第3話 モテ期到来
◆
剣也にあてがわれた部屋はとても質素だった。
面積の三分の一を占領するベッドとその脇にある自動給水器、あとは壁に固定された通信用モニターだけというシンプルな間取りだが、柔らかなベッドの感触と適切な温度調整をしてくれる空調は、居住環境が壊滅的だったプレハブ小屋に比べれば天国である。
「うっげ、水の不味さは変わんないのね……」
産まれて初めて感じる快適な空間だが、この給水器の飲料水は受け付けない。除染のためにナノマシンが分泌する苦味成分はPMCでも変わらないらしい。各部屋に配置されているのは善意からでなく、普段から飲んで慣れろという意味というわけか。
それでも集落の低品質な除染用ナノマシンに比べればまだ飲みやすいのが悲しい。文明維持圏内であれば毎日まともな食事を提供されると信じていたが、比較的恵まれているはずの軍事組織でこの体たらくではその宣伝も誇張が入ってそうだ。
「どうも~! オシリス・コミュニティ提供の高級レモンティーの差し入れに参りました~。ああレモンと言っても代表ちゃんが入ってるわけではありませんので勘違いしないようにっ」
重たい扉の開く音が陽気な女性の声と重なる。パッチリとした少し子供っぽさのある目と大人びた顔立ちが両立した眩しい笑顔。ウェーブのかかった暗緑色のセミロングが目立つ快活な女性だ。テンションに対して落ち着いた声色から、自分よりも歳上な印象を受ける。
「え、えと……」
突然の訪問者に呆気にとられるが、女性にしては高めの身長、何よりも前が開かれた黒と白と灰色に彩られたなんちゃって迷彩服に身を包んだモデル体型に生唾を飲む。
ワシントンで自分を助けてくれたエコよりも鍛え上げられた健康的なお腹を凝視する姿に女性がニヤリと微笑む。
「初対面に対して挨拶の前に熱い視線ですか、フレムちゃんがエロ男爵としきりに罵倒してた理由がよく分かるよ」
「いやいや! 初対面でそんな格好で来る方が悪いと思うし、っというか誰!?」
責任の重さは等価だと最低限の言い訳をしながら問う。
「おっとめんご。オシリス・コミュニティでエージェントをさせてもらってるスーリ・ボウ。年齢は25になります」
「スーリ・ボウ、そういえばフレムが言ってたな」
尋問室で自分を助けるためにターゲットを見失ったという女性が目の前に現れたと気づき、剣也はベッドから立ち上がって深々と頭を下げる。
「遅れたけど、ワシントンで怪我をした俺をここまで運んでくれてありがとう。スーリさんが見つけてくれなかったら今の俺はなかったよ」
わざわざ頭を下げてお礼を言われるなんて想定していなかったのだろう。キョトンとなったスーリはすぐにはっとなって頬をかきながら軽く笑う。
「あはは、いいよそこまで改まらなくたって、弱き者を助けるのはウチの社訓なわけで。ただまあ悪い気はしないし、借金と違って感謝の気持ちはいくら貰っても損はないのでどんどんお礼を言ってください」
いささか堅苦しい感謝を素直に受け止められずに茶化す姿に、深くにも可愛いなと見惚れてしまう。小動物のように愛らしいレモン。近寄りがたい空気がクールなフレムとはまた違ったタイプの女性のようだ。
まあそれよりも、とスーリは仕切り直して保温効果のある銀色のカップを手渡す。
「話はフレムちゃんたちからあらかた聞いたよ。ウチで働いてくれる命知らずなお人好しに感謝を込めて歓迎しようってわけ」
乾杯、と言いながらスーリは自分の持つカップを剣也のカップに軽く当てる。テンションが高いと言うか、グイグイ来る人だなと困惑しながら渡されたカップを口につける。
「あれ、除染された水で作られてるのにうまい」
レモンティーと言っても給水器の水と同じもので作られているのでたかが知れていると思っていたが、柑橘類の爽やかな香りと味わいは除染用ナノマシン特有の臭みと苦味をある程度抑えてくれていて、紅茶が苦手な剣也でもすんなりと喉を通った。
「でしょ。これ代表ちゃん特製の葉っぱとレモンで作られた我が社の名物なんだ。改良された植物の種をあの子の力で育てるために多くは作れないから売り物じゃないんだけどね」
あの子らしいんだよねえ、と自分のことのように語るスーリに、確かにと剣也は納得した。
適合した人間に常人離れした身体能力を与えるセイヴィアであるが、その本質は適合者の持つ微弱なESP。超能力を強化発展、補強することにある。心を落ち着かせる植物に由来する能力は確かに心優しいレモンが持つに相応しかった。
「やっぱり能力を引き出せてこそだよな」
無意識に口に出て、意味もなく手のひらを凝視する。
治療室で電子ロックを解除したことが能力のヒントなのではとレモンは推測していたが、あれから同じようにパネルを触っても反応することはなかった。元々ここに来るまでは適合すらしなかったのだから、何かしら原因があると思っても気落ちしてしまう。
「おいおい、それは求めても得られなかった非適合者への侮辱になっちゃうよ? 剣也君の場合イレギュラーが重なってナノヒューマンになったから腑に落ちない理由もわかるけど、能力が使えなくたって普通の人間よりもずっと強いんだから贅沢言わないの」
隣に座り、ポンポンと背中を叩いてくる。戦闘を生業とするエージェントとは思えない甘い匂いが漂ってきて、夢心地な気分に浸る。
行動とまとわりつく空気。会って間もないが、彼女はいい人だと剣也は確信した。
「しかし戦闘が主要業務のウチで働きたいなんてもの好きだねえ。それも私たちと同じ前線希望なんて、何か下心があっての判断かな?」
探り当てるわけでも、ましてや皮肉で言っているわけではない。純粋な疑問をスーリは投げかけた。
「言っちゃなんだけど面倒くさいことばっかりだよ? 大昔にPMCが好き勝手したせいで模範的な私たちですら行動が制限されるようになったんだから」
「正規軍以外の軍隊の行動を制限。確かアンカラ条約だったっけ」
「それそれ、中々物知りじゃないの。施設や兵器だけじゃなく、個人装備にもあれはダメこれは強すぎるって口出しばっかり。今のアメリカで踏ん張ってるのは正規軍じゃなくて私たちなのにさあ」
インベーダーの存在が認知される以前の比較的平和だった旧時代。ユーラシア北部の犯罪国家が隣国で悪逆の限りを尽くしたことで犯罪国家は元よりそれに与したPMCという、正規軍に組み込まれない武装組織のあり方が問題視された。終戦後にアメリカが主導になってPMCの兵器、装備に関する規制をまとめた条約がトルコの首都アンカラで締結されたことからこの名前がついた。
インベーダーの侵略によって世界が荒廃しても未だに世界中に多大な影響力を持つアメリカが取り決めた条約の効力は変わらない。自由世界を標榜する国に対する影響力を維持したいアメリカは今でも各国に駐留部隊を派遣しており、自国の防衛の一部をオシリスのような善良なPMCに委託させてるにも関わらず、この条約を緩和するなどの措置は行っていない。
体を張って民間人をクリーチャー兵器の魔の手から守っているという自負の強い人間にとっては目の上のたんこぶでしか無い決まりごとなのは頭の悪い剣也でもわかる。
「でも面倒くさくてもランナーもやってた俺にとってはそこまで過酷じゃないよ。対価に衣食住どころか難民集落でも使える共通通貨の給料までを保証されてるからね。その上で人助けができて感謝までされるなら喜んでやるよ」
あの尋問室での話のあと、剣也はオシリスへ協力することになった。自分を助けてくれた恩に報いるためという理由もあるが、それだけではない。
今の自分にはセイヴィアが備わっている。ランナーの時のような物資を運ぶだけでなく、ホワイトアントという外敵に抵抗するという幼い頃から望んでいたものが現実になったのだ。それをもっとも有効活用してくれる組織に勧誘されれば飛びつくのは当然と言える。
「ぐわ! 眩しすぎて心の汚れたお姉さんには直視できない! 食うに困って流れ着いた私とは大違いすぎる。これが理不尽をはねのける十代の純粋な心か!」
力強くまぶたを閉じながらのけぞるというオーバーリアクション。シュールすぎる行為に吹き出しそうになる。
「でも、理由がちょっと綺麗すぎるかなあ。模範解答というか、立派な理由なのに覇気がこもってないというか。私の嫌いな言葉で例えるなら人間臭さがないと言うべきかな? ウソは言ってないけど、多分それだけじゃないでしょ?」
リアクションはそのままに落ち着いた声で語りかけるスーリ。
鋭い。別に騙しているつもりはなかったが、隠し通すには建前に我欲が足りなさすぎたようだ。これがフレム相手なら何とか屁理屈こねて誤魔化そうとしたが、相手がスーリならと苦笑いして本音を打ち明ける。
「レモンちゃんたちがエコって女の子を追っているって聞いて、それならここにいればいつか会えるんじゃないかと思ったんだ」
ほほお、と品のない笑みを浮かべるスーリ。まるで自分の子供に気になる異性ができたことを喜ぶ両親のような、少なくとも彼女のようなまだ子供のいない女性がしていい顔ではない。
「な、何?」
「いや〜心配しないで、私は女だけど男の子の事情には理解があるタイプだから。あの子とは何度か相対したことがあるからわかるよ。あんなに背が高くて大っきいお胸なのに腰回りがありえないくらい細いモデル体型だもん。そりゃ惚れるよね。スタイル以外に目を向けても水晶のようにきらめく水色ロングとか全然汚れてる気配がないからどうやって手入れしてるのかに気になるし、飲料水の確保だって大変なこのアメリカで美白の肌を維持してる方法とか直接聞きたいくらいだよ。戦闘方法からセイヴィアの能力が水なのは推測できるけど」
「ちょ、ちょっと待って!」
話の前半部分は心の中で何度も相槌を打ちたくなるくらい同意するが、こんな美女が飢えた男のような下品極まりない言葉を口走ったことに慌てる。
「おっと失礼、一応エコちゃんの追っかけしてる身分なのでつい熱くなってしまいました」
失敗してしまったと可愛く舌を出す。反則なまでに愛しい仕草に何度目かのときめきを覚えつつ、その態度に違和感を覚えた。
「スーリさんはエコを敵だと思ってないの? フレムはワシントン周辺でホワイトアントが増加している原因だって断言してたのに」
尋問室でエコについて説明したときのフレムには鬼気迫るものがあった。
ワシントンでのホワイトアントは他の地域に比べて活動が活発化していること。本来ならスレイブをまとめるコマンダーにしてもある日を境に他地域よりも数が発生したという。
エコの存在をオシリスが把握したのは半年前からだが、彼女が現れた時期と、ホワイトアントが大量発生した時期がぴったり重なっているらしい。
剣也も数ヶ月前からスレイブと遭遇する回数が増えた気はしたが、彼女のフォローに回りたいはずの自分ですら関連を疑いたくなる。
ただ客観的な事実を含めてもフレムの口調には私怨を感じた。
必要であれば武力行使も辞さないが、あくまでも社訓を重視して対話を試みようとしているレモンに対しても聞く耳を持たず、殺してしまえばいいの一点張りのフレム。
深く追求はしなかったが、個人的な因縁でもあるのかと勘ぐってしまった。
「ん〜ぶっちゃけちゃうと関係はあると思うよ。元々中央アメリカにはあんまり確認されてないはずのナノヒューマンがいきなり現れて、呼応するようにホワイトアントが活発化してるんだし。おまけにナノヒューマンを判別するための端末も違う反応を示したとあっちゃね」
ゴソゴソと内ポケットを探る。灰色の迷彩服がファサッとわずかに膨らみ、彼女の豊かな乳房を強調する形になっておぉ、と情けない声を上げる。
「こ~ら、欲望に正直な男は嫌われるぞ。それもこんな年上のお姉さん相手に節操がない」
剣也のおでこを小突きながらスーリは小さな端末を取り出した。文明維持圏では今も普及しているスマホに酷似した形状をしており、日本にいた頃は自分も使っていた剣也にも馴染みがあった。
スーリは端末の先を剣也に向けて親指でタップ。次に自分に向けてもう一度タップ。端末の液晶画面には丸い緑と黄色のマークが1つずつ写っている。
「体内にセイヴィアが住み着いてるナノヒューマンには黄色、そうでない場合は緑のマークが表示されるの。でも初めて会ったときに計測した彼女は赤だった。これは改良される前のセイヴィアを示す色。セイヴィア・オリジンがあの子の体内に入ってるはずだよ、多分」
ずいぶんと歯切れが悪いと思った。まるで別の可能性を考えているかのように。
「ホワイトアントの大量発生と同時に外部に漏れるわけがないオリジンを宿す女の子が現れるなんて偶然で片付けられるわけない。そこは同意見だけど」
ベッドへと腰掛けたまま壁にもたれかかり、柔らかい光を放つ蛍光灯を眩しそうに見つめる。
「私には彼女が悪人だと思えないんだよねえ。そんなことをする理由が見当たらないし、仮にホワイトアントを従える力があるならそれを交渉の材料に使えば良いはずだもん」
「なのにオシリスから逃げてるんだよね」
「そうなんだよな〜。後ろ暗いことがないのなら話せばいいのに逃げの一手なのが解せない。おまけに話をするだけって言っても攻撃してくるんだもん。コミュ力が低いのはしょうがないけどあんなのじゃ代表ちゃん命のフレムちゃんも敵愾心抱くよ」
頭の悪い剣也ですらそこは同意するしかない。目的がなんであれエコの行動は疑われるには十分すぎる。
ただでさえ政府や軍の管理下にない野良のナノヒューマンはバンデットとして暴走する可能性があるのだ。本来ならありえないオリジンの適合者でホワイトアントの繁殖にも関係している。しかも対話のために歩み寄ってくれているオシリスすら実力行使で退かせようとする。これでは命を狙われても言い訳ができない。
「でも、俺を助けてくれたあの子を信じたい」
それでも、剣也はエコを信じたかった。
オシリスが疑念を抱く理由はもっともだ。特に真面目そうなフレムが嫌うのも納得できる。
だが都市でスレイブに襲われ、コマンダーに殺されかけ、もうここまでかと諦めたときに彼女は助けてくれた。
それどころか助かる見込みのない自分の身を案じて捨て置けばいい人間の介錯すら努めてくれようとした。それだけでなく何らかの方法で助けてくれた。
どんな事情があるのか知る由もないが、自分という個人がエコを信じるには十分な理由があった。
無意識に口走ってしまい、しまったと思ってスーリに目を向けると、またもや口角を釣り上げたあくどい顔をしていた。
「うんうん、わかるよ剣也君。十代らしい青春だねえ。自分を助けてくれた相手に運命を感じて助けてあげたくなる。これは男も女も関係なくロマンだよねえ、私も憧れるよ~」
「違うよ! そういう話じゃ!」
「大丈夫、お姉さんは恋する君の味方だから。さっさと殺せばいいなんて物騒なこと言っちゃうフレムちゃんには悪いけど私は君のためにエコちゃんと話し合う努力を続けるから。ああでも女の子って自分以外の子に目移りするとすごい不機嫌になる生き物だから、特に代表ちゃんと二股するのはやめとこうね」
「違うって! レモンちゃんはただの幼馴染であってそんな目で見てないから! そもそもエコにも!」
勝手に盛り上がって妄想を続けるスーリに必死に弁明を続ける。
するとガチャリと、また扉の開く音が聞こえた。今度は誰だと苛立ちながら剣也は顔を向ける。そこには黄色い髪を後ろに束ねたポニーテールのレモンがいた。
「れ、レモンちゃん?」
「あ、代表ちゃん。どしたの」
予期しない来訪者に素っ頓狂な声を上げる。レモンはまったく同じ形をした二つのマグカップを載せたお盆を、カタカタと震わせながら虚ろな目から大粒の涙をポロポロと流している。
「……私は剣君にとってただの幼馴染、ずっと想ってたのに、裸を見られて恥ずかしかったけど、私のこと意識してくれてるんだって嬉しかったのに」
部屋の空調にも負けてしまうほど小さな声量でボソボソと呟き続ける。さっきまでのスーリと漫才をして動揺している剣也にはまるで聞こえていなかった。
「あっちゃー、聞かれてたか」
何かを察したらしいスーリはそそくさと部屋に隅へと移動し、私は無関係ですと言わんばかりに体を丸めた。
「え、え? ちょっとスーリさん何で? あとレモンちゃん?」
まるで自体を把握できずに混乱していると。
「こんのっ」
お盆を放り投げ、ポケットから無数の小さな種を握りしめたレモン。
「この女の敵! こんなおっぱい魔人なんかを白馬の王子様と勘違いしてたなんて恥ずかしいわっ!!!」
瞬間、手から光が漏れ出し、先端の尖ったいくつもの木々が剣也に向かって炸裂した。
「何でええええっ!?」
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