アンの青春

荒川 長石

I

 何かの手違いでカスバート家の養子となったみなし子のアンは、カスバート夫婦による日々の虐待にも耐え、円高によって鍛えられる中小企業のようにめきめきと力をつけていった。ある日、斧と木槌でふいを襲って夫婦をかたづけたアンは、その屍を乗り越え、ギルバートと二人で明日のない放浪の旅に出た。

 二人は万引きや美人局で生活費を稼ぎながら各地を転々とした。おりしも不況の真っただ中だった。苦境にある地方の現状と、そこで暮らす人々のつましい生活に接し、その貧乏臭い民衆の生活を横目に酒池肉林の自堕落な生活を続けているうちに、いつしかそんな自分たちの無頼な生活を取り巻く社会の構造に深い疑問を抱くようになったアンは、「政治が悪いんだわ」とただ呟いてみた。

 ギルバートは歯並びが最悪な男だった。彼が大きく口を開くと、まるで人間一般の心の底に巣食う悪魔がそこに顔を現したかに見えた。二本の犬歯が悪魔の目だ。彼が眠っている隙に、アンは特殊な塗料を用いて小さな筆で二本の犬歯に悪魔の目を描いてみた。アンは昔から手先が器用だった。米粒や大豆に観音の姿や天国の様子を描いてはローカル・コミュニティーの話題をさらったこともある。

「悪魔の目だけではなく、地獄図絵や世界の国旗、あるいは海の生物や人間の一生など、テーマを決めて前歯から順に描いてみてはどうだろうか」

 キャビアをのせたクラッカーをほお張りながら、そんな思いつきに時間を忘れるアン。

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