第13話 ゴキブリのコスプレ

 体育祭の日から一夜が明ける。登校するために家を出ると、朝からどんよりとした黒雲が空を覆っていた。その雲から落ちてくる大粒の雨が、地面を強く叩いて耳障りな音を響かせている。


「降るなら昨日に降ってよ……」


 空に悪態をつく。ついてもしょうがないことはわかっているが。

 昨日降っていたら、体育祭が中止になったのに……。ああ、でも、その場合は別の日にやるんだっけ……。

 傘を差しながら学校に向かった。学校に着き、自分の下駄箱に行って靴を履き替えようとしたとき、


「…………」


 上靴に先の鋭く尖ったガラスの破片が入っているのに気づいた。

 誰がやったんだろう……。心当たりが多すぎて特定できないな。やっぱり昨日のクラス対抗リレーの件で恨まれたんだろうな……。

 制服からポケットティッシュを取り出し、ガラスの破片をティッシュで包んだ。そしてそれを慎重に取り除いてから上靴を履く。

 ガラスの破片を昇降口にあるゴミ箱に捨ててから、教室に向かった。教室に入って自分の席に着くと、渡辺さんがこちらにやって来た。私のことを、眉根を寄せて睨んでいる。


「な、なに、渡辺さん?」

「ムカつくんだよ! ゴキブリ!」


 いきなり罵倒された。


「おまえのせいで……昨日私が悪者になった……」

 ギギギギ、と不快な音が聞こえてきた。渡辺さんが歯ぎしりをしているようだ。

 いや、私のせいじゃないし――と言おうとしてやめる。火に油を注ぎそうだったので。

 渡辺さんに続いて、他の女子たちも私のほうに来た。全員、顔をしかめている。こちらに来てはいないが、男子たちも遠くから私のことを睨んでいた。

 ……味方が一人もいない。全員敵じゃない……。私は一人でこの場を凌がないといけないのか……。


「なんで、なんであんたなんかが城ヶ崎君に優しくされんのよっ!」

「ブサイクのくせにっ!」

「調子に乗るなよっ! ゴキブリの分際でっ!」


 女子たちは私を囲んで、暴言の雨を降らせてきた。

 逆恨みかよ。はぁ……。

 女子たちは拳をぎゅっと握って、わなわなと震えさせている。今にも殴りかかりそうな雰囲気だ。

 ああ、やだなぁ……と思っていたそのとき――


「みんなおはよー」


 ――立華が教室に入ってきた。女子たちがチッと舌打ちをして、私の元から去る。入れ替わるように立華がこちらに来た。


「おはよう、モカちゃん」

「おはよう」

「なんかモカちゃんの周りにすごい人が集まってたけど、どうしたの?」

「いや、特にたいしたことじゃないよ。今日英語の宿題があったかどうか訊かれただけ……」

「そっか」


 立華はそれで納得したようで、それから今日の時間割などの取るに足らない話をしてきた。

 立華が鈍くて助かったよ……。でも、女子たちが今まで以上にピリピリしている。明日も悪口を言われるんだろうな……。


          *


 明くる日。今日は早めに家を出た。昔みたいに立華と遭遇して、上靴の中を見られないようにするためだ。

 今日も天気が悪かった。しかも、昨日よりも雨が激しく降っている。あまり快くない気分で学校に向かった。

 下駄箱に行って上靴の中を覗くと、今日もガラスの破片が入っていた。またそれを慎重にティッシュで包んで取り除いてから上靴を履く。ゴミ箱にそれを捨ててから教室に向かった。

 教室のドアを開けると、こんな早い時間に二人も生徒がいた。城ヶ崎君がなぜか教室にいて、窓側最前席付近で草野君と何か話し合っている。


「あいつにも優しく接しているが……草野から見てあの子の様子はどうだ?」

「と、特に変わったところはないと思いますが……」


 かすかに話声が聞こえてきた。でも、何について話しているのかわからない。

 城ヶ崎君と草野君は私に気づいて、こちらに顔を向けた。二人とも目を見張っている。しかし城ヶ崎君はすぐに顔をいつもの柔和な笑顔に戻して、私のほうにやってきた。


「やぁ。橘茂花さん。ずいぶん早い登校だね。どうしたんだい?」

「……と、特に理由はないよ」

「……そうか」


 そうかと言っているが、城ヶ崎君はどこか不審に思っていそうな目で私のことを見てきた。

 しまった。ちょっと疑われてしまったか。とっさに良い理由が思いつかなかったので安易な返事をしてしまった……。

 でも、追及してこないし、まぁ別に問題ないか。


「城ヶ崎君たちこそ早いね」

「ああ、今日は雨で朝のランニングがなかったから、バスケ部の朝練が早めに終わってね……」

「そうなんだ。でも、城ヶ崎君はどうしてこの教室にいるの?」


 私がそう言うと、城ヶ崎君は少し間を開けてから口を開いた。


「ぼくのクラスには、バスケ部がぼく以外にいなくてね。自分のクラスに行っても今は誰もいないんだ。みんなが教室に来るまで暇だろ? だから、同じバスケ部であり親友でもある草野のクラスに行って、みんなが教室に来る時間まで草野と何か話していようと思ったのさ。な、草野?」

「え? あ、うん。そうだよ」


 草野君は急に呼びかけられたせいか一瞬驚いた顔をしていたが、その後すぐに大きく数回頷いた。

 先ほどから草野君が、なんていうかおどおどとしている。こんなヤツだっけ?


「でも、そろそろ自分の教室に戻ろうかな。草野以外の生徒も来てしまったことだしね。じゃあね、橘茂花さん。じゃあな、草野」


 城ヶ崎君は手を振って、教室を出ていった。草野君も遠慮がちに小さく手を振り返す。

 草野君の城ヶ崎君への態度がどこかぎこちないのはどうしてだろう。まるで大型の肉食動物を前にした小動物のような態度だ。前から内気でおとなしそうなやつではあったけど……。

 そういえば、城ヶ崎君はどうして私の名前を知ってるんだろう。しかもフルネームで。私、教えてないよね? 

 まぁ、誰かに訊いたり、誰かが私の名前を呼んでいるのを聞いたりしていただけなんだろうが……。

 私は自分の席に行き、立華が来るまで本を読むことにした。草野君はというと、どこか思い詰めた顔で窓の外を眺めていた。なにか嫌な事でもあったのだろうか。


          *


 その翌日も雨だった。今朝、テレビでニュースを見たら、しばらく悪天候が続くと言っていた。少し憂鬱になる。

 今日も早めに家を出て、傘を差して学校に行った。昇降口に入り、私の下駄箱がある、二年三組の靴を履き替えるスペースに向かう。

 そこに着くと、隣のスペース――二年四組の靴を履き替える場所に、なぜか城ヶ崎君がいた。ちょうど靴を履き替えたところだったようで、上靴を履いており、右手で革靴を持っている。


「やぁ、おはよう」


 私に気づいて、挨拶をしてきた。


「お、おはよう。今日も朝練?」

「うん、そうなんだ」


 革靴を下駄箱に入れながら、城ヶ崎君は言う。


「草野君は一緒じゃないの?」

「それがね、聞いてくれよ。彼はぼくを置いて先に行ってしまったんだ。朝練が終わって着替えているとき、ぼくが着替え終えるまで待っててって言ったのに、既に着替え終えていた彼は先に行ってしまったんだよ。とっくに教室にいるんじゃないかな。まぁ、着替えるのが遅いぼくも悪いんだけどね」


 城ヶ崎君が苦笑する。

 少し驚いた。草野君って、待っててと言われたのにもかかわらず、人を置いていきそうなやつには見えないんだけどな……。まぁ、草野君とたいして関わっていないから、そう思うのかもしれないが。


「……へぇ、草野君ってそんな人なんだ」

「うん。そんなやつなんだよ。それ以外に関しては、非の打ち所のない良いやつなんだけどね」


 誇らしげに胸を張る城ヶ崎君。

 他人のことでここまで誇らしそうにする人初めて見た。私はどうだろう? 私も立華のことだったら誇らしく感じるんだろうか?

 私は心からは誇らしく思えない気がする。立華のことはなんだかんだ言って好きだけど、やっぱりいまだに妬ましくもあるし……。


「――ところで、靴を履き替えないのかい?」


 城ヶ崎君が不思議そうに言う。


「え、あ、うん。そうだね。うん」


 ぎこちない返答になってしまった。

 今日も上靴の中に何か入れられてるんだろうな……。どうしよう。城ヶ崎君がいるし。もし城ヶ崎君に見られたら、また面倒な事になりそうな気がする……。

 でも、このまま動かないでじっとしているのも不審に思われるだろうから、とりあえず自分の下駄箱の前まで行く。そして城ヶ崎君に注意を向けながら、上靴を持って中を覗く。

 ……今度は折れたカッターナイフの刃が入っていた。


「どうしたんだい? じっと上靴を眺めて? 履かないのかい?」


 私から少し離れたところで、城ヶ崎君が怪訝な顔をしている。


「い、いや、その……」

「怪しいな。もしかして、上靴に何か入っているのかい?」


 城ヶ崎君がズカズカと私に近づいてきた。


「い、いや、な、何も入ってないよ!」


 バカ、私。声を上ずらせるな。


「……やっぱり怪しいな。ちょっと失礼」

「あ!」


 城ヶ崎君が私の上靴を奪い取ってきた。そして中を覗かれる。

 ああ、見られてしまった……。

 城ヶ崎君が顔をしかめる。


「ひどい……だれがこんなものをいれたんだ!」

「あ、いや、これは、その……単なるイタズラだよ。たいしたことないよ」

「これが単なるイタズラですませられるわけないっ!」


 城ヶ崎君は声を荒げる。昔の立華みたいだ。


「安心して。橘茂花さん、これについてはぼくがなんとかしてあげよう」

「え、な、なんにもしなくていいよ」

「ダメだ。こういうのは放っておくと、どんどんエスカレートしていく。安心してくれ。円満に解決させるから」


 城ヶ崎君はそう言って、走りだす。


「え、ちょっと、城ヶ崎君っ!?」


 私は引きとめようとするが、城ヶ崎君は軽快に走ってどこかに行ってしまった。

 ……はっきり言って、ありがた迷惑だった。こういうところ、まるで立華みたい。

 でも、あんなカッコイイ人に優しくされて、ちょっと……いや、かなり嬉しかった。


 昼休み。私と立華が机をくっつけて弁当を食べようとしたとき、クラスが突然ざわついた。

 このざわつき具合で予想がついた。ドアの方を見ると、城ヶ崎君がいた。みんなに注目される中、城ヶ崎くんは教卓の前までスタスタと歩いた。そしてドンッと教卓の上を叩いて、声高に語りだす。


「今朝、橘茂花さんの下駄箱にカッターナイフの刃が入っていた。これは非常に悪質な行為だ。だれか心当たりはないか!」


 しーん、と教室が静まり返る。

 なんて大胆な行動をするんだ……。さすがにこれは予想していなかった。

 ああ、これ、絶対また女子たちに恨まれるよ……。


「え、モカちゃん、そんなひどいことされたの?」


 立華が小声で私に話しかけてくる。


「う、うん……」


 もはや否定してもしょうがないので正直に告げた。


「そんな……なんてひどい。許せない……!」


 立華は目を鋭く細めて、手をぎゅっと握る。


「本当にだれも心当たりがないのか!」


 また城ヶ崎君は教卓の上を叩いた。それでも、だれも何も言おうとしない。


「しかたない。正直に名乗り出れば、橘茂花さんに対して謝らせて、橘茂花さんがその人を許したらそれで終わりにしようと思っていたが……このことは先生に相談することにする! カッターナイフの刃を入れたやつは覚悟しとけよ!」


 そう宣言すると、城ヶ崎君は私の席まで来た。

 うわあ、女子たちが親の敵でも見るような目で私を睨んでる……。勘弁してよ……。私は何もしてないのに……。


「ごめんね、橘茂花さん。犯人わからなかったよ」


 申し訳無さそうに眉尻を下げて言う城ヶ崎君。


「あ、いいよいいよ、もう充分だよ」


 ていうか、正直もうしないでほしい……。


「私からも礼を言うね。ありがとう、城ヶ崎君。モカちゃんのために行動してくれて」


 立華が頭を下げて礼を言うと、城ヶ崎君は胸の前で手を左右に振った。


「いやいや、立花立華さんが礼を言う必要はないよ」

「でも、私の友達のことだから……」

「本当に友達思いなんだね、立花立華さんは。じゃあ、橘茂花さん、また何かあったらぼくを呼んでよ。力になるから」


 城ヶ崎君は教室を出ていった。その途端、クラスがざわざわとしだす。


「どうしてあんなブサイクにまで城ヶ崎君は優しく接するの?」

「城ヶ崎君、ゴキブリにまで優しくするなんてステキすぎます」 

「あのクソゴキブリマジムカツク……」

「死ね、ゴキブリ。死ね死ね」

「あー、むかつく、むかつく。あのゴキブリ殺したい。マジで」


 そのような声が、かすかに聞こえてきた。

 ああ、もうやだなぁ……。


「城ヶ崎君って、ほんとにいい人だね!」


 立華が笑顔で言う。


「う、うん。そうだね」


 たしかに優しいかもしれないけど、ありがた迷惑なんだよなぁ……。今もすごい殺意のこもった視線を感じるし……。

 はぁ……。

 帰りのホームルームで、担任の先生が私の上履きの件について触れた。


「あー、今日、橘茂花の上靴に折れたカッターナイフの刃が入っていたらしいが、誰か知らないか? 前もたしかこんなようなことあったよなぁ。あのときは画鋲だったか?」


 しかし、だれも何も言おうとしない。


「おまえら、本当に心当たりないのか? まぁ他クラスのやつかもしれないが……」


 相変わらず、みんな口を閉じたままだ。


「今日はこれで終了するが、犯人は最悪の場合停学になるかもしれないからな」


 先生はそれだけ言って教室を出て行った。

 前よりは真剣に扱ってくれてるような気がする。城ヶ崎君のおかげなんだろうか。でも、正直このやりかただと、犯人なんて見つからないような気がするんだけど……。


          *


 翌朝。今日は早く家を出ず、いつも通りの時間に登校する。学校に着いて、上履きの中を覗くと、今日は上履きに何も入れられてなかった。私は安心して教室に行く。

 教室に入ると、既に教室にいた生徒たちが一斉に私を睨んできた。

 ……やだなぁ。

 殺意のこもった視線に耐えながら自分の席に行くと、私の三席前の女子が、


「なんであんたなんかが城ヶ崎君に優しくされんのよ!」


 と叫んで鉛筆を投げつけてきた。制服に当たる。

 あぶな……制服に当たってよかったよ。

 ほっとしたのも束の間、その女性徒が立ち上がり、私のところまで来た。そして私の肩をグーで殴った。


「いたっ……」

「消えろ。ゴキブリ。いなくなれっ!」


 その女性徒は私をさらに殴る。そのうち他の生徒もこちらに来て、私を殴りはじめた。


「死ねっ! 死ねっ!」

「キモいんだよっ!」

「城ヶ崎くんに優しくされていい気になってんじゃないわよっ!」


 複数人に罵倒されながら、顔以外をボコボコに殴られる。

 いたい、いたい。いたい……。

 ああ、だからやめてほしかったんだよ……。こうやって逆恨みされるから……。


「おはよーう」


 ドアをガラッと開けて、立華が教室に入ってきた。すると、何事もなかったかのようにみんな私から即座に離れていき、立華に挨拶しだした。

 ……まったく、切り替えの早いやつらだ。あーあ。これからしばらくこういう生活が続くのかなぁ……。


「おはよう、モカちゃん。……暗い顔してるけど、なにかあった?」


 こちらに来た立華が挨拶をした後、心配そうな顔をする。


「おはよう。べつになんでもないよ」

「そう? ならいいけど……」


 そこでチャイムが鳴り、ホームルームの時間になった。しばらくして、先生が教室に入ってくる。

 先生は教卓の前までくると、文化祭の話をしだした。ぐだぐだと無駄に長い話だったが、要約すると文化祭がせまってきているので準備を急ぐようにということだ。

 ホームルームが終わると、委員長が「今日から文化祭の準備を本格化させるから、部活に入っている人もなるべく残って作業をしてほしい」と言いだした。


 文化祭の準備か……。はぁ……めんどくさいなぁ……。

 だが私の気持ちとは正反対に、ほとんどの生徒がよーしやるぞというかんじの顔をしている。どうやらやる気がないのは私ぐらいのようだった。

 果てしない疎外感を覚える。疎外されるのはなれてるけどさ……。


 朝の暴力と中傷。文化祭の準備。これだけでも嫌なのに、今日はさらに不幸が待っていた。

 四限目の体育が終わり、更衣室で体操服から制服に着替えて教室に戻ったとき、私は目の前の光景に呆然とした。

 私の弁当箱の中身が、私の席の後ろらへんでぶちまけられていたのだ。弁当箱は、そのぶちまけられたオカズやご飯の近くに転がっていた。

 なにこれ……ひどい……だれがやったの……。


「だれがやったの! こんなこと!」


 私の隣にいる立華が叫ぶ。周りの生徒は知らねぇよとでも言いたげな顔をこちらに向けてきた。草野君だけは、寝ているのか、顔を下に向けて机の上に突っ伏していたが。

 あれ……なんか変だな。いつもならみんな無視するのに……。


「草野ー。学食行くぞー」


 そのとき、城ヶ崎君がいつものように教室に来た。そして、クラスの異様な雰囲気を察して、怪訝な顔をする。

 やがて、城ヶ崎君はクラスの人たちの視線が私のほうに注がれているのに気づいたようで、私の元まで来た。


「どうしたんだい?」


 城ヶ崎君が心配そうな顔で言う。


「それが――」


 私が言い切る前に、城ヶ崎君はぶちまけられた弁当の中身に気づいたようで、そこの辺りをじっと見た。そして何かを察した顔になる。


「なるほど……事情はなんとなくわかったよ。君の弁当をだれかがこんなふうにしたんだね」

「うん、そう……」

「誰がやったんだ?」

「それがわからなくて……」

「まったく、ひどいことをするやつがいたもんだ!」


 城ヶ崎君がクラスの生徒たちを鋭い目で眺め回した。すると、生徒たちは胸の前で手を左右に激しく振って、私じゃないと必死にアピールしだす。


「とりあえず、この弁当の中身を片づけようか。手伝うよ」

「え、いいよ、そんなの。悪いよ」

「気にしないでくれ。人助けが好きなんだ」

「あ、私も手伝うよ」


 立華もそう言ってきた。

 私はありがたく掃除を二人に手伝ってもらうことにした。

 私たちは協力してぶちまけられた弁当の中身を片づけた後、雑巾で床を拭く。三人でやったのですぐに終わった。


「あ、ありがとう。二人とも。手伝ってくれて」

「いやいや、これぐらい当然の行為だよ」

「そうだよ、モカちゃん。友達なんだから」


 当たり前だと言う二人に少し感動する。気の毒そうな目で私を見る城ヶ崎君が、


「ところで、橘茂花さんは、ご飯はどうするんだい?」

「どうしようか……」


 購買で何か買おうかなぁ……。まぁ、べつに一食くらい抜いてもいいけど。と思っていると、


「じゃあ、ぼくと一緒に学食で何か食わないか? おごってあげるよ」

「え!?」


 城ヶ崎君の提案に、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。立華も目を見張っていたし、私と立華以外の生徒も驚いた表情をしていた。


「え、そ、そんな悪いよ!」

「悪くないよ。むしろおごらせてくれ。ぼくは人に何かをおごるのが好きなんだ」

「で、でも……」

「気にしないでくれ。自慢じゃないけどぼくの家はお金持ちでね。おこづかいを使い切れないほどたくさんもらっていて、お金には余裕があるんだ。あ、そうだ、立華さんも一緒に来ないかい?」

「え、一緒に行っていいなら、そうさせてもらうけど……」

「君は橘茂花さんの友達じゃないか。いいに決まってるよ」

「じゃあ一緒に行こうかな」

「よし、決まりだ! じゃあ、行こう!」


 城ヶ崎君は歩き出してしまう。


「え、ちょ、ちょっと!」


 私はまだおごってもらうことを了承してないんだけど……。


「モカちゃん、ここはお言葉に甘えさせてもらおう? 城ヶ崎くんもああ言ってるんだし」

「……う、うん……わかった」


 立華にそう言われたので、なしくずし的に私は了承することにした。

 はぁ、まぁいっか……おごってもらえるんだし。問題はないか……。

 問題はあった。現在学食で立華と城ヶ崎君とご飯を食べているのだが、周りの生徒たちの突き刺すような視線をはっきりと感じる。


 「なんであんなブスが城ヶ崎くんと……」「なんか一人だけすげぇ醜いのがまじってる」「奇妙な組み合わせ」などの声がかすかに聞こえてきた。しかし、城ヶ崎くんや立華はこれらの声が聞こえていないのか、全然気にしていなさそうにご飯を食べている。

 なんなの? 立華だけじゃなくて城ヶ崎君もこういうのに鈍感なの?

 頭が痛くなる……。

 あれから私は城ヶ崎君にたぬきうどんをおごってもらった。私は料金を払おうとしたのだが、城ヶ崎君がおごることを譲らなかったのだ。変な人だ。自分から進んでおごろうとするなんて。

 立華はというと、持ってきた弁当を食べている。城ヶ崎くんがそれを見て、


「今度、立花立華さんにもなにかおごろうか?」

「え、いいよ。悪いから……」

「いや、奢らせてくれ。頼むから」


 城ヶ崎くんはずずいっと立華に顔を近づけ、立華の両手を両手で握って懇願した。立華はそんな城ヶ崎くんにひきつった笑みを浮かべる。


「あ、あはは、そこまで言うなら、奢ってもらおうかな」

「ありがとう」


 奢ってる側のはずの城ヶ崎君が礼を言うという、不可解な状況が起こっていた。


「あ、そういえばさ、城ヶ崎君。私のことをフルネームで呼んでるけど、立華だけでいいよ。めんどくさいでしょ?」

「いいのかい? じゃあ、これからは立華さんと呼ぶよ」


 城ヶ崎くんは無表情だったが、少し目の奥に喜びの色が出ているように見えた。


「じゃあ、橘茂花さんもこれからはモカさんと呼んでいいかな?」

「え、い、いいけど……」

「じゃあ、これからはモカさんと呼ぶよ」


 モカさん……か。なんだかすごい親密な仲になってしまったような気がする……。私とは全然違うタイプの人間なのに……。

 それから私たち三人は毎回学食でご飯を食べるようになった。名前だけで呼ばれるようになったせいもあるだろうが、前より仲良くなったような気がする。

 しかし、城ヶ崎君と親密になるにつれて、女子たちの嫉妬が混じった激しい恨みも増しているように感じた。

 ていうか実際増している。学食に行くと、毎回鬼のような形相で女性徒たちから睨まれるし……。立華が教室に来るまでの朝の暴力も、激しさを増してきた気がする……。

 私から進んで一緒にいるわけじゃないのに……。そう弁解しても彼女たちは納得しないだろうが。


 そんな日々が続いて、ついに文化祭一週間前になった。

 昨日のホームルームで、学級委員長がこのままだと間に合わないから朝も早くきて作業を行ってほしいと言ってきた。

 なので、しかたなく今日は朝早く登校した。教室に入ると、既に二十人ぐらい生徒がいた。立華はまだ来ていないようだ。教室の後ろのスペースに、お化け屋敷で使う真っ黒のカーテンや提灯などが置いてある。


「おい、ゴキブリ」


 狐のような顔の女子が私のほうに来た。その女子は、黒くて大きい何かを両手で持っている。


「文化祭の日にこれを着てもらうから。おまえ、これを着て客を追い回せよ」


 その女子は、その何かを横に向けたり、裏返したりした。それは……


「な、なにそれ……」


 これってまさか――


「なにそれって、ゴキブリのコスプレ衣装だよ。おまえに相応しいだろ」


 その女子はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる。周りを見ると、ほぼ全員の生徒が私のことをそのような顔で見ていた。


「や、やだよ……こんなの着たくないよ」

「あ?」


 いたっ!

 ドスッと鈍い音が響いた。腹を殴られたのだ。私がおなかを押さえて猫背になると、今度は背中を肘で殴ってきた。


「い、いたっ!」

「着るよな? これ、作るの苦労したんだぞ。私の努力を踏みにじるのか?」

「はい、着ます……」

「はじめからそう言えよっ、たくっ……」


 クソ……クソッ。


「アイツがゴキブリのコスプレをして客追い回すとか、超こえー」


 スポーツ刈りの男子がそう言うと、クラス中が笑いに包まれた。


「あ、でもさ、ゴキブリっておばけじゃなくね?」


 肩につくまで後ろ髪を伸ばした男子がそう言うと、


「あ、確かに……それもそうだね……どうしようか」

「なら、ゴキブリの幽霊ってことにすればいいだけじゃん」


 考え込んでいる女子に対して、ソース顔の男子が言う。


「あ、そっか。ゴキブリの幽霊ってことにすればいいだけか」


 その女子がぽんと手を打つと、またクラスが笑いに包まれた。

 なにが面白いんだろう……。クソ、死ね。みんな死ね。

 文化祭の日がさらに憂鬱になった。

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