第10話 婚約

 俺は結局、クレマンに謝罪して養子の話を断った。クレマンは俺が断ると少し不機嫌になったが、仕方がない。俺はどうしてもローレンとの約束を叶えたかったのだ。

 ローレンと見に行くと約束した、今年の最後に行われる騎士祭り。騎士たちの予選は順調に進み、多分今年もローレンの父親が優勝するだろうというのが大方の予想だ。騎士祭りの勝者が誰になるのか、誰に賭けるのか…修道院はその話題で持ちきりで、他の話題などもうみんな忘れてしまったかのようだった。

 騎士祭りは成人後の十八歳から、参加が許可される。だからローレンはまだ参加しない。いつかローレンが出場する時はローレンに賭けよう。そんなことを考えながら俺は騎士祭りの日を指折り数えて待った。

 



 騎士祭りの準備を全て終えた前日…。明日はどうするのだろう?何時頃、ローレンは迎えに来てくれるのだろうか?俺は連絡がないことを、少し不安に思っていた。


「おいノア!」

 時間は既に昼を過ぎ、午後。もう仕事は終わって、明日に備えてゆっくり過ごそうと思っていたのだが突然、ウルク司祭に呼び止められた。呼び止めたウルク司祭は慌てた様子で駆け寄ってくる。

「今からすぐに市場に行ってくれ!白い薔薇を買って来るんだ!買えるだけ、沢山頼む!」

「白い薔薇を?しかしもう、市場は休みではないですか…?」

「いいから、店を開けさせてでも買ってこい!いいな!」

「そ、そんな…無理です。」

「無理でもやるんだ!騎士祭りでエヴラール辺境伯家が婚約者のお披露目を行う!婚約の祝いに白いブーケがなければ格好がつかん!」

「エヴラール辺境伯家が婚約者のお披露目を…?」


 まさか…。それって…。俺は顔から血の気が引いて行くのを感じた。司祭は非情にも、俺に告げる。


「マリク様とローレン様の婚約だろう!婚礼も教会の仕事だぞ…!急げ!いいな!」


 そんな…。俺は愕然とした。しかし、ウルク司祭に早くしろと怒鳴られ、震える足で市場へと走った。


 マリクとローレンの婚約…。よりによって俺と行くと約束した、騎士祭りで婚約を?誰か、嘘だと言ってくれ…。

 

 俺は祭事の花をいつも買いに行く店へ駆け込んだ。すると今年はもう仕事納めだと言っていたはずの店主が、まだ店を開けている。


「ノア!聞いたよ。マリク様とローレン様が婚約するんだろう?!街でも噂になっているから、来るんじゃないかと思っていたんだ。」

店主は今年の最後に、めでたいなぁと言って俺に白い薔薇を沢山手渡した。明日、マリクとローレンが結婚の約束をする…白い薔薇を俺に。


 俺は会計を済ませるまで、何とか泣かずに堪えた。店を一歩出たら、歩く事が出来ないくらい涙が溢れて来て道の往来だと言うのに立ち止まってしまった。


 婚約するなら、どうして…一緒にランタンを見ようなんて言ったんだ。年が明けて来年、一緒にギルドに行ってくれるって約束した…。指切りもしたのに。…嘘つき…。


 立ち止まっていたら、前から歩いて来た男にぶつかった。泣いていたから上手く謝れず、怒った男に腕を掴まれてしまう。何とか声を出して謝ろうと顔を上げると、偶然にも俺の腕を掴んだのはクレマンだった。クレマンも俺に気付き驚いた顔で俺を見下ろしている。


「ノア!どうしたんだこんな時間に!その花…しかも、そんなに泣いて… 」

「… 」

「ああ、ひょっとしてエヴラール辺境伯家マリク様の婚約用の花かい?エドガー家のアルファと婚約するんだってな 」

「なぜそれを… 」

「私はエヴラール辺境伯様とも懇意にしていただいている 」

 クレマンの言葉にまた俺は衝撃を受けた。やはり、本当なんだ…ローレンは、マリクと。俺が涙を流すと、クレマンは俺の背中をさすった。

「ひょっとしてノア…エドガー家の息子のことを?エドガー家の息子はよく、礼拝に来ていたものなぁ。先日養子を断ったのもそれが理由なのか…?彼らはアルファとオメガ…。番になってしまっては、もう見込みはない。それに身分も…諦めなさい 」

 俺が鼻を啜ると、クレマンは優しく俺の頭を撫でる。

「まだ、養子の件は間に合う。考え直さないか?既にエヴラール辺境伯には許可もいただいている。明日の騎士祭りの日、日が沈むまで…船着場で待っているから。いいね?」

 クレマンは俺に船の切符を手渡した。見たこともない文字の切符だ。…これがあればローレンのことを忘れられるのだろうか?

 クレマンが馬車で送ってくれるというので通りを歩いて行くと、大通りで俺を呼び止める声がした。


 俺を呼び止めたのは今、最も会いたくなかった人物…。


「おい!お前!」


 俺を呼び止めたのは、マリクだった。一際豪華な馬車の窓から顔を覗かせ、俺を手招いている。


「マリク様…!」

「おいノア!こっちにこい!」

 

 俺がクレマンを振り返ると、クレマンは「私に遠慮せずあちらへ。明日、待っているから 」と言うと行ってしまった。


 俺は仕方なくマリクの馬車に近づく。


「もう仕事納めだと言うのに、よく見つかったな?なかなかやるな、お前。」

 マリクは感心した、と俺を褒めた。

「花は貰っていく。ついでに送ってやる。」

 マリクに乗って行くように言われたが、丁重に断った。しかしマリクは譲らなかった。

「今隣の国からも他領からも人が大勢集まってとんでもなく治安が悪いんだぞ!お前みたいな弱そうなやつを日暮に一人で帰して死んだりしたら寝覚めが悪い!乗っていけ!」


 マリクは強引に俺を馬車に乗せて、修道院に向かった。ブツブツ言っているが本当に送ってくれるらしい。エリーを虐待しようとしたけどあれはオメガだと分かった精神的ショックからで、本当は悪いやつでは無いのかもしれない。むしろ悪いやつであって欲しかったのに…、俺は少しがっかりした。マリクは修道院への道すがらじっと、俺の顔を見つめる。


「お前とさっき一緒にいたやつ…見た事がある気がする…。」

「クレマン様ですか?」

「そんな、名前だったかなあ…。ちょっと待て!もうすぐ出そうだから…。」

 マリクは腕を組んで、うーんうーんと唸っている。クレマンはエヴラール辺境伯と懇意だといっていたからマリクも面識があるのかも知れない。

「クレマン様は貿易をされていると、伺っていますが…。」

「あー!思い出しそうだったのに、余計なことを言うなっ!」

 マリクに叱られて俺は閉口した。…やっぱりマリクは、意地悪かも知れない…。

 俺は怒ったマリクに、修道院の前で馬車から降ろされた。不機嫌なマリクは婚約に使う薔薇を俺から奪って、帰って行った。ウルク司祭にその事を報告すると、俺のその日の仕事は終わった。




 俺は部屋に戻って、クレマンからもらった船の切符を見つめた。養子のこと、断る理由がなくなってしまった。借金も返してもらえるし…それに…もうローレンと騎士祭りを見ることもギルドへ行くこともないんだから。


 俺は再び二人で作った物語の最後のページの挿絵を描いた。夜空に浮かぶランタン…二人で見上げたかった。その絵には俺の夢を詰め込んだ。夢の中でだけは、永遠を誓って…。

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