五章 大嶽丸ざぶざぶランド(121、025文字)

第96話 大嶽丸への備え

 氷邑ひむら梅雪ばいせつは悩んでいた。


(今代大嶽丸おおたけまるに、『俺だけの名刀』を打たせねばならぬ)


 このたび神器アメノハバキリを他者に装備させて理解したことがある。

 それは、氷邑梅雪の肉体はということだ。


 シナツの加護前提で

 加護が効かなくなった時のあの気怠さ、体の重さたるや、並大抵のものではなく……

 それまでの山歩きで蓄積した疲労のせいで、壁にもたれかかっているしかできないという有様だった。


 剣士との差を実感した、とも言える。


 神の加護などというをはかされなくとも、剣士はすいすい山を上るし、そのまま戦闘さえできる。普段山歩きをしないような者どもが、だ。


 神の加護、道術。

 いかに剣士ぶってみたところで、この二つが梅雪の生命線であることは否定のしようもなかった。


 そして梅雪にはというハンデもある。

 今ある、さも肉と骨と皮でできているかのようなこの左腕は、梅雪が道術により生み出し、神威かむいを流し続けることで現界げんかいを維持し続けている偽物イミテーションの腕でしかない。


 たとえば神威の放出を抑制・封印するような相手と当たってしまった場合、この腕はなくなり、加護もなくなる。

 そうすると梅雪は、今使っている刀さえまともに振ることのできない、虚弱な小僧になり下がる。


(この俺が虚弱な小僧だと……? この、俺が……! この俺を! そんなふうに評価するなどと、許せるわけがないだろう……!!!)


 まだ見ぬ『神威放出を抑制してくる敵』に煽られるシーンを想像しながら、梅雪は腹の底で激しく怒る。


 ゆえにこそ、『神威さえ封じれば無力な小僧』などと侮った者を殺すべく、神威に頼らない武力を備える必要があり……

 それは確かに、『十歳の、片腕のない子供が片手でも振るえて、なおかつ剣士に対しても脅威として機能する刀』……『名刀』が必要、という結論になる。


 だが梅雪には大きな問題があった。


 職人というのは頑固で偏屈で、金を積まれてもやらない仕事というのがある。

 そもそも『名刀』というのは、その時代で一番と言われる鍛冶師でも『できるかどうかはわからないもの』であり、出来上がるためには鍛冶師が納得して腕を振るえる環境……

 すなわち『この人に俺の最高傑作を使って欲しい』というモチベーションを呼び起こす必要があった。


 つまり梅雪の抱える問題とは……


(この俺に! 鍛冶屋ごときに頭を下げ! そのご機嫌をうかがえと言うのか!?)


 やれる、やれないではない。不可能だ。


 頭を下げ、お願いする。そこまでするだけなら、まあいい。恐らく、可能だ。

 だがそこまでして断られてしまえば、鍛冶師を殺さずにはいられなくなる。

 なぜなら氷邑梅雪、自分を嘲る者、侮る者、見下す者を決して許せない、煽り耐性ゼロ男なのだから。


 ゆえにこそ対策が必要であった。

 そしてその対策とは──



夕山ゆうやま様、私とともに大嶽丸の隠れ里へ行きませんか?」


 夕山神名火命ゆうやまかむなびのみことは、あみあみしていたマフラーをぽろりと落とした。


 夏の盛りが過ぎ、季節は秋へと移り始めている。

 初秋と呼ばれる時期は、現代日本において『小さい秋』と言われ続けた秋が小さくなりすぎて発見困難になっているものの、クサナギ大陸においては健在だ。

 ゆえにこそ、だんだん気温に冷たいものが混じり始めて来たこのタイミングで、夕山は、婚約者(輿入れし相手の実家に住んでいるが、書類上の結婚は梅雪成人(十三歳)のあとになる)に、マフラーなど編んでいたのだ。


 ちなみにクサナギ大陸に『羊などの毛を洗い整えより合わせて作った毛糸』というものは存在しなかった。

 なので今あみあみしている毛糸も、毛糸針も特注品。それだけで屋敷が買えるぐらいの価値のある一点ものである。

 これは推しのアクリルスタンドなどにマフラーを編んでプレゼントする習慣があった夕山が、何年か前に兄である帝にお願いして作ってもらったものであり、ようやく今年、形になったものでもあった。

 毛糸と毛糸針は屋敷が買えるが、その裏側の生産ライン整備にはもっと膨大な金がかかっていることは言うまでもない。


 そんな毛糸を畳の上にぽろりと落とし、夕山は固まった。


 しばらく呼吸も忘れる有様だ。


 これには部屋を訪れた梅雪も不審そうに、「どうなさいました?」とたずねてくる。


 その時、梅雪の顔が近付いて来たので、夕山はショックで蘇生した。


「……ハァ……ハァ……ハァ……敗北者……?」

「ご無事のようですね」


 夕山がクサナギ大陸の人に全然伝わらないネタを挟むのはいつものことだった。


 夕山神名火命、


 梅雪側も隠してはいない。だが、

『実は転生してるんです……』と言うのも、すでに『主観的には人格統合が済んでいるが、客観的には済んでいない』という人格統合の初期段階を乗り越えた梅雪にとっては、何か違うというか……

 主観・客観両方から見て完全に『中の人』がなじんでしまった今、梅雪の自認は『クサナギ大陸で生まれ育った氷邑梅雪』であり、自分を『転生者』と名乗るのは、座りの悪さがある。


 結果として『転生知識を隠してはいないが、自分が転生者かと言われると違うので、転生者とは名乗っていない』という状態である。


 が、夕山、この梅雪の感じを、『なんか話が早いな』ぐらいにしか認識していない感じがあった。


 ゆえに『夕山は打ち明けている。梅雪は隠していない。だが、夕山は梅雪にゲーム知識があることを認識できていない』という、面倒臭い状況が出来上がっていた。


 そういった認識の上で、ネットミームやパロディネタを挟んでくるのが夕山であった。


 これは『伝わる』と思ってやっているのではなく、ある一定の層とのみ会話をしていると、SNSのスタンプのノリでネットミームやパロディネタを使うようになり、次第にそういったネタのみで会話を成立させるようになってしまうという、現代のコミュニケーションにおける呪いであった。


 夕山はとりあえず梅雪の顔(銀髪碧眼イケショタ)を両手を合わせて拝んでから、畳の上に転がった毛糸を拾う。


「ばばば梅雪様」

「はい」

「大嶽丸の隠れ里に、この私を誘うと、そう言ったように聞こえました。夢ですか?」

「いえ、現実です」

「信じられません。ちょっと頬をつねってください」


 ここで梅雪の動きが止まったのは、夕山と梅雪との立場の微妙さによるものだった。


 夕山は降嫁こうかして梅雪の妻になり氷邑家に入る立場の者ではある。

 しかし帝の妹でなくなるわけではない。一切の縁を切られたのではなく、あくまでも継承権を返上して嫁入りするという、それだけの話なのだ。


 なので帝の臣下である御三家の後継たる梅雪は、平常時、夕山に帝より一段低い扱いをしなければならない。

 これは父の銀雪ぎんせつよりも上という扱いであり、そういう尊いお方のほっぺたをつねるのは不敬もいいところであった。


 そこでちょっと戸惑うのだが、夕山が目を閉じて頬っぺたを差し出してくるのと、まあこの女の奇行はいつものことなので、つねることにした。


 軽くほっぺたをつまむ。


 あまりにももちもちしていて餅かと思うほどの肌質。なおかつよく伸びる十二歳の頬。

 あまり痛くするつもりはないので少しつまんで離せば、すぐに元の形状に戻るハリ。


 顔面偏差値でクサナギ大陸トップ層上位に間違いなく食い込む夕山は、カッと目を見開き、叫ぶ。


「なんだこのVRゲーム!? 推しがほっぺたをぷにぷにしてくるんだけど!?」

「夕山様、現実です」

「……そうでした。取り乱してしまいましたね」


 VRゲームという単語が伝わっていることに違和感を覚えてほしいと梅雪は思った。


 ともあれ、そこでようやくオーバーヒートして冷静に戻ったのか、夕山が居住まいを正す。

 なお、居住まいを正してもここまでの奇行はなかったことにならない。


「……さて梅雪様。大嶽丸の隠れ里にわたくしを連れていくと、そのように聞こえましたが」

「そうですね」いい加減に梅雪も疲れ始めている。

「ご存じですか? 大嶽丸の隠れ里というのは……!」


 発言者が夕山なので戯言にしか聞こえないのだが、これは事実であった。


 大嶽丸の隠れ里。

 その名を『大嶽丸ざぶざぶランド』。


 これは火山近くという立地を利用した鍛冶の里であり、一年通して温水がこんこんと湧き出るスパリゾートであった。


 ここはあらゆる『外』での争いを持ち込ませないというルールを徹底した会員制の施設であり、氷邑家を始め、多くの名家・大商人などのみが入ることができる。


『外』での争いを持ち込ませないのと同様、『中』でのことは他言無用というルールもあるため、そういった貴人・金持ちたちの密会や逢引の場として機能する場所でもあり……


 そこに誘うというのは、『高級プールリゾートで俺とフィーバータイムしようぜ』というお誘いに他ならないのだった……!


 もちろん梅雪の狙いは違う。


(……ともあれ、夕山は乗り気ではある、か。これで第一関門はクリアか)


 梅雪の、対大嶽丸策略……


 梅雪は頑固な職人の機嫌を損ねないように説得するということができない。

 だが、夕山であれば?


 この『愛される才能』を持った姫君であれば、──


(使えるものは使わねばなァ……)


 幸いにもこのたび行く場所は、貴人・金持ちが集い、外の争いを持ち込ませず、内側の情報を漏らすことを許さず、中で争いを起こすことも、刀鍛冶のスパリゾート。

 山歩きや、帝都観光などより、よっぽど安全に夕山を連れ回すことができる。


「それで夕山様、お返事のほうは……」

「行かないわけがあろうか? いや、ない」

「ところで、護衛のムラクモはまだ療養中ですが……」

「『節度』って言われそうなので休ませておきます。連れて行きません」

「はい」


 というわけで……


 大嶽丸の里行きパーティに、夕山が加わった。



 暗い、どこかの山中の洞窟。


 女は、そこで腰を下ろしながら、刀を


 夜ということもあり、まったく光の入らぬ場所だ。

 伸ばした自分の腕さえ見えない、真の暗闇……


 だが、この女にはのだ。


「……だいぶ、無茶をさせましたね」


 その女の人生は根拠地を持たぬ常在戦場生活であった。

 名の通った者であるから、これを倒して武功を挙げようという者……

 さらには、もともと奴隷であったという出自ゆえ、表向きには『解放した』ということにしても、その因縁からこの女を殺そうとする刺客どもとの戦い……


 女には気の休まる時はなく、また、女自身もそういった毎日を好んでいた。


 強者を、望んでいる。

 強者を斬る感触を、望んでいる。


 ……だが、それも、刀があってこそだ。


 女は手にした刀を、


 真っ白い刀身の中に、ぶくぶくと泡が煮え立つような波紋が浮かんでいる。

 その『煮え立つ泡』は幾重にも重なり、まるで花びらのように刀身を彩っていた。


 女の刀は大小二刀。

 大刀はその刀身が四尺百二十cmもあり、かなり長い。

 一方で小刀の方も三尺少し四十cmあり、脇差と呼ぶには長い。


 あまりにも美しい刀。

 だが、それは鑑賞用の美術品ではなく、人を殺すための武器である。

 武器である以上、使い続ければガタがくるのは必定。


 女も刀の整備はある程度できるが……


「……そろそろ、


 刀のことを考えても、に見せるべきタイミングだろうと判断した。


 女は……


 剣聖シンコウは、こうして、大嶽丸の里へと向かうことになる。


 奇しくもそのタイミング、梅雪が大嶽丸の隠れ里に出発する、ほんの少し前であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る