レリック

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レリック

 深い緑に包まれた山中、太陽の光が木々の隙間から差し込んでいる。

 陽光は柔らかく地面に届き、明暗のコントラストを生み出していた。

 地面にはシダ植物や低木が密集し、その葉の一つ一つが生き生きと輝いている。植物たちの葉はそれぞれ異なる形状と色彩を持ち、それらが入り交じって一つの世界を創り上げている。

 静寂に包まれ、かすかに聞こえる鳥のさえずりや風が木々を揺らす音だけが響く。

 薄暗い場所では、光が差し込むことで浮かび上がる植物たちのシルエットが神秘的な雰囲気を醸し出している。

 自然界の芸術だ。

 ここは人の手が入っていない自然の中なのだ。

 そんな山中を一人の男が猟銃を肩に担いで歩いている。

 年齢は30代前半だろうか。

 身長はそれほど高くないが、肩幅が広くガッチリとした体格をしている。顔は日に焼けていて精悍な顔つきをしていた。髪は短く刈り上げられており、黒い瞳からは鋭い眼光を放っている。

 頭には鍔広帽子――テンガロンハットを被っており、迷彩柄の長袖シャツの上にポケットの多いベストを身につけている。ズボンも長ズボンで、足にはジャングルブーツを着用している。

 名前を山崎やまざき大介だいすけという。

 大介は日々山を巡っていた。

 なぜなら、最近人里に熊の出没が頻繁に起こっていたからだ。

 山に入って1時間ほど歩くと、大介は足を止めて周囲を見渡した。

 鳥の鳴き声だけが聞こえ、それ以外は何も聞こえない。

 大介は用意していたチョコ等の菓子を口にする。

 登山では長時間にわたって体を動かし続けるため、日常生活に比べて比較にならないほどのカロリーを消費する。きちんとした食べ物をとらないで激しいエネルギー消費を行うと、血糖値が下がり、急にひどい空腹感に襲われて全身に力が入らなくなり、動けなくなってしまうからだ。

 テンガロンハットを手にして、自分の顔を扇いだ。

 テンガロンハットは実用的な帽子だ。

 日差しを避けるだけでなく、雨の時には傘代わりになり、雪や嵐の時には帽子のつばを紐で縛って耳を覆う防寒具にもなった。 水を汲むバケツ代わりに使ったり、汗をかいた子馬を扇いでやったり、焚き火を起こす時に風を送るウチワのようにも使ったりもした。

 大介が涼を取っていると、ふと風に血の臭いを感じた。

 血臭だけではない。

 獣臭さも混じっている。

 大介は肩からライフル・ブローニングBARマークIIサファリを外し、両手にした。

 全長:約109.22 cm 銃身長: 約55.88 cm 装弾数:4発+1 口径:300Winmag 種類: セミオートマチックライフル

 クラシックな外観とモダンな技術が融合したデザインが特徴で、高精度で信頼性の高い銃として知られている。

 大介は慎重に歩みを進める。

 湿気を含んだ空気が漂い、草木の香りが鼻をくすぐる。生命力に溢れた緑の茂みを分け入り、さらに進むと開けた場所に出た。

 そこは広場になっていた。

 そして、そこに居たのは巨大な熊だった。

 クマの身体は激しく引き裂かれ、巨大な牙と爪によって引き裂かれた痕跡が生々しく残っていた。

 頭部は奇妙な角度で曲がっており、その目は開いたまま、恐怖と苦痛の表情が凍りついている。クマの腹部は完全に裂けており、内臓は散乱していた。臓器の一部は掻き出され、周囲に無造作に放り出されている。


 ◆


 大介は町に戻り、地元の警察に報告した。

 クマが捕食されている事実を言ったにも関わらず、警察は偏見の目で大介の話を聞き流した。

「病気で死んだクマを他のクマが食い散らかしたのではないか」

 と、ありきたりの意見だった。

 考えられとすればクマ以上の大型動物の存在だ。

 しかも傷口を見る限りでは、一撃で致命傷を与えているように見える。あの巨大なクマを一撃で殺すなど並大抵の力ではない。大介には想像もできないような怪物の存在を思い浮かべずにはいられなかった。

 そう思った時、大介は自分の肩に手が置かれたことに気づいた。振り返るとそこには濃い茶色のジャケットを羽織った女性が立っていた。

 体にしっかりとフィットするアウトドア用ニットシャツを着ていて、胸の膨らみが強調されていた。髪はショートヘアで前髪を上げているので額が広く見える。意志の強さを感じさせる目はやや鋭く、口元に浮かべる笑みが印象的だった。

 彼女は岩瀬いわせ綾子あやこと言う。

 大学時代の後輩にして動物行動学の研究員をしている。近隣における鳥獣被害のアドバイザーでもあり、大介とも顔見知りの間柄であった。

「先輩、久しぶり」

 と、綾子が微笑みかけた。

 二人が落ち合っているのは、町外れの小さな喫茶店だった。木製のテーブルと椅子が並び、窓からは遠くに山が見える。

 大介は深く息を吸い込み、綾子に向かって改めて事情を話した。

「岩瀬なら何か分かるんじゃないかと思って」

 やがて綾子は深いため息をつき、椅子に深く腰掛ける。

「確かに普通じゃないわ。クマが襲われたなんて聞いたことがない。でも、それだけじゃ何とも言えないわ。現場を見に行きましょう」

 綾子の提案に大介は即座にうなずいた。

「分かった。案内する」

 喫茶店を出た二人は、駐車場に停めてあった大介のランドクルーザーに乗り込んだ。


 ◆


 二人は山道を進み足元の小石が音を立て、鳥のさえずりが遠くから聞こえてくる中、緊張感が高まっていく。

「この辺りだ」

 大介は茂みをかき分けながら進んだ。

 腐敗臭が強くなり、強烈な血の臭いが鼻をつくようになる。木々の間からわずかに差し込む光が血塗られたような赤い色に見えてしまうほど、血の匂いが周囲に充満していた。

 クマの死体がある。

 大介は、ブローニングBARマークIIサファリを手にして念の為に警戒する。

 綾子は腐敗臭に口元を押さえながら鼻呼吸ではなく口呼吸をすることで、吐き気をこらえる。すでにクマの死体にはハエがたかりウジ虫も湧いていた。

 そう考えながらも、綾子はその死体を凝視する。

 手袋をはめた手で慎重にクマの体を調べ始める。

「先輩。やっぱり襲われたものですよ」

 と、綾子は言い続けた。

「……しかも一口による噛みつきで仕留められているようです。これは普通の獣の仕業じゃありませんね」

 綾子の言葉に、大介はうなずいた。

 彼女の意見に同意しながらも、どこか違和感が残るのだった。それは綾子も同じようで首をかしげている。

 それに傷口を見る限り、爪で切り裂かれているようにも見えるし、牙で嚙み切られたようにも思える。

「……いや、それよりも重要なことがある」

 と、大介は口にする。

「2mもあるクマを一撃で殺せるほどの生物が存在しているということだ」

 その言葉に綾子はうなずくしかなかった。

 確かにその通りであると認めざるを得ない事実だった。

 綾子は、クマの死体を調査していると妙な物を発見して手を伸ばした。

「どうした岩瀬?」

 綾子は何かを見つけたように目を細め、クマの傷口に手を入れる。

「何か埋まってるわ」

 大介が近づいて見守る中、綾子は静かにクマの体からその異物を取り出した。彼女の手に現れたのは三日月状で色は淡い黄褐色で、部分的に白くなっているものだ。

「これは……」

 綾子は慎重に、を手にする。

 長さは約6cmもあり、光にかざすとその表面が滑らかで、かつ頑丈であることが分かる。

「爪か?」

 大介の言葉を綾子は否定する。

「……違うわ。これは牙よ」

 綾子は質感から見抜く。

 歯はエナメル質で、爪は皮膚が角質化したタンパク質となっている。

 綾子は牙を手に、大介に詰め寄った。

 その形状を詳細に観察した結果だ。牙の表面には微細な傷が刻まれており、何か硬いものを噛み砕いた痕跡が見える。その傷跡からは、その牙が今でも生きた生物に使われている生々しさがあった。

「……私、この牙の形状を見たことあるわ」

 綾子の言葉に大介は驚くしかない。これだけの巨体を持つ熊を殺すことのできる生き物など限られているハズだからだ。

 もしその仮説が正しいとすれば、恐ろしい怪物の正体が見えてくるのだ。

「どんな動物だ?」

 大介の問いに綾子は自分の中に籠もったようになる。

「この牙の縁に、ギザギザの部分があるでしょ。これは鋸歯きょうしと言って、肉を切り裂くのに役立っているとみられるの。サメの歯がこうした特徴があるの」

 綾子の言葉に大介は疑問を浮かぶ。

「サメ? ここは山の中だぞ」

 しかし、その言葉を無視して彼女は続ける。

「これはサメの歯じゃないわ。私の知っている限り、最も近い存在を言うわ」

 綾子は自分の中に浮かんだ言葉を迷いながらも口にした。彼女の表情は真剣そのものになっていた。まるで自分の知っていることを全て話さなければならないという義務感が彼女を駆り立てているようだった。

 だから彼女は話すことに決めたのである。たとえ信じてもらえなくても構わないと思ったのだろう。何故なら彼女には確信があったのだから……。

「正気か、それ?」

 大介は、その言葉を疑わざるを得なかった。

「私だって自分が何を言っているのか分かっているわ。でも、ありとあらゆる疑問に対して、もっとも近い存在を導き出した故の結論なのよ」

 綾子の言葉は嘘偽りのないものだった。

 大介は疑いながらも、その動物の名前ではなく種としての名前を零す。

「……まさか、恐竜だなんて」

 だが、綾子は首を振る。

 どうやら冗談ではないらしい。

「正確には肉食恐竜。私も自分で何を言っているのか理解しているつもりよ。21世紀の現代に恐竜だなんて」

 大介は現実的な可能性を探る。

「……ワニの可能性は?」

 綾子はため息をつく。

「ワニの歯は全て円錐形なの。こんなナイフみたいな形状じゃないわ」

 そう言われてしまうと大介は反論の余地はなかったのだが、それでも現代に恐竜が出没しクマを捕食したというのが納得できないでいた。

 綾子の言葉が大介の心に重く響き、彼女の手にする牙を見る。

「分かった。とにかくこの場を離れよう」

「そうね」

 大介の提案に綾子は頷いた。

 二人は急いで山道を引き返し始めた。足元の小石が音を立て、草や木々の枝が服に触れるが気にしている場合ではなかった。

 緊張感が高まっていく。

 気がつけば鳥の鳴き声が聞こえなくっていたことにも気付かず、ただ来た道を引き返すことだけを考えて行動していたのだった。

 先頭を行っていた大介は突然、足を止めた。

「どうしたの?」

 綾子が訊く中、大介はしゃがみ込んで、地面を確認していた。綾子が大介の肩越しに何をしているのか確認すると、地面に長さ約50cmにも及ぶ足跡が残されていたのだ。足趾は3本あり、その足跡は道を横切るように続いていた。

「それって……!」

 綾子が言いかける中、大介は足跡に触れる。土が湿っており、まだ新しいことが分かった。それからしばらく考え込んだ後、大介は立ち上がった。

「……このルートは止めて別のルートで降りよう」

 大介が、そう言い残して歩き始めるので、綾子も慌てて追いかけると再び森の中へと入っていくのだった。

 二人は別のルートを選び、森の奥へと進んでいった。

 休憩を挟まなかったことで、綾子のペースが落ちてくる。山歩きに慣れていない為に息が上がり始めていたのだ。その様子を見て取った大介はすぐに休むことを提案した。

「岩瀬。少し休もう」

 大介の提案に綾子は従った。

 二人で大きな木の根元に座り込むと、急速に消耗した体力を回復させるために一息ついた。携帯食料を取り出して食事を始める。水筒の水で喉を潤しながら栄養補給をする二人だったが、その間会話はない。黙々と食事を摂るだけだ。

 大介はブローニングBARマークIIサファリを傍らに置き、周囲の音に注意を払っていたが、疲労が蓄積した身体には重さがのしかかっていた。綾子も目を閉じ、深呼吸をして心を落ち着かせる。

(やっぱりおかしい)

 大介は思った。

 先程から感じている違和感についてである。最初は気のせいかとも思ったのだがそうではないようだ。周囲を見渡しても、静か過ぎるし、どこにも動物の姿がないのだ。

 それこそ虫一匹すらいない様子すら居ないというのは言い過ぎだが、そう思える程に明らかに異常だった。

(何かがいるのか?)

 そんな不安が頭を過ぎると同時に周囲に視線を巡らせた、その時だ。

 二人が休んでいた木の裏から、巨大な頭が音もなく木の裏からそっと覗き込んできた。

 その表面には鱗状の皮膚が張り巡らされていた。

 頭は全体的に長く威圧感に満ちており、薄く開かれた長く力強い顎には鋭利な牙が覗いていた。

 目は爛々と黄色く輝いており、縦に細長く瞳孔が見えた。それはまさに爬虫類の目だ。

 その姿を見た時、二人の思考は完全に停止した。

 脳が考えることを拒否しているような感覚に陥る。

 恐怖のあまり、身動き一つ取れない状態だった。

 二人の前に現れた目は、知性を持っていることを示すかのように左右に動くと、あまりに近くて認識できずにいたのか、数秒を要して二人を視認すると動きが止まった。

 瞳孔が大きく広がり、二人を認めた。

 そいつの顎が広がり、牙を見せつける。

「走れ!」

 大介が叫ぶ。

 綾子は身一つで駆け出す。

 同時に大介はブローニングBARマークIIサファリのボルトリリースレバーを押して、弾倉マガジンの初弾を薬室チャンバーに装填すると構え、引き金トリガーを引いた。

 とっさのことで正しい姿勢と構えを取れず強烈な反動が肩を襲う。

 300Winmag弾が轟音と共に吐き出されたが、近すぎて当たらず、そいつは平然と立っていた。

 しかし、注意を引くことはできたようで、そいつの注目は大介に集まっていた。

 その間に、綾子は振り返りながら走った。

 距離を隔てたことで、恐竜の全体像が分かる。

 その全長は4mも及び、全高は2.5mという巨大な存在感を放っていた。

 体は強靭な筋肉で覆われており、その表面には鱗状の皮膚が張り巡らされている。茶褐色と淡い黄色が混ざり合った斑模様の体色は、木々の陰影と溶け合いながらも、その存在を一層際立たせる。

 前肢は比較的短いが、非常に力強く、鋭い爪を持っている。

 後肢は長くて頑丈であり、地面にしっかりと根を下ろしている。三本の指がついた足は幅広く、その大きな足跡は恐竜の重さと力強さを物語っていた。

 大介が綾子に追いつく。

「本当に恐竜がいるなんてな」

 走りながらも興奮を隠しきれない様子で大介は言った。

 恐竜が二人に狙いを定め、追いかけ始める。その速さは凄まじく、巨体にもかかわらず俊敏であった。

「信じられない。あれはフクイラプトルよ」

 息を切らせながら綾子が言った。

 その言葉に大介は驚く。


【フクイラプトル】(学名:Fukuiraptor 「福井の泥棒」の意)

 日本に生息していた、前期白亜紀のバレミアン期あるいはアプチアン期の中型の獣脚類に属する恐竜。

 福井県勝山市の北谷に分布する、約1億4000万年~1億3700万年前の層で発見された。

 全長約4.2m、推定体重175kg。

 それほど大きくはないが、見つかった化石は成長しきっていない為、大人に成長すれば、もう少し大きかった可能性がある。

 鋭い鉤爪と長い後ろ足を持ち、動きは素早かく活発な捕食者であったこと示唆される。

 後期白亜紀のアルゼンチンに生息していた、メガラプトルの仲間だと考えられている。


 フクイラプトルは大きく吠え、二人を追い始めた。

「冗談だろ!」

 絶叫しながらも、大介の走る速度は落ちない。

 フクイラプトルの動きは滑らかでありながら、確実に獲物を狙う捕食者の鋭さを持っていた。一歩一歩進むたびに、その強大な存在感と共に、大地がわずかに揺れるのが感じられる。

 二人はその圧倒的な存在感と威圧感に圧倒されながらも、逃げるための僅かな隙を見つけるべく、緊張感を最大限に高める。

 フクイラプトルの姿は、まさに恐怖そのものを具現化したような存在であり、二人の生存本能を激しく刺激していた。

 立ち止まる余裕はない。

 大介は綾子とともに木々の間を駆け抜けながら、一瞬のタイミングを見計らう。

「岩瀬、走れ! 俺がなんとかする!」

「え?」

 綾子が振り返りつつ、前方に向かって全力で走る一方で、大介は素早くブローニングBARマークIIサファリを構えた。

 呼吸を整え、フクイラプトルとの距離を計る。

 その瞬間、フクイラプトルの瞳が鋭く光り、大介をロックオンした。

 狙うということは、狙われるということでもある。

 大介は1発の弾丸を放つ。銃声が森の静寂を破り、弾丸は正確にフクイラプトルの肩に命中した。

 しかし、その一撃は恐竜を止めるには不十分だった。

 動物のタフネスは人間とは比較にならない。

 鹿をライフルで射っても、鹿は平然と逃走し、アフリカ象を小銃で射っても殺すことはできない。それは体の容積に対して筋肉量が圧倒的に多いからだ。射たれてもダメージがその部位だけで止まってしまう。

 痛みはある。

 だが、筋肉が締まる為、失血死するほどの流血もしないのだ。

 フクイラプトルは痛みに吠え、さらに激しく追いかけてくる。

「クソッ!」

 大介は再度狙いを定める。今度はフクイラプトルの足元を狙う。

 弾丸が放たれるが緊張により2発目を外し、3発目でフクイラプトルの右脚に命中した。槓桿ボルトハンドルが後退し全弾を射ち尽くしたことを知らせる。

 恐竜はバランスを崩し転がる。

 一瞬の隙を見せる。

 その隙に大介と綾子は全力で距離を取る。

「早く! 今のうちに逃げるんだ!」

 大介の言葉に、綾子も従うしかないことを悟り、必死に走り出す。

 二人は再び全速力で走り出し、ようやく安全な距離を保つことに成功した。

 しかし、フクイラプトルの怒りの咆哮が背後から聞こえ、彼らの心臓は依然として高鳴り続けていた。

 二人は急いで森の奥へと逃げ込む。

 走り続ける。

 そして、ようやく見つけた大きな岩の影に身を隠した。

 湿気を含んだ風が吹き抜ける。

 見れば、岩の数m先は渓谷となっているようで、覗き込まなくても水の流れる速さが音から分かる。対岸までは400m以上ありそうだ。

 隠れることはできたが、逃げ道はなかった。

 大介は息を整えながらウエストポーチから300Winmag弾を取り出し、ブローニングBARマークIIサファリの弾倉マガジンを開き4発を装填。ボルトリリースレバーを押して、初弾を薬室チャンバーに装填し、弾倉マガジンを開くともう一発を込めた。

 これで装弾数は5発になった。

 だが、この5発でフクイラプトルを倒せる保証はない。

「先輩、大丈夫?」

 綾子が、ささやき声で尋ねた。

「なんとか……。でも、このままじゃいずれ見つかる」

 大介もまた小声で答える。

(どうする?)

 大介は再び思考を巡らせる。

「……先輩。私、囮になるわ」

 綾子の提案に、大介は思わず彼女を睨みつけてしまった。彼女は本気で言っているのだ。自分が犠牲になっても構わないと思っているような目をしている。

「バカなことを言うな」

「このまま走って逃げ切れると思う。それに、あんなのを放置しておいたら、どれだけの被害が及ぶか分かったもんじゃないわ。何としても仕留めるには注意を引かなきゃならないのよ」

 大介はゆっくりと首を横に振った。

 それを見た綾子の表情が曇る。

 その時である。遠くから何か巨大なものが動く音が聞こえてきたのだ。その音は次第に大きくなってゆく。

 二人が隠れている岩陰へと近づく。

「……先輩、信じてますよ」

 綾子は言うなり岩陰から飛び出し、大介の視界の外へと向かった。

 大介はその背中を追いかけることはしなかった。

 できなかったというのが正しいかもしれない。綾子の行動は確かに無謀ではあったが、同時に大介にとって最良の選択でもあったからだ。ここで大介まで飛び出してしまえば、それこそ綾子の行為をムダにしてしまう。

 綾子がフクイラプトルの注意を引く為に叫ぶ。

 それを追う、フクイラプトルの足音が早くなった。

 大介は岩陰から、そっと覗き見る。

 木々の間からフクイラプトルが姿を現す。

 体高2.5m近い巨体を誇る恐竜の姿があった。ティラノサウルスを思わせる頭部や胴体の形状をしていることからもその強靭さが分かるだろう。長い尻尾を振りながら歩いている姿はまさに獲物を見つけた肉食獣そのものだ。

 そんな凶暴そうな存在を前にしても、覚悟を決めた様子の綾子は逃げるどころかフクイラプトルに立ち向かう姿勢を見せた。それを見て取ったフクイラプトルは威嚇するように咆吼する。

 綾子は恐怖を感じ一瞬だけ身を竦ませたものの、それでも毅然として走り出す。

 怯え恐怖に支配されての逃走ではない。生きる為、守る為に自身の命を懸けた戦いなのだ。

 フクイラプトルは、綾子を追いかけ始めた。

 その足取りは素早く、木々の間を縫いながら猛然と距離を詰めてくる。

 そして、綾子の背後に迫った瞬間、一気に跳躍した。

 そのまま綾子を押し倒すように襲いかかる。

 だが、間一髪で綾子は横に転がって回避に成功する。

 地面に倒れたまま、すぐに立ち上がった綾子であったが、その目の前にはすでにフクイラプトルの大きな顎があった。

 その牙で噛み砕こうとしてくる。

 そこを狙って大介はブローニングBARマークIIサファリを射った。

 右背中にヒットするも、致命傷にはならない。

 フクイラプトルは振り返り、岩の脇から姿を見せる大介の姿を確認した。

 大介は再び射つ。

 今度は左肩に命中したが、かすり傷であり、まだ倒れない。

 大介は自分に舌打ちをする。恐竜という既知でありながら未知の生物を相手にすることで、焦りが生まれていたのかもしれない。もっと冷静にならなければいけなかったと反省する。

 フクイラプトルは雄叫びを上げ、大介に突進してくる。

(ヤバい!)

 咄嗟にブローニングBARマークIIサファリを構え直し、フクイラプトルの前腕部の付け根を狙う。

 頭は狙わない。

 熊射ちの際、頭は絶対に射ってはいけない。

 鼻先から頭頂に向かって傾斜が少なく30口径で射っても頭蓋骨が硬く、外側の肉を削ぐだけで致命傷にはならず、下手に射った人は確実に殺されるからだ。

 クマを射つ際はアバラ3枚目を狙う。これは、胸部の心臓や肺の位置で、ここに着弾すれば死亡する。さらに、弾が外れても大血管や胸椎を傷つけ死亡する確率が高く、狙い場所としての範囲も広いため心理的に狙いやすいことが特徴となっている。

 フクイラプトルの心臓の位置は分からない。

 だが、熊射ちの経験と勘を信じて射つしかない。

「ここしかない!」

 大介は自分に言い聞かせ、引き金トリガーを引いた。弾丸が轟音と共に発射され、フクイラプトルの前腕部の付け根に命中した。巨体は一瞬、バランスを崩すが、怒りの咆哮を上げながらも前進を続ける。

(残り2発)

 残弾はウエストポーチにあるが、弾倉マガジンの弾が尽きて再装填をしていれば確実に死ぬことになる。

「まだだ、もう一発!」

 大介は再度、狙いを定める。

 次の弾丸はさらに深く、フクイラプトルの胸部に向けて放たれた。弾丸はその巨大な体を貫き器官を破壊する。

 しかし、フクイラプトルの突進は止まらない。

 距離は10mを切っていた。

「クソ!」

 大介は悪態を吐きつつ、最後の1発をまだ射っていない胸部へ向けて放った。

 至近距離からの一撃を受ける。

 フクイラプトルは痛みによる怒りで暴れるが、慣性による突進は止まらず大介に向かって凶悪な顎を開く。

(殺られる!?)

 大介は覚悟し身を縮める。

 フクイラプトルが最後の一歩を踏み出そうとした瞬間、その巨体はバランスを失い、足元の地面が崩れる。大介の上をフクイラプトルは通り過ぎていった。

 その先は渓谷だ。

 フクイラプトルの巨体は力尽き、重力に引かれるようにして渓谷の底へと転げ落ちて行く。その巨体は崖下へと落ち、木々をなぎ倒しながら深い谷底へと消えていった。

 大介は息を整えながら、渓谷を覗き込む。

「先輩!」

 綾子が駆けつけ、大介と同じ方向を見つめた。

 フクイラプトルは渓谷に落ちていったようだが、あの川の流れでは助かることはないだろう。

 大きく息を吐き出す大介に綾子が飛びついてきた。

 彼女は泣いていた。泣きながら大介の胸に顔をうずめてきた。彼女の体温を感じることで、大介もまた自分が生きていることを実感できた。

「どうして恐竜が……」

 大介の問いに綾子が一つの回答を口にする。

「遺存種かも知れません」


【遺存種】

 過去、地球上で繁栄した生物で絶滅の道をたどっているものが、特別の環境内にわずかに生存しているものをいう。レリック(relic)またはレリクト(relict)とも言い、残存生物のことをさす。

 事例として、南アフリカ東部海域やインドネシア・スラウェシ島近海のシーラカンス、南アルプスのニホンライチョウ等がある。


「まさか。こんな山の中で生きていたっていうのか……」

 大介は自分の見た光景を疑うように言う。

 だが、現に目の前で巨大生物に襲われかけたのだ。

 信じざるを得ないだろう。

「とにかく帰りましょ」

 綾子に促され帰路につくことにした。

 ふと頭上を大きな影が過る。

 大きな目をした鋭いくちばしと、長い尾を持った奇妙な鳥がいた。

 あれは、ジュラ紀後期(約1億5000万年-1億4850万年前)に生息していた翼竜・ランフォリンクスではなかっただろうか。

 そんな古代生物を前にして二人は戦慄するしかなかった。

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