4-5 元モラハラ夫は、「女性」と「おっさん」の苦しみを少し理解したようです

「ちょっと、ヨアン!」


俺はその後会社に戻るなり、クーゲル課長に大声で呼び出された。

……ああ、また説教だ。そう思うと俺は少し不安になりながらもクーゲル課長のもとに歩いて行った。




「ヨアン、朝行ったゲームショップで、何やったの?」

「え?」


ああ、まずい。

今までの俺の態度に嫌気がさして、商品の購入を辞めるって話じゃないだろうな?


……そう思ったが、クーゲル課長が言ったことは、それとは真逆のことだった。


「ヨアンが今日来た店、あるでしょ? あそこが来月のソフトの発注数を2倍にするって連絡が来たんだけど?」

「え?」



その発言に俺は意外に思った。

……だが、よくよく考えたらおかしな話じゃない。



「そうか、あれが原因か……」

「どうしたの、ヨアン? 心当たりがあるなら教えて」


そう言って俺は、今日起きたもののいきさつを説明した。


俺が務めていた「ロングロング・アゴー」の会社で大変評判の悪かった男「リグレ」が営業部に配属されていたこと。


そして彼が店に来て、あろうことか「抱き合わせ商法」で無理やり商品を買わせようとしており、それを俺が止めたこと。


さらに俺は、そのリグレの横暴な態度を見て、自分が今まで彼女に対して失礼なことをしたと詫びたこと。


それを全て聴くと、クーゲル課長は、はあ……とため息をついた。


「あの、リグレのクソ野郎か……」


クーゲル課長がそこまで攻撃的な物言いをするのは珍しい。

俺は思わず尋ねた。


「あれ、課長もご存じですか?」

「そりゃ知ってるよ。……あいつさ、私が珍しい種族なのを知ってて、無茶苦茶な契約を結んできたんだから!」


そう言うと、彼女は相当嫌な思い出があるのか、吐き捨てるようにつぶやいた。

その糸目の向こうから怒りの光が漏れ出ているのを感じる。


彼女のような希少な種族は、このような目にあうことも多いのだろう。


「しかもその契約書ね! 私が古語(ニルセンなど、高等教育を受けたものしか使えない特殊な言語)を知らないのをいいことに、法外な違約金を請求するように書かれてたんだ!」

「うわあ……」

「あの時ニルセン社長……当時は課長か……が何とかしてくれなかったら、路頭に迷ってたよ……ったく、思い出したら、またむかついてきた!」



それを聞いて俺は思い出した。

確か俺がロングロング・アゴーに居た時(2-4 元パワハラ男はクソな得意先に言ってやりました参照)ニルセン社長が見せた契約書の名前は、クーゲルという名前だった。


あれは、彼女のことだったんだな

俺の話を聴きクーゲル課長は納得したように頷いた。


「まあ、話は分かったよ。要するにあのバカがやらかしたから、あの店の店員は『ロングロング・アゴー』のやり方に嫌気がさして、うちの商品に鞍替えするって話なんだね」

「ですよね」



これは俺の手柄じゃなく、単にリグレのへまだ。

だが、クーゲル課長は俺の肩を叩いて笑いながら答える。


「けどさ。逆に言えば『うちはリグレよりはマシな相手』って思ってもらえたってことだね。ヨアンもちょっとは誇りに思ったら?」

「あ、ありがとうございます」



俺はそう言いながらも達成感を感じていた。

動機はどうあれ、俺の担当している地区の売り上げが上がるのは嬉しかった。


それに、もし俺達の商品が売れるようになれば、彼女も『ロングロング・アゴー』のリグレみたいなろくでもない奴との取引もしなくて済み、双方にとって利益になる。




……そう考えると自分の仕事も人の役に立てるんだな、と思えるような気がした。

仕事もまじめにやって、結果がきちんと出ると、結構楽しいのかもな。



そう話していると、お昼の時間になった。


「あの……。クーゲル課長、良かったら今日お昼一緒にどうですか?」

「え? ああ、別に構わないよ」






それから俺たちは食堂に行った。

この会社の目玉は、クリエイターも含む全社員が使える「無料食堂」だ。


少し前まではサンドイッチのような軽食しか出なかったようだが、会社の規模が大きくなってきた現在は、きちんと栄養のある食事がとれる。


ニルセン社長曰く「クリエイターは自分の生活に無頓着なものも多いから、少しでも体調管理ができるように」という考えのもとで行われた福利厚生だそうだ。




「女性の気持ちを理解できるようになりたい?」


クーゲル課長はチーズのたっぷり入ったベーグルサンドをほおばりながら、訊ねた。


「はい。……さっき話しましたけど、俺の得意先の店員さんは、本当は俺のこと嫌っていたんだってようやく分かったから、少しは直さないとなって思って……」

「ああ、それで反省したんだね。正直あんたのナンパ癖は周りから嫌われていたからね。インキュバスの特性だから、しょうがないって皆我慢してたんだよ?」


やっぱりそうだったんだな。

クーゲル課長も以前から俺に対して苦言を呈することがあった。


だが、あの時には「女性を口説きたい」という気持ちばかりが先行しており、『嫌がる相手は好きに思わせておけばいい』とばかりに、特に意識をしていなかった。


……催眠アプリでの暗示「女性を口説きたいと思わなくなる」が、こんな形で影響を及ぼしていたのは、俺も意外だった。



「そうです。……あと俺、それで妻を今まで、凄い傷つけちゃっていたのも分かって……」


そう言って俺はチーズリゾットを食べる手を止めた。

もっともそれに気が付いたきっかけは『妻に催眠をかけられて寝取られたため』という悲惨なものだったが。



「へえ。……まあ、何があったのかは聴かないでおくよ。で、女の子の気持ちねえ……」


するとクーゲル課長は少し考えるようなそぶりを見せて答えた。



「……例えば、女の子は生理があるときは相当つらいって分かる?」

「え? それは知識としては……」


実際クーゲル課長の部下に、よく生理で体調を崩しているサキュバスがいる。

以前の俺は「はあ、またかよ」くらいの感覚だったが、実際には彼女も苦しんでいたのではないかと思っている。



「そう、知識として知ってても、相手の気持ちにはなれないでしょ? それだけじゃ、相手の立場になれたとは言えないんだ」

「ですよね……」

「ただ『理解しよう』って思いは大事だよ。ヨアン、その覚悟があるか?」

「え? はい……」

「分かった……」



そう言うと、クーゲル課長は呪文を詠唱し始めた。

彼女はリグレ同様ウィザードの資格を持っており、魔法を操ることが出来るためだ。



「はあ!」


そして俺に魔法をかけた。



「ぐわああああ!」



その瞬間、俺はすさまじい痛みに苛まれ、俺は思わず悶えた。


「これが生理の痛み。どう、痛い?」

「う……」


そう言われて俺は少しひるんだ。


「じ、女性は……こんな苦しみに……耐えていたのか……」

「そういうこと。これで女性の気持ちも、少しは理解できた?」

「た、多少は……」


だが、そうやって俺達が話していると一人の男が不満そうに横から口を挟む。


「……不公平だ」


その男の種族はサイクロプス。

彼は何故か姿を消した※経理の女性『サラ』の後任として、新しく経理で働いている。


(※『サラ』とはリマによって寝取られた『性奴隷3号』である。だが時系列の関係上、ヨアンは彼女が経理部に所属していたことを知らない)


「女性の辛さを知るのは良いことだ。だが『おっさん』も辛いのだから見くびらないでほしい」

「おっさんの辛さ、ですか……どういうことですか?」

「……じゃあ教えてやる。歯を食いしばれよ!」


そう言うとその男もまた呪文を詠唱した。

彼もまたウィザードの資格を持つのだろう。



「うおりゃあ!」

「ぎやああああああああ……」



今度は全身に凄まじい痛みが走る。

外傷が付かない電撃系の魔法なのだが、それでも体に受けたダメージは大きい。


「これは『痛風』の痛みってやつだ」

「痛風、ですか……」

「これに耐えているおっさんだって、頑張ってることは理解してほしいものだ」

「は、はい……」


おそらく彼は痛風持ちなのだろう。

そう言うと、彼は俺に手を貸してくれた。




「で、どうだった? 女性の痛みとおっさんの痛みは?」

「あ、はい……」


俺はまだ痛む体を抑えながら、クーゲル課長に答える。


「どっちも凄い痛みで……。世の中には、こんな風にいろんな痛みを持っている人がいるんだなって分かりました……」


だが、クーゲル課長は試すような口ぶりで尋ねてくる。


「……それだけかい?」

「いえ……」


そう、一番驚いたのはそのことじゃない。


「結局……他人の痛みなんて『分からないもの』だってことが分かったんですよ。例えば痛風だって、生理痛だって、人によって痛みは違いますよね?」


そういうと、二人は頷いた。


「もちろん。それで女性同士が揉めることもあるんだよ」

「……痛風は女性や若者もなるし、すべてのおっさんがなるわけでもないしな」

「痛みだけじゃないですよね? そもそも人の気持ちは『分からないこと』を前提にして人に接しないといけない。『他人のことを少しでも理解しよう』って気持ちが大事なんだなって思いました」


そう言うと二人の顔はほころんだ。

恐らくこれが聴きたかった答えだったのだろう。


「ああ、その通りだよ。人付き合いだけじゃなくて、仕事でもそのことを忘れないで? そうすればヨアンは、今よりももっと成長できるから」

「はい……あ!」



そこで俺は、あることに気が付いた。



「そうか、これって女性とかおっさんとかのくびきだけじゃない! ……種族間だってそうですよね?」


そう言われ、クーゲル課長は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。


「え? ああ、そりゃね。私の『石化病』なんてみんなはかからないから、辛さは分からないでしょ?」

「ですよね。……ということは気持ちだけじゃなくて、種族によって価値観も違うってことだから……」



俺は当初、自分の担当する地区だけ売り上げが低いことを特に疑問に思わなかった。


いや、それは自分たちの会社の商品がその地区に合ってないのだと思っていたからだ。

……けど、違う。




俺の売り方が、その地域に住む『種族』にマッチしていなかったのだ。




「すみません、俺、飯食ったらまた営業行ってきます!」

「なにか分かったのか? ……まあいい、気を付けて行けよ?」


俺はそう頭を下げた。

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