第47話 帝都騒乱・幕間の三

 ムラクモは決断せねばならなかった。


「……姫様、よくお聞きください」


 ムラクモと姫、すなわち夕山神名火命ゆうやまかむなびのみこととの年齢差は十であり、それは、『娘のよう』と言うには近く、『妹のよう』と言うには遠い、そういう差であった。


 ゆえにこそ『姫様』。これ以上ではなく、これ以下でもなく、これ以外にはありえない。ムラクモにとって夕山は、唯一絶対にして無二の姫であった。


 蒸気塔、廊下──


 家老・七星ななほし義重よししげの軍勢から夕山を助け、どうにか部屋からは逃げ出した。

 姫の部屋というのはそれなりに広い。ゆえに、手勢を率いる家老義重とたった一人で戦うムラクモにとっては不利であり、なるべく警戒方向の少ない場所に逃げ、可能であれば『味方と合流』ということを考えていた、が……


(もう、誰が味方なのか、わからない)


 そもそもにして『敵』とは何で、『味方』とは何なのか?


 姫を無体に扱うかどうかで敵味方を分ければ、間違いなく味方と言えるのはみかどである。

 彼は愛する姫を粗略には扱うまい。


 だが、たとえば家老義重が姫に無体を働くかと言えば……これがはっきりと『絶対に無体を働く』とは言えないところがあった。

 家老義重の目的はあくまでも『夕山の確保』であり、帝への謀反にも等しいことをして確保しておきながら、家ではそれこそ扱う──そういう可能性も、あるのだ。


 みな、姫を求めている。


 それは欲望もあるのだろう。この、まだ幼いながらも優美さにおいてクサナギ大陸で並ぶ者のない美姫びきを手中に収め、あわよくば男女の契りを交わしたいという、欲望……そういうのも、もちろん、抱いている者はいるはずだ。


 しかし夕山というのは、

 そして


 たとえばムラクモの『庇護欲』もまた愛のカタチの一つであり、ともすれば夕山を守ろうと思い込むあまり視野狭窄に陥り、彼女の安全を脅かしている、なんていうこともあるのかもしれない。


「姫様、あなたには、『味方』が必要です」


 廊下の四辻に二人はいた。


 蒸気塔は上部の帝がおわす場所はさほどでもないが、そこにたどり着くまでには迷路のような廊下を抜けねばならないよう設計されている。

 いくつもの袋小路、それに罠なども存在するこの蒸気塔は、神が眠るとされている迷宮と同じ設計思想である。そして、この迷宮の最奥で待つ神こそが、帝であった。


 家老義重もまた蒸気塔で働く身であるから、内部の構造には賊どもよりも詳しかろう。

 しかし、隠密に属する者ほどは内部の歩き方を習熟してはいないはずだ。


 それを証明するように、今、時間がある。

 ……姫に別れを告げる、時間だ。


「ムラクモ、血が……!」


 夕山の声は悲鳴のようであった。


 ムラクモは満身創痍である。


 すでに左腕が使い物にならなくなり、だらりと肩からぶら下がるのみになっていた。

 右腕も無傷ということはない。どうにか直撃は防いでいたものの、そこには無数の切創せっそうが刻まれていた。


 額から流れた血は止まらず、すぐに視界を覆い隠そうとする。

 袖のたもとを引き裂いて血止めにしてはいるものの、黒い生地でもはっきりわかるほど、そこには血がしみ込んでいた。


 胴部にもいくつもの刀傷があり、特に脇腹にある刺し傷は致命傷であろう。


 ムラクモは今現在、まさしく、死にゆく定めの中にあった。


「姫様」

「血が止まらないよ、ムラクモ……すごく垂れてて……やだ……ダメだよ、すぐに治療しなきゃ……」

「姫様!」


 大声が傷にさわる。

 だがその痛みよりも、姫に大声をあげて怖がらせてしまったことに、一層の痛みをムラクモは覚えていた。


 しかし、言わねばならないのだ。

 これだけは、絶対に、言わねばならない。


「姫様を狙う者は、多数おります。きっと、この動乱も、みな、姫様を狙って起きたものだと、私は考えています」


 それは夕山に告げるにはあまりにも酷な言葉である。

 ゆえにこそ、ここまで言わなかった。言う必要もないように立ち回っていた。


 しかし今、言わねばならない。


「……ですから、あなた様は、選ぶのです。『味方』を」

「ムラクモ……!」

「私は、家老義重が信用ならぬと感じました。ゆえに、戦いました。けれど、姫様が義重を信ずるのであれば、そちらに──」ムラクモは、残った一振りのククリナイフで、己の血の跡が点々と残る廊下を指した。「──向かうが、よろしいでしょう」


 そちらは、今、夕山とムラクモが来た道だ。

 その先には蒸気塔上層にある夕山の部屋がある。あちら方向に戻れば、今まさに追ってきている家老義重およびその手勢とできるであろう。


「あるいは隠密頭の、そちらを頼ろうと思うのであれば、姫様の左手にある道へとお入りください」


 とはいえ、生存は絶望的だろうなとムラクモは思っていた。


 これだけ状況をコントロールして目的を達成しようとしている家老義重が、隠密頭を生かしているとは考えにくい。

 きっとすべての犯人に仕立て上げて、すでに殺しているのだろう。ムラクモはそう考えている。


「……そして、姫様の右手の道へ進めば、軍議の間へ上る道がございます。そこには恐らく、帝がいらっしゃることでしょう。その周囲に侍るしんの思惑は、もはやわかりませぬ。けれど、帝が姫様に無体を働くことは、絶対にありませぬゆえ、そちらに身を寄せるのが、もっとも安全な道かと存じます」


 ムラクモが提示できる選択肢の中で、もっとも安全なのがそれだった。


 ……ただし、家老までもが裏切っている現状、というのが本当にいるかどうかは、わからない。


 夕山は魅力的すぎた。

 夕山は愛される才能を持ちすぎていた。


 彼女の不幸は、人の愛が多様であったこと。そして、愛と欲望が不可分であったこと。加えてもう一つ挙げるならば、。これら三点であった。


 ムラクモもまた、姫の最愛でありたかった。


 もちろん女性同士なので妻に迎えたいとか、その肉体を味わいたいとか、そういうことは思っていない。


 ムラクモは、姫を姫として愛している。


 守るべきもの。保護すべきもの。

 この愛しい存在が、唯一自分だけを頼ってくれたなら……


 その信頼に、実力を以て、勝利のみを献上できたなら、どんなによかったか。


 しかし、ムラクモは『すべて』には勝てなかった。


 この誰からも愛される姫を守るには、『すべて』に勝つだけの力が必要になる。

 すなわち、最強。


 このクサナギ大陸……否。海の向こうの大陸から姫を奪わんとする何者かがあっても、その『何者か』が戦いをあきらめるほどの、圧倒的最強。そういう存在の庇護がない限り、きっと、この姫はいつまでも──


(神よ。なぜ、こんな、に、ここまで愛される才能を与えてしまったの)


 ムラクモは天におわす者に恨みを向けずにはいられなかった。


 夕山は美しく、優美で、高貴で、そして……


 普通の少女、なのだった。


 愛されすぎることを受け止めきれない、ここまでの呪いのような愛を向けられるほどの強さのない、あまりにも普通の、そのあたりにいそうな少女。

 。まして、平穏そのものだった帝都が唐突に戦場になるほどの過剰な愛を向けられるほどの悪いことなど何もしていないし、この動乱の責任を彼女に求めるのは、あまりにも筋が違う。


 金を盗まれる者は金を持っていたから悪いのか? 奪われる弱者は弱者だから悪いのか? 殺される者は殺されるから悪いのか?

 そうではない。

『お前が美しいから』『そのようにこちらを誘惑するから』『豊かそうだから』──そんなのは実際に悪事を働いた者たちの言い訳にしかすぎない。。そこをはき違えてはならない。


 だからこそ、夕山を愛するすべての者が、信用ならないこの状況。


 ムラクモは、せき込み、ふらつき、しかし、最後の力を振り絞って、最後の選択肢を告げる。


「……そして。姫の後ろの道からは、蒸気塔の外に出ることが、適います」

「……」

「あなた様にとっての『信頼に足る味方』が、もしも、この蒸気塔の外にいるのならば、そちらへ、お逃げください」


 そう述べるムラクモの脳内には、の夕暮れの記憶があった。


 名門氷邑ひむら家後継。

 才なく、家の権威を傘に着ることおびただしく、その性質は暴にして狂。


 しかし、似合っていた。


 あの夕暮れの別れ。長くなった姫の影が、まるで絡みつくように彼の影と溶け合う光景。

 姫を恋人にと望んだことのないムラクモでさえ嫉妬するほどに、お似合いだった。


 あれこそ、少年少女の普通の関係だ。


 嫁入りの宣旨せんじが下っただけで、各所で暴動・謀反が起こるという現状こそ、異常。

 。五十男が十二の少女と十の少年の婚約を祝いもせず、謀反をしてまで十二の少女を確保しようとする。その時点で家老義重など、信用するに値しない。


 ここまでの傾国などいったい誰が想像できる?

 姫への愛を抱き、御身を愛でていた者どもは

 大人が子供の嫁入りに納得できずに謀反を起こし、帝都が戦火に包まれます──だなんて、婚約の宣旨が下る前の帝が聞いたら、『そんなわけないだろうに』と思う。それが


 ムラクモもまた、『夕山のために』などと思いながら混乱を起こそうとしていた身だからこそ、振り返ってわかる。

 

 そしてきっと、誰もが。自分を正しいと思い込んでいるおかしな人たちが、『自分はおかしいのかもしれない』と気付けるかどうかは運であり、ムラクモはと今は自覚している。


 だから、彼女の不幸は、彼女の周囲にまともな大人が少なかったこと──ではなくて。


 すべてを才能を持った彼女が、である。


 、まともでない大人が許されるものではない。


「……ムラクモは、どうするの?」


 夕山は言及されなかったことをたずねる。


 ムラクモは、微笑んだ。


「ここで、最後のご奉公を」


 もう、共に逃げる体力はなかった。

 とあれば、命を賭して、ここで時間稼ぎをするのみ。


 それは直前まで、『夕山のために』などと思いながら彼女をさらおうとしていたことへの罪滅ぼしでもあった。

 まさか同時多発的に起きるとは思わなかったが、仮に起きればなる。一歩間違えれば、自分もまた、夕山を追う側に回っていた可能性があるのだ。……その罪は、未遂とはいえ、そそがなければならない。


 そもそも、夕山一人で逃げても、追っ手に追い付かれる恐れがある。

 ゆえにこの、各所へ分岐する四辻で待ち構え……


 命を賭して、子供の未来を守る。

 それが大人にできる最期の奉公であった。


「いや……ムラクモ、一緒に来て……」

「姫様、どうか……!? 姫様、早く!」


 ムラクモがまだ動く右手でククリナイフを構える。


 それとほぼ同時、ムラクモのにらみつける、彼女自身の血が点々と落ちる場所から──


 


 彼女の右手、隠密頭の定めた万が一の合流地点の方向から。


 


 この異常事態ゆえに帝がおわすであろう軍議の間につながる方向から。


 武器を構えた者どもが、ぞろぞろと近付いてくる。


「時間がございません! 姫様、お逃げください!」


 夕山は──


 ただ、なんの力もない少女として、泣き叫んで、信頼する臣下との別れを拒むことが、できた。

 それに、命を賭す臣下の忠心に涙を流し、残る最後の道へ逃げ出すこともできた。


 夕山は普通の少女である。

 優美にして高貴なる容姿を持ち、たまらなく人々に愛されてしまう才覚を持っただけの、中身は普通の少女。

 人の愛を手玉にとって遊ぶ趣味はなく、そもそも、自分に向けられる情念に鈍いところがあった。だが、その鈍さがこの事態を招いたことを自覚できる程度には頭も働き、忠臣から告げられた『夕山を理由に暴動が起こっている』という言葉をきちんと認識する責任感もあった。


 では、どうするべきか?


 夕山は、


「ふ……」

「……姫様?」

!」


 キレた。


「みんなして『御身を保護します』だの『お逃げください』だの! ふざけないでよ!」

「ひ、姫様?」

! ちょ~っと早死にしたけど、! だっていうのにどいつもこいつも……! !!! ど~考えても話はそれからでしょうが! そもそも! なんで家老まで私を狙ってんのよ!」


 夕山の『中の人』は攻略ガチ勢というわけではないので、知っている情報にはある程度の抜けがある。

 だが、家老はあくまでも『三種の神器』を狙っていたはずだ。帝の妹を狙っていたなんて情報、どこにもない。


 そして『希望を聞け』はまったくもって正論であった。

 夕山からの愛を求めている者たちがすべきは、武と乱によって夕山の輿入れに反対するのではなく、だった。


 むしろ人と人との恋愛に、それ以上の最適解など存在しない。


 だというのに、そこを飛ばして、愛する姫を手に入れようとする。

 


「もうこうなったら! ムラクモ、腰の刀を貸しなさい! !」

「し、しかし、刀というのは重く……下手に振っては足を斬ります……」

「こういうのはね! 勢いが大事なの! 私だって戦う気がある! 私の身柄が欲しくて襲ってくるなら、『だったらこっちも抵抗する。拳で』ってこと! いいから貸す!」


 姫の豹変に、ムラクモは傷の痛みも忘れて呆然とした。


 あまりにも夕山らしくない、はっきりとした物言いに、断固とした意思。

 だが。


 悪くない。むしろ、


 ムラクモは──知らず、笑っていた。


 そして、


「クククククク……!」


 集団の気配がなかった方から、笑い声が聞こえた。


 ムラクモと夕山が振り向けば、そこにいたのは……


「いいぞ。気に入った」


 銀髪の、を被った、少年。


 少年は刀を片手に、ゆっくりと近付いてくる。


「そうだよなァ。まったくもって、その通りだ。。資金も、装備も、奴隷も、親も、そして言うまでもなく、! 不当に奪われることなどあってはならん。気に入ったぞ、。褒美に……」


 少年は横に並ぶと、仮面を少しだけ外して、夕山だけにその顔を見せた。


 銀髪に碧眼の美少年。

 少女めいた儚ささえ宿すその美貌には、あまりにも凶悪な笑みが浮かんでいる。


「……この俺の嫁にしてやる。。そして、」


 仮面を被り直し、夕山とムラクモの前に出る。


。まとめて土下座させてやろう」


 かくして、帝都騒乱最終局面。


 氷邑ひむら梅雪ばいせつが、『宝』の守護者についた。


 決戦が、始まる。

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