夜遅くに帰ってきた妻の下の毛が、そられていた

品画十帆

第1話 悲鳴

 夜遅くに妻が帰ってきた。


 今日は職場の親睦会へ行くから遅くなると、事前に聞いてはいたけど、もう夜中の一時を回っているんだ、ちょっと遅すぎると思う。


 俺は十時を過ぎた頃に、何回か妻の携帯に連絡を入れてみた。

 だが何時まで経っても、既読はつかない。

 十一時になり、十二時を過ぎても帰って来ないし、既読もつかないままだ。


 もうとっくの昔に、電車もバスも無くなっている。

 これは何か事故か、事件に巻き込まれたのかと、かなり心配になってきた。

 もう少し待って警察に電話をしてみようと、考えていたところにようやく帰ってきたのだ。


 妻がマンションの鍵を開ける、ガチャガチャとした音がしている。

 「はぁー」と大きな溜息をついているみたいだ。


 やっと帰ってきたな、俺はホッとしたと同時に、ちょっと怒りが込み上げてきた。

 少し嫌味を言ってやろう、これだけ心配させたんだから、当たり前だろう。


 「お帰り。遅かったな。心配してたんだぞ」


 「あっ、ごめんなさい。先に寝てくれて良かったのに」


 「はぁ、こんな夜遅くまで帰って来ないんだ。心配で寝れないだろう。既読もつかないし」


 「ご、ごめんなさい。もう直ぐ大きなプロジェクトがあるから、盛り上がっちゃって、三次会までつき合わされたのよ。あははっ」


 「三次会までやったのか。最近は仕事が忙しいのに、〈ゆきえ〉の会社の人達は良く体力が持つな」


 〈ゆきえ〉もかなり忙しいようで、ここのところ残業が増えてきているから、そのことも少し心配になっているんだ。


 「ははっ、皆、プロジェクトに燃えているのよ。だから携帯も見られない雰囲気だったの」


 〈ゆきえ〉は、乾いたような無理やりな笑い声を、付け足しのようにあげていたと思う。

 結婚する前も結婚した後も、こんな風な笑い声を聞いたことが無い、いかにもっていう感じの作り笑いだ。


 盛り上がった宴会の後だとは、とても思えないぞ。

 三次会まで行ったのに、あまり酒に酔っているようにも見えないし、顔は赤らんでいなくて、むしろ青白い色をしている。


 〈ゆきえ〉は三次会までつき合わされて、疲れ切ってしまったのだと、その時俺は思った。


 「すごく疲れているみたいだな。早く寝た方が良いぞ」


 ここ最近、身体がむくんで微熱もあると言っていたからな。


 「うん、分かっているわ。お風呂に入って直ぐに寝るわよ」


 「んー、酒に酔っている時は危ないんじゃないかな。明日の朝にした方が良いと思うよ」


 「くっ、明日じゃ遅いのよ。危ないのがどうだって言うの、絶対にお風呂へ入るわ。あなたは、さっさと寝れば良いじゃない」


 〈ゆきえ〉は、さっきまでの済まなそうな感じとはうって変わり、俺に反発をして怒りをあらわにしてきた。

 はっ、俺はこんな時間まで、心配して待っててやったのに、それを怒られるのはとんでもなく理不尽だ。


 それでも、三次会までつき合わされて、疲れ果てたからストレスが溜まっているんだと思い、言い返しはしなかった。

 でも(ぬぐいきれない違和感が残ってしまう。


 俺が知っている〈ゆきえ〉は、こんな風に苛立いらだちをあらわにするような、人じゃなかったはずだ。

 それも、〈ゆきえ〉に非があるのだから猶更なおさらそう思う。


  【 いゃー 】


 俺がベッドの上でウトウトし始めた時に、浴室で〈ゆきえ〉の大きな悲鳴があがった。


 今の悲鳴は、ゴキブリが出たとかそんなんじゃなくて、ただ事じゃないぞ。

 注意をしたのに、風呂場で倒れたんじゃないのか。


 一瞬で眠気は吹っ飛び、俺は〈ゆきえ〉を助けるため急いで浴室に駈け込んだ、そして勢いよく浴室の扉をバーンと開けた。

 それは同時に、俺の悪夢の扉だったと、今は思う。


 「あなた、こないで」


 「何を言っているんだ。すごい悲鳴が聞こえたぞ」


 「うぅ、何でも無いのよ。うぅ」


 〈ゆきえ〉は浴室の床にへたり込んで、嗚咽おえつを上げている。

 出来るだけ声を出さないようにして、泣き続けているんだ。


 どういうことなんだ。


 疲れているとは思ったけど、お風呂に入るまでは泣くような感じゃなかったぞ。


 それに良く見れば、〈ゆきえ〉は不自然に股間を隠している。

 結婚してもう三年になるから、今さら裸を過度に恥ずかしがるはずがない。


 股間から出血でもしたんだろうか。

 俺は泣いている〈ゆきえ〉のそばに行き、「大丈夫だから、俺に見せてみろよ」と出来るだけ優しく声をかけた。


 あんなに大きな悲鳴をあげるのだから、きっと本人は大量の出血でショックを受けているはずだからな。

 もしかしたら本人も知らないうちに、赤ちゃんが出来ていたのかもしれない。


 「ひぃー、絶対に嫌だー。見ないでよ」


 俺の優しい問いかけに返ってきたのは、かたくな拒絶を含んだほぼ絶叫だった。


 あまりの感情の爆発に〈これは大ごとだぞ〉と思い、救急車を呼んだ方が良いのかと悩んでしまうが、どれほどの出血かと浴室の床をよく見ると一滴の血も流れていない。

 シャワーも使っていないのに、血が全く無いのはおかしいぞ。


 〈ゆきえ〉が感情を爆発させたせいだろう、股間を隠した手が少し緩んでいる。

 俺はそこに何か違和感を覚えた。


 そうだ。

 有るはずのものがないんだ。

 下の毛が無くなっているんだ。


 俺は〈ゆきえ〉の両腕を掴んで、強引に股間から手をのけた。


 〈ゆきえ〉の下の毛は、ほとんどられている。

 全部じゃなくて、ところどころ長い毛が残っているという、中途半端な剃り方だ。


 明らかに下の毛の処理に慣れていない者が、遊び半分で、プレイとしてやったものとしか考えられない。


 〈ゆきえ〉は親睦会の三次会へ行ったって言ったが、まるっきりそれは嘘で、男とホテルにでも行ったんだな。

 そのホテルのベッドで行為をした後、酔い潰れて男に股間を悪戯されたが、慌てて帰ってきたから悪戯されたことに気づかなかったんだろう。


 だけど股間に悪戯されるほど、深い男女の仲になっているのに、あんなに大きな悲鳴を上げるのか。

 その点に関して疑問が残ったが、下の毛が生えそろうまでにはかなりの時間がかかるから、俺にバレてしまうと悲観したんだろうと思う。


 浮気をしていたくせに、週に二回程度は夫婦の営みがあったから、下の毛がないことは直ぐに分かってしまうんだ。


 それとも極単純に、予想外過ぎて吃驚しただけかも知れないな。

 今思うと週に二回の夫婦の営みは、浮気のカモフラージュだったんだな。

 俺は夫婦仲が悪くないと思い込んでいた。


 俺が〈ゆきえ〉のツルツルの股間を凝視して、何も言えずに固まっていると、〈ゆきえ〉は「これは違うの」「剃っていて痛かったから、悲鳴をあげたのよ」と言っていたようだが、俺の耳にはほとんど入って来なかった。


 身体はズーンと冷たくなって、力が足にまるで入らない。

 荒野を吹きすさぶ嵐のような衝撃に、俺の心は見舞われていたんだ。


 信じていたのに、信頼していたのに、愛してもいたのに、俺は裏切られたんだな。

 嘘を吐かれて、〈ゆきえ〉と浮気相手にバカにされていたんだろう。


 情けないピエロだから、笑われてさげすまれるのは当たり前だな。

 夫婦仲が悪くないだって、世界中の人達が笑っているぞ。

 そんな寝言を言っているのは、お前しかいない。

 誠にお目出度いヤツだ。


 「あぁ、あなた、どうしたのよ」


 〈ゆきえ〉が全裸のままで、俺の肩を揺すっている。

 俺の目が虚ろだったので、正気に返そうと思ったのだろう。

 このまま俺が発狂すると、さすがにそれはまずいと考えたのだろう。


 俺は現実に戻ったが、〈ゆきえ〉の下の毛はやっぱり無かった。

 幻でも悪夢でも無かったんだ。


 もう気力が続かない。

 俺は台所へ行って強い酒の封を開けて、ストレートで飲むことにした。


 〈ゆきえ〉が甘い声をあげながら、〈あそこの毛を剃って〉と言っている頭の中の映像を失くしたいためだ。


 とても素面では、この先生きていけないと思う。

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