第19話 夜会

 フィリップを歓迎する夜会は領都の有力者が集められ盛大に行われた。夜会の参加者達はまるで精巧な人形のように美しい王子のフィリップと、王子にも引けを取らない、美しく成長したエヴラール家の嫡男マリクを一眼見ようと、二人を取り囲んだ。

 俺は、人々の中心にいるフィリップとマリクより、彼らを守るためすぐ後方で控えめに佇んでいる騎士…、ローレンから目が離せなかった。


 朝のお礼を、一言だけ…。少しだけでも言葉を交わしたかった。


「全く…人が多すぎる。お忍びで来たというのに、マティアスは何か勘違いをしている。そう思わないか?」

「え…?」


 テーブルに置かれた飲み物を補充している俺に話しかけてきたのはフィリップだった。会の中心にいたはずなのに…なぜここに?

 俺はフィリップに強引にテラスへと連れ出された。テラスへ出るとフィリップは、テラスへ通じるガラス戸を閉めてしまったので、退路を塞がれた俺は動揺した。


「おい、ノア。お前、男の妻だと言うが、夫はアルファ…ではあるまい?」

「…… 」

 俺はまた、答えに詰まった。本当は結婚していないとも言えず、とりあえず頷いた。

「そうだろう。でもお前、オメガなんだろう?」

 フィリップは覆い被さるように両手で俺を捕えると、テラスの手すりに押し付けた。手すりとフィリップに挟まれて、逃げられない。フィリップは俺の首筋に顔を近付け片手で俺の髪を撫でる。

「あ、あの… 」

「うん…花のような甘い匂いがする 」

 花…?特に、触ってはいないけど。それよりフィリップの距離が近過ぎる…。でも相手は王子だ。振り払えない。

「あの…先ほど花ではありませんが果物を運んでいたのでそのせいかもしれません 」

「おい、雰囲気を壊すな。分かるだろう?どういう事か…。 」

「どういう事…?」

「お前はオメガ、私はアルファ…。お前のフェロモンが気に入ったと言ったんだ。今夜、俺の相手をしろ。オメガなら、アルファに抱かれてみたいだろう…?」

「…!そ、そんな、とんでもない!私はベータです!」

「何?」

 フィリップは俺を訝しげに見つめた。フィリップは俺をオメガと間違えた?アルファはオメガのフェロモンの香りを、敏感に感じ取るというが果物とフェロモンの香りを間違えたという事だろうか?その二つは似た香り…?

 

 その時、テラスのガラス戸がギイ…と音を立てて開いた。やってきたのは、マリクとローレンだった。


「殿下、こんな所で何をしていらっしゃるのですか?」

 ローレンはフィリップの背中越しに尋ねた。フィリップはまだ俺を抑えたままだったので、俺からローレンの表情は見えない。

「…ローレン。こいつの味見をしてやろうと思ったのだ。夫より私の方が良いはずだからな… 」

「殿下…、お戯を。そのような下賤のものを相手になさらないでください 」

「ふ…。下賤のもの、か…。確かに… 」

 フィリップは俺を手すりに押さえつけたまま、冷たく見下ろしている。俺がオメガで無かったことが不満だったのだろうか?


「殿下参りましょう。挨拶をして頂かないと会が締まらないのです。」

 マリクはフィリップに声をかけると、フィリップの手を引いてテラスを出て行った。ローレンも俺に振り向きもせず、後に続く。


『下賤のもの』か…確かに俺を形容するのなら、それで間違いは無い。けれど酷く傷付いた。下賤のもの、なんて…一度でも、自分を好きだと言った人の台詞なのだろうか?悲しかった、すごく…。テラスの戸が閉まってから、暫く動けなかった。冷たい風を浴びて、心を落ち着かせてから室内に戻ると、ガラス戸の隣りから声を掛けられた。


「おい 」


 振り向くと、ローレンがガラス戸の隣の壁にもたれ腕を組んで立っていた。もう、俺の名前を呼ぶつもりもないらしい。冷たい目で睨まれる。

「医務室に行け。手が…酷いことになっている 」

 手…?確かに、自分の手を見ると赤切れとマリクに叩かれたところが傷になっている。俺は会釈だけしてローレンに背を向けた。

 俺のことを捨てたくせに。賤しいものだと蔑んでおいて、どうして構うんだ…。それなら放っておいてくれればいいのに…。俺はたまらず夜会が行われている広間を飛び出した。


 

「ノアー!」

「ルカ様?!」

 広間を出た所で俺を呼んだのは、ルカだった。今日は小さいながら正装姿だ。可愛らしい。

「ノアごめんね…!嘘だよ嫌いなんて…!大好き!」

 ルカは少し涙ぐみながら俺に飛びついた。俺はルカの涙を拭う。

「大丈夫…。分かっています 」

「分かってない、ノアは…。ノアは僕と結婚するはずだったのに他の人と結婚しちゃうなんて…!まだ怒ってるんだぞ!」

「え?」

「ほら忘れてる!」

ルカは赤い顔をしながら膨れっ面になった。余りにも可愛らしいので俺が頭を撫でると、後ろからルカとローレンの父、ジェイドが妻を伴って現れた。


「久しいな。ノア…。元気でやっているのか?」

「はい… 」


エヴラール家の騎士団長であるジェイドはいつもならエヴラール辺境伯の護衛をしているはずだが…。ジェイドが夜会に夫人を帯同し、ルカまで一緒に参加していることに俺は驚いた。

 広間を出たものの、ルカが俺から離れたがらないのでルカを抱いたまま一緒に広間に戻ることになってしまった。


「今日は招待を受けたんだ。ほら、ローレンが帰って来ているから、夫婦で勇姿を見にこいと言われてね。」

 

 ジェイドの視線の先には、フィリップにマリク、その隣にローレンがいた…。そうか、成長したローレンを見るために…。確かにローレンの隊服姿は勇姿と言うに相応しい。



 ちょうどその時、フィリップが挨拶をするために会の中心に立った。咳払いを一つすると、フィリップはグラスを掲げる。


「今夜は皆と過ごせた事、嬉しく思う。エヴラールの騎士祭り、国境の視察というのは建前で、私は同窓であるマリクを祝うためにやって来たのです。同じく同窓である…ローレンとマリクの婚約を祝って!では、乾杯!」


 フィリップの挨拶に、辺りは万雷の拍手に包まれる。一斉に、「おめでとうございます!」という言葉も飛び交った。


 分かっていたことだったけど…。俺は涙が溢れそうになった。まずい…。こんな所をルカに見られるわけにはいかない。俺は抱いていたルカをジェイドに預けると、広間を出た。


 誰もいない所…俺は使用人の控え室に行こうとしたのだが、広間を出て廊下を少し歩いた所でルカが追いかけて来た。


「ノアー!」

「ル、ルカ様…!」


 俺を見つけるとルカはまた飛びついてくる。ルカは俺の顔を見て、首を傾けた。


「ノア、どうして泣いてるの?」

「目にゴミが入って…顔を洗おうと思って… 」

「そうなの?大丈夫?」

「ルカ様…だから俺…少し部屋に戻るから。ジェイド様のところに戻ろう?」

「じゃあ、ノアの部屋に行く!」

 ルカは満面の笑みで言う。困った…。少し離れた所から、ルカを呼ぶ声がする。俺は見つかりたくなくて、ルカに戻るように言ったがルカは久しぶりに会った俺から離れない。

 なお近づく足音に、俺は咄嗟に廊下の隅にあったテーブルの下に隠れた。テーブルには長いテーブルクロスが敷いてあるから中に入れば外からは見えない。俺が隠れると、ルカも中に入って来てしまった。


「ルカ!」

 ルカを呼ぶ、ジェイドの声が、足音と共に通り過ぎた。俺の顔を覗き込んでくるルカに、俺はお願いした。


「ルカ様…ジェイド様が戻って来たら行ってください。俺のことは内緒で…。いいですね?」

「…ノア…じゃあ今度また遊べる?家に来てくれる?」

「ええ… 」

俺はルカと指きしりた。すると、また別の足音が近付いてくる。


「ルカ!」


 ルカを呼ぶ声…。ローレンの声だ。俺はルカに精一杯笑いかけて、行きなさい、と合図した。ルカは頷いてテーブルの下から這い出す。


「こんな所に居たのか!みんな探していたんだぞ!」

「…ごめんなさい。」

「…母上が心配している。父上も。行こう。」


 ルカを連れて行く、ローレンの足音が遠ざかる。完全に足音が聞こえなくなってから俺はテーブルの下から這い出した。良かった。…婚約発表の後、普通の顔で会えるわけがない。顔を合わせたく無かった。


 使用人の控え室へ戻るとジョルジュが待っていた。


「ノア…!今朝は助かった…!王子に殺される所だった!…本当にすまない!」

「…良いんだ。それより、ジョルジュは大丈夫なの?エヴラール辺境伯様は…?」

「明日、呼び出された。こればかりは自分がした事だから、仕方ない…。それよりノア。今日のお礼をさせてくれ。この後、片付けは引き受けた。明日はようやく休みだろう?帰って休んでくれ!」

「…でも 」

「ノア、もうこんな事しかしてやれない。行ってくれ 」

 ジョルジュに頭を下げられ、俺はありがたく帰宅することにした。今日はローレンの婚約発表もあって、頭が回りそうにない。

 

 身支度を済ませるともう、夜中。乗合馬車などは完全にない時間だ。家までは少し遠いけれど歩けない距離でもない。俺は歩いて帰る事にした。


 家は領都の端にある。

 夜中でも賑やかな繁華街を通り抜けて少し寂しい通りに入ると、コツコツと後ろから足音がついてくることに気がついた。気のせい…?野犬の類か、それとも…? 


 怖くなって少し、早足で歩くと、その足音も続いて早くなる。


 やっぱり気のせいじゃない!


 俺が走って逃げようとすると、足音も走り出した。怖くて振り向くことができない。必死に走って…どのくらい走っただろう?家の近くで後ろを振り返ると、いつの間にか足音は聞こえなくなっていた。安堵して家に入り、急いで戸締りをする。その夜は恐怖で明かりをつけたまま寝床に入り、散々な一日がようやく終わった。

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