IF編 もし催眠アプリを正しい方向に使っていたら
IFストーリー1 ドカ食いを繰り返すベルゼブブ系の悪魔を催眠アプリで助けてあげよう
ボクの名前はリマ。
現代日本で30歳の時に、突然この世界に転移してきた人間だ。
その時に手に入れた能力は「催眠アプリ」。
僕が念じると、スマホ型の板をいつでも僕は呼び出すことが出来る。
そしてこれを相手に見せて暗示をかけると、その相手を意のままに操れる。
今にして思うと、ボクは小さいころから、多くの人たちに迷惑をかけてきた。
小学校の時、ボクはクラス一の美人に初恋をした。
……いや、単にあの時は『美人を自分が独占したい』という身勝手な欲望だった。
だけどその時は『嫌いな人から好意を向けられること』がどれだけ相手に迷惑をかけるか知らなかった。そのせいで、ボクは女の子を怖がらせてしまっていた。
中学の時には、ボクに優しくしてくれた優しい女の子が居た。
けど、その時のボクは『親切心』を『好意』と勘違いしてしまっていた。
さらにボクは『関係性ができていないのに告白すること』が相手にどれだけ恐怖心を与えるか、わかっていなかった。そのせいでボクは女の子を傷つけ、両親にも強く注意された。
高校の時にボクは、小中学校の時の行動が知れ渡ってしまい、クラスでパシリにされた。
その時の女の子たちは、ボクに好意を向けられるのを避けるため、あえて笑いものにすることで防衛していた。
社会に出た後もそんなボクは自分を変えることができずに引きこもって、お母さんにご飯を作ってもらいながらゲームばかりしていた。
そんな僕が、突然異世界に転移して「催眠アプリ」なんてものを貰えた。
……だから、きっとこれは神様がボクに与えた試練であり『お願い』なんだと思った。
この催眠アプリを使って、今度こそ周りの人を幸せにしろと。
そう思ってボクは、催眠アプリの使いどころを考えていた。
「ふう……今日の稼ぎはこれだけか……」
ボクはこの世界で、肉体労働をやりながら、住み込みで日銭を稼いでいる。
幸い人間の腕力は、この世界の基準だとそこそこ高いようだ。これは、龍族など本当に腕力の強い種族が、軒並み頭脳労働を好んでいることも大きい。
そのため、人間の中では非力なボクでも、なんとか仕事をやっていける。
住み込みと言うこともあり給料はあまり多くないが、自分でお金を稼ぐのは久しぶりなので、それなりに充実感のある日々を送っている。
少したくましくなった腕を見ながら、こんな「当たり前の幸せ」を味わえることに、ボクは神様に感謝した。
「さて、久しぶりに今日は飲もうかな……」
そう思っていると、ボクは一人の美人のエルフの女の子とすれ違った。
彼女はどうやら『イグニス』という獣人のための夕食の食材を買いに行っているようだ。
(あの子、かわいいな……催眠をかければ、ボクの性奴隷にすることもできるけど……そんなことはしちゃダメだね)
ボクは一瞬でもそんなことを考えた自分を恥ずかしくなりながら、近くにあった『ピザ・レジェンド』という酒場に入った。
そこでは獣人の男性が一人で切り盛りしていた。
「親父さん、ビール……じゃなくてエールと、チキンをもらっていい?」
「ああ、ちょっと待ってな」
幸い、この世界は一見中世風の世界観だが、栄養事情はそこまで現代社会と変わらない。
まずい黒パンと腐りかけたチーズを食べるようなことがなかったのは幸いだ。
ボクはまずエールを一杯思いっきり飲み干す。
「ぷはあ……おいしいね、このエール」
「お、そういってくれると嬉しいね。もう一杯どうだ?」
「うん、ありがとう」
この獣人の店主は割と気さくな性格のようだ。
そんな中、ボクは酒を飲んでいると一人のかわいい女の子ががつがつとピザをドカ食いしているのを見かけた。
種族は悪魔。
あの特徴的な羽根の形はおそらく伝承にある『ベルゼブブ』と同種のものだろう。
その特性上『暴食』を好むのは仕方ないことかもしれないが、さすがにその食べ方は異常だった。
ボクは少し心配になり、店主にお願いし、※彼女にカクテルをふるまうことにした。
(※本作で行っている『あちらのお客様からです』は、異世界ファンタジーの世界だから許される行為であり、実際には迷惑行為です。そのため現実世界ではやらないことをお勧めします)
「……お嬢さん。あちらのお客さんが一杯奢ってくれるそうだよ」
「え? ……あ、ありがと」
「ウヒヒ、ずいぶん沢山食べてるね。そのピザがそんなに好きなの?」
「……ううん」
そういうと、そのベルゼブブの子はふるふると首を振った。
「ストレス解消に、こうやってお腹いっぱいまで食べてるだけだから……」
ボクみたいな気持ち悪い男にも普通に話をしてくれるってことは、相当ストレスをためているんだな。
そう思いながらボクは尋ねる。
「そうなんだね……。何がストレスなの?」
「うん……職場のこととか、いろいろあるんだけどさ……一番は上司のことかな」
そういうと彼女は、ぽつりぽつりと上司のことを話し始めた。
どうやら彼女の上司『ロクルーダ』はオオカミナスビ(ベラドンナのこと)の植物人種のようだ。
その名に恥じず、相当強い毒を吐いてくるらしい。
具体的にはちょっとしたミスも見逃さずに小言を言ってきたり、過去の失敗をいつまでも注意してきたりするようだ。
「なるほど、それは……大変だね」
ボク自身あまり人と会話した経験がないこともあり、彼女のことを聞いてあげるだけしかできなかった。
だが、しばらく話を聞いているうちに彼女は少しだけ顔色がよくなった。
「ありがと、ちょっと聞いてもらえて楽になったよ。あたしはゴットシャルっていうんだけどあんたは?」
「ボクは音斗莉麻。リマって呼んでくれるかな」
そういいながらも、ボクはしばらく彼女と話をしていた。
こうやってボクと話をしてくれたら少しはストレスの解消になるだろう。
……だが、それでは根本的な解決にならない。
毎日ボクがこのお店に顔を出せるわけでもないし、それでは依存対象が変わるだけだ。
最悪、ドカ食いの代わりに、悪い男に嵌って大金を奪われる可能性もある。
(そうだ、こいつが役に立つ……)
そう考えたボクは質問してみた。
「こうやってドカ食いをする前は、どうやってストレスを解消してたの?」
「え? ……そうだね、最近はやってないけど……学生の時にはよくバイオリンを弾いて落ち着いていたな」
「なるほど。そうだ、ちょっとこれ見てくれる?」
幸いこのあたりの住宅事情であれば、楽器を夜にひいても迷惑にはならない。
そう思ったボクは催眠アプリを取り出した。
「『キミはこれから、ストレスが溜まってドカ食いをしたくなったら、バイオリンを弾いて気持ちを落ち着けたくなる』っと……」
キイイイイン……と音が響いた。これで催眠は成功したのかな?
「ん? いま何かした?」
「ううん、別に?」
「そっか。……ん、なんか急におなか一杯になってきたな。リマ、あんた、あとは食べていいよ?」
「え、いいの? じゃあ、食べよっかな」
これはしょうがないな、うん!
催眠アプリを悪用したんじゃないよね、これは!
残すのはもったいないから、この役得は仕方ないことだよね!
そう思いながらボクはピザを手に取った。
「ウヒヒ、美味しいな、これ! ……あ、そういえばさ。あそこのステージって何か楽器を弾けるみたいだよ?」
「え? ……本当だ。ひょっとして、バイオリンもある?」
「もちろんあるよ。せっかくだから、なんか弾いてみるかい?」
話をずっと聞いていたのだろう、店主は快く楽器を見せてくれた
「うん。じゃあ、弾かせてもらおうかな」
そういうとゴットシャルさんは、ステージに立ってバイオリンを手に持ち、音色を響かせる。
酒場の中に彼女の音色が響き渡る。
「へえ……」
「お、やるじゃん!」
正直ボクみたいな人間にはバイオリンの音の良し悪しはわからない。
だが、彼女のその音色はとても素敵なものだった。
店にいた客たちも、思わず我を忘れて聞き入る……というほどではないが、この店内の雰囲気にあったその曲を聞きながら、楽しそうにはしてくれている。
しばらくして、ゴットシャルさんは演奏を終えた。
ボクはぱちぱちと拍手をした。他の観客たちも同様だ。
「あはは、久しぶりだったけど結構ちゃんと弾けたかな……」
そういうと店主は満面の笑みを浮かべた。
「うん、やるじゃん。……そうだ、これからここで1回弾いてくれたらさ、そのたびにピザ1枚分、会計から引いてやるよ」
「え、いいんですか?」
「ああ、周りの客も楽しんでくれたみたいだしな。ピザ1枚分くらいなら安いもんさ」
そう言って店主は人のよさそうな笑みを浮かべていた。
まあ、体のいい『常連客への割引サービス』でもあるのだろうが、それはゴットシャルさんも分かっているだろう。
「あ、ありがとうございます。じゃあ、次はもっと練習してきますね!」
そう彼女は喜んで笑顔を見せてくれた。
(ウヒヒ! うまくいっているみたいでよかった! けど……これだけじゃ、根本的な解決にはならないよね……)
そう、ストレス解消の方法を変えるのは催眠アプリでもできる。
だが、生理的な快楽を与えるものの誘惑はとてつもなく大きい。
そのため、今はこれでストレスを解消できてもいずれは似たようなことを繰り返すだろう。
肝心の『ストレスの根本原因』そのものをなくさないとだめだ。
そう思ったボクはもう一度催眠アプリを取り出し、ゴットシャルさんに見せた。
「ねえ、ゴットシャルさん」
「なに?」
「『キミは、明日、ストレスの原因になっている上司をこの酒場に連れてくること』っと」
キイイイイン……とまた音が響いた。
これでいいだろう。明日また上司に来てもらって、その人にも催眠をかけるようにしよう。
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