課長の溺愛に付いていけません

日下奈緒

第1話 残業をした後は

皆さんには、社会人になって悩みはないだろうか。


仕事が辛い。


残業が多い。


その他にも、給料が安いだとか。



私の場合、人間関係。


上司との人間関係に、悩んでいる。



えっ?もしかしてセクハラとか、パワハラ?


いいえ。



課長に溺愛されていて、困っています。


「おはよう、森。」


朝から私の側で、響き渡る爽やかな声。


この声の持ち主は、私が所属する2課の課長・池田正孝 35歳。


ちなみに、この人が私の悩みの種である。



「おはようございます、課長。」


そんな課長を無視して、自分の席に座るのが、私。


トレードマークは、黒髪のストレート。


森 姫花 23歳。



池田課長との出会いは、新入社員としての研修を終え、目出度くこの2課に配属になった時。


どうやら私は、池田課長の逆鱗に……いえ溺愛に触れてしまったらしい。



「なあ、森。昨日渡した原稿、まとめ終わったか?」


「半分は終わりました。残りの半分は、今日中にまとめます。」


すると池田課長は、私の肩を叩いた。


「無理するなよ。」


「はい。」


「疲れたら、遠慮なく俺の膝に乗れ。」


そこで、課長お得意のスマイルが。


周りの女子達からは、キャーと言う悲鳴が上がる。


「遠慮します!」


なんだ、それ。


キャバクラでも、そんな事しないよ。



「よし、次の商品のアイデア出すぞ。」


池田課長が、みんなに声を掛けながら、オフィス一番奥にある会議室へ向かって行く。


「森!お茶汲んで来いよ!」


大声で叫んでくる池田課長に、嫌気がさす。


「なんで、私なのよ。」


ペンを投げ捨て、立ち上がった。



「まあまあ。」


同期の橋本君が、宥めてくれる。


「姫は、課長のお気に入りだからね~。」


「そうそう。姫の淹れたお茶じゃないと、嫌だ~って、この前言ってたしね。」


課長も課長なら、周りも周りは。


普通課長だったら、お気に入りの子がいたとしたって、周りに知られないようにするでしょう!


周りも、そんな事が起こっているんだったら、嫌みの一つくらい言って来なよ~。



「がんばって!姫花。」


同じ同僚の環奈が、背中を押してくれる。


お茶汲みなんて、新人がやればいいのに~って、今年新入社員が入らなかったから、この2課の中で新人は、私になるのか。


はぁ~。



私は給湯室でお茶を淹れると、会議室に行って、扉を叩いた。


「失礼します。」


2課のメンバー達に次々とお茶を置いて行き、とうとう池田課長の番になった。


「はい、課長。」


「ありがとう、森。」


私の顔を見て伸ばしてきた手は、私の手に覆いかぶさりながら離れて行った。


一瞬だけ、私の頬がカァーッとなる。


「どうした?森。」


「えっ?いいえ。」


私はさっき課長の手に触れた右手を、後ろに回した。



もう、課長ったら。


そんな事、恋人がやるような仕草じゃないか!


付き合ってもいないのに、恥ずかしいじゃん!



「そうだ。森もメンバーに入るか?」


「えっ?」


私は頭の中が、真っ白になった。


次の商品を決める会議に、役職も持っていない私が、入ってもいいのか。


ううん。


入っちゃあ、いけないと思う。


「いいんですか?池田課長。森にはまだ、役職がないですよ?」


「心配ない。俺は、こいつを気に入っている。」


そう言って笑うみんなに、私はグッと拳を握った。



「止めて下さい!!」



私は、大きな声で叫んだ。


「私、課長のお気に入りだからって、序列を壊すような事、したくありません!」


「森……」


周りの人達はポカーンとしているのに、池田課長だけが無表情で、私を見ていた。


息が切れている私は、なんだか惨めな気持ちになって、会議室を出て行った。


「なんでこんなに、悩まなきゃいけないんだろう。」


もう嫌になって、涙がポロッと出た。



「姫。携帯鳴ってるよ。」


環奈が、私の携帯を廊下まで持って来てくれた。


「ありがとう、環奈。」


私は環奈から携帯を受け取ると、目を丸くした。


相手が池田課長、その人だったからだ。


どうする?


こんな時に、こんなところで携帯に出るの?


でも私がでない限り、ずっと鳴っている。


やっぱり出なきゃダメか。


私は決心して、課長の電話に出た。


『森。さっきは誤解させてしまったみたいだ。ごめん。』


『課長……』


耳元に課長の優しい声が聞こえてくる。


『俺、おまえの事、認めているんだ。ただ可愛いからって、お気に入りとか言ってる訳じゃない。』


『あ、ありがとうございます。』


どうしよう。


上司に認めて貰っているなんて、胸がドキドキしてきた。


『今日だって、特例で会議に出席させようと思っていた。でも、お前にその気持ちがないのなら、仕方ない。』


『はい……』


『またこれから頑張ってくれ。』


『はい。』


電話はそれで切れた。


まだ、胸がドキドキしている。


やる気満開だよ。


やっぱ、これが仕事の醍醐味だよね。


あっ!


課長に言われていた資料、今日の内に仕上げておかなきゃ!



私は弾む足取りで、自分のデスクに着いた。


「えーと、資料はここまで終わったから。」


次のページを捲り、どんどんパソコンへインプットしていく。


「資料5は、円グラフがいいかな。」


ポチポチと、文字を入れたり色を入れたり。


こんなに楽しいのは、課長に認められたからかな?



そんな事をしているうちに、みんな帰る時間になった。


「お疲れ様、姫。」


「お疲れ様です、橋本さん。」


同僚達が次々と帰って行く中、私は一人会社に残っていく。


「あーあ。今日は残業になちゃったなぁ。」


背伸びをして、私はしばしの休憩にした。



課長のあのセクハラ紛いのいちゃいちゃも、よく考えれば愛嬌なのかな。


あんまり嫌だ嫌だと思わないで、課長に取り入るのも一つの作戦?



そんな時、声がした。


「なんだ、森。残業か?」


暗い廊下から、池田課長がオフィスに入って来た。


「え、ええ。まあ。」


すると課長は、私がチェックしていた資料を、取り上げた。


「これ……俺が頼んだ仕事……」


私は課長から、その資料を受け取った。


「ああ、いいんです。早く仕事覚えたいですし。」



すると課長は、後ろから私の事を抱きしめた。


「えっ?課長?」


私の胸の前に、課長の腕がある。


「こんなに一生懸命な奴だと、思ってなかった。見直したよ。」


「え、ええ……そんな。」


ぎゅっと強くなっていく腕の力に、上手く息ができない。


こんなのって、私だけ?



しばらくして、課長は私から腕を放すと、自分の上着を私の肩に掛けてくれた。


「寒いだろ?」


「あ、ありがとうございます。」


も、もう!


課長ったら、優しすぎ!


ドキドキが止まらない。


「コーヒー買って来てやるよ。それまでに、仕事終わらせろよ。」


そう言って課長は、オフィスを出て、自販機がある方へと、歩いて行った。



課長の甘い匂いが、私の周りを包む。


課長。


ただのお気に入りなのに、ここまでやるんですか?


なんだか、私一人だけ誤解してしまうのは、可笑しな気がして。


早くこのドキドキが止まればいいなぁって、思ってしまった。


ああ、それにしても課長の上着、いい匂いがする。


私は課長の上着を、鼻に当て、思いっきり息を吸い込んだ。



「森、缶コーヒー買って来たぞ。」


「あっ!」


そのシーンを見られて、二人共口を開けて、固まってしまった。


「すみません!」


私は急いで部長の上着を脱いで、目の前に差し出した。


「いや、別に。気にしてないけれど?」


ばっちり気にしている課長に、どうしても特別感が拭えない。



でもその後は、最悪だった。


「げっ、まだ仕事片付かないのかよ。」


「すみませーん!」


まさか課長の上着の匂いにはまって、仕事していなかったなんて、言えない。


よし!一点集中!


私は資料とパソコンだけを、見つめた。



「あっ、その資料は、棒グラフにして。」


「はい。」


「ちょっと、数が少ないな。縦横逆にしろ。」


「はい。」


時々、課長の指導が入りながら、私はゴールに向かって、ラストスパートを切った。


「うん。これで終わりだな。ご苦労さん。」


「やっ……たぁ!」


私は大きく背伸びをした。



景気づけに、課長に貰ったコーヒーを飲むと、それはすっかり冷めていた。


「コーヒー、冷めちゃいましたね。」


今日で一番の、笑顔を見せたつもりだった。


「そうだな。じゃあ、俺の胸で温まるか?」


課長は、腕を大きく広げた。


「結構です!」



ったく、もう!


そう言う事じゃない、課長!!

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