手回し式映写機

寧依

ゆかりちゃん


ゆかりちゃんを憶えている


柔らかな細い茶色の髪の毛が

風に揺れてキラキラ光る女の子だった


右の耳の後ろの毛束だけ外側に跳ねるから

折り畳み式の櫛で一生懸命撫で付けるのだけれど

やっぱりはねてしまうから拗ねる子だった


可愛いのに、と私が言うと

すこおしだけうらめしそうにしてみせて

じゃあチャームポイントってことにしちゃお、と

にっこり笑う子だった


こんな、こんなペラペラの窮屈に体をねじこんで

ヘアピンを何本も使って

黒髪をぴっちりとめる子じゃない


こんな、こんな左右バランス悪く削れたヒールで

点字ブロックを蹴りながら

人身事故の電光掲示板に舌打ちするような子じゃない


ゆかりちゃんを憶えている


ゆかりちゃんはゆかりちゃんを

憶えていないのだろうか


それは途方もなく恐ろしいことだと確信した


ゆかりちゃんを忘れてしまったゆかりちゃんに

ゆかりちゃんを思い出させてあげなくちゃいけない


そのために私は今日この駅を選んだんだ


あぁ、神様

あなたを口汚く罵ったことをどうぞお許し下さい

特定の信仰なんかありゃしないけど

いま私は神に感謝する


私の運命がゆかりちゃんのためにあるとわかったもの


ゆかりちゃんを憶えている

私だけが

正しいゆかりちゃんを憶えている


それにしても私が覚えているゆかりちゃんと

この人の間に何があったのだろうか


ゆかりちゃんは可愛いのにどうしてこの人は

こんな、こんな風なんだろうか


おかしいよ絶対に


何かすごくよくないことが起きたに違いない


ゆかりちゃんに、私のゆかりちゃんに

誰がこんな酷いことをしたのだろう


許せない


ゆかりちゃんに酷いことをしたやつも

ゆかりちゃんのピンチに駆けつけられなかった自分も


私は私を許せない



そうか、だから今日なんだ


今日私はチャンスを与えられたんだ


ゆかりちゃんは優しいから

私にチャンスをくれたんだ


今度は必ず私がゆかりちゃんを守れるチャンスを


正しいゆかりちゃんを思い出せるチャンスを


だから本当にはゆかりちゃんは

ゆかりちゃんを忘れてはいないんだ


何て優しい子だろうか


ゆかりちゃんはゆかりちゃんを忘れてはいないんだ


だけど私のために忘れたふりをしてくれているんだ


あたたかいものが体から溢れてとまらない


ゆかりちゃん、私あなたがゆかりちゃんで嬉しい


穏やかで静かで遠く遠くの向こうに

ゆかりちゃんを憶えているままの私が消える


あなたはいつまでも私を見ない


髪は黒でイライラと脚を踏み鳴らして

私が止めた電車の時間を気にしてる


きっとこの人はゆかりちゃんじゃないね


ほんとはしってるの

ほんとはね、


ゆかりちゃん、今このときに

思い出すのがあなたでよかった


ごめんね


最後まであなたが好きで


ごめんね





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る