第35話 前説・帝都騒乱
誤算。
(……
帝都蒸気塔……
帝のおわすいと高きこの場所に、彼女は一室を与えられていた。
彼女は
(今日の様子を見るに、そこそこの偽装はできる様子。……あるいは、我が姫様の愛らしさにかかれば、外道や畜生でさえもが、あのように子供のごとき純真なふるまいを思い出すというのか……)
彼女は夕山(帝の一族は主に名前の頭の二文字ぐらいで呼ばれる)と梅雪の今日の様子を思い返していた。
石の道の上に鉄道が敷かれ、あたりを蒸気列車が走り回る、煙と石の街。
その中で幼い少年少女が、時に手をつなぎ、時に横に並んで同じものを見、二人とも自然に微笑みあう光景……
別れの時、夕暮れの下伸びる姫の影が、名残惜しそうに梅雪の足元に絡みついていたのも忘れられない。
彼女は、こう判断した。
(お似合いだった)
目を閉じ、幼いカップルのデートを噛み締めるようにうなずく。
(……であれば、姫とお似合いな者を外道だの畜生だのと扱うわけにもいきませんね。しかし……姫様が……嫁入り……! ううううううりゃやましいいいいい……! 行かないで姫様……! 私だってまだ結婚してないのに……!)
若い二人の門出を歓迎する気持ちと、敬愛する姫の幸福を願う気持ちと、自分の行き遅れを思い知らされる気持ちで、頭が爆発しそうだよぉ状態になる。
(く、初々しい二人の
護衛と一口に言っても、それぞれにこなすべき役割がある。
周囲警戒ももちろん大事だが、視線は不意の襲撃に対応するためにずっと姫に向けている、というのが彼女の役割だ。
周囲に視線を向けての警戒はチームの者がやっている。護衛チームの中でも姫様のそばに侍ることができるのと、姫様をずっと視界に入れていられるので、彼女のポジションは羨望の的であった。
ひとしきり歯ぎしりしながら悶えたあと、彼女はスッと無表情に戻る。
(……ともかく、あの様子なら……姫様をお救いしなくともよさそうね)
……たとえば夕山を溺愛する兄たる帝が、妹が『氷邑家に嫁入りしたい』と述べた時、難色を示したように。
相手を愛する気持ちというのは、必ずしも、相手の願望を叶えるかたちで出力されるとは限らない。
忠義あるからこそ反論する。
友情あるからこそ対立する。
思いやるからこそ見捨てる。
そういうことが人間関係ではままある。
そして、愛するがゆえに──
(姫様を氷邑家へ
──束縛する。
……氷邑家との婚約を帝が決めた時には、敬愛する姫をさらってでもお救いしようという機運が盛り上がったものだった。
だが、今日、実際に見てみて、その必要はないものと判断した。
(誤算だわ。いいでしょう、氷邑梅雪。姫様を幸せにしなかったなら許さないから……!)
謎のポジションからの意見を内心で叫びながら、彼女はギリギリと歯噛みする。
そして私室の棚にしまっていた酒を取り出すと、備蓄の塩を皿に盛って、塩と酒で晩酌を始める。
(若い二人の逢引の記憶を肴に酒が進む……!)
もう感情がぐちゃぐちゃで、呑まないとやってられない。
ともあれ。
彼女はやめた。
◆
『愛する』というのは美しい言葉だが、それはその言葉で表現できる行為の美しさを保証しない。
「姫様の輿入れなど認められるものか!」
叫ぶのは、帝領で
帝都というのは『帝領領都』であり、帝領にはいくつかの地区がある。
氷邑家などもそうだが、ゲーム的な区分で複数地域を支配下におく大名というのは、大名本人がいない地域に代官を置いておくものだ。
帝というのも、クサナギ大陸でもっとも偉い武士ではあるが、御三家などの独立した大名のほかに、帝領の地域を治めさせる代官も配下として存在する。
その代官のうち一人……
普段の働きぶりは真面目、帝に対する忠誠心もあつく、この職務に誇りも抱いている、その男……
すでに四十歳を迎えた、クサナギ大陸においては立派な大人。そろそろ孫がいてもおかしくない年齢の、男である。
その男が、こんなことを口走る。
「姫様を妻とするために、妻子と別れたワシを差し置いて、噂のクソガキへ輿入れだと……!?」
愛と欲望とは不可分である。
そして、愛はたいていの場合、人の判断力を曇らせる。
四十歳を超えた男が、十二歳の少女を妻とするため、妻子と別れる。
しかもそれは、別に帝から『内々の話』があったということではないのだ。この男が、自分の働きであればそのような申し入れがあってしかるべきだろうと、勝手にそう思っていただけなのである。
はっきり言って、異常だ。
しかもこの男、別に少女性愛者というわけでもない。
夕山以外の少女には見向きもしない。
もちろん、大人が子供にするようには優しく接するものの、そこに『妻に迎えよう』などという欲望は一切ない。
そのような年齢の少女に本気で恋慕を抱く自分と同年代の男がいたら、軽蔑するだろう。
だが、夕山だけは、別だった。
幼い女の子が好きなのではない。高貴だから好きなのでもない。夕山だから、好きなのだ。
帝にも常々『私が代官を務める領地で、今年の石高もまた上がりました。これでいつでも、姫様をお迎えできますな』と、『嫁にとれる』というメッセージを遠回りながら伝えている。
もっともそれは帝からすれば『何言ってんだコイツ?』という、怒りとかではなく、『石高の報告になぜ急に妹の話題が絡んでいたのかまったくわからない』という困惑を呼んでいるだけなのだが……
まさか帝も、妻子持ち四十男が、十二歳の少女を妻に欲しているなどと思わない。
そういう趣味の者もいることぐらいは知っているが、そういう趣味を満たす相手として帝の妹はあまりにも不適格だ。
仮にこの男からの『お前の妹を俺の嫁にくれ』というメッセージに気付いても、帝としては、『もっと手ごろなところで人目につかないよう遊んでくれ』と思うだけである。
男は、敬愛し、偏愛し、
そして結論する。
「……こうなったら、奪うのみ、か」
それはこの男にとって、姫の将来を真剣に考えた末の決断であった。
十二歳の少女と十歳の少年が結婚するのを許せず、少女を奪う──なるほど完全に犯罪だ。だが、彼の中では正義の行いなのである。
ゆえに──
彼はやめなかった。
◆
……またあるところで。
「サァさ、諸君! 朗報も朗報! 帝が、氷邑家にかの姫様を輿入れさせると
その人物が問いかける。
すると、男たちの野太い怒号が、あたりをビリビリと揺らした。
帝都地下道。
その中でもここは、すでに使われなくなった地区の袋小路である。
帝都には蒸気機関技術によって数々の革新的試みがなされており、その中には地下の石炭運搬路と下水道というものもあった。
帝都の蒸気機関はすでに二百年前からあるものなので、帝都の街は二百年かけて地下に道を掘られている。
その中には帝の書庫の地図にさえ存在が記されていない、『誰も知らない場所』も存在した。
……そういった場所には、集まるのだ。
帝都に対して、何かをやらかしてやろうと思う、そんな連中が。
そいつは男たちの野太い
「
男たちが「れぼりゅーしょん!!!」と叫ぶ。
そいつは「
「そんじゃあ、今日の
男どもに見つめられながら、フリフリの衣装を着た女が、足でリズムを刻み始める。
最初は足でのみ刻んでいたリズムは次第に全身に伝播していき、彼女の背後から流れるミュージックの盛り上がりとともに、手足が大きく動き、ダンスと変化していく。
そしてミュージックが最高潮になったところで、女が口を開き、歌い始めた。
その歌の内容は、帝都でこれから起こす革命の計画である。
時にコール&レスポンスを挟み、楽曲に乗せ、歌詞とし共有されるのは、帝都で散発的にテロを起こし、夕山姫をさらおうというテロ計画なのだ。
……紙に残さず、記憶に残すにはどうすればいいか?
それは、歌だ。
強烈な音と光景こそがファンの集中力を極限にまで引き出し、普段は自分で置いた爪切りの場所さえ忘れるような者たちに、テロの計画という複雑なものをただの一回で完璧に覚えさせる。
もっとも、誰もができる芸当ではない。
彼女はまさしく、帝都におけるトップスタァ。
……それだけではなく。
「ヘイ! ヘイ! ヘイ! ヘイ!」
ミュージックが間奏に入ると、彼女は両手を頭の上で叩くような動作をする。
その手拍子に合わせて、居並ぶ男どもが、野太い声でレスポンスをするのだ。
「アカリ! アカリ! アカリ! アカリ!
……御三家。
盾の
目の
そして、矢の熚永
……現在、弓矢というものは卑怯者の武器とされている。
しかし御三家のうち一つは確かに、かつて、矢によって帝の剣の届かぬ場所にいる敵を討ち、その働きを認められて御三家となったのだ。
その一族の娘にして、奥義を継ぐ秘蔵っ子たる存在こそが熚永アカリ。
彼女は熚永家の縁者というだけではなく、その出自と実力、天性の容姿とパフォーマンス能力から、帝都火撃隊のエースの一人にさえ選ばれている。
その彼女がなぜ、帝都で騒乱など起こそうとするのか?
それは至ってシンプル。
一言で述べれば、やはり、愛のためなのだ。
ただし、彼女にとって『愛』とは他者から自分に捧げられるものである。
ゆえに、自分に捧げられるべき愛を奪う存在が許せない。
「二番、いっくよー!」
アカリがコールをすれば、男どもがけたたましくレスポンスをする。
最高の盛り上がりだ。
きっとこの新曲が帝都のあちこちで流れるころには、自分が一番になっていることだろう。
帝の愛する妹だかなんだか知らないが、あんなお子様に骨抜きにされている連中は本当に見る目がなくてかわいそう。
真に一番カワイイのは──
(──このアタシ、熚永アカリに決まってるんだから!)
ゆえに彼女はやめるはずもなかった。
……かくして。
帝都騒乱という演目は、開幕することになる。
ゲーム本来の歴史より十年も早い今──
さまざまな勢力と、そして。
梅雪たちを巻き込んで、帝都は戦場と化す。
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