第36話 帝都騒乱・序の一
たとえば、『普段は警備の厳重な城の中にこもりきりで、多くの護衛や監視の中にいるモノ』を誘拐しようと思ったら、どうするか?
考えられる方策の一つは、正面突破。
もちろんリスクは高い。だが、絶対にとりえない選択肢というわけでもない。
この世界には剣士という規格外の化け物がいる。
もちろん警備側も剣士を大勢備えているだろうが、数と質によほど自信があるか……
身命を惜しまないならば、とりうる選択肢である。
その正面突破を成し遂げるための
たとえば、こんなふうに。
「帝都各所で暴れている者について、帝のご判断を仰ぎたく!」
帝というのは帝都の中心であり政務の中核である。
また、その祖は、自ら先頭に立ってクサナギ大陸を統一し、『魔境』と現在呼ばれている場所から発した
現在の帝も剣士である。
……だが、時代の流れの中で、その性質は『最前線陣頭指揮官』ではなくなってしまっていた。
「……侍大将はなんと?」
帝の返答──
帝は『自ら先頭に立って刀を振るった者』の末裔である。
だが現代では戦いの際に指揮をとるのは、もっぱら侍大将に任じた者の役割であった。
どこの領主大名も、大名の下には『侍大将』『家老』『隠密頭』という三名の指揮官がいる。
隠密頭は情報収集や工作を司る。
家老は内政を司る。
そして、他家との戦争や領内の治安維持における最高指揮官は侍大将であった。
ゲーム
とはいえゲームでは起こったイベントへの対応は
現実においてそのように指揮官を置いていると、指揮官をおいた分野のことは指揮官に任せるべきだろう、という政治および人間心理の力学が働くものであった。
そういった事情から、治安関係で『解決しました』以外の報告が帝にのぼってくることは、ここ数年……少なくとも、今の帝が即位してからは、なかったのだ。
ゆえに、この対応はあまりにも平和ボケしていた。
武を司るはずの侍大将を飛び越えて、帝に直接治安についての報告が行く状況など、一つしかないに決まっている。
「その、さ、侍大将は、討ち死ににて……」
その報告がまだ上っていなかったことが意外だ、という驚きが見て取れた。
つまるところ、情報が錯綜しすぎており、どこにどの報告が行ったかもわからないほどの混乱が起きているということに他ならない。
ここで『は?』と内心をそのまま声にしなかったのは、帝が帝たらんと日々己を律し、勉学や鍛錬に励んできたからであった。
帝とて無能ではないのだ。怠惰でもない。帝として世を治めるべく、可能な限りの努力はしているし、心構えもある。
……剣桜鬼譚冒頭で帝への
帝の
ただ一文、帝が
では、この帝は叛逆されるほどの圧政を布いていた暴君であったのか?
答えは『否』である。
帝の人格、帝の治世、帝の武力、一切関係なし。
この叛逆は、愛がゆえに起こるものである。
しかも、帝ではなく、その妹への愛によって。
「侍大将が討ち死にするほどの手練れがいるだと!? いったいどこの家の者だ!」
家老が叫んだのもむべなるかな。
帝というクサナギ大陸最高権力者のもとで『武』を司る侍大将を殺せる者など、どこかの領主大名なみの血統を持つに違いないからだ。
「詳細は不明に……」
「隠密頭は何をしている!?」
「所在不明に!」
「はぁ!?」
老齢の家老が喉も張り裂けんばかりに声を荒げてしまったのは、無理もなかろう。
侍大将。隠密頭。家老。
大名はこの三つの柱で支えるものだ。帝都の危機に際しては、隠密頭が情報を集め、侍大将が対応し、家老がその結果を受けて内政の方策をまとめる。こういう流れがあった。
だが、侍大将が死に、隠密頭が所在不明。
「……何が起きているのだ」
まぎれもない、帝都の混乱。否──
帝都騒乱の、幕開け。
◆
「……何やら騒がしいと思えば、愉快なことが起きているではないか」
そこらで民が暴れているのだ。
石造りの美しい街並み。あちこちに蒸気機関車の線路が走った整然とした蒸気都市・帝都──
そこは今や、あちこち道や建物が砕かれ、機関車が横倒しにされていた。
民同士で殴り合いのケンカがそこらで起こっており、倒れた女が暗がりに連れて行かれる、金のありそうな紳士の衣服や装飾品をむしりとる連中がいる、とやりたい放題であった。
梅雪は首をわずかにかたむけ、顎を掻く。
(何が起きている? 昨日までの帝都はこのようなことが起こる気配さえなかったぞ?)
しかもここは、それなりに治安のいい区画である。
梅雪は一流の家の後継なので、当然、宿も一流に泊まった。
生意気そうな子供(梅雪)と少数民族である
この奇妙な組み合わせは最初、高級宿のフロントに非常に丁寧な言いまわして『こらこらガキども、ここはな、お前らが来るような場所じゃねぇんだよ。勘違いしたガキと亜人どもはもっとふさわしい安宿を使え』と言われたが……
支配人を呼び出すと梅雪が氷邑家のあの梅雪だということがわかったようで、支配人とフロントの男には土下座をさせ、無事に泊まることができた。
なおフロントの男には梅雪の滞在中ずっと土下座をさせることにしたのだが……
剣士以外の人類は飲まず食わずで土下座を続けるのはせいぜい二日が限界であるようなので、三日目にはもう命乞いをされてしまった。
あと梅雪的にも、最初は飲まず食わずで土下座をする姿は見かけるたび溜飲の下がる快い催しであると思っていたのだが、一日目夜にはもうどうでもよくなっていたので、寛大な心で継続土下座記録チャレンジを勘弁してやることにした。
やはり土下座は長さではなく質だと実感する梅雪であった。
さて商売というのは立地と切っても切れぬ関係性であり、梅雪の容姿を見て『もしやあの、氷邑家のお方では……!?』と理解できる、上流階級に詳しい者が店を構える場所は、自然と高級な店の集まる一角になる。
そして高級な店の集まる一角には、そういった店を利用する客が多く集まるため、帝としても警備を厚くし、治安の維持に努めているはずだ。
だが……
(奇妙な騒ぎだ。混乱を収めようとする兵が一人たりとも存在しない)
騒いでいるのは民、それも、あまりいい身なりをしていない民どもである。
見た感じ、剣士もどきもいくらか混じってはいるようだが、一人一人はさして質も高くない連中である。
これが、帝が帝都の警備を任せている兵どもを、早くも
となると、最初からこの一角には帝の兵が配置されていなかったということになるのだけれど、ここは上流が集う高級店ばかりの区画である。そんなことはありえない。
では、ありえるためには、どういう条件が必要か?
「アシュリー、ウメ、蒸気塔に行くぞ」
警備兵配置をいじれる者が、この混乱を扇動している。
明らかに帝都に混乱を起こしているのでありえない想定ではあるが、たとえば侍大将などが、この混乱の頭にいる可能性があった。
……この世界で生まれ育った氷邑梅雪の価値観のみで言えば、侍大将、そうでなくとも警備兵配置をいじって、それを警備兵に呑ませることができる者がわざわざ帝都の治安を乱すような行為をするなどとは、絶対に思えない。
だが、氷邑梅雪の『中の人』は、帝都が滅ぶ未来を知っている。
この帝都は盤石である。
そして帝の治世にはほとんど誰も不満を抱いていない。
四日もデートで帝都を回ればイヤでも帝都の様子はわかる。
帝は慕われており、その治世に人々はさしたる不満もない。
唯一、反乱が起きそうなほど帝の評判を落とすものとして『
(これまでの生活を捨てて暴動を起こすほどのことか?)
それが暴動のきっかけになるならば、夕山に狂うほど恋慕した複数人の扇動力を持つ何者かがいたことになる。
さすがにそれは、信じがたい。
なので、この世界に生きる者の常識ではありえない決断が複数起きていると考えられる。
ではそんな狂った連中の意図を読み切ることは可能か?
不可能だ。
だからこそ、守りたい者のそばへ向かう。今とれる対策はこれのみであった。
「ええ? 危なそうだし帰らないんですか?」
都合二日も梅雪と二人きりで遊びまわったアシュリーは大変満足そうであり、もう帝都に来た目的が終わっているものと勘違いしているらしかった。
梅雪はアシュリーの方を振り返るとほっぺたをつまんで左右に引っ張った。
「にゃにぃ!?」
「俺たちの目的はなんだ? 俺の正妻になる女を迎えに来たのだろうが。帝都観光が目的ではないぞ。わかったか?」
「にゃにゃにゃ」
「何を言っているかわからん」
ほっぺたを離してやる。
アシュリーのほっぺたは餅のようであった。柔らかく、よく伸び、しかしよく戻る。
伸ばされたほっぺたをさすりながら、アシュリーは「でもぉ……」と涙目で梅雪を見て、
「こんな状況ですし、放って帰ってもよくないですか?」
帝の妹との輿入れのための出迎えだっつってんだが、しかし、アシュリーの言い分にも残念ながら一理あるのだ。
帝都の混乱は帝の責任であり、梅雪が混乱鎮圧を手伝う義理はない。混乱によって危険な目に遭うかもしれない貴人の護衛をかって出る義務もない。
混乱してるのでいったん帰りました、は充分に通じる。特に、今の梅雪の風評ならば、そういうことをしてもダメージはなかろう。
だが、混乱を前に逃げ帰ったと言われて、梅雪個人が堪えられるかはまた別な話であるし……
それに。
(それに……)
梅雪が考えていた、その時だった。
「おい、ガキども、命が惜しけりゃお兄さんたちについて来てもらおうか?」
混乱する帝都の中で、梅雪たちだけがいつまでも放置されるはずもない。
まして、銀髪碧眼のいい身なりをしたガキが、
混乱の中で暴徒化した者たちの中に、理性と損得勘定ができる
だが。
梅雪は武器を持った汚い身なりの男どもに周囲を囲まれ──
「ククク……」
──笑った。
「なるほど、歩く情報が来たな。無目的に暴れる者たちの中で、利益を考えて立ち回る者がいる。おそらく、混乱を大きくするための指揮……いや、調整でもしている、というところか。だが……」
梅雪は迷いなく腰の刀を抜く。
「声をかける相手を間違ったな、三下」
剣士がほんの十人ぽっち。相手取るのになんの問題があろうか?
むしろ、ただの一人でかかってきたほうが、よほど勝機があったに違いない。
氷邑梅雪。
氷邑家後継にして、剣聖と斬り合い、かの剣聖に興味を抱かせた術理の天才。
そして何より──
集団戦においては無双の一人軍隊。
加えて、自分を侮る者を絶対に許さない、煽り耐性ゼロ男。
ただの十人のごろつきによって、氷邑梅雪の本格参戦が確定した。
帝都騒乱、その第一幕が始まる。
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