探偵少女の異世界事件簿【第1章完結】
風名拾
序章 探偵少女の挨拶
出題編① 喉を焼かれた男
「さて、皆様に集まっていただいたのは他でもありません。私たちの巻き込まれた不可解な事件の真相を、この場で
宿屋のラウンジには、5人の男女が輪になって向かい合っていた。
冷たい空気が足元を吹き抜け、暖炉の火に触れては弾けて音を立てる。
時刻は午前4時。窓の外の淡い闇が、暁に染まり始める頃。
長い夜が、ようやく終わりを迎えようとしていた。
「な、なんと! 犯人が分かったのかね!? 勿体ぶらずに早く教えるのじゃ!」
痺れを切らして声を荒げたのは、この宿屋の主人であるランドル氏だ。
落ち着きなく肩を揺らしては、乾いた唇を歪めている。
彼がひとりで切り盛りしている大切な「家」で事件が起きたのだ。神経質になるのも無理はない。
「そう焦ることはありません、ご主人。今回の事件は、すでに犯人の目的が達せられています。これ以上、不幸な犠牲者が出ることはありません。私が保証します」
「そんなことを言われても安心できるワケがないじゃろう! 今すぐ犯人を教えなさい。ワシの魔術で取っ捕まえてやる!」
「……申し訳ないのですが、そのお願いは応諾しかねます」
何故、と言い返す隙すら与えずに、彼女は言葉を氷柱のように突き立てる。
「もし仮に――あなたが犯人です、とだけ言われて捕らえられたなら、それで納得できるのですか?」
「ん……いや、まあ確かに、いきなり犯人扱いされるのは腹立たしいが…………」
「根拠のない暴論で、自由を奪うようなことがあってはいけません。犯人の正体について、皆様に納得をもって理解していただくため、その結論に至るまでの道筋を、順を追って説明させてください。こちらの世界では珍しい段取りかもしれませんが、我々の元いた世界のマナーとして――探偵の流儀として、どうか守らせていただけますか」
彼女の覚悟に気圧されたランドル氏は、肘掛け椅子に腰を下ろして天を仰いだ。
「お嬢さんにそこまで言わせてしまっては……ううむ……。よし、分かった。ここはお前さんを信じて任せるとしよう」
「ご理解いただき、ありがとうございます」
「それで、タン、テイ……と言ったか? 何だい、その珍妙な響きは。異国の言葉かね?」
「……聞いたことがあるぞ」
そう呟いたのは、宿泊客のひとり、リオ・カロカーナである。
レアな素材を求めて旅をしている採取家との話だ。
「《廻生者》の元いた世界には、探偵とかいう謎解きの専門家がいるってよ。どんな複雑怪奇な難事件でも、持ち前の推理力で鮮やかに解決しちまうんだとか」
「ほう……謎解きの専門家とな。そいつは心強い」
「そういや最近、フロンタムの街の方で、数年ぶりに廻生者が召喚されたって噂を耳にしたな。探偵を名乗る女だって聞いていたが、もしかしてあんたが……」
「ごめんなさい、自己紹介がまだでしたね。それでは、改めまして」
——ふわり、と翻る黒のロングヘア。
切り揃えられた前髪から細い目が覗く。
「私は天野川 遊理(アマノガワ ユーリ)、新参者の異世界探偵です。以後、お見知りおきを」
彼女はそう唱えると、スカートの裾を両手でつまみ、軽く持ち上げながら恭しく一礼した。
その姿は、天から舞い降りる鶴のように優雅で、可憐で、魅惑的で。
溜息が出そうなほど、計算され尽くしたパフォーマンスだった。
「それでは、まずは概要からおさらいをいたしましょう。事件は昨夜、ここ宿屋《ペルティカ》の一室で発生しました。205号室に宿泊していたデヴァンテ・イヒンド様が、死体で発見されたのです。現場の状況を鑑みて、私たちは他殺と判断しました。その主たる根拠は――」
口の中を指さしながら、彼女は静かに主張する。
「被害者の喉が、焼け爛れていたためです。まるで、炎を吐いたかのように」
その場の誰もが深く黙り込んだ。あの異常な死体の記憶が蘇ったのだろう。
喉の内側から焼かれるなど、事故とは到底考えられない。強い殺意がなければ起こりえない惨状だ。
「この宿屋は管理人のランドル様によって、警備用の結界が張られています。結界は建物全域を囲うように張られており、転移魔法による侵入及び逃亡は不可能。さらに結界の出入り口では、入退出を自動で記録しているとのことでしたが……間違いありませんね?」
「ああ、お前さんの言うとおりだとも。昨晩から今現在に至るまで、この宿屋に出入りした人物はおらんよ」
「私も先ほど結界の記録を確認させていただきましたが、生命体の反応を自動で検知し出力する術式となっており、その内容に改竄の余地はありませんでした。また記録から、宿屋に滞在中の人数は全部で6名と裏付けが取れました。その内1名が死亡したため、容疑者は5名。すなわち…………」
彼女はひとりひとりと目を合わせてから、唇に人差し指を当てて囁くのだった。
「……犯人はこの中の誰か、ということになります」
彼女の「宣言」によって、淀んでいた場の空気は一変した。
緊張感が稲妻の如く、各々の脳裏を駆け抜けてゆく感覚。
その後には、言い逃れようのない事実が室内に重く横たわる。
――犯人は、この中にいる。
目を伏せて溜息を吐く者。突如として警戒心を剝き出しにする者。
そして一切表情を変えず、その言葉に耳を傾け続ける者。
それでも、やはり皆、心のどこかではそんな気がしていたのだろう。
だからこそ事件解決の場に、こうして集められたのだと。
肌では、きっと理解していた。ただ、心がそれを拒んでいただのだ。
「被害者の姿が最後に確認されたのは、20時頃。ラウンジから2階のお部屋に戻られるご様子でした。目撃者は私の他に、カトリーヌ様とメイ様の3人。そうでしたね?」
「えぇ、もちろん覚えていますわ。彼、すでにお酒を何杯も飲み干していましたのに、まだまだ飲み足りないと喚いていらして。それで一体どういうつもりか、私のメイドに新しいボトルを持ってこさせたの――そうよね、メイ」
「……はい、お嬢様。強いお酒をご所望でしたので、ウォッカのボトルをお渡ししました」
「あのお酒、どこから運んできましたの? あなたが大層な酒瓶を抱えてきたものだから、ちょっと驚いたのよ」
「ボトルはランドル様の許可を戴き、厨房横の棚から選んだものです」
「おうよ、ワシのコレクションの一品だ。丁度あれが、今月ストックしていた最後の蒸留酒だったんだが……こんな形で飲み逃げされちまうとは思わんかったわい」
苦い表情で肩をすくめるランドル氏。ネックレスが微かに金属音を立てる。
亡くなったデヴァンテ氏は、この宿の常連客だったという。それゆえに、何か思うところがあるのだろう。
ビールやワインなどの醸造酒や、キュラソーやカシスリキュールといった混成酒のボトルが、棚に飾られていたのを思い出す。
ウィスキーやブランデーなどの蒸留酒がなかったのは、どうやら酒飲みの被害者のせいらしい。
「では、次の確認事項に移ります。被害者の死体を発見した時刻は、22時頃。最初に異変に気づいたのはメイ様でしたね。その時のことを、改めて証言していただけますか?」
「……畏まりました。22時前……21時50分頃でしたでしょうか、私はラウンジを後にしました。203号室に戻ろうとしたところ、廊下の奥の方で煙が見えたのです。その煙は、205号室の扉の下から漏れ出ておりました。心配になり、部屋の中に声をかけたのですが、反応はありませんでした。ただ事ではないと思い、急ぎラウンジに戻り、皆様に声をかけた次第でございます」
「ありがとうございます。そこからは我々も目撃した通りの内容です。205号室に鍵はかかっておらず、5人揃って部屋に入ると、そこには変わり果てた姿のデヴァンテ様が仰向けに倒れていた……それが、ちょうど22時でした。死体が動かされた形跡はなく、犯行は205号室で行われたと見て間違いないでしょう」
「……ってことは、だ」
リオが自信ありげに口を挟む。
「デヴァンテさんが殺されたのは、20時から22時の間の2時間――って言いたいんだろ? 探偵さんよ」
「ご指摘の通り、犯行時刻はその間にしぼられます。ただ、死亡推定時刻はさらに限定することが可能です」
「ほぉ…………そいつはどういう理屈で?」
「これも我々の世界の知識になりますが、死後硬直という現象があります。死体の硬直具合を見ることで、およそ死後何時間が経過したのか割り出すことができるのです。死体発見時、被害者の体はまだ温かかったのですが、すでに硬直は始まっていました。喉を焼かれてはいるものの、熱硬直ではない硬直が顎関節に確認されています。氷魔術による死体の凍結を行ったとしても、硬直を遅めるのみで早めることはできません。このことから、22時の段階で少なくとも死後30分以上は経過していると判断されます」
「さすが専門家さん、詳しいね。……となるとだ、殺されたのは20時から21時半までの間ってことか?」
彼女は深く頷いた。検視の内容については、揺るがぬ事実と認めて良いだろう。
「その情報を踏まえた上で、念のため確認すべきことがあります。それは我々5名のアリバイです」
「またよく分からん異国語を使いおって。分かるように説明してくれんかね」
「アリバイとは現場不在証明――つまりは、事件が起きた時に事件現場とは別の場所にいたかの証明です。例えば私、天野川は20時から22時前までずっとラウンジにいました。その際、皆様の内の数名かが常に一緒にいましたので、アリバイが成立していると言えるワケです」
「私は21時前に部屋に戻って、それからメイに呼ばれるまて独りだったから、アリバイは証明できませんけれど……。でもメイは死亡推定時刻の間ラウンジにいたのですから、アリバイがあるということですわよね!」
お嬢様は自分のアリバイよりも、「メイドのメイ」のアリバイが成立していることを喜び安堵している様子だ。
「俺は夕食後、さっさと201号室に戻って素材の整理をしてたよ。水を取りにラウンジに行ったら、カトリーヌさんと入れ違いになったから、その時がだいたい21時だったってことだ。それから死体発見までは探偵さんと一緒に行動していたぜ」
「ワシは夕食の後片付けやら、管理人としての仕事があったからなあ……。ラウンジを横切ることはあったが、その時間帯はほとんど一人で過ごしていたよ。ありばい、とやらは無きに等しいわな」
「皆様、ご協力感謝いたします。それぞれの情報に食い違いがないことが改めて確認できました。このアリバイは、次にお話する条件と合わせることで、真の意味を発揮するのです」
思わせぶりな口調で話を続ける異邦人。疑心暗鬼を深めるオーディエンスに、さらなる「待て」を言い渡すに等しい行為だ。
まるで、フルコース料理が並び終わるまで食べられない、そんな罰ゲームのような時間が過ぎてゆく。
謎解きの残酷さとは、この弾劾の緩やかさとも言えるだろう。
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