2-2 パワハラ男は妻を寝取られ、怒鳴れない男にされました
翌日。
今日は私も給料を受け取れる日だ(イグニスやニルセンの事務所は給料が週払いとなっている)。
「イグニス、仕事の方はどうだ?」
「ええ、何とか順調です」
「クーゲルの仕事はどうだ?」
「あ、あの、その……」
クーゲルの進捗が遅いことを私は気にかけてやっていた。
その為今朝も、30分ほどたっぷりと「クリエイターとして、こいつが足りないもの」について指導してやったばかりだった。
当然私が指導してやった分は残業して取り戻してもらうつもりだ。
……だが、こいつはまだ理解が出来ていないようだった。
「あのなあ! 今日中に何とか依頼片付けておけよ?」
「は、はい……」
今日は愛妻のフリスティナのために新しいアクセサリーを買ってあげるつもりだ。
だから、こんなバカに時間を取られていてはもったいない。
「ところで今日はイグニスの奴はどこだ?」
「ああ、あいつは今日用事があるからって早退しました」
「そうか。まああいつはスケジュール的に問題ないだろう。じゃあ私は先に帰るから、お前ら後やっとけよ」
「はい……お疲れ様です……」
クーゲルたちを置いて、私は一足先に帰途に就いた。
……そして、そこで待っていたのは淫蕩な地獄絵図だった。
「あらあなた、早かったのね」
「ウヒヒ、おかえり、えっと……ニルセンだったね?」
そこには肥満体の男が醜悪な外見で、半裸で椅子に座りながら私の秘蔵の酒を煽っていた。
彼の右隣にいるのは、見たことがないエルフの美女。そして左隣に居るのは、私の愛妻フリスティナだった。
彼女たちはこの男の命令なのか、下着姿となっていた。
男は、私の秘蔵の酒をグイ、と飲みながら椅子に腰かけ笑みを浮かべていた。……あの酒はリザードマンの私がやけ酒に使う酒であり、人間には少々強すぎるものだ。
「イグニス~? お前、こんな可愛い巨乳ちゃんのこと知ってたんだな? 早く教えろよ~?」
「す、すみません……」
そして何故か部屋の片隅には正座させられたイグニスが居た。
私は今の状況が理解できず、思わずイグニスに尋ねた。
「イグニス……これはどういうことだ?」
「すみません……ご主人様に、巨乳の女を紹介しろ、と命令されまして……」
「ウヒヒ! そういうこと。お前の妻っていい身体してるよな? 今日だけで何回セックスしたか忘れちゃったよ~?」
「ですよね? さきの熱いひと時、忘れることはありませんわ? この偽旦那と違うって、はっきりわかりましたわ?」
そうつぶやくと我が愛妻は、私に対して冷たい目で罵倒してきた。
「偽旦那……だと?」
「そうよ。あなたと結婚したのは間違いだったわ。……私の本当の旦那様はこのリマ様! わかった?」
「……なぜだ? なぜ、お前はそんなことを言うんだ?」
フリスティナは、私の稼ぎで食わせてやっている。
しかも、結婚前の約束と言うのもあるが、その金の殆どを自身の遊興費に使っていいとも言っている。その為彼女は私のことを常に立ててくれていた。
そう思っていたら男は嫌みな笑顔を見せてきた。
「うひひ。ボクはこう見えても転移者でね~? 相手を自在に操れる『催眠アプリ』ってスキルがあるんだよね~」
男は突然何もない空間から、なにやら珍しい形状をした板を取り出してきた。
……なるほど、私は事情が読み込めた。
どうやらあの妙な板が『催眠アプリ』というものを起動し、そして我が愛妻の愛情を自身に向けるようにし、そして私を罵倒することを性的な快楽を持つようにしたのだろう。
よく見たら、愛妻が私を罵倒するとき、どこか彼女は興奮していた。
「あのアプリ……見ちゃだめです……」
そうイグニスがつぶやいた。
なるほど、彼もまた催眠アプリで操られ、恋人を寝取られたということだ。
……であれば話は早い。
「グオオオオオオオオ!」
全身から吹き上がる怒りのままに、私は大声で雄たけびを上げ、大きく身をかがめた。
たとえ転移者であっても、相手が人間……それも奴のような肥満体であれば、身体能力など比較にならない。
この距離なら一瞬でこの男からアプリを奪い取れる。
……だが、男は突然見苦しく叫び出しながらアプリを愛妻たちに向けた。
「お、おい! 性奴隷1号、性奴隷2号! ボ、ボクのことを守れ!」
するとアプリが一瞬光ったかと思うと、イグニスの恋人と思しき女と、愛妻が私の前に立ちはだかる。
……なるほど、盾にするというわけか。
「ニルセンさん、ここは通しません!」
「この偽旦那! あなた、ご主人様に傷つけるの? だったら、私を傷つけて!」
そう健気な表情で立ちはだかる二人。
……この『催眠アプリ』は人の心をここまで操れるのか。
私は叫んだ。
「そこをどきなさい! 相手にするのはその男だ!」
「ウヒヒ、だめだよ。性奴隷1号と2号ちゃんは、ボクを守るためなら命だって惜しまないからねえ?」
ふざけたことを言う男だ。
そもそも『性奴隷2号』とは、私の愛妻フリスティナのことか。
女性を名前ですら呼ばないなど、ますます許せん。
そう思い天井に飛びあがり、そのまま急降下する形で飛びかかろうと思ったが、それより男が催眠アプリをかざす方が速かった。
「はい、残念~? 催眠かけるよ? 『お前は労働奴隷として、ご主人様のボクに毎週必ず給料を持ってくること』。それとこの家はもうボクの家にするから、お前はイグニスと二人でみじめに暮らせよ?」
さらに、隣にいたイグニスの恋人が笑みを浮かべてつぶやく。
「フフフ、ニルセンさん。これであなたも仲良く奴隷の仲間入りね?」
「うんうん。……おっと、こんな怖いことが起きたらごめんだから、もう一つ暗示をかけなきゃ。『お前はもう、これから怒ったり怒鳴ったり出来ない』ってことも付け加えとこうっと!」
「さっすがご主人様! 偽旦那の悪いところが分かってらっしゃる!」
キイイイン……と、その瞬間頭に何か暗示をかけられたような気がした。
……何があった? ご主人様は一体私に何をしたんだ?
「ウヒヒ、これで一安心だね? 性奴隷1号ちゃん。お酒お代わり」
そう言うとご主人様はグラスをイグニスの妻に見せた。
確かあれは、リザードマンの私が酔うための相当強い酒だ。
「あの、ご主人様? このお酒は強いので、今日はその辺にした方が……」
「うるさいな。ボクのお母さんじゃないだろ、お前は?」
心配そうにつぶやく愛妻……いや、元妻フリスティナを見て、ご主人様は面倒くさそうに催眠アプリを見せつけた。
「お前はボクの世話をする性奴隷なんだから。『お前らはボクの食べるものや飲むものにケチをつけない』……と」
また、キイイイン……と音がした。
すると、心配する表情だったフリスティナの表情が、みるみる笑顔に変わっていった。
「じゃあ、もう一度言うね? 性奴隷2号ちゃん。もう一杯お酒」
「流石ご主人様! 素敵な飲みっぷりですね! さあどうぞ!」
先ほどとは違い、ご主人様に対して嬉々として酒を注ぐ元妻。
ご主人様は『自分の言いなりになる人』が欲しいだけだというのは、このやり取りからも明白だった。
「ふ~。今日は新しい奴隷が入って満足満足! そうだ、性奴隷2号ちゃん。酒の肴にさ。こいつのこと思い切り罵倒してやってよ」
「はあい!」
嬉しそうに元妻は答えると、私に対して凄まじい怒りと不満の表情を見せてきた。
「そもそもねえ! 偽旦那、あんたには前から言いたいと思っていたのよ! あなた、私にだけはいい顔してるけど、本当は他の人に酷い暴言を吐いているの、噂で聞いてるんだから!」
「な……」
酷い言いようだ。
私は暴言を吐いたことはない。それもこれも全部指導であり、現にイグニスは私のおかげで才能が開花したくらいだ。寧ろ褒めてもらっていいくらいだ。
だが、そんな私の思考を先回りしたかのように、フリスティナは不満げに叫ぶ。
「あなた自分では『指導』だと思ってるんでしょ? けどね! あなたのやっていたのは、ただの自分が気持ちよくなるだけの暴言なの!」
「それは……」
違う! と叫びたかったが、言葉が出てこない。
……なるほど、これが催眠の力か。
元妻はますますヒートアップして半泣きになった。
「どうせ違うって思ってるんでしょ? けどね! いつもいつも街中であんたの噂を聞かされてるのよ! そのたびに、私がフォローしてやってたの、知らないんでしょ?」
「なに……」
その話は初耳だった。
……私はひょっとして、思い違いをしていたのか?
いや、そんなことは無いはずだ。私だって昔は同じように指導を受けてきたからだ。
「そりゃあさ! あんたの両親だって、あんたに酷い教育してたってのは分かるわよ! それが可哀そうだと思ってたし、何よりあんたが金を稼ぐからニコニコしていたから我慢していた! ……けどね、それも今日でおしまいよ!」
妻は私の思考を読んでいるのか? そう思えるほど的確に私の考えを先回りし、反論をさせてこない。
はあ、はあ、と言いたいだけ言って肩で息をする愛妻を見て、男は満足そうに笑みを浮かべた。
「うーん。いいねえ。ボクの嫌いだった上司に怒鳴ってるみたいで気持ちよかったよ?」
「ありがとうございます、ご主人様! 私も凄いすっきりしました!」
なるほど、ご主人様は『元の世界』でひどい指導をする上司が居たからこそ、こうやって逆に私に対して暴言を言い返して溜飲を下げているってことか。
(……待てよ、それは……私もか? ……その『ひどい上司』とは……)
私の頭に、そんな疑念が芽生えた。
「それじゃ、もう気が済んだし帰れよ、労働奴隷ニルセン」
ご主人様の命令でイグニスの家に帰った後も、私は二重のショックで口を開くことが出来なかった。
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