4-3 モラハラ夫は、「食い尽くし」を社長の前でやってしまいました

「今日という今日は言わせてもらうわよ!」



妻シンシアは、涙目になりながらワイングラスを手に持った。


「いつもいつも、私に我慢ばっかりさせてたじゃない、あなた! 私を家事マシーンか何かだと思っていたんでしょ?」

「そんなことねえよ!」

「嘘! ご飯いらないときにも連絡くれないし、いざ食べるときには私が席に着く前に食べつくしちゃうし! 私のこと愛してるなら、そういうのもちゃんと気遣えるはずでしょ?」


くだらない、その程度のことで泣くほど怒るとか、シンシアは弱い奴だったんだな。



「この世界は勝負の世界だ。早い者勝ちなのは当たり前だろ?」

「そうやって、自分のことを悪くないって思い込んでるところが最低なのよ! 家の仲間で勝負の世界なら、私はどこで安らぐ場所があるって言うの?」



そして、グラスに入ったワインを俺に投げつけてくる。

ピチャッと音がして、俺の身体にワインがぶちまけられた。



「おい、てめえ! こんなことしてどうなるか分かってんのかよ!」


「それはこっちのセリフよ! あのね。私は今のご主人様が居なかったとしてもね! あんたと離婚したいってのは、ずっと前から思ってたのよ!」


バカかこいつ?

ハーフリングで社会人としてもろくに働いたことのないお前を雇ってくれる会社なんて、あるわけがない。


「何言ってんだよ? 俺が居なかったらお前は生活できないだろ? 働いたことも無いくせに!」

「そうよ! だから離婚しなかったのよ! ……けど、もうそれも終わり! ね、ご主人様?」


そういうと妻はニヤリと笑い、ご主人様の影に隠れるようにしてつぶやく。


「そう! お前はこれから僕の『労働奴隷』として働いてもらうから。給料は僕が性奴隷ちゃんたちと一緒に使うからさ! 安心してよ?」



そして、彼女の周りにいた美女たちも口々に見下すような笑みを浮かべてきた。



「あなたみたいなやつは、ご主人様の奴隷にしてもらえるだけありがたいと思いなさい?」

「そうそう。サキュバスの私から見て、あなたが同族なのが恥ずかしいわよ……。あなたは、うちの偽旦那……ううん、ニルセンと同じ奴隷になるのがお似合いよ?」



ニルセン? それは俺の社長の名前だ。

ご主人様もニヤニヤ笑って答える。


「そういえばお前も、ニルセンの奴と同じ会社なんだってな?」

「え?」


……まさか社長も『労働奴隷』に?

言われてみると、社長は莫大な給料をもらっているはずなのに、生活は質素だと聞く。


そうか、社長もまた、こいつに搾取されていたのか。



「後お前と性奴隷4号ちゃんが住んでた家は、もう引き払っちゃうからさ~。これから『非モテハウス』で仲良く男共とルームシェアして暮らすんだよ?」

「……はい……」


そんなのはまっぴらだと思ったが、ご主人様に逆らうことは出来ない。

俺はこれから起きるであろう暗澹たる生活を想い絶望的な気分になった。



「ああ、そうそう。ボクさ。お前みたいに女の子の知り合いが多い奴って嫌いなんだよね~? 折角寝取っても、新しい女作られたら面白くないだろ~?」


『女を作る』という表現が、まるで女性をもののように扱っているようで俺は少し嫌な気分になった。


(……いや……)


……だが、俺も似たようなことを今まで当たり前に思っていた。

そう考えると、俺はこの男を通して、恥ずかしいことをしていたのだと感じた。



「だから、この暗示もかけとこうっと! 『お前はこれからの人生で、女の子を口説けない……』っと。お前はさ。寝取られた性奴隷ちゃんのことを一生引きずり続けていればいいんだよ?」

「はい……」


俺はご主人様に言われるがまま、今日の会計分を除いた金を渡してピープちゃんを帰した後『非モテハウス』と言われたシェアハウスに、とぼとぼと向かった。




その翌日。

俺は絶望的な気持ちで目を覚ました。



「ここが……非モテハウス……か……」


そこはご主人様に言われて住まわされたシェアハウス。

俺のように妻を寝取られた労働奴隷たちが住むことになる家だ。

俺はこれからの人生では、男共と肩を寄せ合いながら給料を搾取される生活を送る。



「……昨日までは楽しかったのにな……」


昨日までは妻が用意した飯を食って、そして適当に仕事した後に酒場で女の子を引っかけて時にはデートする、そんな生活を送っていた。


それが遠い昔の記憶のように思っていると、階下から良い匂いがしてくると同時に、ノックの音が聞こえてきた。


「おはよう、ヨアン。ご飯できてるから降りてきなよ」

「あれ、イグニス?」


昨夜は全員が寝静まった時に帰ってきたので、住民が誰か分からなかった。

だが、まさか『非モテハウス』の住人の一人がイグニスだったのは意外に感じた。


「あ、ああ……」



そう言うと俺は階下に降りていった。



「おはよう、ヨアン」

「おはようございます」


そこにいた「労働奴隷」達は全員俺の知っている人だった。

というより、俺も含め全員同じ会社『セントラル・クリエイト』のものだ。


イラストレーターとして現在飛ぶ鳥を落とす勢いの獣人、イグニス。

「ビジュアルノベル」という新しいジャンルのゲームを開拓し、大ヒットを飛ばしたリザードマン、ニルセン社長。

そして先日一緒に会場設営を行った、有名シナリオライターの有翼人、ミケル。



「不幸中の幸いか……」



少なくとも3人は顔見知りであり、その人となりも知っている。

男なんて大嫌いな俺だったが、少なくともこの3人とのルームシェアならば、まだ少しはましだからだ。



ニルセン社長とミケルは少し一仕事あるからと席を外したが、イグニスはリビングに残り、俺に朝食を勧めてくれた。


「ほら、昨日は寝取られて辛かったろ? 食べなよ?」

「え? ……いいのか?」

「ああ」


そうイグニスは優しく微笑むと俺に食事を勧めてくれた。

そこにあったのは、子羊の腸を使ったソーセージと固ゆでのゆで卵、そしてクロワッサンにバターという食事だった。


「……美味いな……」


俺は思わずそうつぶやいた。

ソーセージの焼け具合は勿論、クロワッサンの品質やバターの鮮度など、そのどれもが一流ホテルの食事とも思えるような味わいだった。


「気に入ったならよかったよ」

「うん、うまい、うまい……」



そう言って食事をしていると、ニルセン社長が戻ってきた。

その手には俺が昨日ワインをかけられた服を持っていた。


「ヨアン。お前は昨日ワインをかけられていたんだな。シミを抜くのが大変だったが、一応なんとかなったぞ」


そういってニルセン社長は俺の服を見せてくれた。

……なるほど、シミは完全に抜けている。


「あ、ありがとうございます……」

「ハハハ、こう見えても私は洗濯が得意でな。また困ったことがあったら呼んでくれ。……おや、私の分の朝食はないのか?」



その発言に俺の身体は凍り付いた。

まさか俺、みんなの分の食事も、食い尽くしてしまったってことか?



「え? イグニス……ひょっとして、この朝食ってみんなで食うものだったのか?」

「……ああ。あんまりヨアンがうまそうに食うから、言えなかったんだけどな」



やばい、最悪だ。

俺はいつもの癖で、置かれていた食事を全て平らげてしまっていた。


しかもよりによって、自分の社長の食事をだ。

ルームシェアをさせられ、飯まで作ってもらったのに、こんな第一印象は最悪だろう。

……だがニルセン社長はハハハ、と笑って答えた。



「私の分を食べるほど腹が減っていたんだな。もしかして昨夜は食事をしなかったのか?」

「いえ……」




「それとも……今まで妻が相手でも、そういう食べ方をしてきた、というのかね?」




その少し咎めるような発言に、俺はうっ……とのどを詰まらせるような感覚を感じた。

確かに普段から『競争社会』という名目で妻の食事も平気で平らげていたからだ。



……その理屈なら、俺は地位も腕力も上であるニルセン社長に、自分の食事をすべて譲らないといけない。


にも拘らず俺は、ニルセン社長の食事まで勝手に食べてしまった。


だが、ニルセン社長は怒らず、穏やかな笑みを見せてくれた。



「安心してくれ。私もお前と大して変わらん立場だったから、説教などはせんよ。……ただ、これから私の食事が欲しい時は声をかけてくれないか?」



確かにこの世界は弱肉強食なのは事実だ。

……だからこそ、弱者から奪う人より、弱者に与える人の方がかっこいい。



「すみませんでした……もう、こんなことは……」



それをニルセン社長の態度から痛感した俺は、恐縮しながらも頭を下げ、それ以上発言することは出来なかった。





……それからしばらくして俺はトイレに向かった。

そこではミケルが、俺が昨夜汚してしまった個所を丹念に掃除していた。


そう言えばこのシェアハウスは、青年~中年の男3人で暮らしているとは思えないほどきれいだった。

これはミケルが掃除してくれていたからだろう。



「おはようございます、ヨアンさん。掃除できたから使ってください」

「え? ……ああ、悪いな」

「いえ。掃除は得意ですから。また何かあったら相談してくださいね」


そうミケルが屈託なく笑うと、俺は自分が恥ずかしくなった。

朝から食事を作ってもらったり、へまをやらかしたりと言うこともある。


だが、それよりも、俺が思っていたことはもっと大きなことだった。


(俺は……妻に相当ひどいことしてたんだな……?)



そう、今日俺が「やらかした」或いは「やってもらった」ことは、我が家では日常の一コマに過ぎなかったからだ。

それを俺は何も悪いとすら思っておらず、それどころか『教えてやった』とすら思っていた。



……昨日妻から怒鳴られた言葉は、催眠で操られた発言ではなく、彼女自身の本音だったのだ。



そう思った俺は胸が痛くなりながらも、何とか職場に向かっていった。

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