第25話

「ダグ! アリシアのにおいは!?」


 道とも言えぬ森の中、アリシアの所在を探るにはダグラスの鼻だけが頼りだった。

 その矢先、ダグラスの動きが止まる。


「ダグ?」


 彼は辺りを確認するように見回し、ピンと立った耳が周囲の気配を探る。

 小刻みににおいを嗅ぎ分けていた鼻先が、ピタリ、と止まった。


「っアリシアの、だっ……!」


 次の瞬間、ダグラスは弾かれたように地面を蹴った。

 エルザとギルベルトもあとを追う。

 自然と足を繰り出す速度が早まるものの、行く手を阻む木々の枝葉が邪魔で仕方がない。

 気持ちだけが急いていた。


「遅い! 乗れ!!」


 先頭を行くダグラスが叫ぶ。

 ギルベルトはエルザの腰を片腕で抱きかかえると、すばやくダグラスの背に飛び乗った。

 途端に走る速度を上げた漆黒のオオカミは、吹きすさぶ風のように木々の間を駆け抜ける。

 枝葉を伸ばす木々がまるで、道を譲るかのように左右にわかれていく。

 耳元で、風がビュンビュンと音を立てて流れていく。

 目を開けていられぬほどの風圧に、エルザは必死に漆黒のオオカミの背にしがみついた。


「っ! アリシアっ!?」


 切羽詰まったダグラスの声に顔を上げる。

 暗がりの中、まず視界に映ったのはグールの群れだった。

 グールの肩越しに、見覚えのあるピンク色が揺れる。


 アリシアが、そこにいた。

 ひたいから真っ赤な血を流して。


「アリシアっ!!」


 森じゅうにグールの奇声がこだまする中、ダグラスの声がひときわ響く。

 顔を上げたアリシアの苦痛と安堵が入り交じったような複雑な表情に、オオカミの背が大きく揺れた。


「ダグっ……!」


 アリシアの血だらけの手が、助けを求めるように彼に向かって伸ばされる。

 走るスピードをさらに速め、ダグラスは一直線にアリシアに向かっていった。

 そうしてグールの壁をものともせず、颯爽と彼女を群れの中からかっさらっていく。


「ちょっと油断してしまいましたわ……」


 グールの群れから距離を取り、そっと地面に下ろされたアリシアの姿はひどいものだった。

 今朝ダグラスがかわいらしくセットしたであろう髪はぐちゃぐちゃに乱れ、彼女のお気に入りのドレスは無惨にも引き裂かれていた。

 白い柔肌に刻まれたいくつもの爪痕から、じわり、と血がにじむ。

 彼女はいったい、いつからグールに襲われていたのだろう。

 砂ぼこりにまみれ、傷だらけの体でアリシアは力なく笑みを見せる。

 地面に吸いこまれるように滴り落ちる血に、ダグラスはおもわず顔をしかめた。


「このくらい平気ですわ、ダグ」


 アリシアに寄り添うダグラスが、彼女の傷をいたわるようにしてそっと舌を這わす。

 ふさがっていく傷口に、エルザも人知れず安堵の息をこぼした。

 一方で、グールの群れは奇声を上げながら、ぞろぞろと彼らに迫ってきている。

 漆黒の毛を逆立たせて、ダグラスは低いうなり声を上げてグールを威嚇する。


「貴様ら……! 許さんぞっ……!」


 次の瞬間、ダグラスはグールの群れに向かって飛び込んでいった。

 大きな牙で迫りくるグールの頭を噛み砕き、鋭く尖った爪が腐った肉を引き裂く。

 愛する者を傷つけられたオオカミの怒りは収まることを知らず、グールは次々と屍と化していく。


「うーん、ちょっと数が多いね」ギルベルトが思案顔のまま言った。

 アリシアの血のにおいに引き寄せられているのか、どこからともなく敵は湧いて出る。


「エルザ、アリシアをお願い。すぐ終わらせる」

「わかった。任せて」


 自らもグールの群れに身を投じたギルベルトの言葉に、エルザも大きくうなづく。


「アリシア、大丈夫?」

「ごめんなさい。お姉さまのハンカチが……」

「いいの、気にしないで」


 アリシアのひたいの傷口を押さえたエルザの白いハンカチが、みるみる赤く染まっていく。

 苦痛に顔を歪ませるアリシアをかばうように、エルザは敵と彼女の間に立った。

 動けないアリシアを守れるのは、今はエルザしかいない。

 戦うための手段はないが、それでもグールの目からアリシアの姿を隠すくらいはできるはずだ。

 いくら数が多いといっても、所詮はギルベルトとダグラスの敵ではないだろう。

 彼らならきっと、この場にいるグールを駆逐してくれるはずだ。

 エルザは二人を信じ、周囲を警戒しながらもじっと戦況を見つめていた。


「っ!?」


 そのときである。

 なにか不穏な気配を感じ、エルザは反射的に背後を振り返った。

 エルザの突然の行動に何事かと驚くアリシアのうしろで、はゆっくりと身を起こした。


「アリシアっ!!」


 グールには知能などない。

 長いことそう信じられてきたはずだった。

 しかしは、確かに知恵を働かせて来たのだとしか思えなかった。


「どうしてうしろから……!?」


 群れの大半は、本能的にダグラスとギルベルトに牙をむいている。

 だが、そいつらはあきらかに彼らを避けるようにして遠回りをしてきたのだろう。

 息をひそめてエルザとアリシアの背後に回りこんできたグールは、今にも座りこむアリシアに襲いかかろうとしている。


 エルザは咄嗟にアリシアの手を引くと、小柄な彼女の体を抱きしめる。

 戦う術のない今の状況では恐怖しかなかったが、体は無意識に動いていた。

 エルザは振りかざされるグールの爪を払うように、衝動的に自身の腕を横になぎ払った。


 その瞬間、グールの雄叫びとともに腐った腕が地面に転がり落ちる。


「エルザ!!」「アリシア!!」


 いったいなにが起きたのか理解できなかった。

 異変に気づいたギルベルトとダグラスの声が、やけに遠くに聞こえる。

 全身を流れる血がたぎるように熱くなり、鼓動が大きく脈打った。



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