ダイエット令嬢 ~痩せなければ婚約破棄すると言われた件~

亜逸

ダイエット令嬢 ~痩せなければ婚約破棄すると言われた件~

 男爵家令嬢のマリア・トニオンには想い人がいた。

 名はデニール・グレゴリー。

 トニオン男爵家とはそこそこに親交がある、子爵家の長男だった。


 マリアの想いを知ってか知らずか、父――トニオン男爵がデニールとの縁談の話を持ちかけてきて、マリアは大喜びでその話に乗った。


 それからトントン拍子で話は進んでいき、正式に婚約を結ぶ段になったところで、デニールはマリアに告げる。

 実は自分もマリアのことを想っていた――と。

 婚約を結んだ以上は、マリアの全てを愛する――と。


 それからはもう、マリアは毎日が幸せでいっぱいだった。

 幸せのあまりついつい食事の量が増えてしまい……気がつけば、マリアは婚約前とは別人レベルで太ってしまっていた。


 その重量は実にデニール二人分。

 一〇〇年の恋も余裕で冷める重さだった。











「デ、デニール……今なんと仰いましたの……?」


 最愛の人から告げられた言葉に呆然としながら、マリアは聞き返す。


「婚約を結ぶ前の君と同じくらいになるまで痩せなければ、君との婚約を破棄すると言ったのだ」

「そんな……わたくしの全てを愛すると言ったのは嘘だったの!?」

「嘘ではない! だが、あとから勝手についてきた脂肪まで愛すると言った覚えもない!」

「ひどい! 脂肪これだってわたくしの一部なのに!」

「ひどいのは君の方だ! 僕は……僕は式で君のことをお姫様だっこすることが夢だったんだ! 今の君が相手では、お姫様だっこされるのは僕の方じゃないか!」


 デニールの悲痛な訴えにマリアは口ごもる。


 この場において二人のやり取りにツッコみを入れられるのは、マリアの侍従のケイトリンただ一人だけだったが、彼女は無表情のまま唇を引き結んでプルプルと震えるだけで、余計な口一つ挟もうとはしなかった。

 というか、口を開いた瞬間に噴き出してしまいそうな風情ふぜいだった。


「とにかく! 半年だ! 半年でその山のような体型をどうにかしてくれ! 今の太ったままの君の顔は見ているだけでつらい……だから、痩せるまで僕の前に姿を現さないでくれ!」

「山のようだなんてひどいですわ! せめて小山のようにと言ってくださいまし!」


 そっちの方が重要なの?――と言いたくなるようなマリアの言葉を背に受けながら、デニールは部屋から立ち去っていく。

 デニールの足音が聞こえなくなったところで、ケイトリンはもう我慢できないとばかりに、無表情のまま「ブ――――っ!!」と噴き出した。


「噴き出すなんてひどいわケイトリン! 今のやり取りの何がそんなに面白かっていうの!?」

「お言葉ですがお嬢様、今のやり取りはそれはもう面白いところしかありませんでしたよ?」

「ひどい……ひどいわ!」

「デニール様も仰ってたでしょう。ひどいのは何かと面白すぎるお嬢様の方だと」

「デニールはそんなこと一言も言ってませんでしたけど!? ていうか本当に言ってることひどいですわね!?」


 ケイトリンは無表情をそのままに、マリアからそっぽを向いて口笛を吹き始める。

 今すぐここでクビにしてやろうかと本気で考えるも、こういう手合いは放逐したところで、しゃあしゃあと生きていくのが目に見えているので、目下最も考えなければならないことをこの良い性格をした侍従に相談することにする。


「ケイトリン……わたくし、これからどうすればいいと思います?」

「この期に及んで『痩せる』以外の意見を求めようとするのは、如何いかがなものかと思いますよ、お嬢様」

「いや……だって……食っちゃ寝の生活最高ですもの……」

「恥じらいながらダメ人間全開なことを仰るの、面白すぎるのでやめてもらえません?」

「ひどい! また面白いって言った!」

「ひどいのはお嬢様の性根でございます」

「あなた本当の本当にひどいですわね!?」

「とにかく、お嬢様がデニール様に婚約破棄されたら、私の給金が減るかもし――コホン、お嬢様とデニール様以外の人間が不幸になるかもしれませんので、お嬢様の侍従としてお嬢様のダイエットを全力でお手伝いさせていただきます」

「……それでよく、わたくしの性根をとやかく言えましたわね」


 くして、マリアはケイトリンの手を借りてダイエットに励むことになった。


 いったいどこで手に入れたのか、ケイトリンが用意した〝いもじゃーじ〟なる衣服に二人して身を包み、走って痩せるという古典的なやり方からチャレンジすることにする。


「というわけで、準備運動が終わり次第、屋敷の敷地内を走ろうと思いますが……お嬢様、まだ準備運動すらしていないのに息が切れているとはどういうことですが?」

「ぜひゅー……ぜひゅー……最近体を動かしてなかったから……」

「お嬢様。世間一般的には、ただ家の外に出る行為を『体を動かした』ことにはなりません」

「なりますぅ~……ぜひゅー……言葉の意味的には……ぜひゅー……こうやって手を上げることも……ぜひゅー……『体を動かした』と言えるから……ぜひゅー……ぜひゅー……なりますぅ~……」

「おや? どうやら屁理屈をこねる余裕はあるようですね。なら、さっさと準備運動に取りかかるとしましょう」

「ま、待って……ぜひゅー……ぜひゅー……あともう四、五〇分だけ休ま――え? ちょっ……わたくしを転がさないで――――――――――っ!!」


 結局その日は、準備運動の途中でマリアは力尽きたのであった。



 一週間後――



「ぜー……ぜー……どうよ……やってやりましたわよ……!」

「お嬢様。準備運動が終わっただけでやりきった感を出すのはやめてください。ほら、走りますよ」

「走る!? これほどつらい運動をした後に走るぅ!? 鬼ですかあなたは!」

「そういうのいいですから。ほら、ふぁいおー。ふぁいおー」



 一ヶ月後――



「ぜー……ぜー……どうよ……やってやりましたわよ……!」

「お嬢様。屋敷の敷地内を一周しただけでフルマラソンを走り切った感を出すのはやめてください。ほら、もう一周走りますよ」

「鬼――――――っ!! ていうかフルマラソンって何ですの!?」



 三ヶ月後――



「ふっふーん。五周くらいならもう余裕で走れるようになりましたわ」

「ご満悦のところ水を差させていただきますが、肝心の体重が、デニール様二人分からお嬢様二人分になった程度でまだまだクソデブ――失礼。ふくよかでございますよ」

「一〇〇歩譲ってデブ扱いは許しますけど、頭に『クソ』がついてるのはどういう了見ですの!?」

「期限まで残り三ヶ月。この調子では間違いなく間に合わないでしょう」

「無視ぃ!? あなた本当に良い性格してますわね!?」

「ですので、今日からは〝びりーずぶーと○ゃんぷ〟を取り入れようかと思います」

「よくわからないけど絶対伏せるところ間違ってますわよそれ!?」



 三ヶ月と一時間後――



「ぜひゅー……ぜひゅー……これ……痩せない方がおかしいってくらい運動させてるだけなのでは?」

「気のせいです。というわけで、わんもあせっ」

「ま、待って……さすがにこれ以上は死にますわ……ていうか、あなたなんでそんな涼しい顔でこなせるんですの……!?」



 そして、半年後――



「……ケイトリン。いけると思います?」


 馬車に乗って、デニールの待つグレゴリー子爵の屋敷に向かう道中、同乗していたケイトリンに向かってマリアは不安げに訊ねる。


「今のお嬢様の体重は、婚約前のお嬢様の一・二人分。いけなくもないと思います」

「明言を避けてる時点で不安しかありませんわね……」

「お嬢様。俯いてはダメです」

「ケイトリン……」

「俯いたら顎が二重になってしまいますので」

「ケイトリン!?」


 そうこうしている内に、馬車はグレゴリー子爵の屋敷に到着する。

 グレゴリー家の侍従に案内されて、マリアとケイトリンがデニールの私室に足を踏み入れると、



 そこには、半年前のマリアを凌駕するほどにブクブクに太ったデニールの姿があった。



「デ、デニール……こ、これは一体どういうことですの?」


 ちょっと顎が二重気味になっていることも忘れて訊ねるマリアに、デニールはドヤ顔で答える。


「半年前、痩せなければ婚約を破棄すると君に言った後、僕は後悔したんだ。いくらなんでもあれは強く言い過ぎたと。そこで僕は考えたんだ。僕の方も太ってしまえば、君と同じ罪を背負うことができると」


 ちょっと何を言っているのかわからないという顔をしているマリアの隣で、ケイトリンは床に突っ伏して腹を抱えながらプルプルと震えていた。


「それに、君よりも太くなってしまえば、君のことをお姫様だっこすることができるかもしれない。我ながら妙案だと思ったのだが……どうだい? マリア」


 キメ顔で言ってくる、デニール。

 バカウケしてしまったケイトリンは、依然として腹を抱えて突っ伏したままペシペシと床を叩いていた。


 一方マリアは、


「デニール……あなたアホですの?」

「ア、アホとは失礼だな!?」

「今の状況、半年前と立場が逆になっただけだってわかってます?」

「……あ」


 顎が二重気味とはいえ、しっかりと痩せてきたマリアを見ていてなおこの反応である。

 想い人は、アホはアホでも頭に「ド」がつく手合いのアホかもしれない。


 マリアは聖母を思わせるほどに慈愛に満ちた笑みを浮かべ、こめかみに青筋を浮かべながら、意趣返しも込めてデニールに告げる。


「とにかく、これだけは言わせてもらいますわ。デニール……半年以内に痩せなければ、あなたとの婚約を破棄します。いいですね?」


 その後、デニールは死に物狂いでダイエットに励み、半年後、顎が二重気味ながらもしっかりと痩せてマリアの前に現れた。


 だが――


 不完全ながらもダイエットに成功して油断したマリアは、もとの食っちゃ寝の自堕落な生活に戻ってしまい……半年後、見事にブクブク太った彼女の姿を見て、デニールは告げる。

 痩せなければ、この婚約を破棄する――と。


 なお、こうなることを期待していたケイトリンは、太っていくマリアを放置するだけでは飽き足らず、両家の人間に「これが二人の愛の形なのです」などとそれっぽいことを言って周りが止めに入らないよう根回しした上で、特等席で二人の茶番を堪能した。

 そのことを知ったマリアがケイトリンに減給を言い渡したのは、最早言うまでもなかった。

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