第91話 『酒呑童子』討伐・夏の陣 二
イバラキが、目を開く。
山賊どもの露払いを任せ、この洞穴にたどり着いた
「七星家侍大将、彦一に問う」
「……」
彦一の獅子のごとき面相には、緊張が満ちていた。
握っていた
……ここから始まる問いかけが、自分たちの……
否。クサナギ大陸の命運を決めるのだと、予感しているのだ。
「彦一よ。我らはその名を『
梅雪は剣を構えていた。
彦一は、考える。
(氷邑梅雪、ここで私が酒呑童子を……イバラキを殺すと述べたならば、抵抗するおつもりか)
山賊の首魁風情のために、名門氷邑家後継が、名門七星家侍大将に剣を向ける。
紛れもない異常事態であった。
彦一は、政治的なことを考える。
ここで氷邑家後継と戦うこと、どちらが生き延びても御三家同士の争いにつながる。
先の帝都騒乱からまだ民心は安んじられたとは言い難い。
相変わらず
七星家も縁者の元家老
ここでもし帝都騒乱鎮圧の立役者である氷邑家を敵に回せばどうなるか? ……『都合の悪い真実』を知った氷邑家を、大江山という場所で秘密裏に口封じしようとしたなどと噂されるであろう。
七星家として、ここで氷邑家に攻撃しては、政治上の争いで勝てない。
そして七星、熚永という御三家が氷邑家と仲間割れまで起こすなどという状況は、帝の権威を揺るがし、ひいてはクサナギ大陸において始まりつつある『戦国』を刺激・活性化させることとなるだろう。
そして、戦闘能力の問題。
彦一は梅雪およびイバラキと山賊団残党と一人で戦って、これに勝つ可能性がそれなりにあると踏んでいた。
だが、その見立てを覆す要素を、梅雪も、そしてイバラキも秘めているように思う。
政治的、戦闘能力的に、分がいいとは言えないだろう。
だから彦一は……
安堵した。
「……争うわけにはいかぬ理由、あまりに大きく。何より……七星家へ対する不忠ながら、私は梅雪殿にこの鉄鞭を向けたくはございませぬ」
「理由を問おう」
「あなたは、我ら全員を救った」
「犠牲は出たが?」
「……彼らのことを思わば、手放しで喜べぬ結果であるのは事実。しかし、彼らは戦場で指揮官に従わなかった。戦場において、指揮官に従わぬというのは、咎であるのも事実。……彼らの死において責めを負うべき者は、彼らの指揮をできなかった私にございます。あなたなくば、我らは半数になったとしてなお、事態の解決にこぎつけられなかったことでしょう。ゆえにこそ、あなたの望みは最大限に汲まれるべきと、私は考える所存」
「ふむ。……少々、残念に思うぞ。貴様と斬り結んでみたくもあった」
梅雪は剣を納めた。
彦一は
「御戯れを!」
「さて、どうかな? 何にせよ──アメノハバキリ、七星家の手柄とするがいい。俺には剣そのものも、功績もまた、不要なものゆえ」
「……ありがたく」
「それで、だ」
梅雪が次に視線を向けたのは、山賊どもであった。
長い髪で片目を隠した大柄な男──トラクマをはじめ、『酒呑童子』の生き残りたちが、ざわめく。
梅雪はその連中の前に立ち、告げた。
「ここからが重要なところだ。貴様らの命運、今から決まるものと知れ。……イバラキ、貴様もそちら側に立ち、この俺と向かい合うがいい」
「……わかったよ」
イバラキは、酒呑童子のメンバーが驚くほど、素直であった。
梅雪という少年、どう見てもイバラキが嫌う相手である。偉そうな、それどころか、クソ偉そうなサムライだ。ゆえにイバラキがここから梅雪に徹底抗戦をする可能性も、酒呑童子一党は見て、覚悟していたところであった。
だがイバラキは大人しい。というかむしろ、しおらしいとさえ言える様子……
その色気のありすぎる服装もあいまって、山賊たちがイバラキに『女』を感じ、戸惑う中……
梅雪が、口を開く。
「さて、俺がこのように要求すると、なぜか皆、理解できないふうを装ったり、あるいは話を逸らしたりと、さんざんな様子になるのだが……これから貴様らに当然の要求をする。逆らうならば、命はないものと思え。ああいや……」
梅雪はそこで口ごもり、意地の悪い笑みを浮かべた。
「イバラキに問う。この俺が何を求めるか、わかるか?」
「………………代表者の首?」
「はぁ。本当に愚かよな。やはり山賊は山賊か。人間社会の常識についてはとんと疎いものと見える。これだから人未満の山猿は……」
酒呑童子がざわついたのは、山猿扱いに怒ったからではなく、山猿扱いをされたイバラキがキレるかと思ってのことであった。
しかしイバラキ、まったくキレない。これには逆に酒呑童子の面々が驚き、声も失い、イバラキの小さな背中を見つめるばかりの様子となってしまう。
梅雪はイヤミったらしく首を振り、「やれやれだ」と肩をすくめる。
「仕方のない連中め。この俺が教育してやろう。いいか、まともな人間というのはな、人の物を盗んだら、『ごめんなさい』と謝るものだ」
「…………」
「わかったか? 道理を解さぬ山猿ゆえに、優しく言ってやる。『土下座しろ』」
そもそもの話、アメノハバキリの持ち主は帝である。
梅雪は確かにそれを取り戻すための一団に属してはいる。だが、取り戻すための呼びかけをしたのは七星家であり、梅雪は七星家に呼ばれておらず、呼ばれたのはウメとアシュリーである。勝手についてきただけ、というのが公式見解であろう。
なのでどこをどう曲解しても梅雪に土下座する筋合いはないように思われるが……
土下座
いけそうな流れならとりあえず土下座をさせる。それこそが
「イバラキよ。その優れたお
イバラキは……
普通であれば怒り狂うようなことを言われているな、と思った。
だがもう、なんていうか……笑ってしまう。
梅雪が趣味でやらせようとしているのも事実なのだろうが……
彦一の前で屈服と服従を示させることによって、『酒呑童子』にもはや抵抗の意思なしと示すのもまた、目的であろうことが理解できたからだ。
サムライによくある『メンツ』の問題だ。それを突いて相手を滅ぼしたことも、イバラキには経験があった。
そして梅雪は彦一に『酒呑童子をください』と頭を下げるつもりが毛頭ないので、代わりに自分たちが『決して逆らいません』と頭を下げろと、そういうことである。
「ったくよぉ……」
イバラキがそうつぶやきながら笑ってしまった時、やはり背後の山賊たちがどよめいた。
その笑いはこのあとブチギレる前兆にしか感じ取れなかったからだ。
というかここまで言われてイバラキがキレてないのがおかしい。
ゆえに『来るぞ、来るぞ』と山賊どもは今まさに解放されるであろうイバラキの怒りを覚悟し、それに従うか、それとも止めるかをすぐに決めねばならない岐路に立たされている気分であった。
だが。
イバラキがその場に両膝をつき、両手をつく。
そして、額までついた。
酒呑童子どもは息さえ忘れて、イバラキの尻をまじまじと見ることになった。
目の前の光景がとても信じられない。
だが……
「後ろの連中の首、ひと薙ぎにされたいか?」
梅雪は土下座しない者を許すつもりが本当にない。
殺意のこもった問いかけに、突っ立っていた酒呑童子のメンバーも、慌てて両膝、両手、額を地面についた。
イバラキが、声を発する。
「わたくし、イバラキおよび酒呑童子は、大事な剣を盗み、氷邑様に多大なご迷惑をおかけしたこと、心の底よりお詫び申し上げます」
「それで?」
「許されぬことをしておきながら助命していただきました御恩をお返しするため、氷邑様の手足となり、今後、身を粉にして尽くす所存」
「この俺の手足になるとは大きく出たな? 思い上がりがすぎるのではないか?」
「失礼をいたしました。指先、否、剣となり、尽くす所存でございます」
「では、この俺を決して裏切らず、生涯を尽くして仕えると。そういうことで間違いないか?」
「…………」
「どうだ?」
「……てめぇが、オレの『使い手』としてふさわしい限りは、言葉の通りに仕えて、尽くしてやる。が、一生は、わからねぇな」
「……」
「オレに一生を捧げさせるだけの価値が、あるか?」
「なんだ、迂遠な物言いを好むヤツよな。使い手としてふさわしい限り仕えるならば、それは、『一生仕える』と同義であるぞ」
「……」
「貴様の方こそ、なまくらになるなよ。そこまでの言葉を吐いたのだ。使い潰すつもりで振るう。切れ味ますます鋭くし、決して
「……価値を示しましょう。必ず」
「ならば良い。貴様らを俺の直参とする。氷邑家の侍大将を目指し、励めよ山猿」
人材。
護衛兼傍仕え、ウメ。
隠密頭、アシュリー。
侍大将、イバラキ。
梅雪が氷邑家をとる準備が──
(あとは家老相当の人材か。まァ、それぞれ一人しか集めないというわけでもなし。……この俺に使われたくば、ふさわしくあれよ。貴様の代わりなど、いくらでも探せるのだからな)
梅雪が傲慢に笑い、土下座をするイバラキを見下す。
その様子を後ろで彦一が、どうしていいかわからない表情で見ていた。
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