第14話 ゴキブリのおばけ
時が過ぎ、ついに文化祭の日になった。
文化祭は二日間行われる。一日目は、学校に在籍している者しか参加できない。それに対して二日目は、学外の者も参加できる。今日は文化祭一日目なので、学内の人だけだ。
私たちのクラスは昨日の六時ぐらいにようやくお化け屋敷が完成した。なんとか間に合ったというかんじだ。
朝、教室の前まで来ると、赤黒い字でお化け屋敷と書かれた立て看板が入り口の傍に置いてあった。
中に入ると、そこは普段の教室ではなかった。お化け屋敷と化している。電灯が点けられていない上に窓が黒いカーテンで塞がれているため、教室は真っ暗だった。頼りにできる光は、まばらに吊るされている提灯のみだ。
また、自由に教室を歩き回ることができなくなっていた。黒いカーテンで覆った机を左右に置いて、それをゴールまで迷路のように繋げることで順路を作っている。このお化け屋敷に入った者は、その順路通りに歩かなければならない。
出来栄えに感心しながらその順路を歩いている途中、狐のような顔の女子――たしか山本さんが声をかけてきた。
「おい、ゴキブリ。今日これ着ろよ」
ゴキブリのコスプレを渡された。
「は、はい……」
「じゃあ、今日と明日は開始から終了までずっとそれ着て客を追い回せよ」
「え、きゅ、休憩とかはあるんだよね……」
「は? ないけど」
「え、そ、そんな……」
「あ? 文句あんのか?」
「な、ないです……」
私がそう返答すると、狐目の女子は蔑むような目で私を一瞥して去っていった。
クソ、クソ、クソ……。どうして私がこんなものを……。
私はひとまずそのコスプレを教室の隅っこに置いておいた。
しばらくして、立華が教室に来た。なぜか城ヶ崎君も隣に連れている。
「モカちゃん、おはよう」
立華がいつものように爽やかな笑顔で挨拶してきた。
「おはよう、立華」
「モカさん、おはよう」
城ヶ崎君も挨拶してきた。
「おはよう、城ヶ崎くん。……なんで立華と一緒にこの教室に?」
「さっき昇降口でたまたま立華さんと会ってさ。そこから一緒に雑談しながら歩いていたんだけど、ついでにこのクラスの様子でも見ていこうかなって思ってね」
城ヶ崎君は言いながら、顔を忙しなく動かして教室を見回した。
「へぇ、ずいぶん力が入っているね。なかなか面白そうだ」
「でしょ?」
感心している城ヶ崎君に対して、立華が自慢げに胸を反らせて言う。
「あ、そうだ。モカちゃん、今日は一緒に文化祭回ろうね!」
立華が期待に満ちた顔で言ってきた。私は深い悲しみに襲われる。
「ごめん……私、今日はおばけをやらないといけなくて……」
「あ、そうなんだ……じゃあ、しょうがないね」
残念そうに伏目になる立華。
「じゃあ、私、どうしようかな? モカちゃんがダメなら、だれと回ればいいんだろう……」
「じゃあ、ぼくと回らないか?」
「え?」
城ヶ崎君の誘いに、立華が驚いた表情になる。私も少し驚いていた。
「う、うん。いいよ」
立華は少しうろたえながら返答した。
……羨ましい。私がゴキブリとして客を追い回している間、この二人は一緒に遊んでいるのだ。
二人が妬ましくなった。だって、まるでカップルじゃないか。
でも、二人とも美男美女でお似合いだ。悔しい……。
それから少し経って、文化祭が始まった。入り口からちょっと離れたところにある、黒いカーテンで覆われた机の真下に、私は潜って待機する。
ここの前を客が通りすぎた瞬間、私は急に飛び出して客を追いかけることになっている。
「こわーい」
「大丈夫。おれがついているさ」
若い男女の声が聞こえてくる。客が入ってきたみたいだ。
会話から察するに、どうやらカップルのようだ。
……今頃、立夏と城ヶ崎君も仲良く文化祭を回ってるんだろうか……。いいな……。
「今のところなにも起きないなー」
「でも、そろそろ来るよ、きっとー」
男女の声が近くなる。
机を上から下まで覆っているこの黒いカーテンには、微妙に穴が開けてある。私はその穴を覗いて客の様子をじっと窺う。客が通り過ぎた――
―――私はその瞬間、前を遮るカーテンをどかして机の下から飛びだした。
「うおお!?」
「キャー!? なに!?」
私が四つんばいでその客たちに向かって駆け出すと、その二人は悲鳴を上げて走り出した。
カサカサとゴキブリのような動きで追いかける。二人はこちらを振り向こうともせず、必死に走っていた。ある程度追いかけたところで追うのを止め、机の中に潜って定位置に戻っていく。
「なんか今すごい悲鳴聞こえたねー」
「ねー、そんなに怖いのかなぁ」
間髪おかずに、次の客の声が聞こえてきた。
少しは休ませてよ……。
四つんばいで走るのは想像以上にしんどくて疲れていたが、さっきと同じようにいきなり飛び出して逃げる客を追いかける。
その客も悲鳴を上げて逃走する。どうやら結構怖いらしい。
お化け屋敷としてはこれで成功なのだろうが、私は全然嬉しくなかった。
だって、こんなのやりたくないし……。ああ、やめたい。今すぐやめたいよ、こんなの。私が逃げ出したいくらいだよ。私も立華と一緒に文化祭を楽しみたいよ。
でも、やらないといけない。しかたなく、次の客もその次の客もそのまた次の客も、先ほどと同じように追いかける。
カサカサカサカサカサカサカサカサと。
何時間もカサカサカサカサカサカサカサカサと。
コスプレをしているにすぎない。演じているにすぎない。だが、だんだん本当にゴキブリになったような気がしてきた。
カサカサカサカサカサカサカサカサと、延々と客を追い続ける。
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ
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「――――モカちゃん?」
声が聞こえた。聞き覚えのある声。あの心地よい高音の声だ。
私はハッと我に返った。
「り、立華……」
立華と城ヶ崎君が目の前にいた。
理性を失いかけていた。本当にゴキブリになったような気がしていた。
「びっくりした。心臓に悪いよ」
胸を押さえてほっと一息つく城ヶ崎君。
「なにこれ……。私、こんなの聞いてないよ!」
立華が唐突に怒りだした。
「モカちゃんにこんな変な格好をさせて! こんなこと止めて私たちとどっかいこ!」
立華は屈んで、四つんばいの私に目線を合わした。
「で、でも、途中で放り出すのは……」
「モカちゃんいったい何時間やってるの?」
「え、いままでずっと――」
「働きすぎだよっ! もうお昼とっくに過ぎてるよ。モカちゃんご飯食べた?」
「え、う、ううん、まだ」
「じゃあ、食べに行こう? おなか空いてるでしょ?」
立華が目をゆっくりと細めて、私に向かって手を伸ばしてきた。
「モカさん、なにが食べたい? ぼくがなんでもおごってあげるよ」
城ヶ崎君にも優しい言葉をかけられる。
私は泣きそうだった。泣くのを必死に堪える。
「で、でも、私はこれを終わりまでやるように言われてて――」
そのとき、ぐぅ、と私のお腹が絶妙すぎるタイミングで鳴った。
な、なんでよりにもよってこんなタイミングで……!
「クスッ、あははははっ」
「ははははは」
音が聞こえていたようで、立華と城ヶ崎君がおなかを押さえて笑う。
「やっぱりおなか空いているんじゃない」
立華にニンマリとした笑顔で言われて、私は顔から火が出そうになった。
「その変なコスプレ衣装を脱いで、私たちと一緒にどっかいこ?」
「……うん」
立華に子どもをあやすような口調で言われ、私はとうとう頷いた。
立華と城ヶ崎くんは、私のコスプレを脱がすのを手伝ってくれた。脱ぎ終わると、私の定位置である机の下にそのコスプレ衣装を入れる。それから、私たちはおばけ屋敷の出口を目指して歩いた。
私たちはお化け屋敷を客として楽しんで、出口を抜けた。おばけ役の生徒たちは私を見ると、眉間にしわを寄せて何か言おうとしたが、立華と城ヶ崎君を見て口をつぐんだ。
お化け屋敷を出た後、私たちは運動場に向かった。そこにある出店で、私は城ヶ崎君にたこ焼きをおごってもらった。それを食べ終えて、三人で次はどこに行こうかと話し合ったところで、文化祭終了を知らせる放送が流れてしまった。
ああ、終わってしまった。結局、今日はほとんどゴキブリのおばけを演じていた……。
「そんな暗い顔しないで。明日は開始直後から遊ぼう」
立華が私を励ましてきた。私は暗い顔をしていたのか……。
「うん……そうだね」
そうだ。まだ明日がある。明日はもっと立華と遊ぼう。
私は明日のことを考え、期待に胸を膨らませた。
今日も普段どおり立華と一緒に下校したが、いつもと違って今日は立華と別れた後、真っ直ぐ家に帰らずに北山駅周辺にあるデパートに寄った。ある物を買うためだ。
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