第64話 イバラキの乱心

 大江山おおえやま、『夏』の領域──


 において、もっとも生命力にあふれる場所を挙げろと言われれば、夏の領域が挙がるだろう。


 そこは力強い緑が繁茂はんもし、山を濃い緑色で覆っていた。

 生命力の強い木々にはエグみも強いが食いでのある食べ物が常に実り、それを狙った動物どもも多く集ってくる。


 それらすべては毛筆で描いたかのような不可思議なおもむきがあり、遠くから見れば神の手による水墨画のようであった。


 その夏の領域、山中のとある場所……


「ど、ど、ど、どうするよ、あにきぃ……」


 イバラキ配下のクマ三兄弟がうち一人、末弟にあたるキンクマは相談する。


 だが、極度に無口でその声を聞いた者が一人もいないとされる長兄・トラクマはもとより、おしゃべりで冗談などを好むため部下から親しみを以て接される次兄・ホシグマも、誰も答えなかった。


 蝉の声のみが木霊する、夏の領域、山賊団『酒呑童子しゅてんどうじ』が根城の洞窟……


 ……否。そこに響くのは、蝉の声のみではないのだ。


「ウゴアアアアアアアア!!!!!」


 獣の声、のように聞こえるモノ。

 それは人の声なのだ。

 彼らの頭領、山賊団『酒呑童子』首魁、イバラキの──


 この恐ろしい声に部下たちさえ滅多に寄り付かなくなった場所で、それでもクマ三兄弟は、イバラキの傍にいた。

 それは武士であれば『忠義』と呼ぶものが理由であった。山賊風に言えば、『義理』と呼ぶだろうか。山賊と渡世人とせいにんの価値観は近い。クサナギ大陸においては任侠にんきょうと呼ばれる連中もおり、そいつらは特に義理と人情を大事にした。

 ただし山賊と渡世人との違いは、その義理人情がかというところになるだろう。


 渡世人が、彼らが堅気カタギと定義する、いわゆる一般市民に対しての義理人情を重要視するのに対し、山賊の義理人情は仲間にのみ向けられるものであった。


 山賊は落ちこぼれや鼻つまみ者が、山野に混じって暮らすための集合体である。

 ゆえに仲間内での関係性は絶対であり、仲間に対して義理人情を欠くと、山に放り出されるばかりかにカウントされる。

 なので特に山賊団では仲間への義理人情を欠くべきではないという考え方が一般的であった。


 そう、山賊の正体というより本質は、人の社会で生きていけない者たちの互助会なのだ。


 人里を襲うのは、彼らにとって本領ではない。

 彼らのホームグラウンドは山であり、山という地の利の中にある彼らの戦闘能力は、平地で戦う時の数倍、あるいは十倍にも膨れ上がる。

 ゆえにこそ山賊団『酒呑童子』は帝が討伐隊を差し向けてもこれを撃退し続けることができていた。

 山賊を討伐したければ連中の根城を見つけ出して攻め込むのではなく、


 だがそれは山賊側もわかっているので、人里に降りた山賊は弱者としての戦い方を徹底する。

 徹底できず調子に乗った山賊は滅びる、と言い換えてもいいだろう。


 山野での地の利を活かした戦い、人里を襲った時の引き際を心得た戦い。

 すべて首魁とそれに忠実に従う部下あってこそであり、『酒呑童子』はそういう意味で、大名家と並ぶとも言えるほどであった。


 そのワントップであるイバラキが……


「ううううう……違う、オレ、あたし、いや、は……」


 乱心していた。


 ……原因は、なんだろう?


 キンクマは思う。

 最近は……を手に入れてからは、マシだった、気がする。

 その前だ。そう、そもそも、。だってそこは敵の本丸だし、欲しいものだってないからだ。


 だっていうのに、イバラキは唐突に思いついたみたいに帝都に行った。

 帝を殺そう、帝の兵を殺そうと盛り上がって、その時はなんかすごいぶちあがったから、それでいいと思っていたけど……

 よく考えてみると、あれば、


 その原因は、たぶん……


 


「グウウウウウウオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 獣のような声が響く。

 明らかに正気を失った、イバラキの声。


 クマ三兄弟はイバラキに恩がある。

 イバラキはああ見えて年上であり、山野に捨てられていたまだ幼児であった三兄弟を拾って育ててくれたのだ。

 ゆえに、母であり、姉のように思っている。


 その、乱心。


 しかも原因がわからない。


 それでもクマ三兄弟だけは、イバラキの傍を離れない。

 でも、『離れない』以外にできることなどなく──


「おやおや、これは、大騒ぎでございますね」


 ──唐突に誰かの声が響いた。


 クマ三兄弟は一斉に戦闘態勢に入る。

 イバラキの獣のごとき様子に気をとられていたせいだろう、三兄弟の誰もがその接近に気付けなかった。


 次兄ホシグマが、薄汚い、しかし使い込まれた武器を握り、「誰に断ってここに入ってんだテメェ!」と威圧するように叫ぶ。


 三兄弟の前にいた人物は……


 巫女、であった。


 白い襦袢じゅばんに暗い青のはかまという、神主めいても見える装束を着てはいるものの、全体の雰囲気は間違いなく巫女だ。

 青みの強い黒い髪を腰あたりまで伸ばし、夏の山道を歩いてきたはずなのに一点の汚れもない草履を履いた……

 目の細い、巫女。


 その巫女は、鈴のついた杖を突きながら、身構える三兄弟をまったく恐れずに近付いてくる。


「よもや、わたくしの顔をお忘れではございませんよね? イバラキ様のにございます。……友のもとへ通してはいただけませんか?」

「うるせぇ! 帰れ! おかしらは今、話す気分じゃねぇんだよ!」

の間違いではございませんか?」

「……このアマァ!」


 山賊は侮辱や挑発には殺意を以て返す連中であった。

 同種に武士や渡世人や氷邑梅雪などがいる。


 そしてホシグマは女の表情を『嘲笑』と判断し、手にした巨大な鉈で斬りかかる──


 だが。


 リィィン──


 巫女が鈴つきの杖で地面を叩いて、その音を打ち鳴らす。

 すると、ホシグマは、斬りかかろうとした状態で動きを止めてしまった。


 同時、洞窟の奥で獣のように唸っていたイバラキの声も、落ち着き始める。


「通していただけますね?」


「あ、ああ……」


 すっかり戦意を失った三兄弟は、巫女に道を譲るようにどけ、彼女がイバラキの元へと歩いていくのを見送るしかできない。


 ──歩き巫女。


 ゲーム剣桜鬼譚けんおうきたんにおいて、巫女には二種類いる。


 入雲いるも狂巫女くるいみこ大社を本部とする巫女連合所属の巫女。

 そして、十月には入雲に集まるとされている、クサナギ大陸全土に散らばった八百万の神々──


 歩き巫女というのはどちらの巫女もいるものだが、この女はであった。


 クマ三兄弟は気付くことができなかった。

 その巫女の杖を持つ手に、わずかにがあることを。


 ……今からおおよそ二十年ほど前に氷邑ひむら湾より大量のが出現し、陸上支配を試みた。

 当時の氷邑家当主、梅雪ばいせつの祖父にあたる桜雪おうせつを大将とする一団によって迎え撃たれ、地上に根拠地を造ることは適わなかったが……


 それら海魔かいまと呼ばれる連中の異常行動、すなわち海異かいいを引き起こす原因たる、海神かいしんの信者たちは未だ、地上で暗躍している。


 その者、人の正気度を削り、人の精神を支配することに長けた、海神の巫女。


 ──


 連中のささやきが今再び、イバラキの耳に迫る。


 複雑怪奇な大江山を巡る情勢に、一枚噛む者が、また一つ。

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