第36話 プリシラの気持ち

【プリシラside】


 ずっとお兄さまのことが嫌いだった。


 会うといじめてくるし、何を考えてるのか分からないし、いつも目つきが怖かったから。


「……アラン様は……もう昔のアラン様ではありませんよ」


 いつだったか、お見舞いに来てくれたニナが私にそう言った。


 いつもだったら私に気を使ってそんな話なんかしないし、仮にお兄さまの話をしたとしても微笑むことなんてないはず。


「お兄さまは……大嫌い!」


 少し不思議に思ったけど、私はそう答えた。


「分かっています。……けれど、もうしばらくの間会っていませんよね」

「…………うん」

「一度……元気な時に屋敷へ遊びに来て下さい。……アラン様には内緒にしておきますから」

「考えとく……」


 ニナにそうやってお願いされたから、元気な時にこっそり屋敷へ行った。

 

 その時はお父さまも一緒だったから、前みたいにいじめられてもどうにかなると思って。


「プリシラ様、こっちです!」


 私を出迎えてくれたニナは、庭の茂みの陰へ私を連れてきてこう言った。


「ここから見れば、アラン様には気付かれません」

「え~……お兄さまを見るのー……?」


 あまり気は進まなかったけど、言われるがまま、茂みからこっそり向こう側を覗き込む。


「あそこに居るのがアラン様です」

「………………!」


 ――知らない男の子だった。


「どうした、それで終わりか?」

「もう一回……お願いします!」


 その子は、自分よりもずっと大きくてすごく強そうな女の人を相手に、剣で打ち合っていた。


 何回負けて倒されても、泥だらけになっても、すぐに起き上がる。


 そんな子が、私の知っているお兄さまと同じ人間だと思えない。


「いつまで……ああやってお稽古してるの……?」

「剣術の稽古は早朝からお昼過ぎまでです。それが終わったら、今度は日が沈んだ後まで魔術のお稽古をしています。一日も休まずに……」

「どうしてそんなに頑張ってるの?」

「私にも分かりません。……ただ、一度熱を出して寝込んだ時に『良い子になります』と……」

「…………変なの」


 だけど、遠くからその子を見ていて悪い気分にはならなかった。どうしてかは自分にも分からなかったけど、ちょっとだけ自分も頑張ろうって思えたから。


 ――それから私は時々屋敷へ遊びに来て、こっそりとその子の様子を見るようになった。


 ニナの言う通り、いつ見に来ても何かしらの稽古をしている。


 体の弱い私が同じことをしたらたぶん死んじゃうから、あんなに頑張れるのが少しだけ羨ましい。


 でも、元気になってもあそこまでは出来ないな。痛いのは嫌だし、たまに気絶までしてるし……。


 あの子から先生と呼ばれている人たちも、もうちょっと優しく教えてあげたらいいのに……。


 だけどやっぱり、強くなるためにはずっと戦い続けるのが一番いいのかな? そこら辺のことはよく分からない。


「プリシラ様は……最近、アラン様のお話をよくされますね」

「そ、そうかな?」


 気付くと私は、その男の子のことを考えている時間が増えていた。


「そろそろ普通にお会いしてみては?」


 ある時、ニナが私にそう提案する。


「え……?」

「もうすぐ、精霊祭の大会があります。そこへアラン様もご出場されるので……プリシラ様が応援してくだされば、きっと喜んでくれると思いますよ」

「で、でも……まだ、ちょっと……怖いよ……」

「もちろん、無理にとは言いません」

「うん…………」


 本当は、会って話がしたいと思う。


 だけど私の記憶の中のお兄さまは、嫌な人で、怖くて、意地悪ばかりしてくるから……どうしても許してあげる気になれない。


 話したら嫌いになっちゃうかも。


 それに、記憶にある意地悪なお兄さまと、私がいつも見ているあの男の子が、自分の中で一つになってしまうのも嫌な感じがする。


 そんな風に考えていたら、私はふと「あの子だったら、怖い相手にもきっとそうやって立ち向かうんだろうな」と思った。


 そうだ。私もちゃんと立ち向かって、近くでお兄さまのことを見よう。ちゃんと話してみれば分かることだってあるはずだ。


 ――心の中でそう決めて、私はお兄さまと会うことにしたのだった。


 *


「うーん……?」


 目覚めると部屋の中が暗かった。


 確かお祭りではしゃぎすぎて倒れちゃったんだっけ。


 眠っている間、ずっとお兄さまの夢を見ていた気がする。まだ熱があるのか、身体がすごく熱い。


「ちゃんと……寝ないと……」


 私は、もう一度眠るために目を閉じた。


 ――お兄さまと会っても、少しも嫌いになんてならなかったな。


 ふと、そんな考えが頭をよぎる。


 色々と言いたいことがあったはずなのに、お兄さまを前にした途端、自然と「良い子」に振舞ってしまった。


 変わって立派になったお兄さまと釣り合うように、私も変わらなきゃだめだって気持ちになった。


 そんな風にお兄さまのことを考えていると、何故か胸が苦しくなる。


「お兄さま……大好き」


 私は何気なくそう呟いてみた。


「ふふ……」

「うぅっ……」

「――――っ!?」


 そしたらお兄さまの声が聞こえてきたので、びっくりして息が詰まりそうになる。


「ど、どうして……?」


 よく見てみると、ベッドの脇にお兄さまが寝ていたのだ。


 そういえば、私がお見舞いに来てくれたお兄さまのことを引き止めたんだった。


「っ~~~~!」


 顔がさらに熱くなるのを感じる。


「うっ……ぐっ……」

「お兄……さま……?」


 だけど、お兄さまの方はうなされている様子だった。


 私はそっとお兄さまの額に触れてみる。


「すごい熱……!」


 どうしよう。誰か呼ばないと。


 慌てて起きあがろうとしたその時。


「プリシラ…………?」


 お兄さまに名前を呼ばれた。


「お、お兄さま……起きちゃったの……?」

「…………? う、ん……」


 うつろな目で返事をするお兄さま。どうやら寝ぼけてるみたいだ。


「えっと、あのねお兄さま! すごい熱だから、誰か呼んでくるねっ!」

「だめ……」


 ベッドから出ようとする私のことを、お兄さまが引き止める。


「まだ……終わってない……」

「お、終わってないってなに? 離してよお兄さま……!」

「じっと……してて……」


 そう言って、お兄さまは私に何かをし始めた。


 掴まれていた腕の辺りからどんどん温かくなって、自分の身体が楽になっていく。


「ぐぅっ……はぁ、はぁ……っ!」


 反対に、お兄さまはすごく辛そうだ。


「な、何してるの……?」

「病気は……僕が……治す……から……」

「………………!」


 やっと分かった。


 お兄さまは私に治癒魔法を使っているんだ。


「ま、待って……だめだよお兄さまっ! 苦しいならやめてっ!」

「プリシラ……っ!」

「は、はなしてお兄さまっ! いやっ!」


 私は必死にお兄さまの手を振りほどこうとする。


 だけど、力が強くてぜんぜんダメだった。

 

「動かないで……」

「きゃぁっ!」


 むしろ逆に抑え込まれてしまう。


 両腕を掴まれて、無理やり魔力を受け入れさせられた。


 どうやっているのかは分からないけど、お兄さまの魔力を直接私の中に送り込んでいるらしい。


「だめっ……やめてよぉっ……!」


 こんなに魔力を送り込むなんて、自分が生きられる時間を削っているようなものだ。


 ――そんなのいや。


 天才で努力家で何でもできるお兄さまが、私なんかの為に命を削って欲しくない。


 私は自分が長くは生きられないことを知っている。死んで自分がなくなっちゃうのは怖いけど、受け入れるための心の準備はしてあるつもりだ。


 だから……。


「おねがい……! 離してお兄さまぁ……っ!」

「泣かないで……プリシラ……」

「ひっぐ……うぅぅ……っ!」


 ……結局、私はお兄さまから半分くらいの魔力を受け取ってしまった。


 たぶん、お兄さまが生きるはずだった時間がたくさん減って、私の生きられる時間がたくさん増えたのだと思う。お兄さまのものを受け取ったせいで、魔力の流れに対する感覚が敏感になって、何となく分かってしまった。


「なんで……私の……ために……っ」


 涙が出てくるのに、体は信じられないくらい軽くて、嬉しい気持ちになってしまう。


「うぅっ、うわあああああんっ!」


 ……それが余計に嫌だった。


 私は……お兄さまが大切な時間を私のために使ってくれたことを……喜んでいるのだ。


「だいじょう、ぶ……」


 お兄さまは泣いている私に向かって優しい声でそう言うと、私の上に覆い被さるようにして意識を失った。


「お兄さまぁ……っ!」


 私の中に流れている濃い魔力は、もうほとんどがお兄さまのものだ。身体の芯までお兄さまのもので満たされているから、勝手に流れ出すようなこともないだろう。


 魔力が同じものになった影響なのか、お兄さまの胸の音と私の胸の音が完全に同じになっているのを感じた。まるで一つになったみたいに。


「あぁ……っ」


 ……そうだ。


 たぶん、私の体はお兄さまのものになったのだ。


 だからこれからは、お兄さまのために時間を使おう。


 今度は私がお兄さまにお返しする番だ。


 お兄さま……。


 お兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さまお兄さま――

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