第16話 エヴラール辺境伯家の仕事
新年を迎えて俺はエヴラール辺境伯家に移った。と、言ってもエヴラール辺境伯家の使用人は宿直形式で住み込みではないため、俺は新たに領都の隅に小さな家を借りることになった。エドガー家では住み込みで働いていて、給料はエヴラール辺境伯家より少なかったけれど支出は殆どなかったのだ。今後は家賃も食費も自分で払って行くとなると…暗澹たる気持ちになった。
エドガー家を出て行く時、ルカに泣かれて、最終的に嫌われた。しかし俺もそれを宥めたりするゆとりも無く別れることになってしまった。俺が居なくなってもきっと…優しい家族に召使、エリーもまだ健在だから大丈夫なはず。そして最後に…ローレンから預かった大切なロザリオをジェイドに渡した。
マリクは春に戻ると聞いていたのだが、夏を過ぎても戻っては来なかった。噂によるとローレンが王宮騎士団に入団したため、それに付き添って一緒に王都に残っているのだとか。ローレンが王宮騎士団で名を挙げてから領に戻り、二人は結婚するのだろうと言われている…。
二人が結婚する。そう聞かされてもさほど驚きはしなかった。二人が同じ王都の学校へ行った時点で、そんな予感はしていた。だってふたりはアルファとオメガ、本能で惹かれ合ってしまう。それが三年間、寄宿舎とはいえ寝食をともにするのだから…。
ただ、本当に二人が結婚するのならエヴラール辺境伯家で働きたくない。だから俺は空いた時間に仕事を探してギルドを訪ね歩いた。
予想はしていたが結果は散々…。絵ではなく、計算を習えば良かったと後悔した。俺は十八になっても身体が小さく力がない。力仕事が出来ない男は頭を使うしかないが、それも出来ないのだ。潰しが効かない俺をギルドの職員は「あとは娼館に身売りするしかない」と、冷たくあしらった。
後悔していた絵だが…辛い生活のなかの唯一の救いでもあった。最近はようやく素描から一段階進展して絵の具を使わせてもらえるようになったのだ。色をつけるのはとても楽しい…。アロワにはまだ褒められてはいないが、絵を描くことは生きる支えになっていた。
それにベルからの絵の受注もかなり増えていた。ベル曰く、最近は人気になっていてあまりにも頼まれるので少し謝礼を上げたのだとか。年若い女性からの謝礼をあげる事は一瞬躊躇したものの、実際手元に届く金銭を前にすると…正直ありがたかった。独立してやって行くには至らないが…返済を少し増やすことができた。
忙しさに身を任せていると日々は過ぎ、暑い夏が終わり、もう、実りの秋…。
その知らせは突然もたらされた。
「ノア、ちょっといいかい?」
俺を呼び止めたのはエヴラール辺境伯家の侍従長、ディボットだ。ディボットの部屋に行き、小さな丸椅子に腰掛けるとディボットは眼鏡を掛けて手紙を見ながら話を始める。
「ちょうど来月、マリク様がお帰りになる。ノア、お前にはマリク様の身の回りの世話を頼む。マリク様は知っての通りオメガだ。結婚しているベータにしか、頼めない事なんだ。」
「え…。ですと、私には無理です。結婚していません 」
「なに…?エヴラール辺境伯様は、お前は結婚していて『男の妻』だとおっしゃっていた。エドガー家からもそう言われて推薦を受けたと…!」
「まさか…!」
俺は戸惑った。ジェイドが嘘を言った?いや、ジェイドがそんな事する訳がない。…ではエヴラール辺境伯が?なんのために?
「おいおい…お前が独身なら此処では雇えない。しかし…此処を出て、食べていけるあてはあるのか?」
ディボットは眉を寄せた。ディボットは俺の親のことも全て知っていて、以前から心配してくれている、優しい男なのだ。俺が正直に「ありません」というと、大きなため息をついた。
「…半年以上共に仕事をして、私はお前の事を信用している。マリク様はプライドがあって、女の召使にヒートを見せたくないらしくてな。お前に頼めるか?間違いを起こさないと誓ってくれるなら、結婚の事は黙っておく 」
俺は頷くしかなかった。仕事がなくなれば、借金を返せないどころか生きていけないのだ…。同時にもう一度別の仕事を探すことにした。
修道院はエヴラール辺境伯家の寄付で成り立っていると言っても過言ではない。だからエヴラール辺境伯家の仕事を断って修道院に戻ることは出来ないだろう。俺は再び、いろいろなギルドへ行ったが、やはり前回と結果は同じだった。違ったことと言えば、前回「娼館に行くしかない」といったギルド職員が本当に、娼館の紹介状を渡してきたことくらいだ。
男は俺に囁いた。
「オメガが一番高額なんだが…お前も十分需要はあると思うぞ?女だと華奢で、脆い…という方がいてな?お前は地味だが可愛い顔をしているからここならよい給料が貰える。」
以前クレマンが俺を売ろうとしたような加虐趣味の客だろうか?まだ借金を返せていないのに殺されるのは困る。俺はできるだけ丁寧に断ってギルドを飛び出した。
結局俺は、いもしない男の妻だと…結婚していると偽り、マリクの召使いとして働くことになってしまった。
ローレンがマリクと結婚するならむしろ、俺も結婚している方が都合がいいのではないか?ローレンもその方が俺に、遠慮や罪悪感を抱くことはないだろうから。でも、虚しい、悲しい…。
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