第20話 vs剣聖シンコウ 一合目

「やはり来たか」


 氷邑ひむら梅雪ばいせつが浅黒い肌の天狗エルフ(先に氷邑家に行かせているまつろわぬ民が逃げないよう、一人だけ手元に取り置いた)に土下座させてその背中に腰かけていると、目的の人物が歩いてくるのが見えた。


 すでにあたりは夜の暗闇の中であり、不毛の大地である『魔境』は、夜になると昼の熱さが嘘のように冷え込む。

 また、魔物と呼ばれる脅威のほとんどは夜行性なため、この時間にオアシスのそばにいるのは自殺行為である。


 ……もっともそれは、実力の足らぬ者の場合、だ。


 梅雪が片手を掲げ、指をパチンと鳴らす。


 するとオアシスを囲むように配置されたかがり火が一斉に灯り、オアシス周囲の光景が浮かび上がる。


 そこにあったのは、大量の魔物の死体だ。


「この『魔境』に水場は少ない。貴様らはここらの民のために魔物を狩る代わりに、水を得ているらしいなァ? 貴様の仕事を代わってやったぞ。泣いて感謝しろ。──剣聖シンコウ」


 暗闇の向こうから現れたのは、シスター服を思わせる衣装をまとった、黒い布で目隠しをした、蜂蜜色の髪の女だった。

 艶めかしい唇。優美な曲線を描く肢体。ただし、すらりと伸びた背筋と、腰に差した大小二刀から放たれる雰囲気が、その女の強さを強烈に匂わせている。


 剣聖シンコウの隣には下働き用の服(メイド服を思わせるが和服も思わせるというデザイン)を着て、ボロボロになった赤毛の犬獣人がいる。

 梅雪とおおむね同い年のは氷邑家で世話していた奴隷であり、あの日、剣聖シンコウに盗まれた少女であった。


 ゲーム剣桜鬼譚けんおうきたんシナリオの通りであれば、そろそろ『トヨ』という名前がつけられているはずだ。

 まあ、梅雪はその名を採用する気はない。盗人が自分の物に勝手に名前をつけているのは、想像するだけでもムカついて仕方がないから。


 取り戻して、名付けてやる。


 梅雪はそう思いながら、浅黒い肌の天狗エルフに座ったまま、脚を組み替えた。


「それで? このあたりの魔物が死んでいることも、ここに俺がいることも、貴様は近付いたわけだろう? ……なるほど、貴様は俺に言わねばならんことが、確かにあるなァ? 聞いてやる。言ってみろ」


 事実、シンコウの気配察知能力であれば、オアシスにいた『まつろわぬ民たち』の気配がないことも、大量の魔物の死体が転がっていることも、そこにうずまく強烈な神威かむいさえも、余すところなく感じ取れた。


 シンコウには、この異常事態を避けるという選択肢もあっただろう。


 だが、彼女は来た。


 ここまであからさまな気配を発し、異常事態を起こしながら待ち受けていたのは、『ここまでやってシンコウがオアシスを避けるなら、それは〝逃げた〟と見做し、つまり俺の勝ちだが?』といった意図があってのことだ。


 ゲーム剣桜鬼譚けんおうきたんにおいて、『魔境』にオアシス以外の水場があるという描写はなかったので、シンコウがすでにオアシスから水をもらっているというのは予想していた。

 ……ちなみに、もしもシンコウが逃げたとしたら、その場合は奴隷を取り戻すため後日捜索しなければならなかった。

 もっとも安定した選択は『隠れて潜んで待ち伏せする』というものだが、その卑怯で惰弱な振る舞いを、梅雪の中のきかんぼうが選択できなかったのだ。


 だが、シンコウは来た。


 そこで梅雪は申し開きをする権利を与えたのだが……


 シンコウはにっこりと微笑み、こんなことを言い始める。


「わたくしを追いかけてきてくださったこと、まことに嬉しく存じます」

「ハァ?」


 梅雪の記憶の中のシンコウは、奴隷への扱いに怒って梅雪を叱責し、そのまま奴隷を奪って逃げ出した盗人である。

 しかし今、目の前にいるシンコウはなぜだかとても嬉しそうで、かがり火の明かりの中にいるせいなのか、頬なども上気しているようにさえ見えた。


 意味がわからない。

 というか、不気味すぎる。


 予想と違う反応にペースを持っていかれかけた梅雪であったが、ここで相手にペースを握られるのも気に入らない。「ふん」と鼻を鳴らしてわずかな時間を稼ぎ、言い返しのための文言を整理してから、口を開く。


「意味がわからんな。盗みを働くような下郎の頭の中は、この高貴にして経歴に一点のきずもない俺には理解しがたいものと見える。……違うだろう? 貴様がこの俺に出会って、真っ先に言うべき言葉は、そうではない。わからんか?」

「どういったものでしょう?」

!」


 謝ったからといって許すつもりはまったくないが、まずは謝罪の一つもするのが礼儀、いや、人道であろうと梅雪は主張する。


「それを貴様は開口一番にわけのわからんことを……! いいか! 貴様は! 氷邑家から! この俺から! 奴隷を盗んで逃げた! コソ泥だ!!! 謝罪しろ! 地面に額をついて謝罪しろ! 誠心誠意、俺に媚びへつらえ!」


 土下座お願いしますのハンドサイン(拳を突き出して親指を下に向ける)をしながら、梅雪は立ち上がる。

 すると今まで土下座椅子にされていた浅黒い肌の天狗エルフが慌てて立ち上がり、暗闇から伸びて来た金属製の腕にさらわれて、その気配が遠ざかっていく。


 梅雪は、腰の刀を抜いた。


 そして周囲にきらめくつぶて交じりの風を舞わせる。


「俺は、俺の物を奪うヤツを許しはしない! 何も渡さん! 父も! 領地も! 未来も! 妹も! そしてもちろん、奴隷もだ! 俺の奴隷を返せコソ泥!」


 たかが奴隷を奪い返すにはあまりにも強烈な熱量がこもった言葉だった。


 だが、氷邑梅雪というのはそういう男だ。彼は基本的に自分を侮る行為のすべてを許すことができない。かつての……梅雪は、その幼稚さから癇癪を起こし、その場にいる者に当たり散らし、駄々をこね、しかしどうにもならないと言われて不満を抱えていくしかない弱者であった。


 だが、今の梅雪は、『実行』を覚えた。


 ゆえに、何も渡さないという選択をすることができる。


 この宣言に感動していたのは、シンコウにさらわれた奴隷の犬獣人であった。

 乱暴な主人の思わぬ自分に対する所有欲と、こんな場所で毎日酷い鍛錬をさせられつつ生きていかねばならない暗い未来に、突如差し込んだ光、それが梅雪なのだから。


 しかし……


「ああ──


 ぺろり、と瑞々しい唇を舐めて、シンコウが呟く。


 その声音、全身から香り立つ強烈な『女』のニオイに、子供の犬獣人は無意識に半歩遠ざかった。


 剣聖は発情していた。

 それも、唐突かつ強烈に。


「……わたくしがあなたの領地から出てひと月と少し、ですか。その期間に、よくぞそこまで、


 シンコウは少しだけ迷っていた。


 ここで戦うべきか、否か。


 あれだけ美味しそうに育っていれば、ここで戦っては、我慢ができないかもしれない。

 つまみ食いのつもりで刀を合わせれば、殺してしまうかもしれない。将来的にもっと神に近付くであろう梅雪の命脈めいみゃくをここで断ってしまうかもしれない──


 それは避けたかった。

 だから、ここでは戦わない選択をすべきだ。


 ……理性はずっと、そう叫んでいる。

 ここに、あの時に氷邑家大名屋敷で見た梅雪のかぐわしい神威を感じ取ってから、『避ける』という選択肢を、ずっとずっと、シンコウの理性は推しているのだ。


 だが、来てしまった。


 そして、気付けば、腰の刀を抜いている自分がいる。


(ああ、もう、無理なのですね)


 シンコウは心の中で嘆いた。

 しかし、内心の声でさえももう、興奮を隠せていなかった。


 唇から紡がれる肉声は、内心の声よりももっともっと、妖しい艶を帯びていた。


「ああ、斬りたい」


 そのゾッとするほど色香の濃く匂う声に、そばにいたトヨがまた半歩離れる。


 梅雪は腰に差した邪魔な鞘を投げ捨て、シンコウと七歩ほどの距離で止まった。


「泥棒を働くような下郎はやはり頭がおかしいと見える。今、この俺を目の前にして、『斬りたい』と言ったか?」

「ええ。ふふ……斬りたい。あなたを、斬りたい。あなたを斬ったら一体、どういう感触があるのでしょう? その時、わたくしは、どういう気持ちになるのでしょう?」

「気色が悪い。気色が悪い。気色が悪い。……そして、気分も悪いな。斬りたい? この俺を斬りたい? ……貴様ごときにこの俺が斬れると思うかァ!? 這いつくばって命乞いをしろ、コソ泥ォ!!」


 梅雪が風を使って加速する。


 シンコウの切っ先がバチバチと爆ぜる。


 風と雷の加護を持つ者。

 ともに剣士の才が無い者。


 ……互いに、余人からは理解し難い逆鱗を持つ、二頭の化け物が。


 信念と呼ぶにはあまりにも俗な理由で今、斬り結ぼうとしていた。

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