第92話 大江山場所開催中
土下座をする『
「で、アシュリーと我らの軍勢の中盤は何をしている?」
答えを求めての質問ではなかった。
それを知る者がここにいるとは思っていない。
そして
イバラキまで含めて、恐らくその答えを知る者はいないだろう。
だが、先手と中盤とはそうそう距離が離れていないはず──というか、先手に振り切られないように、中盤を忍軍で守らせたはず。
だというのにまだ追いつく様子がないというのは、いかなることなのか。
梅雪が首をかしげていると……
「……!」
慌てたように駆けこんできたのは、梅雪の横で
中盤を追い抜いての到着である。
ウメはまず到着すると、走らないように(戦闘時ではない様子の場で下働きがみっともなく駆けるのはマナー違反である)、裾を乱さぬよう、しかし極限まで早歩きで梅雪に接近する。
そして梅雪の全身をペタペタと撫でさすり(言うまでもなくマナー違反である)……
「無事……」
安堵の息をついた。
(そういえば、ウメから見ると、俺は地面に沈んでから戻ってこなかったことになる、のか? ……ともすれば海魔になった姿を見たやもしれんな)
大辺の性格から言って、まずは海魔にした梅雪を手元に呼んで鑑賞してから、イバラキや他の海魔とともに進ませ、先手から順番にすりつぶしていこう──みたいな魂胆だったのだろう。
梅雪にはその考えがよくわかった。なぜなら自分でもそうするからだ。
海魔にしてウメが動揺しているうちに奇襲し倒し、海魔にして引き入れる。なるほどその手順が戦術的に正しい。
しかし、その手順だと足りないものがある。観客だ。
先手はイバラキ直下の山賊および、七星彦一。
それが七星家侍大将だと知らずとも、梅雪たち軍勢の精神的・実力的支柱であることはさすがにわかるだろう。
であればこの男を動揺させ、山賊どもに絶望をつきつけ、
それがもっとも、絶望と屈辱を味わわせることができる手順だ。
ゆえに大辺はその手順を試みたものと思われる。
実際、梅雪が海魔から元に戻らなければそうなっていた可能性は高い。
まあ大辺に運用されていたら彦一に叩き潰されていそうではある。
あのクソザコ陰険ババア、指揮能力皆無どころか、余計な口出しで人の指揮の邪魔までするという、パワハラ上司とクソクライアント双方の性質を併せ持っているのだから……
それで。
「ウメ、中盤は──」
梅雪が問いかけたちょうどそのタイミングで、足音が複数近づいて来る。
雪崩こむように入ってくるのは、今まさにその所在を確認しようとした、七星家家臣団であった。
だが、その家臣団の中に、ある人物の姿がない。
この中盤を任せた人物──すなわち、阿修羅。
ゆえに梅雪は、問いかけを変更する。
「──アシュリーは、どうなっている? なぜまだここにいない?」
死んだ、という可能性は考慮していない。
梅雪はこの程度で死ぬ者を直参かつ側室に迎えた覚えはないからだ。
ゆえに、何かのトラブルで、忍軍とともに周囲で暗躍しているのか、ぐらいの予想をしたわけだが……
ところが、ウメからの報告は全員の予想だにしないものであった。
「……
「…………相撲?」
「して、ます。
「なるほど」
梅雪はうなずく。
なるほどわからん、という話だが……
であるならば。
「……酒呑童子どもおよび彦一に告ぐ。アシュリーを迎えに……いや、様子を見に行くぞ」
直接出向くのみ。
梅雪は大辺の死体を運ぶよう酒呑童子に言いつけ、ウメに案内させて現場へと向かった……
◆
少しばかり時間を
阿修羅は異様な気配を察して、任された軍の中盤に向けて、叫んだ。
「止まれェ!」
主人たる梅雪からは『速攻』を命じられているし、先導する山賊や彦一たちは少し立ち止まるとどんどん遠ざかっていく。
しかし、それでも止めさせた。このまま進めるにはあまりにも異様な存在感が……
阿修羅の号令に七星家家臣団は従った。
先ほどまで梅雪の命令に従うのにはワンテンポのラグがある集団ではあったが、今の彼らはシナツの加護を受ける梅雪の軍である。
その梅雪から指揮権の移譲をされている現場指揮官・阿修羅に従うことに迷いはなかった。
「右、警戒!」
周囲を探らせている忍軍配下たちの報告さえ間に合わない。
阿修羅は高速で接近してくる気配に対し体の正面を向けて備える。
そして、山の斜面を駆け下り、青々と茂った木々の隙間から出現したものは──
熊、であった。
青毛の、傷だらけの、見るからに歴戦の強者であるとわかる、大きな熊である。
そいつは自分を待ち構えていた阿修羅と七星家家臣団を見つめる。
そして、何かを考えているようだった。
熊とはなんの比喩でもなく熊である。
獣だ。
だが、その獣の目には、理想的に経験と年齢を重ねた老人のような思慮深い色合いがあった。
そして思考のすえ、熊がとった行動は……
「グオオオオオ!」
両腕を大きく持ち上げ、顔に憤怒を浮かべ、吠えかかる。
すなわち威嚇であった。
熊の思考を辿るのであれば、まず、この熊は、山にあるべきではない磯臭さの根源を目指し駆けていた。
それすなわち『酒呑童子』根城で海神の玉体を招来していた大辺のことであり、そいつらを撃滅し、この山をよからぬモノから守るための進撃をしていたのである。
だが、そこで出会ったのは、いかにも武士といった風体の一団と、それを率いるように立つ巨大な金属の塊であった。
この熊の目的は、山を守り、今の環境を維持することである。
この熊が同志……そこまでいかずとも協力関係とみなすのは、いかにも文明から遠ざかった弱者の寄り合い集団である『酒呑童子』の面々のみであり……
その面々を討伐に来る『文明的な集団』に対して攻撃を仕掛けるなどのことも行っていた。
熊の敵はこの山の環境を変えうるすべてであり、磯臭さ、すなわち海神の巫女はそのうち一つにしかすぎない。
もちろん目の前にいる金属の塊と、揃いの服を着た集団も、熊にとっては討伐対象であった。
ゆえに、威嚇。
……野生動物の威嚇は争いを避けるためのものである。
そしてこの熊は戦いに
だがこの一団を任される阿修羅は、二つの理由から退くという判断をしなかった。
理由の一つはもちろん、梅雪の身の安全である。
この時点で梅雪は
実際はイバラキに詰まれて海魔成りをし、完全に梅雪を支配したと思い込んだ大辺によって召喚され、一気に『酒呑童子』の根城に飛んでいたわけだが……
阿修羅はこの熊を放置して梅雪にぶつけるのをよしとしなかった。
ゆえにこそ、自分がここで、この目的のわからぬ、しかし威嚇という敵対的行動をとった熊の相手をするべきだと、そのように結論付けたのであった。
つまり、理由の一つは梅雪への忠誠ということになる。
そして理由のもう一つ。
「……面白れぇ」
阿修羅はモノアイを笑ませるように動かした。
そう、阿修羅は相撲好きな六歳男児相当の人格を持った機工甲冑である。
そのガキ大将的感性が、熊との相撲は楽しそうだと思ってしまったのであった。
つまり阿修羅は、『梅雪にこの熊をぶつけられない』という使命を見出した瞬間、この熊との相撲を趣味ではなく任務ということにして正当化してしまった。
たしかに後ろの梅雪のために露払いをしておくのは必要ではある。
だが、その決断は戦術的判断と言うには、あまりにも趣味的であった。
「ここはオレに任せて先に行け!」
阿修羅は七星家家臣団にそう命じるや否や、『仕切り』の姿勢をとる。
熊も何かを感じたようで、威嚇のために上げていた両腕を下げて、迎え撃つような姿勢をとる。
二者の視線が交錯し、蝉の声にまみれた『夏』の山が一瞬、異様な緊張感のせいか、静寂に包まれる。
そして……
「のこったぁ!」
阿修羅が加速する。
熊が同時に前に出る。
こうして阿修羅と熊は、がっぷり四つ、阿修羅の好む『力と力のぶつかり合い』の型となり、組み合うことになって……
その光景を、梅雪を求めて加速していたウメは、横目で見て、放置して先を急ぎ、先行していた中盤の七星家家臣団を吸収・先導し、『酒呑童子』根城に急いだ……
そういうことが、起こっていたらしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます