第147話 恐山学園都市荒夜連 二
イタコのサトコは、長い潜伏生活と旅の果てに、ようやく
荒夜連は隠れ里である。
年中吹雪に見舞われている山を登り、凍り付くような冷たい空気の中、峻険な場所を通り、空気の薄さがわかるほどのぼった果てにようやくたどり着くことができる場所だ。
そうして山を抜けると広大な盆地が広がっており、その中に様々な学校がある。
荒夜連では実力を磨くために切磋琢磨することを推奨しており、そういった目的で学園都市は複数の学園を内包。そうして学園同士でリーグ戦形式で競わせることによって、イタコとしての技量を磨き続ける環境を作っている。
サトコの母校はいわゆる『弱小』であった。
かつて栄華を誇った学園ではあるのだが、サトコ入学直前に学園の土地の大部分が永久凍土に閉ざされた。
これは、当時の学園生たちがマサキを押しとどめるため戦った痕跡である。
サトコの母校、かつては学園都市の中でエース級の強豪校であったらしい。
だが土地のほとんどが決して解けない氷に閉ざされてしまった上、その当時のエースであった先輩たちもほとんどがマサキの犠牲になった。
そうすると学園の力は激減。サトコが入学するころには、ほとんどを氷に閉ざされた広い敷地の中で、全校生徒、サトコを含め二名という状況になっていた。
在籍していた先輩が卒業すればすぐさま廃校になる状況でサトコがその学園に入ったのは、子供らしい意地というのか、反抗期の成せる大胆な決断というのか、そういうものだった。
サトコは天才ピッチャーだ。
学園予備生から正式の学園生になるころのサトコは、己が周囲から頭一つ、いや二つは抜きんでた才能と実力の持ち主であることを理解しており、言ってしまえば調子に乗っていた。
強豪校からのスカウトもあったのだが、そういった調子に乗った態度をとがめられたのが気に入らず、『じゃあ、弱小校に入って私一人の力でぶっとばしてやるよ』という気持ちで、可能な限り弱小の学園を選んだ結果、全校生徒一名の学園への入学を断行したのだ。
かつては生徒数数百名を誇ったその学園、もはや敷地の八割以上が雪女の神威による永久凍土に成り果て、その時の戦いで多くの球児たちが散っていった影響で入学を避けられ、もはや廃校を待つのみという状態であった。
これを立て直せれば最高に格好いい──
ようするにサトコの入学動機はその程度のものだったのだ。
二人、いや一人で強豪校をばったばったとなぎ倒し、リーグ戦を勝ち抜いて優勝。そうすれば入学希望者も増え、自分を生意気扱いした強豪校に『ざまあ』できる。
そういう妄想をしていたものだから、在校生である先輩がどういう人かなどどうでもよかった。
自分の邪魔をしなければいい。その程度にしか思っていない存在。
……だったはず、なのに。
「……おっほぉ~……」
サトコの意識が現代に戻る。
久々に帰省した荒夜連学園都市は、そこらじゅうが永久凍土に覆われた、ある種幻想的な美しい場所へと変わっていた。
今もまだマサキとの戦いは続いているはずだが、そういう気配はない。
氷に閉ざされた中を慎重に歩み、まずは母校を目指す。
「……うわ、かろやか学園が凍ってる……」
そこはサトコの態度を咎めた強豪校であった。
その当時のサトコが凍り付いたかろやか学園を見れば胸がすくような想いがあったのかもしれないが、今はただ危機的な気持ちが高まるばかりである。
戦いの気配がない。
……マサキの気配も同様にない。
それでいて東北で妖怪百鬼夜行が起こっていなかったのだから、撃退したか、今はどこかに潜んで小康状態かという目算が高い。
わかっている。まだ、荒夜連は死んでいない。死んでいたら、東北は人間の棲家ではなく、妖怪の棲家になっているはずなのだから。
わかっている。……だが、焦るものは焦る。
サトコは我知らず早くなった歩調で、凍り付いた地面を歩く。
スニーカー風下駄のスパイクが氷を噛む音がやけに響き渡るような気がする。……静かすぎる。
「……先輩」
かつてのサトコにとって、『先輩』と称するのは、同じ学園のあの人だけであった。
だが、マサキの復活によって荒夜連全学園が連合したあとは、年長者すべてが先輩と呼ぶに足る人物だと思えるようになった。
……静かだ。
(ルウちゃんを出しておいた方がいいかなぁ? でも、今下手に強い子を出すとマサキを刺激しそうだし……)
あまりにも凍り付いたような静寂すぎて、判断が難しい。
臨戦態勢でいるべきか、それとも隠形を心がけるべきか……
状況は『途中』なのか、『終了後』なのか。それともまったく別なのか……
サトコは歩いて行く。
いくつかの学園を通り過ぎた。見知った校舎たちの多くが永久凍土の中にある。
恐山はそもそも寒い場所だが、マサキが出て来てからますます寒くなった。
それでもただの氷と永久凍土との違いはわかりやすい。うっすらと青みがかった光を帯びているのが永久凍土。
雪女およびさまざまな妖怪と無節操に融合を続けた結果マサキが得た力によって形成される、彼女を倒すか彼女の意思で解除しなければ永遠に残り続ける氷。
サトコの足は母校へ向いている。
もうすぐだ。
もうすぐだ。
永久凍土の数がここを出る前より増えていて不安になる。あの先輩はどんくさいから、残らないで他の下級生と同じく逃げたらよかったのに。
サトコは自分が後輩だから──後輩気質だからメンバーから外されたのをすでに理解している。だが、あの先輩よりは役立つという判断はゆるぎない。
うっかりしていて、泣き虫で、ドジで、どんくさくて……
それなのに、頑張りすぎてしまう人だから、心配になる。
母校にたどり着く。
かつては数百名が通った学び舎であったらしい。
サトコが入学する前、どころか生まれる前の話だ。その名残の広いだけの敷地の中に、無事な校舎がぽつんとある。それが、サトコが出る前の母校──『さわやか学園』の姿であった。
今は……
唯一残っていた校舎さえ、永久凍土の中にある。
「……」
別にマサキの襲撃を自分の学園にこもってやり過ごさなければならない決まりはない。
先輩も他の学園と連合を組んで出撃しているはずなので、校舎が凍り付いていたとして、無事でないという話ではない、が。
……心臓が跳ねる。
(なんだろう、この感じ)
静かだ。
本当に、静かだ。
時間まで凍り付いてしまったかのような静寂。びゅうびゅうと風が吹く音がして、時は確かに動いているのだと安心する。
マサキの目的はさる術式の発動、それを前提とした東北百鬼夜行の再来であり、荒夜連の認識では、『マサキは妖怪どもを率いて東北を支配するつもりでいる』となっている。
その内心まではさすがに伝わっていないが、目的は伝わっている。だから、荒夜連を滅ぼし尽くしたならば、マサキは妖怪を率いて東北地方で大乱を起こしているはずなのだ。
だから、大丈夫。
まだ荒夜連は負けていない、はず。
なのに──
(静か、すぎる)
戦いとはいえ、サトコがここを出てから一年近くが経っている。そのあいだずっと殴り合っているわけもなく、こういう静寂の時間だってあるだろう。
だが、小康状態だとしたら、みんなはどこで休んでいるのか?
マサキはどこにいるのか? 潜んでいる? 本当に? あの『一人百鬼夜行』とまで言われた絶大なる妖怪が、人間のように休んだり、人間を相手に潜んだりする必要は本当にあるのか?
(……大丈夫。荒夜連は対マサキ用の訓練施設なんだから、先輩たちがマサキを圧倒した可能性は充分にある……)
マサキが放つ妖怪を捕らえ、使役することで、相手の戦力を削りながらこちらの戦力を拡充できる戦法。それこそが荒夜連が対マサキ用に磨き上げたものである。
最初はただ妖魔使役能力の兵器転用を企図して作られたのだが、偶然にもここで磨かれた技術はマサキの対処に有効であり、その結果、長年かけて今の戦法が形成されたのだ。
だからもしかしたら、マサキはとっくに倒されていて、こんな永久凍土まみれの場所では暮らしていけないから、みんなして山を下りただけ──
(……永久凍土は、マサキが倒れれば溶けるって話だから、それは、違う)
楽観しようとする自分がいる。
頭の中で『でもマサキを倒したことはないし、実は永久凍土はマサキが倒れても溶けないだけなんじゃないかな』と反論が浮かぶ。
あまりにも甘い反論だった。『そうに決まってる』とうなずきたくなるぐらい。
(私は何を予感してるんだろ)
進む。
母校を抜けてさらに進む。
この先が、今回の『地獄の入口』が開いた場所だったはずだ。
その時々でどこに『地獄の入口』が開くかは変わる。たいていは近場にあった学園がまず対応にあたり、そうして時間を稼いでいるあいだに他の学園が連合して準備を整えるという流れになる。
進む。
進んで……
(……参ったな。汗まで出てきた。……なんだろ。ものすごく、イヤな予感が)
まだ情報がないにもかかわらず、サトコの肉体が何かを予感している。
『この先に行くな』と警句を発している。
(おっほぉ~……でもねぇ、ここまで来て、見ないわけにはいかないよねぇ)
イヤな予感があるからこそ、確認しなければいけない。
サトコは──荒夜連を救う力を手にし、そのために戻ってきたのだから。
一瞬、ほんの一瞬、
それは理に適った選択肢だった。
だが、拒絶する。
ここまでイヤな予感がしているからこそ、確認せねばならない。
もし危機的状況に陥っているのなら、今ここで進めば、ギリギリ、滑り込みでセーフになる可能性もあるからだ。
(スライディングは得意じゃないんだけどなあ)
ルウの入ったボールを握りしめる。
指先が痺れて力がうまく入らない。ことさら強く握りしめる。
そうして、サトコは、たどり着いた。
そこにいたのは、
己の氷によって封じ込められているという、謎の状態のマサキ。
そして……
「………………せん、ぱい」
マサキを取り囲むようにして、氷漬けになった、先輩たちの姿──
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