第119話 プール・パレード 終幕の二

 剣聖シンコウは気付く。


(何かしらの制約、代償があるのでしょうね)


 ルウは勝負をのんびりやる意思がない。

 だが、魔法剣士としての戦い方を今までしなかった。


 それはカウンターをとられることを恐れて使えない大技であるとシンコウは思っていたが、どうにも、『必殺技がある』という感じではなく、『本気状態の戦い方がある』という感じらしい。


 相手は神威生命体・妖魔。

 こういう存在は普通に殺しても死なないことが多く、封印するなどといった処理が必要になる。

 実際、ルウもまた封印なのか散逸なのか知らないが、死にはせずにこれまでいて、今、この時代に復活してきたと、そういう様子であった。


 その目的は『愛剣の奪還』。

 愛剣の場所もわかっているようだが、全国各地を漫遊していたシンコウの耳に『実はずいぶん前ですが黒い剣士が出てきて……』といった噂は届いていない。

 ということは『これまで探していてようやく剣を見つけたから取りに来た』のではなく、『これまで動けない状態だったが、動けるようになったので剣を取りに来た』という状態であろう。


 そして向こうには遊ぶ意思はなく、さっさとシンコウを殺して剣を取り戻すが最上。

 だが、こうして隙まで見せて誘っても、なかなか奥の手を出さなかった。それを、運がないなどと言いながら出したということは、なんらかの代償がある。


(もしくは、でしょうか)


 気位の高い剣士の中には、『こういうものが懸かった戦いでしかこの技は使わない』という者もいる。

 たとえば、大名家の後継でもないのに、その家の秘伝の剣術を教わっている者などは、周囲に誰もおらず、かつ主家存亡の危機でもなければ、その剣術を見せようとしない。


 ルウの方も『魔法剣士としての戦いは大事な時しか見せないつもりだった』などというこだわりを持っている可能性もある。


(そちらの方が嬉しいのですが)


 代償を払ったせいで急に死なれたりしたら、消化不良のまま終わってしまう。

 ミカヅチを斬り損ねたシンコウは、『斬り損ねる』ということを恐れている。なので、相手にはなるべく不意の死を迎えて欲しくないと思っていた。


 剣聖シンコウは、俯瞰的に自分の状況を見る。


(押されていますね)


 相手の速度が跳ね上がっている。


 シンコウは光を斬ることを目標に剣術を磨き上げた。

 だが、その剣術、まだ


 それでも大抵の相手は光より遅いのでどうにかなるが……


(相手の速度がわかりやすく上がった。光ほどではないが、


 通常、相手の動作の音が聞こえてから実際に攻撃が迫るまではそれなりのラグがあるものだが、今のルウの動きは音とほぼ同時に来る。

 そのラグがだんだん短くなっていくことから、次第に加速し、そのうち音を置き去りにするものと思われた。


 と、いうよりも……


(だんだん速度が上がっていますね。……ああ、なるほど)


 ルウがここに至るまで魔法剣士としての戦い方を封じていた理由がわかった。

 もとより神威生命体たる妖魔だが、速度が上がるにつれ、のが、シンコウにはわかる。

 それははっきりと『どう変わった』というほど明確にわかるわけではない。

 ただ、視覚を閉ざしたまま数多の人間、そしてたまに妖魔も斬ってきた。

 さらに言えば、その身に神の神威を宿してもいる。


 ゆえに、わかった。

 ……わかってしまった。


「あなた、あまり本気を出しすぎると、のですか」


 この異界の騎士は、神成かみなりする。

 ……そういった現象があるかどうか、シンコウは知らない。

 だが、神威の質の変化は、そういうものにしか思えなかった。


 ルウの速度が音を超える。


 その中で、ルウが考えているのは、このようなことだった。


(本当に気持ちが悪いな、こいつ!)


 幾度も幾度も、シンコウに向けて攻撃を繰り返し、離れ、繰り返し、離れといったことをしている。

 もはや音より速いが、シンコウの声はたまたま自分の行く場所にので、拾うことができた、が。


(何が見えているんだ、本当に)


 神成り。

 


 ルウらの種族は人間ではなく、正確に述べれば亜人でもない。

 精霊という神の直属の眷属のようなものであり、その存在は


 一定以上の強さを持つと神に成り……

 のだ。


 つまるところ、王たる異世界勇者を置いて、己のいた世界に帰ることになってしまう。

 ルウが嫌ったのはである。


 もともと少数種族の中のさらに少数である、神に近い精霊であった。

 だが、その優れた血統から多くの人間に同族がさらわれ、ルウもまた狩られて奴隷に落とされた。


 ……精霊というのは、ルウの故郷世界においては信仰対象ではあったが。

 信仰されるほど気高く美しく優れた者だからこそ、と思うのが、どうにも人間のサガであったらしいのだ。


 そして不幸なことに、ルウのいた世界には、あらゆる生物を強制的に奴隷へと落とす魔道具マジックアイテムが存在した。

 俗称・『奴隷の首輪』。ルウもまた幼いころにそれを嵌められて奴隷になっていたのだ。


 異世界勇者、すなわち『ルウの王』はそんなルウを買い上げて解放してくれた。

 同時に、同族も可能な限り救い、精霊や亜人といった者に特に味方し、人間でありながら人間族を敵に回してまで、人生を懸けて自分たちを救ってくれたのだ。


 ルウが異世界勇者に仕えるのは個人的な恩だけではなく、同族を救ってくれたことへの報恩でもあり、なおかつ、奴隷時代に初めて触れた『人の温かさ』からくる恋慕の情からであった。


 その異世界勇者を置いて、この世界を去るわけにはいかない。

 ゆえに、魔法剣士としての戦い方は伏せていたかった。


 なぜならば、本気を出しすぎると、


 ルウは己を抑えて戦わねばならない状態であった、が。


 、そんなことを言ってられないほどの相手が、異世界勇者から賜った愛剣を持ったまま返してくれない。

 ゆえにルウは本気を出す羽目になったのだが……


(……この魔力量、間違いなく。にもかかわらず、なぜこいつは息切れしない!? というか、ただの人間の女程度しかない身体能力で、!?)


 それは疑問というより驚きであった。

 なぜなら、ルウはすでに、その理由を看破しているから。

 驚くべき、信じがたき、理由を。


(こいつ、本当に!)


 理論上の話。

 前から来る力にまったく逆らわずに力を抜いて、その『前から来る力』に押されるまま同じ速度で動けば、力とぶつからない。

 剣が突き刺さったり、打撃が入ったりというのはようするに、『肉体が剣の切っ先や拳に逆らうから起こる現象』だ。


 完全に逆らわず、受け、流すことができれば……

『衝撃に絶対に逆らわない』という準備をしてただ立っていれば、目や耳で捉えきれない衝撃にさえ対処が可能だ。


 だが、人の肉体というのはどうしても抵抗するものだし、止まるものだ。

 何より人間の肉は重いので、前から来る力にまったく逆らわないというのは不可能だ。そんな、綿毛でもあるまいし。


 だが、剣聖シンコウ、その動きは、綿


(なんだこいつ? 本当に人間か?)


 人格もそうだが身体操作も狂っている。

 ルウはさらに加速していく自分の体に舌打ちをしながら、二刀を駆使して攻め立てていく。


 剣を交差させるような一撃。

 捉えきれない。利き手とそうではない手、刀の重さ、長さ。わずかな差異から生じるわずかな差が、相手に逃げる余地を与えてしまう。

 速く振られた右剣に肩口を押された剣聖の体はそのまま斜めに宙がえりをし、剣聖の持っていた刀がルウの脳天に迫った。

 その速度、


 妖魔生命体であるルウは死ぬことがない。

 だが、頭を潰されたり、心臓を貫かれたり……普通の生物基準で『死』と判断されるような被害を受けると、また存在が散逸してしまう。

 前回散逸してからまた集まるまでにはおおよそ六百年ほどかかっている。

 今回散逸したら、また長い時間が経ってしまうだろう。


 それは避けたかった。


 何せ、自分たちがこうして蘇っているということは、

 愛深き異世界勇者の女どもの一人たるルウは、自分が寝ている間に異世界勇者が復活するなど耐えられない。顔を見たい。触れたい。会話をしたい。


 で、あるならば……


(諦めろというのか!? この厄介すぎる女の手の中に、私の、王から賜った! 私の剣があり続けることを認め、逃げろと!? こんな女に、私の剣を奪われたまま、そんな状態で! !?)


 好きな人からのプレゼントを質屋に持っていかれたまま、好きな人には会えない。

 王から賜った剣を敵に奪われたまま、王に拝謁などできない。


 女としても、戦士としても、『王に再び拝謁するならば、絶対に剣を取り戻したい』という願望はゆるぎない。


 だが、あまり苦戦しすぎるとこの身が神と成り故郷の世界に召しあげられてしまうし……

 ことによってはまた、意識が散逸し、王に出会えぬ数百年を過ごさねばならなくなる……


 しかもより不幸なことに、目の前の女、


 先ほどまでより明らかにカウンターがてぬるくなったことで、ルウは理解してしまった。


(この女、私を神に至らせてから斬ろうとしていないか!?)


 音速を超える攻撃を受け続けておきながら、その余裕、不可解である。

 ……いや、余裕ではないのかもしれない。


 


(薄々感じていたが、こいつ、ヴィヴィアナと同種の狂った趣味人か!)


 異世界勇者のパーティにも、『かわいい女の子はお人形にしちゃいましょうねぇ』とかいう趣味のために命を懸ける狂ったがいる。

 ちなみにあの『ほわほわうるさい精霊』のことを、ルウはたいそう苦手にしていた。


(どうする!? どうすればいい!? このままだと本当に、!)


 そもそもただの人間程度の肉体で、ただの人間より少ない神威量しかない女が、どうして


 いくら流して返しているとは言っても、関節部だの筋肉だのに相当な衝撃が通っているはずだ。だというのに相手に息切れする様子がまったくない。

 不可解なのは雷の斬撃もそうだ。あの斬撃、剣聖が


 それをたやすく数十、あるいは百を超えて出し続けている。


(この女、なんなんだ!?)


 めくってもめくっても『おかしい』が出てくる女である。

 間違いなくルウの知らないなんらかの法則か技法で戦っているのだが、その法則にまったく見当がつかない。


 見当はつかない、が。


(……見えたぞ。今、!)


 ようやく、勝機が見え始める。


 不可解ではあるが、限界は近いらしい。

 ルウは間違いなく相手を追い詰めている。


 そして目算が正しければ、どうにか、神に至るギリギリ手前で倒せそうだという感じだ。


 ……一方で、剣聖の方もまた。


(ああ、おしまいですか。これ以上は


 剣聖の奥義は光断ひかりたち愛神光あいしんひかり流の理念は『格上の力を利用してのカウンター』。


 だがその流派の神髄はといえば、『まろばし』と称する使である。


 何かを放つ動きには当然、反作用がある。これは、物理的な力にも、神威的な力にもだ。

 その反作用を利用することであたかも無限に神威があるように見せかけ、カウンターですべての衝撃を出し切らずに肉体を使って回し続けることで、通常対応できない速度にさえ対応してみせる。


 ただし加速の負荷は

 ゆっくりと停止していけばいいが、ここまで速くなっては、シンコウでも『だんだんと速度を落とすこと』が不可能になる。つまり……


 これ以上の速さに付き合うと、死ぬ。

 剣聖の欲望は『神を斬ること』ではあるが、

 なぜならば、神はこの世に複数いるので、たった一体を相手に命を失うのは、他の神を斬り損ねるということである。そんなのはイヤなので、命のある範囲で楽しむというのがシンコウの主義だ。


 ゆえに……


 異界の騎士ルウが黒い雷となり、シンコウが対処不可能だと思われる速度で突撃する。

 対するシンコウ、衝撃を回し、回し、回し、加速させ、ルウの突撃にぶつけるべく身体を操作する。


 どちらかが、あるいはどちらもが死ぬ応酬が、一瞬後に迫っていた。


 これで両者が命を落とせば、この時代は異界の騎士ルウという脅威的な妖魔を討伐でき、剣聖シンコウという、多くの者に慕われつつ、一部の者から強烈に嫌悪され畏れられる逸脱者がいなくなる。


 クサナギ大陸にとっていい結末であることは疑いようもない。


 だが。


 に言わせれば、そんな結末は……



!」



 認められない。


 二人の衝突に割って入る風。

 強烈な神威そのものと成りかけた異界の騎士ルウの剣先に飛び出し来る少年。


 すでに知覚速度を超えつつある中でルウが見たのは……


 銀髪碧眼の少年。


 氷邑ひむら梅雪ばいせつ、ぎりぎりのところで、決着に割り込むことに成功する。

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