どころではない。そもそも適合しなくて当たり前の確率であり、日本で適性検査に落ちるのも当たり前の話だったのだ。

 自分のためにしか力を使わない奴らへの憤り、自分にその力さえあれば戦えるのにという葛藤。その鬱憤が晴らすかのように目の前のスレイブたちへとぶつける。

 あらかた片付けると、剣也は4リットルペットボトルほどの大きさがある円形の装置を取り出し、細長い突起物がついた部分を地面に突き刺して固定する。装置は扇状に展開し、人間には聞こえない音波を発生させる。

 警戒レベルが一定まで下がったことを報せる通信機だ。これで仲間がヘリで降下し、この周辺を制圧してもらう。少数で危険な戦いを強いられるナノヒューマンだから託される任務。恐怖はあっても頼られているのが誇らしい。

 ガシャンッ! という轟音が耳をつんざく。ビルから飛び降りた群れのボス、コマンダーがビルから飛び降りた音だ。3m級の体躯を誇る化物は地面に大きな陥没を作りながら不快な鳴き声をあげて剣也に狙いを定める。


「舐められてるな、俺」


 慢心とも取れる軽口は、ここまで戦い抜いてきた自信の表れでもあった。今更この程度の個体が1匹だけでは軽んじられていると思うのは部分もあるが、だからといって素直に受け入れられる度量は持ち合わせていない。

 触れただけで肉を抉られそうなほど凶悪な五指を紙一重でかわし、マチェーテを剣也から見て左脇へと一線。しかしスレイブを遥かに上回る耐久力を誇る外骨格を寸断するまでには至らず、僅かに刃が食い込むだけだった。

 コマンダーが間髪入れずに二撃目を加えようとするのをマチェーテを離して寸前で避ける。ついでとばかりに手榴弾を足元に投げ込み、大きく跳躍する。

 小規模な爆発が巻き起こるが、爆煙から見える影に大きな変化は見られない。それどころかノーダメージであることをアピールするかのように雄叫びをあげて土煙を吹き飛ばしてしまう。

 さすがはボス格。だがこの程度でやられたらアピールをしたい自分としても困る。8mほどの高さまで飛び重力に任せてコマンダー目掛けて突進をかけようとして。

 ゴンッ!


「あでっ!?」


 何もない空間に頭をぶつけた。


『はーい訓練しゅ~りょ~。訓練室の天井が低いことを念頭に置いとかないといつまで経ってもスコア更新できないよ』


 周囲の景色が粒子のように消え、長方形の壁が無造作に並ぶ空間が現れる。勢いをつけて後頭部を殴打した剣也の視界はまだ歪んで見える。旗から見て無様極まりない姿を自動ドアから顔を出したスーリが楽しそうに笑っている。


「剣也君大丈夫? 顔はともかく頭はあんまり良くないんだからあんまりぶつけたりしないほうが良いよ?」


 ナチュラルに失礼なことを口走りながらも清潔なタオルをぽいっと頭に投げかける。剣也は痛みを和らげようとぶつけた部分を中心に拭っていく。

 ようやく落ち着いた、涙目になりながら顔をあげると、笑顔のスーリの横でフレムが不機嫌そうに睨みつけてくる。


「こんな訓練すら1人でこなせないようじゃまだまだ実戦は程遠いわね」

「実戦なら何もない空間にぶつかることなんてないよ! さっきもあのままいけばコマンダーくらい倒せたのに」

「男のくせにみっともないこと言うな。一週間であそこまで動けるようになったのは意外だけど失敗は失敗。そもそもガンナーを掃討しきったか確認せずにジャンプするとかプロとしてなっちゃいないわ。ナノヒューマンの投入がもっとも想定されるであろう都市の奪還くらい片手間で成功させなきゃウチじゃやってけないわよ」


 言いたい放題、しかしそのすべてが正論なので怒りを抑えて耐えるしかない。少なくとも彼女に貶める意図がないことはわかっている。シミュレーションの失態は自身の慢心が招いた結果だ。覆すには今以上の結果を出して見返すしかない。


「まあまあフレムちゃんもあんまりキツイこと言わないの。元々ランナーとして活動してただけあってスコアだけなら高いんだから。ダメ出しばっかりしてこんな逸材をよそにヘッドハンティングされたら巡り巡ってウチの損失になるよ」


 間に入ったスーリがフレムの肩に腕を回してぎゅっと密着する。暗緑色のセミロング美女とベビーピンクのショートヘア美女が至近距離で密着する光景は素直に見惚れてしまうほど芸術的だった。

 だがフレム当人にとっては煩わしいだけのようだ。額に怒りマークを作りながら腕をペシッと払いのける。


「いちいちひっつくな鬱陶しい。この程度で音を上げるような根性なしならこっちから願い下げよ。元々ウチのセイヴィア持ちは私と代表だけで回ってたし、ウチの目的を考えれば凡百なナノヒューマンのスコアなんか抜いて当たり前だっつの」


 凡百と言っても世界に4000人しかいないとされるナノヒューマンの中でも、軍隊やPMCに所属する者は基本的に野良よりも優れているものだ。しかしオシリスで戦う以上より上のレベルでなければ話にならない。厳しいが彼女たちの目的を思えば当然とも言える。


「とりあえず休憩を挟んだらもう一度今のシミュレーションをやり直し。今度は無駄にぴょんぴょん跳ねず地に足を着けて戦いなさい」

「もしも次はちゃんとできたらご褒美に我が社の三大美女のうち1人からハグされる権利を進呈しちゃう。面子は私とフレムちゃんと代表ちゃんだけど、もっと年上が良いなら同じくエージェントのシンシアさんとパイロットのジャネットさんもいるけど誰がお好み?」

「勝手に私を巻き込むな! 誰がこんなエロ男爵にハグするか!」


 照れ隠しではなく本気で拒否しているのが見て取れるリアクションだった。スーリの胸ぐらを掴みながら抗議するフレムをよそに、剣也はレモンたち3人に抱きしめられるという美味しすぎるシチュエーションを妄想する。


「……休憩はいい。さっさと始めよう」

「おいエロ男爵! 急にやる気になってんじゃないわよ! 私はやらないし代表にも絶対やらせないから!」


 男の煩悩に理解がない、というか軽蔑の対象として見てるフレムの憤りを無視して軽くストレッチをする。面白みの欠片もない男の体にぴたりと密着する女性の2つの双丘の感触を現実にするため。


 ビーッ! ビーッ!


 耳をつんざく警報装置の発する音が訓練室全体に鳴り響く。


「な、もしかして敵かっ!?」

「うんにゃ、これは遠方からの救難信号を受け取ったときの警報だね。信号を送信できるってことは、一定以上の設備が整った場所だと思うけど」

「っち。本来の任務は進展なしだってのに厄介事ばっかり」


 露骨に不機嫌なのを隠そうとしないフレムは、しかしすぐに切り替えて訓練室をあとにする。たとえ望まぬ状況に陥ろうと腐らず行動に移せるのは使命感の高さゆえか。


「俺も司令室に行って大丈夫?」

「もちろん、むしろ剣也君がいてくれれば代表ちゃんも張り切ってくれるから待機なんて許さないよ」


 それは嬉しい話だ。このベヌウに来てからレモンを無意識に傷つけるようなことばかりしている自覚はあった。親愛よりも劣情の割合が多分に含まれているが、大事な幼馴染に思われているのは悪い気がしない。

 剣也はスーリの後を追うように3分ほど通路を抜けると、司令室を兼ねたベヌウの操舵室へとたどり着く。奥の操縦席には通信をしているオペレーター、中央には大型の立体モニターを難しい顔で見つめるレモンとフレムの姿があった。


「ちょっと、エロ男爵まで連れてくる必要あるの?」

「フレム、剣君はもう私たちの仲間なんだからのけ者にしないの」


 早々に厄介者扱いするフレムを軽く叱るレモン、剣也の存在に気を良くしていた分水を刺された気分にされたのだろう。すかさずスーリが2人の間に入ってまあまあとなだめる。


「それより代表ちゃん、どっから救援要請が来てるの?」

「大西洋岸にあるメリーランド州のポークベリーという大きな町よ。ワシントンを挟んで私たちとは反対側にあるわ」

「っち。州を跨がないといけないわね」


 フレムが小さく舌打ちしながら見上げる立体モニター。映し出された地図には現場からの情報とリンクして町を防衛している部隊が無数の赤い点に囲まれている。これがすべてホワイトアントなのかと剣也は冷や汗をかくが、映し出された町をふと思い出す。


「レモンちゃん、ここ俺が昔物資を届けた事がある町だ。確かバイオ燃料の原料になる農場があったんだ」

「それ本当!? ならここが全滅したら燃料不足になって周囲の自警団も危険に晒されるわ」


 ある程度の規模がある町や自警団は独力でホワイトアントやバンデットに対抗することができる。現在襲撃を受けている町もその1つ。特に兵器や車両を動かすためのバイオ燃料を製造しているのだ。

 その横で、有用な情報をもたらしたことに多少は関心した面持ちのフレムが補足する形で口を開く。


「近くにクイーンのコロニーが目撃されたなんて話も聞いたことがない。一部の群れが独立して自分たちの活動拠点を求めて町を襲ってるってところかしらね。ユーラシア大陸に比べてアメリカのホワイトアントはほんと活発に動くわね」

(そんなことありえるのか?)


 ほぼ正解としか言えないフレムの推測に疑問がよぎった。

 ランナーとしてずっと活動してきた剣也はホワイトアントの習性を感覚的に把握していた。あのクリーチャーたちの知能は昆虫と大差ないがバカではない。極端に戦力差があったり、必要以上の損害を被るような敵との戦闘は最小限に済ませるはずだ。だが今襲われているポークベリーの規模はバンデットとは比べ物にならない大規模な組織だ。仮にここを占拠したとしても被害が大きすぎて自分たちのコミュニティを維持できるとは思えない。独立したばかりの群れがその程度の損得勘定もせずに襲ってくるものなのか。


「それでどうするの代表。本来の任務とは関係ないのだから無視するか政府に丸投げしても文句言われないわよ?」

「わざわざ反論されるために言ってるの? 弱き者は損得関係なく手を差し伸べるのがウチの社訓。必要最低限の部隊をベヌウに残して救援に向かうわ!」


 いつもはふにゃっとした目から一転、鋭い眼光を放ちながら全員に檄を飛ばすレモンの姿は、おっぱいに関係なく見惚れるには十分すぎる魅力があった。


「今のは決まったよね? 愛しい剣君の前でかっこよく決まったわよね? 惚れ直してくれたかしら? この任務が終わったら私の部屋でずっと愛し合うなんてことも!」

「スーリさん! ふざけてる暇があるなら準備しなさい!!」

「おっと失礼、剣也君がウチに来てからずっとハイテンションだったからてっきりそんなことを考えているのかと」


 心の声をでっち上げられてお冠のレモンにいたずらっ子ムーブ全開のスーリとそれらを完全スルーして周りに指示を出す。このやりとりから部隊内での彼女たちの立ち位置というものがよくわかった。


「輸送ヘリを用意して。現地に向かうのは私とスーリ、クロード隊も叩き起こして……」

「フレム。俺も連れてってほしい」


 予想外だったのだろう。フレムは目が点になり、しかしすぐに剣也に怒声を上げる。


「バカ言ってんじゃないわよ! エロ男爵はここで待機よ。訓練をはじめて一週間程度の新人にこんな大規模な作戦に参加させられるわけないじゃない」

「今日のスコアを見ただろ? それにあの付近には何度か足を運んだことがあるから戦闘中に迷うことないし、これだけの規模の敵と戦うならナノヒューマンの数は多いほうが良いはずだ」

「頭ぶつけて失敗するようなやつに背中を任せられるわけないじゃない。だいたいアンタはまだまともに実戦も……」

「連中を相手に逃げ切った数なら腐るほどある」


 情けない物言い。しかしランナーとして幾度もホワイトアントから逃げ切ったという自負。この目で何度もあの恐ろしい怪物見て、対峙してきたという経験が剣也にはあった。


「剣君、別に無理しなくていいのよ? まだウチに入ったばっかりなんだから、活躍したいならその時でも遅くないんだから」

「ありがとうレモンちゃん、でも活躍したいとかそういうんじゃないんだ。あそこのホワイトアントには違和感があるんだ。ワシントンの時と同じで口では言い表せない違和感が、それを確認したい。もちろんでしゃばったりせずにちゃんとフレムたちの命令どおりに動くから」


 幼馴染としてではなく、部下として頭を下げる行為、ろくに説明のできない違和感を理由に戦地に赴くのは情けないとしか言いようがない。しかし今まで多くの人間を見てきた剣也だから見えるものだある。

 この人たちは善人だ。能力があり、真摯に向き合う人間を邪険には扱わない、少なくとも自分によこしまな思惑がない限りは最大限配慮してくれるはずなのだから。


「……ああもう勝手にしろ! エロ男爵はスーリと一緒に行動するように! 言っておくけどスーリにもしものことがあったら私がアンタを殺すから!」


 わざとらしく舌打ちをして司令室から出るフレム。自分から言いだしたことでも罪悪感が湧いてしまう。


「あの、剣君。フレムのこと嫌わないであげてね? あの子は口が悪いだけで本当は貴方のことを心配してるだけだから」

「嫌うなんてありえないよ。フレムが優しい子なのは俺も知ってる、むしろ新人のくせにでしゃばりすぎたな」

「大丈夫だって、剣也君の能力は申し分ないのは事実だし、私もエリートと言ってもナノヒューマンじゃないので護衛が欲しかったしねえ」


 ぐいっと剣也の肩に腕を絡ませて顔を近づかせるスーリ。触れ合う瞬間、彼女の豊かなデカメロンが二の腕に触れ、ぐにゅりと形を変える感触に歓喜を覚える。


「まあここで私からの好感度をあげておけばウチでの立場は約束されたようなものだから、しっかり守ってね、私のナイト様♪」

「ちょっとスーリさん! 剣君を勝手にナイト様にしないで! 剣君も鼻の下を伸ばさない!!」


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