10代から20代の時に書いた詩(18)

天川裕司

10代から20代の時に書いた詩(18)

「不眠」

AM4時22分。まだ電気を点けて起きている。外では眠りから覚めて鳴いている小鳥が飛んでいる。そして眠りから覚めて車にエンジンを掛ける人。睡眠を取ってから、また昨日の続きの仕事をしに行くのだ。僕は睡眠を取らずに、一日を過ごす。


髪がよく抜ける。


ただ、人と話さなければいけない、と思うのは一人になってしまうのが怖いからだ。一人になるという事はそれなりの覚悟が必要だ。人生最大の覚悟が。孤独は辛い等というものじゃない。死ななきゃいけない、と思う程だ。過去にそれなりの経験がある僕は、また横に居る奴と話す。話をし続けて楽しい時と全然楽しくない時がある。頭を抱え込んで悩むこの夜、どうにか逃げ道はないかと首を左右に振る。無駄な事だとも思い切れないその無情さは、また沈黙の気不味さを生む。それでも言葉を知るこの口が愛惜しくて悲しいのだ。


人は誰も楽しくて陽気な人と話すのを好む。でも僕はずっとその楽しい人では居られない。


旅なんてしんどい事したくないさ(笑)  何も思わずに生きてみたいもの。


「無欲」

両者、何故男と居て楽しい、何故女と居て楽しいんだ?


一人でどこまでやれるか、僕の人生の〝テーマ〟はそれだ。そこに生きて行く活力がある。あいつはあそこまでだった。


何が何でも生き残る、という事は醜い事か?


〝女が欲しい〟と思えば、女より下になる。〝一人で生きて行く〟と思えば、一人でも自分だけだ。自分が思う無様は女に弱い男だ。


「本心」

男を殺して回りたい。女を殺して回りたい。その前に自分を殺したい。


友からの電話あり。夜遅く死んだ友の事で別の友が僕に電話をして来た。〝今晩知ったんだ、あんなに元気だったのに…〟と言い残し、電話を置いた。今後の暮らしを思い、生き残る事を再び思い返す。この世間にて生きる僕と、この世間から離れた友と、心の中の自分はどちらの現実を追って行くのか迷う。生きる身にとって、死は未知、知ら去る国。生きている者にとって、誰もに同じ場所なのだ。生きるか死ぬか、友は死んだ。それももう、過ぎた事である。6月27日(金)


僕の周りの輩で、大学の授業、レポートも作文も何も書けない、と言うのが居る。何故だ。手が二つあるのに、それに考えられる頭と常識もある筈だ。何故、僕にはこれだけ書いてやりたい事が山ほどあるのに、あいつらは〝何も無い〟と言うのか。〝やる気がしない、けだるい…〟なんて言うのは高校の義務教育まで、と、そうでなくては本当に、大学の意味を成さない。遊ぶのも良し、だが、限度越えて遊び呆けて居てはまさに見るに耐えない。何の為に生きているのか、どこそこへ行って猛勉強なんてのじゃない。自分の主義を正しく持つ、というのが文学の始まりだ。この輩に主義は無いのか。


「流行」

人が生きて行く為に必要なもの。誠か。

死は歴史を生む。


「死」

人が人である為に必要なもの。誠か。


「男論」

女ってどうしてこう幼稚なんだろう。


「人間議論」

世(よ)な世(よ)な議論を繰り返す人達。結局周りに居る似た人達に自分を見せ付けて優越感に浸りたいだけなのだ。


世な世な起こる殺人事件。これについて一言、馬鹿々々しい。

自分の存在をアピールしてこの人生舞台、所詮人間には勝てない。


人の話を黙って聞く事。「僕はね…」は二回以上要らない。その点、書く白紙の時間は楽だ。悲しい事だが。


神様と議論は出来るのか。


死んだ友、そいつが今少し心の支えになっているのが不気味だ。親を思うと。―――

―――しかし、街に出歩くとその支えが妙に強く感じられる。その心と心の板挟みが結構辛いのだ。


一つ、何度も人は口にするが死は逃げ道。


生き方、迷う。所詮〝play boy〟の生き方は僕には無理だと、一生を費やしながら思い続ける。その努力は神と死なくしては思えない。普通がどういうものか、と錯覚に陥る今の世の中、その錯覚の原因は欲なのだ。欲がある以上、人は無い物強請りに耽る。結果主義のこの世間でこれ程の罪事が光っている以上、人は悪の罪に惹かれ去るを得ない。何と言っても人間なのだ。〝日々戦い〟等と言っても戦う相手は人間には勝てない。十戒は十で一つ。人には守れない。…大統領が言う。アメリカ兵からソビエトを守る為にアメリカ兵を葬ってやろう、又他国の大統領が言う、ソビエト兵からアメリカを守る為にアメリカを守ってやろう。どちらも人を殺す。誰かの犠牲で人は生きる事が出来た。(もちろん罪を犯す犠牲も含まれる)。やはり人間と神の間には距離があるのか。〝人は国(世界)の幸福を望むが、その心は遠く離れている〟。言うより行動。


夜の議論は娯楽だ。解決は無いのだから。


人は人を救えない。神が人を遣わして救うのだ。人の思う事はどこから来るのか。悪い事善い事、どちらも神から来るのか。善い事は神、悪い事は人間、そんなの不幸だ。僕は自分を救えるのか。


暗闇でラジオを聴いていた、目を瞑って眠りかけて。背中の後ろにあるラジオのボリュームが次第に大きくなっていった。ふと大き過ぎる事に気付き後ろを見たら、ボリュームのボタンの所に手が置かれていた。その手はずっと伸びていき、その行き先は怖い人だった。


もう沢山生きた。二十年間。充分だろう。この世はそんなに生きる価値の無いもの。あと生きていても、男と女、世間の余分な光景を見なきゃいけないだけだ。もう僕には関係無い。詰らない光景は見なくてもいいんだ。こんな詰らない世の中は、僕には一切関係無いんだもの。


この欲に犯されない為に誰とも会わないと決心しても、それでは生きていけないらしい。厄介な事だ。


生きる事、哲学、逃げ場の無い水門に囲まれて苦し紛れに周りの人と前へ進む。親が周りに居て密かにその場に僕が留まる事を恐れる。この社会から弾き出されるか、と。流行が支配しているこの世の中、沢山過ぎる程の悪事が罷り通っている。その一つ一つはリアルに見えて悪気が失せても、多数になると、その悪に刺激される。意味の無い事を好き好んでするんだ。周りに人が一杯居れど、やはり皆自分で精一杯。それが人間であり、本音だ。僕は言葉を食べ過ぎて、夜になると、いつも腹が気持ち悪くなり、吐いてしまう。一人で考えて、それを思い続ける事が続くんだ。人は自分の責任の持てる世界を主義(方針)としたがり、存在に意味付けしたいと思う。そう思わない者は、そのとき死を選択しているのだ。〝何も思わない〟など生きる限り、有り得ない。神が人に脳を与えた以上、障害があろうと、微かにも、生きてる限りは考えている。それが人だ。脳と一緒に、生きる道を進んで行かなければならない。何故に悪に染まる方が楽なのか、その道理が分らない。何故神の側に立つ事が心から喜べないのか。すぐにその方向に行けないのか。それが人ならば本当に生きにくい。6月29日(日)。


僕の周りの男と女は、一瞬の輝きだけを見て、すぐに〝愛してる〟なんて事を言う。言葉はその一瞬に消えてしまう。


女の時代?ふん、所詮力では勝てん。神を思えば浅墓な考えなれども、今の時代はそういう時代だ。すべてが打算で終わるように見える。


TVのキャスターが、あの少年は漫画の見過ぎだ、と言う。新聞とマスコミは現実逃避への埋没はいけない、と言う。僕はその人間相手に正直を言う。この薄汚い世間の中じゃそれも仕方ない事くらい分かるだろう。何が真実か分らない時代で、男と女が居る。罪を真実だ、と言い間違えるこの世の決まり。一人で生きるには、どうしても危ない橋を渡らなければならない。現実とは実は地獄なのだ。


「無縁思想」

目も上げられない程の美人が、障子を開けて僕が一人で居る部屋に入って来た。それは映画ではなくて、又もや現実だった。情に流される事が怖くて目を瞑った。一言、〝出て行け〟と告げ、飲めないアルコールを腹に入れた。時間の中で生きて行くのは、絶えず人を気遣う事。誰かの期待を裏切る事が怖くて、一人きりの臆病が絶え間なく付き纏う。僕は一人の思い込みに任せて障子の外を見た。恥知らずの世の中がまだ流れる。好い加減ばかりする人間の中で、その人間を殺したくなるのは必然かも知れない。男・女・子供、それが煩わしいと思った僕はこの世の勢いに押され、この世を恨む。どんな奴の殺人も、煩わしい。まったく以て厄介な世の中だ。一時〝素直〟という救いに身を任せてもそれが一瞬だと言う事に気付く。女は美人なれども、醜くかれども、生きなければならない。生きる事がどういう事か、人間は自分で決めてしまったようだ。生まれる事がどういう事か、親が本来子供を思う事に近いと、一人になった時に思う。幸せなドラマを見たすぐ後で、この現実の流れに入るのは至難の業だ。友達にはまだ流行でも通用するように、笑顔で振り撒き、その気持ちと一人の時の気持ちとに板挟み。自分を殺したい、と思う。神様にその自分を見せて、また現実との差に、自分を置く。永遠の幸福などはこの世にはなくなった。いつになればその幸福はもう一度芽生えるのか。もはや正しく生きる事が、自分だけでは出来なくなった。それでも一人で生きなければならない自分が、この短い人生故に悲しい。唯、この世にあった永遠の幸福を、奪ったのは神である。神の下に人間が居る。その人間が堕落したのは人間の所為だ。目の前にある五体満足の恵みが、これ程の恵みだとも気付かない儘、持ち前の臆病さがこの世の勢いに負ける。行き過ぎた臆病は人を殺す勇気を生む。人を好きになる感情が自分に無駄な事は何度も言い聞かせた。けれど、親の手前、幸福を自ら一つ失くすのは、胸が痛む。人の心が分かるというのはどう言う事か。欲望を目の敵にして自分を思う。この世がどう在ろうと何と言おうと、僕は僕の生き方を変えない。それしか無いのだ。僕はその部屋の障子を開けて、部屋を出て行きながら精一杯の親孝行をして行こうと、決心した。一人残された筈のその部屋には、白い花があり、さっきまで座って居た座布団に温もりが残っていた。障子は開いた儘だった。


人に優しくするのが神ならば、僕はそういう生き方に浸りたい。


僕の部屋には魔力があるのさ。何でも無くなるんだ。そういう魔力がある。

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10代から20代の時に書いた詩(18) 天川裕司 @tenkawayuji

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