2-7 理想の上司は、クソな得意先のせいでクビにされました

クーゲルは、私がクビになるという話を聴いて信じられないという顔をした。

部下たちも同様だ。


「どうして、ニルセン課長がクビになるんですか?」

「そうっすよ! 確かに昔はひどい奴でしたけど……もう俺達、あの時のこと気にしてませんし……」

「というか、課長のおかげで私は病気の時も安心して休めるようになったんですよ? ひどいですよ!」



そう口々に言ってくれたのを見て、私は感極まって泣きそうになった。

……私は部下のクリエイターたちに、少しは報いることができたのだな、と思えたからだ。

だが私はクーゲルの件からこうなることは覚悟していた。


「そうか、ついに来たか……」

「ニルセン課長! みんなで抗議しましょうよ!」


クーゲルもそう言ってくれたが、この問題は私一人が取る必要がある。

所長にも世話になった身であり、彼を悪者にする気にもなれない。……どうせ黒幕は分かり切っている。


「いや、私が一人で話をしに行く。お前たちクリエイターは……自分のイラストをよくすることだけ考えていてくれ」

「ニルセン課長……」





そして私はその夜、所長に話を聴きに行った。


「男爵、お久しぶりです」


私たちは以前所長に直談判した時に示し合わした通り、彼のことを男爵と呼ぶようにしている。

一般的な種族の感覚では寧ろ皮肉に感じるようなニックネームだが、所長は格式を異常なほど気にするヴァンパイア種だ。このあだ名をいたく気に入っている。


「来たか、ニルセン。……すまない」


そういうと、所長は頭を深々と下げた。

プライドの高いヴァンパイアがリザードマン、しかも部下である私に頭を下げるのは、相当なことだ。



「いえ。……この日がいつか来るとは思ってました。……相手は……」

「ああ、察しの通りリグレだ」



やはりそうか、と半ば安心すらした。少なくとも彼以外から恨みを買っていたわけではなかったのだから。


「……奴の父親は有名な地主でな。我々の組織に対して言って来たんだよ。『ニルセンをクビにしないと、今後貴様らの土地の家賃を3倍にするぞ』……とな」


エルフのように長命な種族は、長年土地を持ち続けたことで大地主になることも多い。

リグレの父親もその一人なのだろう。……そして運が悪いのは、我々のいる事務所の周辺は、殆どリグレの父親の持ち物らしいということだ。


「それは横暴ですね……」

「狡猾なことに、お前を解雇したら、更新時の家賃を2割減らすとまで言っていた。……エルフの言うことは信用ならんが、少なくとも前者は確実だろう」

「ええ、そう思います……」



まったく、1年も前のことをまだ根に持っていたのか、とも私は思った。

だがエルフの時間間隔だと1年と言うのは「割と最近」程度の認識なのだろう。



「お前のやり方は強引ではあったが、少なくともイグニスたちクリエイターの力になってくれたのはよくわかっている。だからこそ、こういうのは屈辱だが……」

「いえ。……お世話になりました、ありがとうございます、所長」

「……すまない。これは私からの礼の『退職金』だ」


そう言って所長は、袋一杯の金貨をくれた。

定年退職の金額としても過分な量なのは、所長なりの思いやりなのだろう。



「ありがとうございます。……どうか、彼らクリエイターに明るい未来を」

「……約束しよう」


私はその金貨を受け取ると頭を下げ、そのまま事務所を出て戻らなかった。





そして、その翌日。


私はクーゲルに呼び出されて、以前行きつけにしていたピザ屋に足を運んだ。

……ご主人様に給料を搾取されるようになってから行くことが無かったため、私は少し心が躍った。



「ニルセン課長、こんばんは」

「ああ、呼んでくれてありがとう。……おや、イグニスも来たのか」


イグニスは昨日事務所に泊まり込んでいたため、私は顔を合わせていなかった

だからこそ、その場にいたのは驚いた。



「今日は課長に、合わせたい方が居たので呼んだんです」

「おお、そうか。……それはそうと、もう課長と言うのはやめてくれ。私はもうただの無職なんだから」

「……そうですね、フフフ……」


そうクーゲルは含みありげに笑った。



それから少し経ち、ピザ屋のドアがギイ……と開いた。


「お?」

「あ? ……ああ、ニルセンじゃないか」


そこに居たのは、すっかり顔を忘れていたがリグレだった。

私の顔を見て、エルフ特有の秀麗な容姿を台無しにするような、醜い笑みを浮かべてきた。


「どうだお前、無職になった気分は?」

「……クーゲル、彼が私に合わせたかった人か?」

「そんな訳ないじゃないですか! ……どうも、リグレさん。お世話になってます」



クーゲルと、リグレの務める会社『ロングロング・アゴー』との契約はまだ続いていた。

……流石にリグレがクーゲルと直接やりとりすることは無くなったが。

その為、クーゲルは怒りの表情を見せながらも、リグレに頭を下げる。



「ああ、久しぶり。クーゲルだったな、お前。貧乏そうな格好して、やっぱお前の種族は仕事貰えねえんだな?」

「……そうでもないですよ。最近は仕事が多すぎて、身なりを整える暇がないくらいなんですから」

「ふうん。ま、俺に逆らうとニルセンみたいになるって分かったろ? これからはおとなしくしてろよ」



相変わらず腹の立つ奴だ。

ある意味ここで『怒れない催眠』をかけられたのは良かったのかもしれない。

以前の私だったら、ここで怒鳴り散らして店を出入り禁止になっていただろう。


リグレは私たちの席から少し離れたところでメニューを見始めた。


「おい、親父。いつもの」

「いつもの、ですか?」

「ったく、察し悪いな。半年前に来たばっかだろ? トマトたっぷりのオニオンサラダに、ビシソワーズだよ! あと、肉は抜いとけよ?」


そう横柄な態度でリグレは答える。

確かにエルフであるリグレにとっては最近だろうが、店主は短命なタイプの種族だ。覚えていろと言う方が無理難題だ。


……それ以前にあの態度そのものが気に入らないが。




「遅れてごめんなさいねえ?」


だが、私がそう思っていると、またドアが開き一人のドワーフの女性がやってきた。


「あ、はい。初めまして」

「お久しぶりです、エスタさん」


イグニスはそう頭を下げると、エスタと言われた女性も頭を下げてきた。


「ええ、お久しぶりね、イグニス君」

「ニルセン課長、紹介します。こちらはイラストレーターとして有名なエスタさんです」

「え? ああ、初めまして、ニルセンです」


その発言を聞いて、私は心の中で驚愕した。

私はこの業界に努めて長いが、イラストレーターの名前はさほど知らない。

だが、そんな私でも彼女の名前は知っているためだ。



「こんばんは、ニルセンさん。……ニルセンさんの務めていた事務所、実は私たちの間でも凄い評判良かったのって知ってる?」

「え?」


それを聞いて私は少し驚いた。

確かに複数の事務所と連帯し、クリエイターの立場を高めるための努力はしていたつもりだが、彼女ほどの方の耳に届くとは思わなかったためだ。



「病気になった時の医療費の持ち合い制度や、無料の社員食堂制度。それに何と言っても、種族ごとの連帯をして契約を取る制度は本当にすごいと思ったわ。私が若い時にもそんな制度、欲しかったくらいだもの」


そういうと彼女は少し遠い目をした。

彼女の種族はドワーフだ。見た目はかなり怖い印象を与えるため、取引先がハーフリングなどの場合、委縮させてしまうことがあったのだろう。


「それでイグニス君に話を聴いたら、殆どその取り決めをやったのはニルセンさんだって言うじゃないの」

「いえ、私は……。昔、イグニスやクーゲル、ほかの部下たちに酷いことをしていたので……これでも、償いになっているか分からないくらいです……」


だが、エスタさんはそれを見ながらも、包み込むような笑みを見せた。


「それが償いかは私には分からないわ。けど、あなたの力がまだこの業界には必要だと思ったの」

「はあ……」


そうは言われても、私を雇ってくれる事務所があるかはまだ分からないのだが。

するとエスタさんは大量の金貨が入った袋を見せ、こう尋ねた。




「それでね。……ニルセンさん、あなたが社長となって新しい事業をやってみない?」





「は?」

最初、私は何を言われたか分からなかった。

だが、クーゲルはそれを聞いて楽しそうに笑う。


「どうですか、ニルセン『社長』! 事業をやってみましょうよ! 私も手伝います!」

「勿論俺もやりますよ! というか……」



その次の言葉を聞くまでもなく、私は嫌な予感がした。

イグニスとクーゲルは、同時に笑みを浮かべて答える。



「「二人とも、事務所を辞めたんで!」」



……ああ、やっぱりだ。

この二人の性格を考えたら、私に逃げ場をなくすためにこんな行動を取るに決まっている。



だが、その発言を聞いて、隣にいたリグレが嘲るような笑みを浮かべた。



「はあ? お前らみてーな素人相手に、何ができるってんだよ?」

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