第70話 『酒呑童子』討伐・冬の陣 二
通常、三十人ぽっちで、かの有名な山賊団『
だが、今回は本当に討伐を期待されているのだとはっきりわかる要素がある。
七星家の後継である
後継者二人を含む部隊がまさか『剣を取り戻すために努力をしましたよ』という演出のための捨て駒なわけもない。
しかも侍大将の
……七星家当主の視点で語れば。
このような状況で、しかも『幾度も領主大名の軍を撃退している』という酒呑童子の討伐へ遣わす人材は、その人材たちから『自分たちは捨て駒なのか』と反感を覚えられる可能性が高かった。
ゆえに生贄を出す必要があり、もちろん勝つつもりで人選し部隊の人数や編成を考えたけれど、それはそれとして、もしダメでも『ウチは全力でした』と疑われないために、後継候補を出す必要があった。
氷邑家への応援要請もまた、帝都を救ったとはいえ亜人の奴隷を寄越せという願いであり、そもそも後継である梅雪がくっついてくるなどと想定していなかった。
そのせいで七星家も後継候補筆頭かつ宗家の一人娘である織を出さざるを得なくなったのだが、本来は後継の資格を持つ者の中から適当な一人を選んで出すつもりであった。
なので七星家当主にとってみれば、今回の梅雪同行は全方面で迷惑なのだ。
何せ梅雪の評価は『性質、暴にして狂。わがまま放題で抑えが利かず、しかも政治も指揮もできない無能道士』である。七星家当主としても氷邑家当主
このお荷物を背負わせての『酒呑童子』討伐など、ただでさえ低い確率をさらに下げるようなものだというのが七星家の認識であり……
ゆえに、もしも織がわがままを言って大江山行きを固辞したならば、そのままでいいと一部人員には言い聞かせてあった。
織が行かないことで梅雪がキレて帰れば、それはそれで『氷邑家が勝手に帰った』ということにして、もともとのプランである『後継ではあるが筆頭ではなく宗家でもない者』を大将にした大江山行とすればいいだけなのだ。
だが梅雪は来てしまったし……
この梅雪に、侍大将
侍大将彦一もまた、織が行くならという条件で出す予定でしかなく、本来の七星家当主プランの通りに行けば、織はなんやかんやで引っ込めたので、彦一も同行しない予定であった。
そうして本来の当主プランに戻すため、家老をはじめとした七星家の首脳がわざとグダグダと織を説得していたところ、誠実で知られる……ようするに腹芸ができず、七星家当主の真の思惑を語られなかった彦一が、謝罪に向かってしまったのだ。
侍大将こそ七星家にとって替えの利かない強力な人材である。ゆえにこれを追いかけるために織をさっさと向かわせるしかなく、それが大江山入り口でのアレコレにつながった。
七星家当主視点でのこの大江山行の始まりは、そういう、ほとんどすべてが計算外という事態。それが事の真相である。
……が。
同行を許された七星家家臣団から見れば、『御三家後継二名と侍大将を含む大江山行』というのは、七星家が家の威信を懸けた人選にしか見えない。
その中に選ばれるのは名誉であり、彼らのエリート意識を刺激するものであった。
そのエリートが、今……
(ふざけんな、なんだよこの……化け物どもは! こんなのの相手をするために、俺は自分を鍛えてきたんじゃない……!)
この一行に選ばれたことを嘆いていた。
大江山『冬』の領域。
一面の雪景色が広がる傾斜のゆるやかな山道の中、七星家一行はそこらじゅうから攻めかかってくる化け物に襲われていた。
青白い鱗のような質感の肌を持つ、魚面の連中である。
人間から見ればまったく見分けのつかない容姿をしたその連中が、雪の積もった山道の木々の隙間から──
否。積もった雪の中から湧いてくる。
こんな連中、聞いてない。
(相手は『酒呑童子』じゃないのか!? 山賊退治だって言ってたのに、なんで、妖怪退治になってんだよ!)
しかも、斬っても斬っても湧いてくる。
家臣団はすっかり混乱していた。
……ゲーム
通常の人間は、たとえば『まったく同じ姿にしか見えない、魚を無理やり人型にしたような化け物が、無限に湧いて、表情の読めない顔のまま自分たちを襲ってくる』といった状況において、正気度が削られる。
確かにクサナギ大陸には妖怪を始めとした化け物も出る。
だが
生理的嫌悪感や異物感など、とにかく『ここにいてはいけないモノ』『ここにいるはずがないモノ』という根源的恐怖を人に感じさせる存在感を放っている。
ゆえに、これと対面すると、まずは正気度喪失判定が入り、失敗すると発狂する。そういう存在こそが海神の使徒なのであった。
このように、ただの兵を相手にした場合、海神の使徒はただ囲むだけで相手を圧殺できる。
そもそもこの連中は招来の呪文と一定数の水があれば、呪文の行使者の
そして雪とは水である。つまり大江山『冬』の領域においてはどこからでも現れることができる。なので包囲し神威の限り出現させ続けるだけで、三十人ぽっちの相手であれば圧殺可能──これが『いつもの海神の使徒どもの戦い』であった。
戦術として述べても……
『包囲し兵力の限り突撃させる』というのは、力押しと呼ばれることもある。
だが力で押せるなら力押しをするのは立派な戦術だ。
伏兵だの奇襲だの陣形だの罠だのといったものがないとどうしても戦術とは認め難い。そういう常識が戦術家にはある。だから戦術家を含む酒呑童子討伐隊どもはイバラキに負けた。
イバラキの戦術の要は、隅々まで大江山の様子を把握していること、そして力押しができる機を作るためにあらゆる仕掛けを用いることであった。
そもそも山賊に伏兵だの奇襲だの陣形だの罠だのといったものは理解できない。力押ししかできないこの連中が力押しできるまでの準備をすることこそ、イバラキの軍略。ゆえに力押しできる状況で、イバラキは力押しをためらわない。
そしてイバラキが力押しできると判断した状況とは、すなわち必殺の状況。
よって、力押しをされた者たちは詰みである。
とはいえ、それは普通の者が相手の場合である。
ここにいるのは比類なき戦力と、常識なき指揮官。
指揮官、氷邑梅雪は語る。
「彦一」
籠の中から、傲慢にして怜悧な声が発せられる。
誰よりも前で吠え、猛っていた七星家侍大将は、命令に「は!」と応じる。
梅雪は、告げる。
「しばらく一人でしのげ」
「承知ィ!」
とんでもない命令であった。
二つ返事で引き受ける方もどうかしている。
これには正気を失いかけていた七星家家臣団も困惑し、発狂どころではなくなった。
だが、さらに傲慢な声は続ける。
「それ以外の有象無象ども、俺たちの乗っている籠の周囲に集まり、彦一の戦いを黙って見ていろ」
「なッ──」
家臣団の一人は、つい、声を出してしまった。
倒しても倒しても湧いてくる、不気味な化け物どもを、彦一一人に任せ、家臣団は籠を囲めなどと、それは──
「──侍大将を犠牲にし保身を謀るか氷邑家!?」
そうとしか思われないものであった。
だが、犠牲にされる当の侍大将・彦一はといえば……
「愚か者がッ! 緊急時においては指揮官の指示に従えィ!!!」
「しかし──」
「『しかし』ではないッ! 従え!」
彦一本人にこう言われてしまっては、従うしかない。
家臣団は籠を取り囲み始める。
だが、籠の中に向ける意識は、とても『周囲を守っている』というものではなかった。『侍大将が死したその時はこいつを殺してやる』という、守護ではなく包囲の気勢が強いものである。
籠の中の梅雪は、姿も見せぬまま冷徹に語る。
「彦一を見ていろ。この俺の指示の意味もわからん有象無象が。それとも貴様らは、この期に及んで、俺への反感のみで生き延びる機会を逃す気か?」
あまりにも小馬鹿にするような声であった。
それは反射的に『中の偉そうなガキを斬り捨ててやろうか』という意思を煽るものであったが、籠の外にずっといる機工甲冑
海魔どもを放置して仲間割れをするほどには理性を失っていなかったのだ。
指示に従うのも癪な話だ。
そもそも七星家家臣団は梅雪に統率されるいわれがない。なので現在は侍大将の彦一に従っているのみである。
梅雪の指示に従う彦一に従う、というなんともまわりくどい段階を踏み、家臣団は彦一の戦いぶりを見る。
魚面の化け物どもは、こうして見ると四方八方から湧いているわけではないらしい。
籠があるところの周囲からは来ない。彦一がいる場所をちょうど扇状に囲むような場所からしか出現していなかった。
そして、数多の化け物どもが彦一に挑みかかるが、それらは彦一が両手に握った極太の
その青い血も、ぐずぐずに弾けた肉片も、しばらく留まるとドロリと解けて消えていった。だから、倒しても倒しても、死体が積みあがらなかったのだ。
それにしても、彦一の強さは圧倒的であった。
家臣団とてエリートに数えられる剣士。決して弱くはない。
ウメの居合を見ることさえできなかったものの、剣士としては中位にはあり、さらに言えば軍の戦いにおいて力を発揮するよう普段から修練している。
軍と軍との戦いに突出した『個』はいらない。場合によっては邪魔にさえなる。
品質を揃えられ、連携訓練を積んだ七星家家臣団は複雑な戦術をこなすこともできる、『
その剣士たちが見て、思う。
確かに、彦一は強い。あの獅子のごとき咆哮、振るわれる鉄鞭の速度・威力、化け物どもに囲まれてもまったく怯まない
家臣団剣士の一人が、つい、呟いた。
「……あれ? なんか……あの化け物ども、弱くないか?」
瞬間、籠の中から「ククク……」と笑い声が漏れる。
梅雪である。
「ようやく気付いたのか間抜けどもが。そうだ。連中、一匹一匹は強くない。そして、出現位置も四方八方どこからでもに見えて、定まっている。さらに言えば、無限でもないらしい。密度が減っているのがわからんか?」
いけ好かないガキから言われて反発もわいたものの、家臣団剣士は言われたことについて観察する。
すると驚くほど言われた通りなのだ。
籠の中の梅雪が、言葉を続けた。
「見た目が奇異で、生物として生理的に受け付けんのは理解しよう。だが、冷静に観察しろ。あんなもの、貴様らであれば相手にもならん。相手が阿呆のように力押しをするだけならば、貴様らでも勝てる。彦一であれば単身でも問題ない」
下がらせて観察させた。
これぞ梅雪流の精神分析。狂気に陥った者たちを落ち着かせるための戦術である。
なぜなら正気になって冷静に戦場を見れば勝てる戦いだし、そもそも、彦一が発狂しない限りにおいて、ただただ周囲から雑に攻めかかられただけでは敗北などありえない。
「理解したか、愚か者ども? 奇異な見た目のモノで突発的に包囲するなど、混乱を誘う目的に決まっているだろうが。混乱さえしなければ、適当に相手をするだけで終わる戦いだ。わかったなら、好きにしていい。この俺がいちいち指揮して相手してやるような戦術はどこにもない。俺は寝る。終わったら教えろ」
家臣団は困惑しつつも、彦一を一人で戦わせ続けるのも申し訳なく、互いにうなずき合うと、隊列を組んで、冷静に、化け物どもの相手を再開した。
……本当に言われた通り、あまりにも簡単な相手である。
散発的にわらわら湧いてくるだけの化け物どもは、小柄だし、強くもない。
彦一であれば、複数体に打ち掛かられても傷一つつかないだろうし、そもそも、この化け物どもの武器はナイフとも呼べないほど短い爪のみである。連中がその武器を届かせるには彦一の武器の間合いの内側に入らねばならず、それは不可能であった。
あまりにも拍子抜けの勝負は、化け物どもを二千も斬り殺したところで終わった。
奇妙な肩透かし感を覚えながら、家臣団剣士は思う。
(……もしかして、氷邑梅雪……冷静に戦場を見て、我らに戦術を授けたのか?)
命を預けるに値しないクソガキ。
……だが、評判のような癇癪持ちというだけではなく、帝都騒乱を潜った猛者──でも、あるのかもしれない。
家臣団の一部から、梅雪に対する見る目が、少しだけ変化する。
そういった戦果がありつつ……
大江山冬の領域での戦いは、氷邑梅雪軍の勝利に終わった。
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