7.俺にしときなよ side倖智花

その時、綺麗な夕焼けが目に入った。

空はさっき見たオレンジの夕焼けとは違う色をしていた。

ピンク色の空。その上空にある水色とのコントラストがきれいで幻想的だった。


次第にそれは薄紫へとなっていき、周りは薄暗くなってきた。


「ちょっと歩こう」

「うん」


手を繋いだまま自販機に連れていかれ、温かい飲み物を買てもらった。

リクエストしたホットカフェオレを手渡された。


「ありがとう」

「どういたしまして」


両手でカフェオレを持って、前野君についていくように隣に並び、再び広場を歩く。


「暗くなってきたから気を付けてね」

「うん」


右手を出され、その手に自分の手を添える。

ゆっくりと歩く。

右手で胸に持っているカフェオレが温かい。

左手は手を繋いだまま前野君のポケットに入れられている。


「さっきさ」

前野君が静かに話し始めた。


「蕎麦屋で『前野君も律儀だ』って言ってたけど、あれってどういう意味だったの?」


お蕎麦屋さんでのことを考える。

彼女がいるいないの話のことだろう。

ああ、何気ない言葉だったのだけれど、嫌な気分にさせてしまったのだと思う。


「ああ、ごめん。律儀って言われるの嫌だった?」

「ううん。『律儀』より、『前野君も』って言ったから。『も』って、誰と一緒だったのかな?って思った」



「ああ・・・」

そういう意味かと納得する。


「別れた彼氏」

怒るかなとも思ったが、正直に伝えた。


「律儀な人だったんだ」

「好きな人ができたから別れてくれって。その相手と付き合ってるわけでもないのに、言ってきた」


「他の人と付き合うからって別れてくれって言われるほうがいやじゃない?」

「それでもよかった」


「それでもよかった?」

「うん」


「倖さんはそれでいいの?」

「それ?」


「好きな人がいるって言ってる奴とよりを戻したいの?」

「・・・・わからない・・・。

彼ね、私のこと好きだけど、もっと好きな人ができたんだって。

私のこと好きじゃなくなったなら仕方ないって思えるけど・・・好きだから、大事だから別れようって言われたから・・・。

好きなら私のところに戻ってきてくれないかなって期待しちゃうんだよ」


「その男、最低な奴だな」

「え?私じゃなくて?」


「男の方だよ。 

自分のこといい人のままにしてんじゃん。

倖さんが次に進めるようにちゃんと別れてあげてない。

そんなやつのこと、いつまでも思ってなくていい。

俺にしときなよ」

「次にすすむかあ・・・」


「ねえ!聞いてた?!俺にしときなさいって。」


背後から抱きしめられた。


「俺、倖さんのこと好きだよ」

「最近まで話したことなかったよね?」


「うん。最近まで営業部の先輩としか見てなかった」

「だよね」


「クリスマスツリーのとこで倖さんを見たとき、倖さんが先輩からただの女の子になった。

それまでいつも笑ってる明るくて面倒見のいい人だった」

「前野君の面倒を見た覚えないけど?」


「俺もない。でも、倖さんが他の後輩に指導してるとこ見てるし、他の営業が倖さんに仕事頼んでるとこも知ってるから」

「つまり接点なかったよね」


「ツリーで声かける前にも座ってる倖さんを見たんだよ」

「?」

体はだきしめられていたから、首だけを後ろに動かした。

前野君の顔を見て話したい。


前野君は少し動いて横に並んだ。

私は表情が見えるように前野君の顔を見つめた。

薄暗くなっていたから、表情までははっきりとは見えなかった。

けれど、前野君も私の方を見て、まっすぐに答えてくれていることだけは分かった。


「倖さんはベンチに座ってツリーを見ててさ。俺は仕事終わりに男友達と飯食いに行って。2時間くらいたったのかな。帰りにツリーの前をまた通ったんだ。何気なく見たら、まだ倖さんがそこに座ってた」

「・・・」


「いつも笑ってる倖さんがじっとそこに座ってツリーを見続けてて」

「・・・」


「びっくりして」

「・・・」


「倖さんに声かけた」

「・・・そう、だったんだ」


「それまで笑ってる倖さんの表面しか見てなかった。

そりゃ、人間だから、悲しいこともあるし、仕事ではそれを見せちゃいけないって分かってるよ。

でも、倖さんが冷たくなるまでじっとツリーを見ている姿に、泣いちゃう姿に、放っておけなくなってた」

「・・・」


「まだ俺のこと好きじゃないかもしれない。でも、俺のこと嫌いじゃないでしょ?」

「う・・・ん・・・まあ」


「こうやって抱きしめても嫌がってないよね?」

「あ」


「元彼より俺の方が好きって言わせてあげる。幸せって思わせてあげる」

「・・・・」


抱きしめられても嫌悪感がないことは事実で、今日の昼間にやっと断捨離をできるくらいにまで落ち着いた恋心があったのに、もう前野くんと付き合うのかと戸惑ってしまったのも事実だった。


もし、このまま前野君を好きになったら・・・。

私はそんなに薄情な人間なのだろうか?

私の彰を好きだった気持ちはそんなものだったのかと、自分自身に嫌悪感をいだいてしまいそうになる。


「先に言っておくけど」

「?」


「俺は倖さんを落とそうとしてるから。倖さんが俺のことを好きになってもおかしなことなんて何もないし、罪悪感とか持たないでね」

「どうして、分かるの!?」


「はあ。やっぱり。倖さんは真面目過ぎ」

「そんなことないけど‥‥‥ごめん。やっぱり別れたばかりで他の人と付き合うとか考えられないよ」


「大丈夫。元彼なんてすぐに忘れさせるから」

「す、すごい自信だね」


「自信なんてないよ。でも、俺は倖さんが好きだよ。

だから倖さんにはいつも幸せだって思って欲しいし、そう思えるように頑張るよ」

「前野君…」


「だから、俺にしておきなさい。ね?」

肩に回された手に、キュッと力が込められた。

ドキドキして、顔が熱くなるのを感じた。

やばい。このままじゃ心臓の音が聞こえちゃう!

私は平静を装った。


「私、休みの日とかずっと一緒にいたがるタイプだよ」

「むしろ一緒にいたい」


「私、しつこいよ?」

「俺もだから大丈夫」


「寝相、悪いよ」

「うちのベット広いから平気」


「私、5つも年上のアラサーだよ?」

「そんなの気にしない。

平均寿命だって女性の方が上だし。死ぬまで一緒にいられてむしろ嬉しくない?」


「お、お肌、曲がってきちゃったよ」

「遠回しに化粧水をプレゼントしてくれって言ってる?」


「あははっ。そんなわけないでしょー」

「倖さんは綺麗だよ」


きゅっと抱きしめられた。


「本当に‥‥‥私でいいの?」

「うん。倖さんがいい。倖さんじゃなきゃだめ」


「うーん」

ついこの間まで仕事以外の会話をしてこなかった前野君。

いい子だと思うし、一緒に過ごして楽しかったのも事実。

でも好きか嫌いかで問われたら、好きだけど…恋愛で好きかと言われると、まだ微妙なところなんだよね。


「倖さんが好き。俺と付き合ってください」

「…友達からなら、いいよ」


「友達とはぎゅうしないでしょ?」

「確かに」


抱きしめられたまま、ゆらゆらと左右にゆすられる。


「俺と付き合ってください。

大切にするから。友達は嫌だ。彼氏になりたい」

強引な前野君が可愛く見えた。


「ふっ。強引ですね」

「必死と言って」

少し抱きしめている力を抜いた前野君の頭が、私の肩の真上にある。


ほんの少し、肩に触れる前野君に視線を向けた。

前野君はこちらを見ていた。

互いの息がかかるのが分かるほどに顔。

交わる視線の先に、真剣さを感じた。


「ね。『はい』って言って」

「・・・はい。よろしくお願いします」


前野君の目がキラッと輝いた。と同時に、

「嬉しい!嬉しすぎる!」

ぎゅうっと抱きしめられた。


「大好きだよ、智花」

「ありがとう、ございます?」


「どうして疑問なんだよ」

「へへ」


「まあいいよ。そのうち、『私もハルが好き』って言わせるから」

「ハル?」


「そう。まずは名前でよんでいただきたい」

「晴久?」


「あ、俺の名前覚えててくれたんだ」

「まあ、そりゃ同じ営業だし」


「『ハルヒサ』って長くて言いにくいでしょ?ハルでいいよ。男連中みんな『ハル』って呼んでるし」

「ハル?」


「はい、智花」

「え?」


いきなり名前で呼ばれて動揺してしまった。


「智花さんの方がいい?」

「ああ…えっと…呼び捨てで全然いいんだけど…」


「ん?」と問う前野君に、

「やっぱり晴久って呼んでももいい?」

と尋ねた。


「もちろんいいよ。でも言いにくいでしょ?」

「ううん。それにみんなと違うほうがいい。男友達とはいえ、みんなと同じ『ハル』より『ハルヒサ』って呼びたい」

というと、前野君はパッと離れて私の顔を覗き込んだ。


「ま、まえのくん?!」

距離の近さと急な動きに驚いて声が上ずってしまった。


「・・・戻ってる」

「何が?」

「前野君に戻ってる」

笑いながらそっと背中に左手をまわされ、二人の距離が縮まった。


「みんなと同じは嫌かぁ…なんかちょっと嬉しいな」


そのまま前野君の胸に頭を軽く押しあてられ、ぽんぽんと頭を撫でられる。

心地いい・・・・。



夜景を見ながらふと我に返る。


なんか、前野君、女慣れしてるなあ。

今まで気にしてなかったけど、イケメンだ。

見た目も良くて、仕事も出来る上にこの手の速さ。

それなのに浮いた話をこれまで全く聞かなかったのはなぜだ?


そんなことを考えながら上を向き、じーっと見つめる。

すると、前野君の顔が近づいてきた。

「は、はやい!」

と胸を押すと、

「あれ?キスしてほしいのかと思った」

とケロリと言った。

「違う!ゆっくり!」

顔が赤くなるのを感じて、もうっと、回れ右をして背を向けた。


柵に手を当て、眼下に広がる夜景を見渡して呟いた。

「ほんと、きれいね」

「うん。この景色、智花に見せたかったんだ」

「連れてきてくれてありがとう」

晴久はその手を柵に触れる私の手の両側に置いた。

背中が晴久の胸に触れている。

息が耳にかかる。


ドキドキしながらじっと夜景を眺めた。






【第1章 おわり】

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